水際のウルヴァシー

01

「は? オレら運命の恋人ってヤツだし、マジで結婚も考えてるし、お前らとは違うから」

明るく活発で、スポーツに秀でていて、成績も悪くない。おまけに顔の造作もいいし、身長も低くない。15歳の三井寿はそういう生徒だった。少々調子に乗りやすく、熱したら中々引っ込みがつかないという点はやや短所と考えたとしても、それでも彼は学年の中ではとても好かれている男子生徒だった。

彼が部長を務めるバスケット部はもはや近隣の公立中学相手では負けなし、4番を背負う三井を中心に置いたチームは学校の誉れ、全生徒の羨望の眼差しと敬愛を一心に受ける、スター的存在であった。

軽く短所と考えられている短気で熱しやすく頑固なところにしても、本気で短所と思っている同級生はいなかったし、それを補って余りあるカリスマ性でとにかく万人に愛されていた。

そんなわけで、当然のように彼には恋人がいた。同じ学年の女の子で、という。

三井とは小学校が別、中学に入って同じクラスになったことがきっかけで知り合った。最初はお互い陽気で元気なことが災いして、相手をバカにしたりからかったり、というようなことをクラスの中で繰り返していた。けれどそれは、そういうことを言い合っても気にならない存在なのであり、つまり仲の良いクラスメイトだった。

それが心身の成長とともに恋に変わっていったのは、中学2年の頃のことだった。

2年生になっても同じクラスの三井とは、いつもお互いをイジってネタにするキャラとして定着していたし、三井はこの頃既にバスケット部の中心的存在だったし、そういう日常が続いたせいか、周囲よりほんの少しだけ浮き始めた。

とはいえそれは悪い意味で浮いているのではなくて、ちょっとばかり特別なふたりとして周囲から認識され始めた。バスケ部のスター三井、それに遠慮なくツッコミかます、その間には入れない。また、はこの頃から二次性徴が外見にも現れてきて、以前より可愛らしくなってきた。余計に近寄れない。

自分たちが「ちょっと特別」という意味で浮き始めていることには中々気付かなかったけれど、そんな状況にあることなどお構いなしで、ふたりはどんどん距離が縮まっていった。ということは日常の中にある小馬鹿にしたりネタにしたり……というイジりも遠慮がなくなっていく。何を言っても大丈夫だと無意識に刷り込まれていた。

夏休みに入り、三井とはそれぞれ仲のいい友人と連れ立って夏祭りに出かけた。中学生も半ばを過ぎ、暗くなってから帰ってもいいよと言われ始めた彼ら彼女らは、それこそ浮き立って色気づいた心を隠し、わいわい騒ぎながら人混みの中に紛れていた。

そこでふたりはばったりと出くわした。バスケット部の仲間と楽しんでいた三井は、初めての大人用浴衣でドレスアップしたを見るなり言葉に詰まった。夜の闇に露天の明かりが揺れて、浴衣姿のはとても可愛かったからだ。まとめ髪のうなじは白さが際立ち、グロスを塗った唇が艶めかしく光る。

いくら快活な三井でも、それをそのまま正直に言えるわけはなかった。そして、いつものようにいつもと同じように、彼はヘラヘラ笑いながらに向かって「似合ってねーから!」と言ってしまった。

一方、褒めてもらえるとは思っていなかったけれど、仲の良い三井からそんな憎まれ口を叩かれるとは思っていなかったは、ショックのあまりその場で泣き出した。初めての大人用浴衣にときめいていた心がぺしゃりと潰れ、自分でもコントロール出来なくなってしまった。

一瞬で青ざめる三井、しかしこんな時キーキー喚き立てそうなと一緒に遊びに来ていた女子たちは何も言えずに黙っていた。何しろ少し浮き気味のふたりなのである。はショックから立ち直れなくて、その場から逃げ出した。それを三井は追いかけたわけだ。

走る速度ではなど三井には遠く及ばないけれど、何しろ人出が多くて三井はの後ろ姿を追いかけるので精一杯、祭のメインストリートを抜け、遠ざかる祭り囃子を背に、三井は駅前でようやくを捕まえた。はまだシクシク泣いており、肩にかけられた三井の手を跳ね除けて真っ直ぐ歩く。

ごめんとか悪かったとかボソボソ言いながら追いかける三井だったが、は無視。そのまま電車に乗り、隣の駅で降りる。小学校は別だが最寄り駅は同じ、三井もその後を追って降りる。そうして人がどんどん少なくなっていく夏の夜、三井は意を決しての腕を掴んで足を止めた。

ほぼ通学路に当たる通りの一角、可愛らしい地蔵堂の周りはバス停と桜の大木とベンチと自販とで、ちょっとした憩いの場になっている。そこでを引き止めた三井は改めて謝罪、似合ってないなんて嘘だと言い、まだグズっているの手を引いて抱き締めた。完全に勢いだった。

丸1年以上仲の良いクラスメイトを続けてきたふたりは急に気持ちが盛り上がってきて、ドキドキしてきた。勢いだったけど可愛いし嫌いじゃないし、いいんじゃないのこれ。さっきまで超ムカついてたけど元々三井は嫌いじゃないし、もしかして好きになれるかも。

相手が三井だから、だから、という確かな気持ちがあるわけではなかった。しかし、どちらもお互い彼氏彼女としては、充分に「合格」だった。だったらそれでもいいんじゃないの?

暗い桜の大木の下でふたりはキスを交わし、以来、武石中学では羨望と軽蔑が紙一重、なカップルになった。

要するに調子に乗ったバカップルだ。何しろ三井の方が目立って人気のある生徒だし、の方もそれには遜色ない女の子だったし、仲良くふざけあっていた時間の長さが恋人同士としての距離をすぐに縮めて、浮いているので誰も止める人はいなかったし、ふたりのイチャつきは加速する。

クラスが同じなので、休み時間とあらば一緒にいるのはもちろん、は三井の部活が終わるのを待ち、毎日一緒に帰った。両の親も三井くんなら、ちゃんなら、とふたりの関係を好意的に受け取ったし、とにかく付き合いだしてからの三井とは校内で一番ラブラブで目立つカップルとなっていった。

「結婚、て気が早くない? そりゃ、女は16で結婚出来るけど」
「バカ言え、今のうちからしっかり計画立てて準備してくんだよ」
「三っちゃん、真面目に考えてんのか、すげえ」
「当たり前だろ。勢いで言ってんのと違うんだから。今のところ予定では二十歳になったら結婚」

そして運の悪いことに、この頃の三井の友人というのは、そのほとんどが太鼓持ちであり、彼の話を否定したり諌めたりしてくれるような人がいなかった。三井の鼻がどんどん伸びていく。

「だけどその頃オレは大学でバスケットやってるし、もしかしたら日本代表になってるかもしれないから、子供はしばらく先だな。も仕事したいだろうし、オレだってNBAに行かれることになるかもしれないしな」

結婚だけならまだしも、子供と来ては太鼓持ち少年たちは一気にテンションが上がる。子供って、結婚して子供ってつまりアレだよな、もしかして三っちゃんもうとヤッちゃったの!?

位置的に隣の中学はここ数年荒れた生徒が多く、この年は真偽不明ながら妊娠騒ぎが2件もあったそうだが、ここ武石中ではそこまでの騒ぎには至っておらず、性的に早熟なことをひけらかすような生徒は少なかった。そんな中でのこの三井の発言は、特に彼をおだてるのが好きな友人たちには効果的だった。

一応親や学校の手前、とはキス止まりだと説明してやった三井だが、それでもいつ何時でもとは肉体関係を結べるほどには愛し合っているのだとアピールする形になった。

「でもまあ、いつまでも待つつもりはねえよ。オレはそんなに気が長い方じゃないからな」

さらりと前髪をかきあげる三井、太鼓持ち少年たちはますます彼の虜になっていった。

仲の良い友人たちには自分とのラブラブっぷりをよく自慢気にアピールしていた三井だが、部活に熱心で素行も悪くない中学生の身では中々キス以上の関係にはなれず、気が長い方じゃないと言いつつも、イチャコラはチューが限界、という関係のまま3年生になり、初めてクラスが別れた。

何も一気にセックスまで行かれなくてもいい、例えば胸を触るとか、そのくらいはしてもいいんじゃないかと三井は思っていたけれど、何しろ一応真面目な中学生、しかも三井は先代の引退と共に主将に就いており、暇がなかった。長期休暇でも基本的に毎日部活だったし、イチャつくためにそれをサボろうとまでは思わなかった。

はそんな関係に不満を抱くこともなく、むしろ校内イチ強いバスケット部の主将でスター選手の三井と付き合っていることを自慢にしていた。三井ほど進展具合だの将来展望だのをペラペラ喋るわけじゃないが、それでも彼はパーフェクトなのだと言っては呆れられる、ということを繰り返していた。

いわく、バレンタインの時はチョコをあげたらチューしてくれた、ホワイトデーの時もプレゼントと一緒にチューしてくれた、春休みは1日しか休みがなかったけど、カラオケでいっぱいチューした……とにかくチュー自慢だった。

この頃になると、一部では大変「ウザいカップル」という認識も広がってきたのだが、それでも彼らが止まらなかったのは、ひとえに三井がバスケット選手として飛び抜けて優秀だったからだ。またの方もそれを誇りに思い、彼を心から応援・サポートしていたので、みんな大目に見てくれていたわけだ。

というのも、三井が主将に就いてからの武石中はほとんど負けなし、春休みの間には方々の高校から三井を見るために監督や指導者の訪問が何度もあったほどで、彼に関しては日を増すごとに話が大きくなっていって、孤高の高嶺の花になりつつあった。

昨年の武石中の県大会での成績はベスト8だった。本人たちはもっとやれたと述懐しているが、たまたまその年の優勝校に当ってしまい、準決勝に進むことなく終わった。なので、ビッグマウスでも結果が伴う三井が3年のこの年はさらなる上位が狙えるのではないかと期待されていた。

そんな中、ふたりは「同じ高校へ行ってがマネージャーをやり、IHで優勝する」という目標を掲げ始めた。

中学校なので生徒のクラブ活動は必須、しかしマネージャーというポジションは認められておらず、はあくまでも部外でのサポートをするしかなかったけれど、それでも三井を献身的に支え、3年生の夏休みに入る前には影での呼び名が「三井嫁」になったほどだ。

平日でなければ試合は必ず最前列で観戦したし、差し入れもしたし、これまた誰も止めないので、は練習中の体育館には入れないマネージャー、というような立ち位置になってきた。

「なんで中学はマネージャーだめなんだろ」
「なー。別にちゃんとやってたらいいじゃんな」
「そうしたら一番近くて応援できるのに」

夏休みに入っても合宿に日々の練習にと、三井は相変わらず忙しかった。だが、付き合って1年記念の夏祭りだけはなんとか都合をつけてふたりで出かけた。はまた浴衣だ。

夏休みが明け、2学期に入れば県大会は目の前である。それが終わってしまうと以降は公式な大会もないので、例え推薦入学が決まっていて受験がなくても3年生は引退しなければならない。なので県大会が終わると強制的に時間が出来る。今は忙しいけれど、県大会さえ終わればずっと一緒にいられる。

「ねえねえ、大会終わったら遊びに行こうよ」
「どこに?」
「それはまだ考えてないけど、ちょっと遠くまで行きたい。ふたりだけで」

夏祭りからの帰り道、いつか三井が謝りながらを追いかけた通りだ。

中学生同士の恋愛にしてはえらく長続きしている――と三井もも先輩なんかにはよく言われる。その通り、1年前の夏祭り以後、ふたりは喧嘩らしい喧嘩もしたことがなかったし、影でウザがられるほどイチャついていたし、それは当分変わりそうもなかった。

三井は例の地蔵堂が見えてくると、そっと深呼吸をしての手を引いた。桜の大木の陰に入り込み、の体を引き寄せて抱き締める。もぺたりとくっついて頬をすり寄せ、三井の名を呼んだ。

「不思議。もう1年も経つのに、もっともっと好きになるよ」
「オレも。24時間一緒にいられればいいのにって、いつも思ってる」

たまに車が通り過ぎていくだけの通りから隠れて、ふたりはまた唇を重ねる。もう慣れたものだ。

、オレ、絶対優勝してくるよ」
「うん、絶対優勝できるって信じてる」
「だからその、もし本当に優勝できたら、ええと――

もごもごと口ごもる三井を見上げながら、は首を傾げた。何の話?

「優勝したら? 何か欲しいものでもあるの」
――――――ある」

きょとんとしてるの目を見ていられなくなった三井は、そっと頭を落として屈み込み、耳に唇を寄せ、ごくりと喉を鳴らすと、掠れた声でぼそぼそと囁いた。

が、欲しい」

意味はすぐに伝わった。は勢いよく首を捻って三井の顔を見る。長めの前髪に表情を隠した三井の耳は真っ赤だったけれど、暗いので見えなかった。だが、もごくりと唾を飲み込み、スッと息を吸い込むと三井の頭を抱え込んで抱き締めた。

……あげる。優勝したら、全部あげる」

三井もの体をギュッと締め上げ、首筋に唇を寄せた。

「本当に?」
「本当に」
「いいの?」
……私も、そうしたいから」

のか細い声に三井は腕を緩め、また唇を押し付けた。

「だから、頑張ってね。応援してるから……
「大丈夫、スーパースター三井はがいる限り、絶対に負けないから」

真っ暗な桜の大木の下でキスをしては抱き合うふたりは、こうして寄り添ったままこの先何年も過ごしていくのだと信じて疑わなかった。三井が言うように、今から準備を始めて、可能になったらすぐ結婚してしまいたいくらいに考えていた。道を分かつ理由など、どこにもない。そう思っていた。

この年の県大会、市立武石中学は順調に勝利を重ね、昨年の順位であるベスト8を突破、準決勝では昨年の優勝校を破って雪辱も果たし、緊張が高まれば高まるほど集中力が増す三井に引っ張られたチームは隙のない試合展開で決勝までこぎつけた。

とはいえ決勝の相手もトーナメントを全て勝ち抜いてきたわけで、さすがに決勝戦は苦戦を強いられた。だが、試合終了直前の三井の活躍により武石中は勝利を収め、とうとう優勝を手にした。

三井はMVPも獲得、それを観客席で見ていたは号泣、武石中きってのバカップルふたりの関係は、今まさにピークに手をかけようとしていた。三井は最高の形で武石中バスケット部に足跡を残し、そんな彼をは心の底から愛していた。

約束通り、誰にも触れさせたことのない体を彼に差し出して、一生解けない絆を結びたかった。

もう絶対に離れない、私たちは死ぬまで一緒、この愛は永遠だから――

しかし、県大会を終えた三井は、を欲したことなど忘れてしまったかのようにぼんやりし始めた。一方で、MVPを獲得した彼には県内外の名だたる名門・強豪校からスカウトが殺到し、しばし学校側と三井の両親はその対応に追われた。誰も彼も魅力的なことを口にするし、選びたい放題だ。

勢いも難しい決断を迫られている三井と過ごす時間が減り、しかし三井がどこの高校を選んでも、自分も必ず同じ所を受験して合格してみせるから、と息巻いていた。

幸い、県内のバスケットが強い高校に偏差値の高い超難関校はなかった。どこもだいたい私立だが、中でも少し高めなのは翔陽高校くらいだろうか。とはいえそれもの学力では充分に狙える合格圏内。どこでもいいよ、海南大附属、翔陽、陵南、私は絶対に同じ高校に行くから。

三井への思いがピークに達しているは目からハートマークがボロボロ零れ落ちそうな勢いだったが、三井のぼんやりは治る気配がなく、3年生の2学期は静かに更けていった。

そして11月のある日、三井は両親とともに校長室で何度も頭を下げた。最後まで粘った私立の陵南高校の監督に、推薦入学を断るためだ。既に海南大附属と翔陽高校にはスカウトを受けられない旨を伝えてある。

「なぜだね、三井くん。君は10年に一度の逸材だ。うちだけじゃなくて、海南と翔陽まで断るなんて」
「す、すみません」
「何かどうしても強い高校に行かれない理由でもあるのかい」

陵南高校のバスケット部の監督である田岡氏は必死に食い下がった。県大会を観戦している時から三井を手に入れようと決めていたのに。というか県内トップクラスの高校の推薦を断るだけの理由は一体何なんだ!

三井はやはり少しぼんやりした目で、ぼそぼそと呟いた。

「行きたい高校が、あるんです――