チェンジ・ザ・ワールド

15

さて、そんなわけで無事にユヒトと付き合うことになった私は、一応に確認を取ってみたらば、やっぱり前の世界のように寿が門限門限うるさく言う状況ではなくなっているらしいので、湘北を離れてある場所へ向かった。六星だ。まだ信じられないっていうよりも、この目でホワイトがなくなっているのを確かめたかったから。

もちろんホワイトはなかった。ホワイトのあった場所には寿司屋が入っていた。ホワイトの面影はどこにもない。六星も煤だらけで汚いし、と一緒に入ったカフェもなかった。26年という歳月を感じて、私は少しだけ気が遠くなった。そんな気持ちを抱えたまま帰宅をした私を待っていたのは、三井寿監督だった。

「お、おかえり! おそ、遅かったな!」
「ただいま。……なんなんそのキョロキョロした目」

寿はリビングで新聞をグシャグシャやっていた。私が首を傾げていたら、後ろからのブハッと吹き出す声が聞こえてきた。だから一体何よ? ていうか寿、前の世界よりいい顔してるね。

「お母さんまで何?」
「何? じゃないでしょー! ユヒトはどうしたのよー!」
「ハァ!?」

は私を通りすぎてソファの寿の横に立ち、腰に手を当ててニヤニヤしてる。

「首尾はどうだったの」
「ちょ、なにそれなんでそんなことべつに私」
「今更そんなことグズグズ言ってないではっきりしなさいよ。プレゼント渡せたの?」
…………渡した」

寿は必死に顔に出すまいとしてるみたいだけど、なんだかハラハラして気が気じゃないって顔になってる。対するはちょっとニヤニヤ、だけど楽しそうというか、幸せそうな顔してる。私もついこの間まで、こんな風だったんだよなあ、このふたりのことで。と思ったら、口が滑った。

「好きって言ってきた」
「ホントに!? キャー!」
「マジかふおおおおおお」

は歓声を上げて手を叩き、寿は両手で顔を覆ってソファにひっくり返った。えーと、どういう……

「それで? ユヒトなんだって? ユヒトも好きだったんでしょ!?」
「わかってんなら聞かないでよ……てかお父さんは何なの」
「あああよかったやっとまとまった! ユヒトー!」
「えええええ!!!」

ちょっと待て、おい寿それどういうことだよ!? てか娘の前にユヒトかよ! ポカンとしている私の腕を引いてはソファに座る。だいぶ記憶は薄れてるけど、確か寿は私の交友関係とか恋愛とかそういうのにものすごくうるさかったはずじゃなかった? てかなんでちょっと涙ぐんでるのよ……

「あのね、あんたが足怪我した時にね、お父さんがもー落ち込んで落ち込んで」
「しょうがないだろ、オレとまったく同じところやっちゃったんだし、治らないって言われちゃったし」
「自分みたいに無気力になっちゃうんじゃないかって心配してて、それを間近で見てたユヒトがさ」

ええとその、つまり寿とは、私が足を痛めて入院中に、もし私が無気力になっちゃって、そのまま戻らなかったとしても、自分がずっと一緒にいるから、大人になったら結婚していい? とユヒトに言われていたらしい。ちょっと待って下さいよ……なんなのそれ……また私だけ知らなかったのそれ……

「お前がバスケできなくてもいい、自分がすごい選手になって金持ちになるから、って」
「高校は湘北に行くし、僕がすごい選手になれるように教えて下さいって言うんだもの」
「それ、なんて返したん……
「そりゃあもちろん、ありがとう、よろしくお願いしますって」
「即答ですかい」
「そりゃユヒトだからな。お前を預けられるのなんてユヒトしかいねえだろうが」

なのに私はアイドルがいいだの言い出すし、チャラチャラと軽薄キャラになって彼氏欲しいしか言わなくなるし、ユヒトには八つ当りするしで、だけどユヒトはこのことはいつか自分が言うから教えないでくれと言い出すしで、つまり寿は「お前ユヒトがあんなに真面目に想ってくれてるのに、このバカ娘が!」という意味で干渉してきていたんだそうな。はは……はははは……なんだよそれえ!!!

もっと早く言えよそういうことは!!! なんでアイドルがいいとか真に受けてんだよ!!!

「じゃあ今年は予選見に来るんだろ?」
「ま、まあ、そうだね……予定がなければ……
「おいおい、お母さんはオレの試合学校サボってまで見に来てたんだぞ」
「それ褒められるようことじゃないでしょうが」

私がいなくなってからそんなことしてたのか……

「だって、国体も冬も必ず土日に当たるとは限らないし、負けちゃったらそこまでだし」
「冬の予選頃まではまだバスケ続けられるかどうかもわからなかったしな」
「それにしたって、なんか娘よりユヒトの方が大事みたいな言い方」

干渉されすぎても腹が立つけど、関心持たれなきゃ持たれないで腹が立つじゃないですか。私が面白くなさそうな顔をしてそんなことを言ったら、はまたブハッと吹き出し、寿はしかめっ面をしてそっぽを向いた。

「何よ」
「お父さんはね、あんたが4歳の時にそういう執着を捨てるって決めた人だから」
「はあ? 何で4歳なの」
「ひとつにはバスケ始めたからだけど……ねえ?」
「お前が言え」
「いいじゃないそのくらいー。あんたがてっちゃんのお嫁さんになるって言い出したから」

はい?

「フツー、最初は『パパのお嫁さんになるー』とか言うだろうが!」
「お父さんに1度も言わないまま鉄男さんがいいって言い出しちゃったからねー」
「それはひどい」
「お前のことだ!!!」

今までは気付かなかった。しかめっ面でそっぽ向いてる寿のこの顔は「照れてる」顔だ。17歳と18歳の彼を見ていなかったら、気付かなかったかもしれない。

だけど私がてっちゃんのお嫁さんになると言い出したのは、前の世界でもあったことだ。それがこの世界では4歳で寿にそういう決断をさせるまでなっていた。一体どんな理由からだったんだろう。

前の世界の記憶が薄れていくのと一緒に、私の頭の中はこの世界の記憶が増え始めていた。あの県立公園でふたりと一緒に遊んだ記憶、小さい頃から寿にバスケ教えてもらってシュート練習してた記憶、、ユヒト、友達――どれも前の世界と同じだった。ただほんの少しだけ触り心地が違うような気がするだけだった。

そういうものが積み重なって、寿の仕事や家や学校が変わってるだけ――そんな感じがした。

だって、どっちもと寿は仲いいみたいだし、ユヒトなんか学校以外何も変わってないし、私の怪我はなくなってないし、てっちゃんが好きだったのも変わってないし、同じ。そういう風に拾い上げてみれば全部同じだった。

「学校サボるのはアレだけど、決勝リーグなら土日でしょ。そっちならいいよ」
「だからマネージャーやれって言ったのに。ああそうか、もう付き合い始めたんだから恥ずかしくないよな?」
「余計恥ずかしいわ!!! 自分に置き換えてみなよ! お母さんが急に女子マネになったら嫌でしょ!?」
「そ、それは」
「お母さんはやりたかった……彩子ちゃんと晴子ちゃんが羨ましくて」

ホントわかりやすいな、あんたら。ていうかある意味では「直後」だから気になるんだよね……

「そーいやふたりは高3の夏だっけ? 付き合いだしたの」
「そう、夏休みの間に!」
「ちょ、おい、そんな話――
「人のことは筒抜けのくせに何言ってんだ。どっちから告ったの」
「お父さん!」

寿はガックリと俯いてしまった。事実を知っているので、これで寿が「ちげーよ」とか言い出したら返り討ちにしてやろうと思ったけど、肯定もしないけど否定もしないので突っつくのは勘弁しておいてやろう。

「インターハイ帰って来たら付き合って欲しいって言ってくれてね! 私そわそわしながら待ってて、だけどいざ連絡来たら慌てちゃってさ。それも大変だったんだよ、私、悪い人にさらわれちゃって。なんていうとドラマみたいでしょ? だけどほんとなんだよ」

本人たちの口からこの話を聞くのは怖い気もしたんだけど、一体や寿たちにとって「ミライ」がどんな風に記憶されているのか、それが気になってた。私がこの時代に戻ったことで、記憶がすり替えられて、覚えてなかったらそれでもいいなと思ってたんだけど――

「もう古い話だし、それ以来一度も会ってないから正直顔はうろ覚えなんだけど、ミライっていう友達がいてね。私たちのことを何度も助けてくれて、その時も真っ先に駆け付けてくれて。今は海外に行っちゃって行方知れずなんだけど、実はね、ミライって名前を子供に付けたいなーなんて思ったりもしたんだよ」

それも同じだ。どっちもひとりっ子なんだし、こうやってまとめてみんなで暮らしてるんだし、寿が婿に来りゃよかったのにね。そしたら私、未来だったかもしれない。がちょっとしんみりしていると、寿がブハッと吹き出した。おいおい、今度は何だよ。

「そういえば寿くんはミライに散々いじめられてたね」
「ああ、まあそれもそうなんだけど、さっきの話と一緒になって鉄男が出てきて、つい」
「てっちゃん? てっちゃんがどうかしたの」
「昔のことだからキーキー言うなよ、あいつ言わなかったけど、ミライのこと好きだったよな」
「ああ、寿くんはそう言ってたよね」

…………何ィィィ――!!!!!!

「なぜかミライが異様に懐いてたし、あいつ、あんな風に人から慕われたことなんかなかっただろうからな。だけどミライ唐突に親のとこ帰ったろ。報告しなきゃならんとも思ってなかったから、後でミライはどうしたって言われた時は焦ったけど……その辺からあいつ徐々に変わり始めたから、そういうことだったのか、とな」

ちょ、え、マジで!? 私25年前に帰った方がいいんじゃない!? いやいや何言ってんの、ユヒトはどーすんのよ、ああこんなことなら帰らないであの時代に残ればよかったのかな、そしたら、いやいや私はユヒトが好きなんだって! だけどああほらもう、昔のてっちゃんだってかっこよかったんだよー!!!

「お前は実物見たことないから想像つかねえだろうけど、鉄男なんか今と完全に別人だからなあ」
「そうよねえ、私、結婚式にスーツで来てくれた時はつい笑っちゃって」

いや実物見たことあるから。だけど結婚式のスーツは知らんぞ! 写真ないのかよ! あとで探す!!!

「人のことは言えないけど、あんだけ荒れてたのが今じゃ社長だもんな」
「まあ、無理しちゃったんだろうね。元気になったからいいようなものの」

あー、そーね、社長、いや社長!? ホーム長でしょ!? てっちゃんは愛知で介護施設のホーム長だったでしょ!? 社長って何よ!!! 私やっぱり残った方がよかったんじゃないの!?

……勘繰り過ぎかな。ミライを待ってたんじゃないかと思うんだよな」
「確かに急にだったもんね、仕事仕事って言い出したの」
「まあそれが途中から色んな目的にすり替わったんだろうし、結果的に今の嫁さんと出会ったわけだし」
「病気した時はどうなることかと思ったけどねー」

私の知ってる話と微妙に違うので、私は黙ってふたりの回想を聞いてた。それによれば、てっちゃんは私が消えて以来仕事に没頭し始め、26歳の時にまず小さなバーを開いた。もちろん寿や徳男のおっさんが喜んで通ってた。だけど別の仕事もしながらお金を貯めて、てっちゃんはバイクショップをやろうと思っていたらしい。

なのに病気になっちゃった。だけどここからがちょっと違う。私があんなこと言ったせいか、てっちゃんはかなりしっかりした医療保険に入ってた。そのおかげで開業資金に手を付けることなく治療ができた。だけど治療が終わってしばらくは生活するのもしんどくて、それでうちに来てたらしい。行くあてがないからじゃなかった。

で、てっちゃんが臥せってる間にバーの方をなんとか切り盛りしてくれたバイトの子が今の嫁。おかげでバイクショップは無事にオープン、現在はバイクショップを自分がメインでやりつつ、バー2軒持ってて、奥さんが小さなカフェをやってるらしい。遠くに行ってなかった。てっちゃん近くにいるんだ……

「言ってみりゃオレたちだってそうだけど、ミライがいたおかげで、みんな何かしら変わったんだよな」
「そうなんだよね。今どうしてるのかな」
「連絡、取れないの」

相槌を打たなすぎるのもおかしい気がして、言ってみた。取れるわけがないのはわかってる。が残念そうに行方不明だと言って微笑み、寿はなぜか私の顔をじっと見つめた。

「お前にも散々言ってたよな、『大丈夫、オレの言うことを信じろ』って。あれはミライに言われた言葉だ」

息が、出来ない。

「あいつがそう言うと、本当に何でも出来る気がしたんだ。オレには魔法の言葉だった」
「シュートの先生だしね」
「まあ、合わせて10回見ただけだけど。当時のオレには恐ろしくきれいなフォームに見えたからな」
「ミライもあんたみたいにシュートが上手な子だったんだよ」
「あいつのシュートがずっと頭にあって、まあ、心の師匠だな」

こういうの、ループって言うの? 巡り巡るって言えばいいの? その「恐ろしくきれいなフォーム」を仕込んだのは、やっぱり怪我が元でプロを引退して、だけどスポーツクラブで働くしかなかったような寿だったんだよ。あの寿とこの寿は同じであって同じじゃないのかもしれない。私の記憶もいずれ消えるかもしれない。

だけど私はあの過干渉クソ親父の寿を忘れたくないと思った。私だけはふたつの世界を自分の中に持ってるのだから、あの口うるさいばっかりの寿の記憶を大事にしたいと思った。

……って何でこんな話になったんだ。ああそうだ予選だ予選」
「今年はインターハイ優勝したいねー!」
「その前に決勝リーグ全勝だな。海南がやって以来どこも成し遂げてないんだし」
「私も行きたいなー。見に行ってもいい?」
「えっ、いや別に構わねえけど……相手はできないぞ」
「もー、まだ恥ずかしいの!? 私ってそんなに恥ずかしい妻なの!?」
「いやそういうわけじゃ」
「おいおい、そーいうのは娘がいなくなってからやれよ」

だけど何だか楽しそうだから、私は意地悪くふたりをイジってから、のんびり部屋に戻った。戻った瞬間床の上にくずおれて泣いた。何がどうで泣いたとかそういうのはもうよくわかんない。だけど、てっちゃんのこと、寿のこと、どっちも切なくて嬉しくて胸がいっぱいで、吐き出さなかったら爆発してしまうんじゃないかと思った。

感情が高ぶってる今だから思うだけかもしれないけど、私、寿との子供でよかった!

高ぶってる勢いだけだった!

あの後ユヒトと電話で話してて、それはそれで色んな情報収集をしていたんだけど、大変な事実がね。寿の野郎、私には何も言わなくなってたけれど、その代わり大人しいたちの弟子ユヒトにガッチリ釘を差してた。いわく中学卒業するまでチューはダメ、エッチは高校卒業するまでダメと言ってきたそうな。

その時点で既に1度キスしちゃってるわけだから、それはどうしたらいいんだろうと思った、とユヒトは言うが、そういう問題じゃないだろう。しかも中学の間は私の部屋にも入るな、夕飯は食べに来てもいいけど、ふたりで出かけるのもダメ、って寿コラー!!!

ユヒトが大人しくて優しい人でよかった……こんな仕打ちをされてもあいつは寿のこと「師匠」って思ってるし、父親の次に尊敬する人だとか言うし、寿、お前ユヒトに感謝しろよ……

ともあれ、私の冒険は結果的にハッピーエンドで終わりそうな、そんな感じになってきた。もう前の世界のことは殆ど覚えていない。帰ってきたその日にノートに書き殴った言葉だけが私の冒険の証として残るだけになった。それもどこか作り話のようで、実感はない。

何日かは新しい世界に戸惑ったし、死んだはずののおじいちゃんは生きてるしで、私も慣れるまでは大変だった。そして、悲しいかな、あの間違った世界で耳にしたセイトの乾いた息遣いとハデスの顔だけは「恐怖のイメージ」として残ってしまい、それは何年経っても消えることはなかった。

それでも私の日々というものは、と寿と一緒に暮らす家に始まり、その家に終わる。それを「苦労して奪い返した尊い日常」だと感じる心も次第に薄れていく。日々の生活なんて、面白くないことや腹立つことで溢れてる。そういうものの中にいつしか消えていってしまうんだろう。

だから私は、そういう気持ちが完全に消えてなくなってしまう前に、タイムマシンを返しに行きたかった。

テスト前で部活がないユヒトを連れて、私はあのアンティークショップに向かった。