チェンジ・ザ・ワールド

12

「まとめて打つ? それとも交互?」
「じゃあ交互」

ジャラジャラとアクセサリーを付けたヤンキーくんはニヤニヤしながらボールを放つ。この9フープス、本当はシュートが成功すると手球が増えて、最大12本投げられるストラックアウトのバスケット版だ。手前は入れやすいけど、奥の方は見えづらいし、距離感も取りにくい。案の定外した。

「おま、ダセェ」
「っせーなオレは野球だったんだよ」
「よーし、じゃあ次私ね! 入れるぞー!」

腕を振り回す私の腰の辺りを香水臭いヤンキーがするりと撫でる。お前ら、ご両親が見てる前でよくもまあ。

「お前が負けたら、5万の代わりにお前でもいいけど」
「ま、そりゃ勝負がついてからの話ってことで!」

私はキャッキャしながら位置につき、ボールを構える。まずは手前の左端から。もうずいぶん耳にしていないお父さんの声が耳に蘇る。それら全てと私の体の中に眠る「本来の私」、それと共に、私はちょっとだけ飛び上がって、ボールを放つ。パスッ、と気持ちいい音がして、ボールが吸い込まれていく。

「キャー! 入ったあ! 私すごーい!」
「なんだよ、運のいいヤツめ」
「へっへーん、はい次どうぞ」

まるで友達同士で遊んでるみたいにして、私はゲーム機の前から離れる。振り返ってと寿を見てみたらば、寿が真っ青な顔のまま今度は目玉が飛び出しそうなほど目を見開いて驚いている。そりゃあそうだろう、ヤンキーくんたちはどうやらバスケットには明るくないようだし、わかるまい。

私のシュートフォームがあまりに美しいことなんて。

さて、そんなわけでご想像の通り、私は次々とシュートを決め、半分を過ぎた辺りでようやく焦り出したヤンキーくんたちだったけれど、時既に遅し、20分ほどかけたシューティング勝負は私のパーフェクトという結果で終わろうとしていた。女バスの女子マネというレアな経験のあるもポカンとしている。

「んじゃま、これでいいかな? は頂いて帰ります」
「いやお前3万!!!」
「えー! パーフェクトで勝ったんだからそこは見逃してよー!」

だが、私のささやかな色仕掛けはもう通じないようだった。まあそりゃそうか、ストラックアウトで負けて取られましたなんて言えないもんねえ。勝負の間にと寿はだいぶ入口の方まで移動していたけど、何しろチャリは2台しかないし、飛び出してそれで逃げるのはまあ無理だろう。自転車に乗ろうとしている間に捕まる。

だけど果たして3万で見逃してくれるだろうか。3万と私が残るならを開放してもいいっていうんなら、それでもいいんだけど、両方置いてけとかなったらどうするか。……お前はいらんからだけ置いて行けと言われてもちょっとアレだな。ヤンキーくんたちなんか冗談じゃないけど、それはそれでムカつく。

私が渋々ポケットから金を引っ張りだそうとしていると、背後での短い悲鳴が上がって、私は飛び上がって振り返った。今度は何だよ――と思っていたら、ああもう、最悪だ。ボクだ。

「お前誰だよ」
……もう忘れたのか、三井だよ」
「なんだよその頭。てか何してんだよ、離せよそれ、オレんだぞ」

を抱きかかえた寿はじりじりと壁際に追い詰められていく。がまた寿にぴったりとくっついてるもんだから、ボクは余計に機嫌が悪くなる。そして、私の人生恐怖シーン堂々の第2位にランクインすることになるわけなんですが、開け放たれた入り口から、もうひとり人が入ってきた。

「おい、何だよこれは」
「す、すんません、なんか変な女が乱入してきて――

トロルの兄貴、白鬼母兄、ハデさんだ。顔を見るのは初めてだったけれど、これがまたボクに輪をかけて頭のおかしそうな、見るからに色々イッちゃってそうな男だった。ていうか本当に目は左右で違う方向を向いてるし、それは斜視だからというわけではなさそうだった。

で、ここから怒涛の展開を見せるわけなんですが、私はとにかくこの「ハデさん」が恐ろしくてその場に立ち竦んだまま動けなくなってしまった。実物を見ていると、よく徳男のおっさんの制裁が腹に3本の傷で済んだなと思うほどだ。そうやってビビってしまった私を、ハデさんは突き飛ばした。

「女ひとりに手こずってんじゃねえよ、なんだこのゲーム機。おいセイト、早くしろよ」
「兄貴、こいつ三井だよ、髪切ってやんの」
「そんなの見りゃわかるだろうが」

ボクは「セイト」という名らしい。なんとまあ、似合わない……じゃなくて、私は突き飛ばされてよろめいた時に、「ハデさん」の腕のタトゥーが目に入った。「Hades」……ハデス……厨二か!!! てかまさか本名? だとしたら親の時点でオカシイぞ! って弟はセイト、セイト……まさかポセイドンじゃないだろうな! ダッサ!!!

ゼウスはどこだとツッコミたいけれど、私も命は惜しい。とはいえ、ただでさえ多勢に無勢だったっていうのに、凶悪なのがふたりも増えてしまって、いよいよ私たちには為す術がなくなってきた。の身も心配だけど、今はむしろ寿の方が心配だ。徳男のおっさんが制裁を受けていなかったら、今ここで寿がやられるに決まってる。

どうしたらいいかわからない私の目の前で、やっぱりハデスは寿の方へユラユラと歩いて行って、手にした棒で地面をゴツゴツ突いている。あれはたぶん、シャッターを手動で降ろすのに使う棒だ。ああやめてよ、せっかく更生してバスケの世界に戻って可愛い彼女も出来そうなのに、やめてよ!

自分の消滅の危機かもしれないっていう状況に私は少し混乱していたんだろう。何も言わずに立ち上がって、棒を振りかぶろうとしたハデスの背中に飛びついた。やだとかやめてとか言いながら、ハデスの和柄のシャツをぐいぐい引っ張った。が何か言ってたけど、聞こえてなかった。

「てかお前うちの前で三井とキャンキャン騒いでた女だな」
「は?」
「お前が来てからあいつはおかしくなり始めた」

片手で引き剥がされた私は、首に手をかけられて、また突き飛ばされた。と寿がまた何か言ってたけど、ごめん、本当に何言ってるかわからなかった。聞こえなかった。消滅の恐怖も一緒になって、なぜか私にはハデスの声しか聞こえなかった。

「邪魔ばっかりしやがって、マジウゼェ、ぶっ殺したるわ」

イッちゃった目のハデスが棒を振り上げても、なぜか私はハデスの顔を見ていた。棒を振り上げるハデスの後ろが倉庫の入り口で、薄明かりに輪郭がぼんやり光ってるのを見てた。の悲鳴が聞こえて、だけど何を言ってるのかはわからなくて、どうせ死んじゃうなら、ああ、こんなオカシイヤツの顔じゃなくて、せめてお父さんとお母さんの顔が見たいのに、どうして首が動かないんだろうって思ってた。

だけど、その棒はハデスの頭の上で止まった。途端に意識が戻る。なんか……手が見えるけど――

「三っちゃん、大丈夫か! ちゃんも無事か!?」

徳男のおっさんの声だ。ハデスの後ろから飛び込んできて、ふたりのところに駆け寄る。えっ、じゃあハデスの振り上げた棒を止めたのって誰? きょとんとしている私の目の前でハデスが唸り、身をよじる。その向こうにいたのは、ええとこの人――誰だっけ。

「鉄男!」

ああそうだ、確か寿がグレてた時の仲間のバイカーじゃなかった? いやー、これはこれで凶悪な顔してんのに、助けに来てくれるんだね。その鉄男の後ろからもわらわらとヤンキーっぽいのが雪崩れ込んできて、多勢に無勢は一気に形勢逆転、とりあえず助かったらしい。

「てめえ、オレの邪魔をする気か」
「邪魔? そりゃ知らん。喧嘩してくれって頼まれたもんでな」

鉄男の方がハデスより大きいし、力も強いらしい。ハデスが振り解こうとしても、鉄男の腕はびくともしなかった。そして鉄男は棒を掴んだままハデスを持ち上げ、腹を蹴った。吹っ飛ばされたハデスはやけにヒィヒィと痛がっている。手下に喧嘩させて自分は後ろで見ているタイプだったか。

あんまりハデスがあっけないので、を拉致ってきた実行犯くんたちはスタコラと逃げ出したし、ボクは徳男のおっさんたちが捕まえてるしで、今度こそ本当に助かった。地面に座ったままハァーっと大きく息を吐いていたら、目の前に手が伸びてきて、私は顔を上げた。鉄男が手を差し出している。あれっ、そういう人なんだ。

「てかお前も誰だ」
「あー、ごめん、の友達。助けてくれてありがとう」

差し出された鉄男の手に引き上げられてよろよろと立ち上がった私は、間近に彼の顔を見て、頭が爆発した。

ってのは、ああアレか、ふん、バスケット少年にはお似合いだな」

鉄男って鉄男って、何で気付かないのよ、何で顔見てもわかんないのよ、この人「てっちゃん」じゃん!!!

私の初恋の人だよ!!! 変わりすぎだ!!! てか、てっちゃんて鉄男さんだったっけ!?

えー、それは私がまだ幼稚園に入るか入らないかという頃のことで、「てっちゃん」はよく我が家に来てて、夕飯を一緒に食べてた。我が三井家では、と寿がふたり一緒に家事をやるので、「てっちゃん」が来てると、私は彼の膝の上でご飯が出来るのを待っていることが多かった。

てっちゃん、こんなにグレてたのかい……。私の記憶にあるてっちゃんはそれはもう優しくて、3歳か4歳でも女である私は「てっちゃんのお嫁さんになる」と言い出し、寿が本気になって激怒していたのは覚えてる。あいつ本当に冗談通じない。だけど、私基準で言えば、あれは私の初恋だ。てっちゃんとずっと一緒にいたかった。

「ミライ、ミライ……!」
「ああっ、! 怖かったよね、可哀想に、もう大丈夫だよ」
「何言ってんのよ!!! あんな無茶な真似ばっかりして! どうしてそういっつも、私、ミライが――

私に飛びついてきたが声を上げて泣き出した。あああいかん、泣かないでくれよ、親の涙はつらいよ。つられて涙ぐんだ私の頭を鉄男がワサワサと撫でて、暴れるボクの始末の方に加勢しに行った。ああ、この手を知ってる。てっちゃんが帰るっていうと泣く私の頭を撫でてくれてた手だ。

とまあそんなノスタルジックな気分に浸っていたら、今度は寿にペチンと頭を叩かれた。びっくりして顔を上げたら、こっちはこっちで完全に怒ってる親父の顔になってた。うわー、めんどくせー。

「お前なんてことしてんだ! 無茶はするなって言っただろうが! ていうか何だあれ!」
「あれって?」
「シュートだシュート! どう考えても素人のフォームじゃねえ! お前何者だよ!」

だからお前の娘だっつーんだよ。ついでに4歳とかその辺からシュート仕込まれたんだよ。

「だから知りたければ教えてもいいけど命の保証はしないって言ったじゃん」
「またそれかよ、ほんっとにお前はひとりで首突っ込んで、生きた心地しなかった」
「まあいいじゃん、こうして助かったんだから。よかったね、、連絡来て」

改めてを見てみたら、パフスリーブのワンピース姿が超可愛い。ちらりと寿を見たら、もう顔を逸らしてる。

……ミライのおかげ。ミライがいてくれたからだよ、ありがとう」
「そんなことないってー! 寿、大事にしろよ! 泣かせたら眉毛全部抜くからな」
「わかったわかった」

そんな風にホッコリしていたら、ボクを縛り上げたらしい鉄男と徳男のおっさんが、こいつらこの後どうするんだと戻ってきた。ふふん、君たちこのスーパーマルチハイエンドJKのミライちゃんナメたらいかんよ。私は全員を連れて、倉庫の奥に向かった。さっきゲームを物色していて、いいもの見つけてたんだ。

……ミライ、これって麻雀に使うテーブルじゃないの?」
「おい、これって」
「そう、たぶん覚醒剤だね。兄貴の方、あれ常習なんじゃないの?」

アーケードゲーム機と事務机の山の中に、汚れた雀卓があって、その上には注射器やステンレスのトレイが無造作に置かれていた。白鬼母のハデスとセイトはふたりとも腕に細かい柄の青黒い色のタトゥーを入れてる。注射器の傷はわかりづらかっただろう。寿と徳男のおっさんが真っ青な顔をしている。

「あれ、お前ら知らなかったのか」
「ハァ!? 鉄男知ってたのか」
「見りゃわかるだろ」
「危なかったね、ハデスがその気になったら知らん内にクスリ漬けにされて売人コースだ」

それがわかるから寿と徳男のおっさんは青い顔をしているというわけだ。はひとり話がわからんて顔してる。んだけど、普通に寿と手を繋いでて、それが可愛いです助けてください。

「ホワイトではやってないのはわかってたんだが……なるほどな、クスリ関係はここだったんだろう」
「ふたりともここから出られないようにして通報したらどうかな」
「ま、それが1番早いだろうな。……ふん、暴れ損ねたぜ」

鉄男はそう言いながら戻っていって、入り口を外から固める準備を始めた。私たちはそれぞれ手にタオルなんかを巻き付けて、おクスリ関係のものが乗った雀卓をズルズル引きずりだした。通報した時に話が早い方がいいだろうしね。そしてふたりを倉庫に閉じ込め、私たちはやっと一息ついた。

「なんか腹減ったな。腹減らねえか三っちゃん」
「お前ほとんど動いてないだろーが」
「いや、ここまで走ってきたからな」

ホッとしたので気分がよくなった私は、にやりと笑って進み出る。お兄さんたち、金ならあるのよ?

「そんじゃ、みんなでご飯食べに行こうか! 私奢ったげるよ!」
「えっ、マジで!?」
「ちょ、お前何言ってんだ、全部で何人いると思ってんだよ」
「平気だけど?」

ポケットから5万取り出してヒラヒラさせた私を見て、てっちゃんが吹き出した。だけどまだ寿がグダグダ文句言うので、その5万で頬をペチペチ叩いてやった。と徳男のおっさんも大笑い。寿は折れた。

「よっしゃ、焼肉食べ放題奢ったろ! 近くにない?」
「国道の向こうにあるよ! アイスとケーキも食べ放題!」
「マジか! よしそこにしよう!」

疲れたから甘いものが嬉しいじゃん! 私は植え込みの荷物を引き上げると、自転車を取りに行こうとした。

「あれっ、ミライ、足どうしたの」
「えっ、ああ、さっき突き飛ばされた時にね。平気平気」

ヒョコヒョコ歩いてた私を心配してが難しい顔をしている。チャリ乗るくらい大丈夫なんだけど、と思ってたら、ゴツッと硬いものが背中に当って、振り返ったら鉄男がハーフメットを差し出してた。

「乗っけてってやるよ。お前のチャリは徳男かなんかに頼め」
「マジで! ワーイ! んじゃ私のチャリお願いね!」

私は歓声を上げてメットを被り、バイクの後ろに飛び乗った。食べ放題の店で落ち合うことにして、私と鉄男だけが先に飛び出した。いやもう、なんといいますか、幸せだったよね。25年後では簡単に会えないもんだから、余計に嬉しかった。てっちゃんの背中、これも私は知ってる。おんぶしてもらったから。

で、バイクとチャリでは速度が違うので、私たちは先に着いて駐車場でみんなを待ってた。

「お前、あそこで何やったんだ」
「真ん中にバスケのゲーム置いてあったでしょ、あれで勝負しろって」
「勝ったらあのねーちゃん返せってか?」
「そう」

タバコの煙を吐き出しながら、鉄男はくつくつ笑ってる。てっちゃんタバコ吸ってたんだねえ。私が懐いてた頃は吸ってなかったんだよ。たぶん、バイクも乗ってなかった気がする。

……お前、三井の親戚かなんかか?」
「似てる?」
「似てる」
「あはは、あんまり嬉しくなーい」

嬉しくなーい……。娘は男親に似ると幸せになるとかおばあちゃんズは言うけど、私はに似たかった。

「だけど、ほんとに助けてくれてありがとう! 焼き肉いっぱい食べてね!」
「別に助けたつもりねえよ」

てっちゃんは照れない。だいたいがテンション低い人だからね。だけど、だいぶ警戒が解けてるっぽいし、そろそろ寿たちも来るだろうし、私はバイクに寄りかかってタバコ吸ってるてっちゃんに飛びついた。ぎょっとして何も言えないてっちゃんの顔を見ないで、私は言った。

「体、大事にしてね。あと、何か困ったことがあったら、寿とに連絡してね」
「はあ? 何言って――
「助けてくれてありがとう、嬉しかった」

遠くから徳男のおっさんの声が聞こえてきたので、私はてっちゃんから離れる。

――てっちゃん、鉄男はこの時点から10年後くらいに、ひどい病気をする。命は助かったけれど、元々家族もいなくて、その頃は殆ど天涯孤独の身で、行くあても仕事もないてっちゃんは、よくうちに来てご飯食べてた。寿とに毎回すまんと言いながら、私を可愛がってくれてた。ま、今はもうすっかり元気だけどね。

仕事の都合で遠くにいるから滅多に会えないけど、元気でやってる。ていうかこんなやさぐれてたのが嘘みたいに普通の人になっちゃってる。だってさ、こんな凶悪なお兄さんがですよ、今じゃ介護施設のホーム長ですからね? 信じられます? ついでに奥さんまだギリ20代ですからね?

というかやっと思い出したよ。と寿がこの夏にどんな風に付き合いだしたか、それを教えてくれたのはてっちゃんだった。確か私が中1の時で、今の施設に移ることになったって言うんで、会いに来てくれた時だ。あの時もワサワサと頭撫でてくれたっけな。

きょとんとした顔のてっちゃんを残して、私はたちを迎えに行った。よっしゃ、焼き肉食べよう!