チェンジ・ザ・ワールド

10

「何この部屋」
……一度リセットしたかったんだ」

資金はあるので、また遠慮する寿を連れて私は回転寿司をたらふく食わせた。いやー、さすが運動部、よく食べた。なもんで、三井家に上がり込んだ私はすぐに寿の部屋に通された。だけど、部屋はすさまじく殺風景で、引っ越ししたてのように物がなかった。

部屋の角にスポーツバッグとかバックパックとかボールとか、そんなのが纏めて置いてあるけど、あとはベッドに机にテレビに扇風機に細身の棚、それくらいしかなかった。

「仲間がよく来てた頃はもっと物が多くて、こんなんじゃなかったからな」
「ああ、なるほどね」

窓を開けると、夏の篭った風が部屋の中を吹き抜けた。その風に私は寿の長い髪を思い出して、少し悲しくなった。怪我した時に、がいてくれたらよかったのにね。

「部屋冷やしといてよ。シャワー借りたいんだけど」
「タオル出すから待ってろ。そんだけ荷物あるんだから着替えはあるんだろうな」
「あるある。あとは枕とかけるものだけ貸してくれたら助かる」
「アホか。お前がベッド使えよ。オレが床で寝るから」
「いやいいから。あんたの枕とか嫌だから」
……外に放り出されてえのか?」

宿無しとしては恩知らずだけど、娘なんてこんなもんだからな?

寿は女の子を家に連れてきて泊まらせるという、言葉にするとアレな状況なのに、まるで違和感もなければ本当に親戚の子を泊めるみたいで変な感じ――そんな顔をしていた。タオルを貸してもらったので、私はほとんど水みたいなシャワーで汗を流した。

すっかりさっぱりした私が部屋に戻ると、きちんと床に布団が敷かれていて、私はつい吹き出した。

「笑うところかよ」
「ごめんごめん、ちょっと前までグレてた人にしてはきっちりしてんなーと思ってさ」

ベッドに寄りかかってしかめっ面している寿に遠慮せず荷物を投げ出すと、私は自分の体も敷かれた布団の上に投げ出した。の時と同じだ。親が同じ部屋にいて、熱くも寒くもなくて、お腹も減ってなくて、それが何より落ち着くんだよね。私もまだまだお子ちゃまだなあ。

寿も風呂入ってくるっていうから、私はコソコソと携帯を取り出して、今日あったことをメモに記録した。それから、なぜかこの部屋の写真を撮っておきたくなった。撮っておいたってどうしようもないんだけど、なんとなくこの部屋のこの殺風景さを忘れたくなかった。

Tシャツに半パンで帰ってきた寿は、キンキンに冷えた炭酸のペットボトルを持ってきてくれた。今でも好きで飲んでるやつだ。変わんないんだな、こーいうのって。

「ねーねー、寿はさ、バスケ以外のことに興味とか出なかったの」
……とりあえずはな」

時間は23時、寿は部屋の明かりを落とし、ベッドサイドの灯りだけ残してベッドにひっくり返った。

「ミニバス出身?」
「まーな。3年生からのチームだったんだけど、練習だけならってことで2年生からやってた」
「へえ、それが初めてのバスケ?」
「いや、最初は幼稚園」
「親?」
「まさか。もういないけど、近所の兄ちゃんがやってた」

なんとなく聞いたことあるな。それにしても、涼しい部屋は声がよく響く。

「それじゃあグレてた間、つまんなかったんじゃないの」
「そりゃあな。だけどバスケのこと考えても苛々してたし」
「今は楽しい?」
「楽しいっていうか……本来の自分に返ったような気はする」

寿はゆっくりと、細く息を吐く。これは寿の心からの本音だったんじゃないだろうか。不思議なことに、私はそれが物凄く嬉しかった。過干渉で厳しくて口やかましい父親が何考えてるのかなんて、ちっともわからなかったから。

……お前はもういいのかよ。なんか揉めてたんだろ」
「えっ? ああ、まあね。片付いてはいないんだけど、色々見えてはきてるし」
「進路とかそういうことか?」

残念ながら、そんな高尚な悩みじゃない。よし、いいだろう。反応も気になる。

「いや、父親が超厳しくてさ。困ってる」

しんみりと高校生同士の話ができると思ったのに、寿のやつ、吹き出しやがった。超笑ってすんごいむせてる。いやいやいやいや、その父親ってお前だからな!?

「笑い事じゃないんだけど!」
「悪い悪い、だけどお前それ、しょうがねえよ」
「はあ!?」

ちくしょう、やっぱり18歳でもクソ親父はクソ親父なのか……

「そりゃお前は、例えばあいつよりも背高いし、気も強いし、行動力もあるだろうけど、ものすげえ危なっかしい感じするからな。闇雲に色んな所に首突っ込んじゃトラブルに遭いそうな、そんな感じがする。だから親父さんは厳しくしてんじゃないのか。何するかわかんねーから」

危なっかしい? 私が? 何言ってんだ、のボンヤリの方が危なっかしいだろうよ……

「例えば、そうだな、人探しをしてたとして、あいつなら怪しいと思ったところは自分では近付かない。だけどお前は何も考えずに突撃するだろ。本当に危険かどうかってことじゃなくて、周りの人間がヒヤヒヤするっていう意味で危なっかしいんだよ。そんなことねーよって思ってるだろうけど」

うーん、これは参った。さすがに親なんだろうか、図星すぎて反論できない。

…………も、ずっと心配してる」
「うん、悪いと思ってる」
「オレも心配してるからな」

ばかやろう……もう泣きたくないのに、しかもお前とふたりきりの部屋でなんか泣きたくないのに、そういうこと言うなよ! 私は一生懸命堪えて、涙声に聞こえないように返事をした。

「ミライ、オレ、明日、に連絡する」
「そうだな。それがいいよ。大丈夫、寿ならきっとうまくやれるよ」

大丈夫だ、――ならきっとうまくやれる、オレの言うことを信じろ!

懐かしい。小学生の頃に聞いたきりの、お父さんの声が聞こえてきた。すぐ近くに18歳の本人がいるけれど、結局、私にとっては43歳の寿が本物の寿だ。それがあまりにも遠くてまた泣きそうになったけれど、おでこにくっつけてた炭酸のペットボトルが冷たくて気持ちよくて、いつしか私は眠りに落ちていた。

翌朝、ていうか昼に近かったけど、ぐうすか寝ていた私は背中をドスドス蹴られて起こされた。あのさ、いくら娘だからってさ、それを知らないんだしさ、女の子蹴って起こすとか、もうほんとに市中引き回しの上に打ち首にされても仕方ない案件じゃないんですか!? ねえ!

「それは、静かに声をかける、普通の音量で声をかける、肩を叩く、揺する、背中を叩く、っていうのをさっきから3セットくらいやっても起きないお前が言うことか? え?」

私はじろりと睨んでくる寿から、つい顔を逸らした。疲れてるんだよな、私。そろそろ栄養剤飲もうかな。

に連絡したの」
「いや、まだ。ちょっと練習してきたから」
「さっさとしちゃいなよ。怖かったら私が送信してあげるから」

だけど寿はこれでもプライドが高いので、そういう風に気を遣われると自分でやろうという気になる。どんな言葉で呼び出そうかを考えるのにえらく時間がかかっていたので、私はコンビニに行って朝ごはんを調達してきた。朝ごはんどころじゃない寿に遠慮せずに、もりもり食べる。

「デリカシーのない女だなお前はほんとに……
「まあなんだ、男の子の中で育ったからね」
「兄弟がいるのか」
「んーん、習い事っていうか。女の子あんまりいなくて」

そして父親があんただし、も特に私がガサツに育っていくのを矯正しようとはしなかった。

私がすっかりコンビニモーニングを平らげた頃、寿はようやくへメッセージを送信した。今日も暑いし、看護師のおばあちゃんはいわゆる一般的なお盆休みの頃は休みを取りづらいし、北海道にいる伯母さんが夏休みで帰ってきてるかもしれないし、夕方の方がいいんじゃないという私のアドバイス通りに送ったらしい。

「あれ、いつものとこら辺じゃないの」
「あんまり人の多いところでしたい話でもねえだろ」

寿が指定した場所はふたりの最寄り駅のちょうど中間、ホワイトのある街の隣の駅になる。一駅先が大きな街なので、とても小さな駅だ。駅前にささやかなロータリーと飲食店がちらほらあって、それを過ぎると小さな会社や住宅ばかりになる。確かにここなら知った顔もないだろう。

、喜んでるだろうな。今から何を着て行こうかとか髪どうしようとかパニック起こしてるに違いない。たぶんめっちゃ可愛いぞ。くうー、私も見たかったー! だけどさすがにそれは邪魔したらいかん。悔しいが事後報告で我慢せねばならぬ。私は景気付けにコンビニで買って来た栄養剤を流し込む。

「お前はほんとにオッサンかよ……
「よく言われる」
「親父がどうこう以前に、それじゃ男寄り付かないんじゃないのか」
「ははは、まーな」

余計なお世話だ。だが、寿は食い下がった。

……お前それ、うまくいかないのを親父のせいにしてるんじゃないのか?」

何? これがならともかく、寿に言われる筋合いはない。私はカチンと来て寿を睨んだ。

「どういう意味だよ」
「昨日言ったろ、オレは本来の自分に戻った気がするって。お前もそうなんじゃないのか」
「はあ? 意味分かんないから」
「だから、何だか知らねえけど揉めてて、それでヤケになってそういうキャラに――
「だったら何なんだよ!」

やっぱりこいつはあのクソ親父になる人間なんだ。上から目線でわかったようなこと言って、私が悪いみたいな言い方して、私がやることなすこと全部口出ししてきて――私が寿みたいにヤケクソで不貞腐れてこういうキャラだったら何かマズいわけ!? 私あんたと違って喧嘩なんかしないから!

「私は普通に高校生やって恋愛して友達と遊んで、そういうことしたいだけ。それの何が悪いの。私にはそういう10代を過ごす権利なんかないっていうの? 過ぎたことは何も変わらないのに、過去は変えようがないのに、ずっと縛られて生きていかなきゃいけないっていうの!?」

目の前にいるのが18歳の寿だっていうことを、私は完全に忘れていた。43歳の父親の影が色濃く差してきたから、頭に血が上って怒鳴り返した。意味がわからないはずの寿は無表情でそれを聞いていて、それが私に干渉してくるときのお父さんと同じで、私の体は怒りで震えていた。

カッとなった私は荷物を引っ掴むと、そのまま三井家を飛び出した。チャリに跨がり、勢いよく漕ぎだす。既にジリジリと照りつける夏の太陽の下で、私はべそべそ泣きながら自転車で走り続けた。あんなこと、18歳の寿には関係ないことだったのに。12歳の私と38歳の寿の話だったのに――

しかし今回は季節が悪い。1回目2回目は春頃と秋だったから、外で時間潰すってことも出来たけど、さすがに真夏の真っ昼間で外は無理。だけど頭に血が上ってたし、私はホワイトのある街まで来て、開店したてのカラオケに飛び込んだ。汗だくだったのでエアコンをフル回転させて、腹立ちまぎれにヒトカラを3時間もやってしまった。

だってさ、腹立つけどさ、成り行きは気になるし、今でもあの「間違った未来」は回避できたとは思えないし、だけどもう怖くてそれを確かめに未来へ戻るのも嫌だった。

じゃあこのままふたりが離婚しないように見守っていくの? そんなの無理だってわかってる。だけど、どこでどんな風に捻れを修正したら元通りの私の世界が戻ってくるのか、もうわからない。

ヒトカラを終えて頭が冷えた私は、3時間大声で歌ったせいでお腹が空いて、牛丼チェーン店に入ってガツガツと丼をかきこんだ。確かにこれじゃオッサンくさいだのガサツだの可愛くないだの言われても仕方ないけど、だってしょうがないじゃん、可愛くないんだもん、可愛いなんて思ってもらえないんだもん。

3時間も歌ったっていうのに、また気持ちが落ちてきた。牛丼食べてお腹いっぱいになった私は腕を持ち上げて時間を見た。16時37分だった。寿がを呼び出したのは、17時。隣の駅でもうそろそろ、というところだ。きっとは15分前から待ってるだろうし、今日ばかりは寿も遅刻なんかしないに違いない。

さすがにそれを覗きに行ったろ、とは思わないけど、話が終わったらから連絡貰えるかもしれないし、いやまあ、それどころじゃないかもしれないけど、今日も親のいない三井家にお持ち帰りとかなっちゃったらどーすべ。親と思うと色々気持ち悪いけど同じ高校生としては、まあそれもいいんじゃないと思うし、漫喫だな。

ポップアップが出てきたらすぐに気付けるように、ブラウザでフリーメールのメールボックスを開いておく。音は出せないけど、ヘッドホンをマックス音量にして近くに置いておけばアラート音も聞こえる。しかしどのくらい時間かかるんだろうな。一応既に告ってんだし、が来てくれさえすればそれで成立なわけでしょ?

まあ駅前でそんなやりとりはしたくないだろうから、少し移動するんだとしても、1時間もあればいいよねえ。

……上手くいったとして、それでまったく連絡くれなかったらどうしよう。てか上手くいかなかったらどうしよう。に限ってそんなことないと思うんだけど、あー気になる!!!

とまあ、苛々しながら漫画読んでたわけですよ。ちっとも頭に入らなかったけど、フリーメールのアラート音に気付いて顔を上げたら、17時17分だった。……早くね?

だけど、メールは寿からで、その文面を見た私はまた全身が冷たくなって、震えが来た。

と連絡が取れない。待ち合わせ場所にあいつが大事にしてたドライフラワーの袋が落ちてた」

私の耳にはまたトロルの乾いた息遣いが蘇ってきた。

「近場を探したけど見つからない。ここを離れて探しに行くから、もしあいつから連絡があったらすぐ知らせてくれ」

メールにはそう書いてあったんだけど、私はそれを確かめずに漫喫を飛び出していた。寿が拾ったのは私がにプレゼントしたサシェだ。だけどあれはもすごく気に入ってくれてて、もう匂いなんか飛んでるけど、生理用品とか入れてるポーチの中に忍ばせてたはずなんだ。それが自然に落ちるわけがない。

わざと落としたんだ。しかもサシェを選んで。それはつまり、寿と私に助けを求めてるってことだ。

こんな事件、徳男のおっさんの記憶にはなかった。こんな事態になってたっていうのに、徳男のおっさんが知らなかったはずはない。だからこれは、私の――「ミライの介入による過去の変化」だ。

今この時に私が首を突っ込んでも何も変わらないかもしれない、もしかしたらもっとひどい未来になるかもしれない、だけど私は、平たく言えばただの「勘」であの白鬼母兄弟に何かされたのだと確信していた。それを何もせずに待っているなんて、無理だ。

が、18歳のお母さんが何かされてるかもしれないのに、無理だよ!!!

日が少しずつ傾き始める8月の夕方、ブラトップにジーンズの私はパンパンに膨らんだバッグを斜めがけにして自転車に飛び乗り、力を入れて漕ぎ出した。どうか間に合って、が無事でありますように、と寿と私の未来が無事でありますように、お願い――