チェンジ・ザ・ワールド

05

地元駅の漫喫は非常に「緩い」ことで知られてる。つまり、地元の高校の制服着たJKがオールナイトパックで、とか言っても不審がったりしない。はいはい、と会計を済ませて、女性専用エリアの半個室のキープレートを出してくれる。未成年がそりゃマズいのはわかってるけど、バレなきゃいいんだろうきっと。

やけにあっさりと戻って来ちゃって、私は疲れてもいなかったし、そこから漫画読んだりDVD見たりしつつ、そろそろ本格的に財布の中身が危険なので、食事はカップ麺で済ませた。この漫喫にも一応シャワーがあるが、制服でそれはさすがに怖いので、トイレでデオドラントシート。

12時を過ぎて店内の明かりが暗くなった頃、私も半個室で眠りに落ちた。

翌朝、オールナイトパックのタイムリミットが7時なので、ギリギリまで粘ってから外に出た。8時26分まではしばらくあるから、今度は駅前のファストフード。漫喫でたっぷり充電してきた携帯見るくらいしか時間を潰す方法がないけど、しょうがない。

ついでに私はやっと腕時計を外して箱にしまった。きっかり2つ花びらが欠けた腕時計は、正確な日付と時間を刻んでる。今頃私は親父と喧嘩してるんだろうなあ。誕プレひとつでぐだぐだぐだぐだしつこかったなほんとに。17歳の寿の方が全然可愛かったよ。

だけど、私は見られるはずのない過去を見てきたし、お父さんとお母さんと幸せだった頃のことも思い出してきた。だから、すぐにでも親父をとっ捕まえてちゃんと話をしようと思ってる。

携帯の時計で正確な時間を確かめると、私はファストフード店を出る。あの交差点はここから5分もかからない。現在8時22分。ちょうどいい。のんびり歩いて行けば、私がしゅぽん! してしまった直後にたどり着けるはずだ。

そうして8時28分、私は無事にあの時の交差点に帰ってきた。蕎麦屋の前まで行ってみると、ちゃんとプレゼントの入った紙袋が落ちてた。それを拾い上げ、私はまた駅に向かう。完全に遅刻だけどしょうがない。

なんだかものすごく久しぶりな気がする学校へ思いっきり遅刻で飛び込んだ私は、そこにきて急に疲れが出て、1限から2限は爆睡して過ごした。すると、ミライちゃんは一応普段はいい子なので、友達が心配して寄ってきた。この友達にも何年も会わなかったような気がしてしまう。

「どしたん三井、具合悪いん?」
「んーん、平気。ちょっと昨日遅くまで起きててさ」
「またどっかで遊んでたのか?」

はい?

友達は揃ってへらへら笑ってるけど……いやいや、私は夜遊びなんかしないでしょうよ。そういう冗談は言わない子たちだし、今の、何? 妙な違和感を覚えた私は、へらっと笑って首を傾げた。

「いーよね、親が厳しくないって」
「厳しくないって、うちが?」
「うちなんかこの間22時になっただけで発狂だもん」
「バイトしてたらそのくらいになるのにねー!」
「男と一緒だったんだろってうるさくてさー」
「三井んとこはそーいうのないもんね、羨ましいよ」

おお……これは期待通りの結果なのか!? あれだけの接触でこの時代の寿は娘の青春に理解のある親になっているというのか! 私はつい抑えきれなくて頬が緩んだ。これなら彼氏も夢じゃないかもしれない!

「あ、てか今日はうち大丈夫だよ」
「え、何が?」
「今日はおとんいないから、泊まってもいいよって話」
「え、あれ、そんな話したっけ……?」
「何だよまだ寝ぼけてんの? 最近はママの彼氏が連泊だから帰りたくないって言ってたじゃん」

――――神様。

「てか三井も早く男作りなよ、もうタメとかじゃなくて、オトナな年上のさ」
「一人暮らししてたらいいよね、そしたら家に帰らなくたっていいし」

神様、神様、神様。ねえこれ何の話?

「まあだから、泊まりオッケーって話」
「私三井のママの彼氏見たことあるけど……あれは確かに嫌だわ。三井の気持ちわかる」

ねえこれ、誰? 私の友達、こんなこと言う子じゃなかったはずなんだけど。ていうかこの子たち何の話してるの、私のママの彼氏ってどういう意味? それが連泊って何?

タイムスリップした時の比じゃない。私はぐらぐらと視界が揺れて、下腹から突き上げるような吐き気と、全身の血が冷たい水に入れ替わったみたいな感覚に襲われて、思わずグッと喉を鳴らした。寒い。ものすごく寒かった。もうすぐ休み時間は終わるけど、こんな状態で授業なんか受けられない!

私は驚く友達に構わず、荷物を全て引っ掴むと教室を飛び出した。靴に履き替えて昇降口を出ると、そのまま走った。走っていないと大声で叫んでしまうそうだったから。怖くて怖くて、悲鳴を上げてしまいたかったから。

出会ったのに。と寿はちゃんと出会ったのに、どこで間違ったの!?

私の自宅はちゃんと同じ場所にあった。だけど、ローマ字で「MITSUI」って書かれた表札がなくなっていて、油性ペンで「」って書いてあるだけのガムテープが貼られていた。何よこれ、ここ、になってるの?

バッグの中から鍵を取り出してドアに差し込む。ちゃんと鍵は開いたけど、玄関を見た私はまた吐き気がこみ上げてきて、口元を手で覆った。玄関は靴だらけ、しかも何年も掃除をしてないみたいに汚れてて、臭う。廊下にも靴下とか雑誌とかが落ちてて、とにかく散らかっている。

こんなところ、靴下でも上がりたくなかったけれど、こうなったら仕方ない。私はせめて汚れの少なそうな場所に足をついて家の中に入った。リビング、ここもすっごい汚いけど誰もいない。キッチン、泣きたくなるくらい汚いけど誰もいない。玄関まで戻った私は2階に上がる。

我が家は2階に3部屋ある。といっても、1部屋は2畳ほどの収納部屋で、実質2部屋。私の部屋と、親の寝室。

お母さん、の姿が見えない。ちょっと前までは近所の設計事務所で事務員のパートをしてたんだけど、社長が急死したので辞めざるを得なくなっちゃって、今は働いていなかった。だから、家にいるはずなのに。寝室のドアを開ける勇気がなかった私は、そっと忍び足で自分の部屋に入った。

自分の部屋は、元のままだった。

私はベッドに飛び込み、叫びたいのを堪えて枕に顔を押し付けた。自分の匂いがする枕は何よりリラックスできるはずなのに、怖くて悲しくて、いっそ頭がおかしくなってしまえたらいいのにと思った。だけど、ストレスで神経はささくれだっているし、ちっとも気持ちが緩まない。

何でこんなことになったのかわからない。私は部屋の中をひっくり返して、自分の家が変わってしまった理由がわかるものを探した。中3の時に友達の伯父さんから譲ってもらったPCの電源を入れ、写真画像をバックアップしてあるフォルダを開く。見慣れたフォルダ群はそのままで、私はそれをひとつひとつ開いて確かめていく。

幼稚園の頃、変化なし。小学生も特に変わった様子はない。中学も変わってないはずだ。そうして自分の成長とともに撮り貯められてきた画像を追っていくと、ある地点で、お父さんが消えた。私が中1の時だ。

それ以降、お父さんは二度と現れない。三井寿はぷっつりと姿を消した。その代わり、お母さんもいなくなってしまった。フォルダの中にあるのは、私が何だかチャラチャラした遊びをしている様子を収めたものばかりになった。そしてとうとう身に覚えのない自分のキス写真が出てきたところで、私はぼろぼろと泣き出した。

この男誰よ。私こんな人見たことないよ。学校にもいない人だよ。しかも全然かっこよくないよ!

その上画像がどんどんエスカレートしていくので、私は耐えられなくなってフォルダを閉じた。この画像のヒストリを見る限りでは、どうやら私が中1の頃にと寿は離婚したらしい。そして私はあの頃の寿のように堕落した生活をするようになってしまったらしい。

その割には片付いてるな、と部屋を見回していた私は、体を捻って枕元を見たところで固まった。ベッドサイドのライトの脇に、堂々とコンドームが一箱置かれていたからだ。しかも半分ほどに減っている。

――ねえ、そういうことじゃないよ。彼氏欲しかったけど、親父クソ鬱陶しいと思ってたけど、こんな世界が欲しかったわけじゃないよ私。なんでこんな世界になっちゃったの。てかこれは酷すぎるでしょ。

ショックが強すぎてぼんやりしてきた私は、ベッドに寄りかかって天井を見上げていた。すると、親の寝室のドアが開く音がして、スリッパを引きずる音が近付いてくる。それはもう怖かった気がするんだけど、それをちゃんと感じられる状態になかった。そして私の部屋のドアが開く。

「何よ、なんでいるの。学校は!?」
「お母さん……
「しばらく彼がいるって言ったでしょ!? もー、あんまり出てこないでよ!?」

お母さんはスケスケのキャミソールに、皺の寄ったショーパンを履いていて、ボサボサの髪を茶メッシュに染めていて、胸元と内腿に内出血の跡があって、それをぼんやり見ていた私なんか気にも止めないでまた寝室に戻っていった。私は、生まれて初めて死にたいと思った。

だけど、そんな自分の絶望に対して、防御本能が働いたらしい。ぼんやりしていた私は部屋を漁って、大きめのバッグを引っ張りだした。中に服や生理用品を詰め、とりあえず家に戻らなくても平気なように荷物を作った。資金が足りないから、こっそり貯めておいたお金を持って行こうと机を漁ったけど、一銭も残ってなかった。

まあ、男と遊びまくってるんだもんね。そんな金、ないか。制服から私服に着替えた私は忍び足で部屋を出る。キッチンに入り、食器棚の引き出しを開けて、フォークやスプーンの入っているトレイを持ち上げた。お母さんのお金の隠し場所だ。これは変わらなかったらしい。銀行の封筒があった。

封筒を覗いてみると、結構な数の万札が入っている。私はその封筒をそのままバッグに突っ込み、リビングに入る。リビングにはなんちゃって仏壇があって、結構前に亡くなったのおじいちゃんの写真とか、と寿の祖父母の写真なんかが飾ってある。私はその前に座って手を合わせ、頭を下げた。

おじいちゃん、ごめん。私がなんかやらかしたみたい。本当にごめんね。

詳しくは聞いてないけど、どうもこののおじいちゃんてのが、ガチガチの昭和の男で、おばあちゃんとお母さんはそれをよく愚痴ってるんだけど、なぜかお父さん、寿はすごく尊敬してた。だから、おじいちゃんが亡くなった時に、一番落ち込んでたのはお父さんだった。

私はあんまり記憶がないからよくわからない。三井の方のおじいちゃんは静かな人で、優しいけど、ただそれだけって感じで、だから私はも三井も、どっちもおばあちゃんの方が好きだ。ふたりとも働くのが好きな人だから、明るくて元気でケチケチしたところがない。

だけどおじいちゃん。お父さん、言ってた。と私をちゃんと守りますっておじいちゃんに約束したんだって。

それが何でこんなことになっちゃったんだろう?

まあ、私のせいだよなと思って肩を落とし、思わずため息をついた。すると、背後で同じようにスーッと乾いた息遣いが聞こえて、私はその場を飛び退いて振り返った。17歳のと寿を一生忘れないのと思ったのと同じように、私はこの時の恐怖だけは未来永劫忘れられないと思った。

「どこか行くのか? 男のところか?」

青白い顔に首のタトゥー、だらしなく開いた口。トロルがいた。の彼氏、それは「ボク」だった。

幸い私のチャリは全く同じもので、大きなバッグを斜めがけにした私は、いくら固く閉じても漏れる自分の悲鳴を聞きながら自転車に跨がり、慌てて走り出した。そのまま無闇矢鱈に走っていたけれど、10分ほど走ったところで私は急停車してぜいぜいと肩で息をついた。

泡食って飛び出してきたはいいけど、家を出て何をするつもりなんだろう。友達までおかしくなってたし、この分じゃまだ生きてるはずの三井のおじいちゃんとおばあちゃんズだってどうなってるかわからない。

だけどあんな恐ろしい家には帰りたくないし、本当に私の家族に一体何があったのか、私が何を間違えたのか、それがさっぱりわからない。まだタイムマシンは手元にあるし、過去に戻ることは簡単だ。だけど、どこで間違えたのかもわからないのに戻ってどうする! 離婚までの22年間監視しろっての!?

26年前のことを思い出したせいで、私はひょいと顔を上げた。恐らく三井家に何があったのかを正確に知る人物がひとりだけいる。彼なら何もかも知ってるはずだ。26年前からのことを全部! 私はまた自転車を漕ぎ出した。徳男のおっさん、頼む、全部覚えていてくれ!!!

堀田板金工場に到着すると、店先で小さな男の子が棒切れでビシバシ地面を叩いていた。徳男のおっさんとこの三男だ。確かまだ3歳。上のふたりは中学生。女の子が欲しくてしつこく頑張ったけど男しか出てこなかった。私は自転車を放り出して、事務所の方に顔を突っ込んだ。いない。

「おっす」
「だれだよおまえー」
「お父さんどこ?」
「とうちゃん? くるまのところ」

車ならあちこちにあるよ、と思ったけど、つまり工場の方ということか。私は構わず突っ込んでいって、徳男のおっさんの姿を探した。すると、工場の奥の壁の棚を片付けているおっさんの後ろ姿があった。後ろ姿だけ見れば、おっさんは何も変わってないように見える。

「おじさん!!!」
「うおおおお!!!」

突然大声で呼んだものだから、おっさんは情けない声を上げて棚の荷物を取り落とした。

「なっ、どうした突然!? てか学校だろお前」
「おじさん、今ヒマ!?」
「ヒマなわけないだろ、仕事してんだろうが! ……どうした。顔色悪いぞ」

おっさんは変化がないらしい。私はホッとしたのと、この異常な世界の真実が近くにあるのとでまた怖くなってきた。それに気付いたおっさんは片付ける手を止めて近寄って来る。

「何かあったのか」
「おじさん、私、記憶喪失なの」
「は?」

もうそれしか方法がない。私はバッグのストラップをぎゅっと掴み、体を折り曲げて頭を下げた。

「お願いおじさん、私、自分の家族に何があったか覚えてないの。だから教えて!」

数秒間の沈黙の中、私は頭を下げたまま動かなかった。やがてため息をついた徳男のおっさんのごっつい手が私の頭をそっと撫でた。この手を知ってる。小さい時、私を可愛がってくれた手だ。

「何があったのか知らんけど……わかったよ、おいで」

顔を上げると、おっさんはやれやれという顔で私を見下ろしていた。おっさんは絶対わかってない。だけど、私の様子がおかしいもんだから、付き合ってくれる気になったらしい。

まあ、私個人としては、別に全部喋っちゃったって構わない。だけど、タイムスリップなんて荒唐無稽過ぎて余計におっさんを混乱させるだけだし、それを気味悪がって通報されたり病院に搬送されたりしても困る。どんなことを疑ってても構わない、話さえ聞かせてもらえればそれでいいんだから。

どんな話が出てきたって構うもんか。私が間違えた場所を探して、それを直しに行くんだから。