チェンジ・ザ・ワールド

プロローグ

みなさま初めまして! 私、えーと、ミライっていいます。いや別にミキでもミクでもなんでもいいんだけど、とにかくこれは本当の名前じゃなくて、「未来」から取った仮の名前。ペンネームとかハンドルネームとか、そういうのでもなくて、世を忍ぶ仮の名前。

何で私がこんな名前を名乗る羽目になったかと言う話をしようかと思うのですが、それにしても荒唐無稽で、誰にも信じてもらえないような話で、あーそんな映画とかアニメとかあったよねー、っていうことが現実に起きた時、一体どこにでもいるちょっと可愛い女子高生は一体どんな行動を取るのか? という記録でもあります。

まあ、それは個人差があるだろうけど、意外とパニックになったりしなかったよ。だって泣き喚いても誰も助けてくれないし、自分で何とかしなきゃ自分が困るっていう状況だったし、まあその、私、これで意外と元気な頑張っちゃう女子なので、何とかなったというわけです。

今はもう全部無事に終わってハッピーエンド! という感じなんだけど、だからって「私、しんどくて辛くてものすごい大変だったけど、後で思い出すと楽しかったかな……」なんてことは言わないからな!?

もう、すっごい大変だったんだから! 2度としたくないよあんなこと!

私、タイムスリップしちゃったんだよ!

私、ミライ(仮)。どこにでもいる平凡でちょっと可愛くてちょっとドジっ子で彼氏募集中の17歳。神奈川に住んでて、地元の県立高校に通ってるんだけど、最近ちょっと悩みがあったりします。

自分で可愛いとか抜かしてるけど、まあその、その辺は普通だと思う。見た目とか中身とか、全部まとめて私なんて平均値だと思う。だから、これもだれでもそう思うように、彼氏、欲しいわけですよ。小学生の頃とか、彼氏なんて高校生になったら誰でも出来るもんだと思ってたんだけど、まあ出来ないよね。

でね、私の場合はただ彼氏ができないっていうだけじゃなくて、私の親っていうのがちょっと問題で。特に父親。中学に入ったくらいから門限とかものすごく厳しくなりだして、ちょっと電話してただけでも男じゃないかどうかとか干渉し始めて、女の子だって言っても信用しない。本当に女の子だったのにさ。

でも、中学生ならまだわかる。まあそこはいいとしよう。だけどそれが高校に入ってもエスカレートしっぱなしってのはどうなんだ! 門限は20時、正当な理由があれば21時、って青春ナメてんのか!! だいたいうちのクソ親父、高校生の頃グレてたくせに娘には超厳しいとかふざけんな!!!

というわけで、彼氏もできないし父親は厳しいしで、私は相当不貞腐れてるわけですよ。

ちなみに母親との関係は普通。ベタベタ仲良しでもないけど、話は良くするし、喧嘩もほとんどしない。クソ親父があんまり厳しいから、たまに口裏を合わせてくれたりもしてもらってて、その辺は助かってる。

しかし不思議なのは、うちの両親てすごく仲が良いんだよね。喧嘩してるのも見たことないし、よくふたりで出かけたりもするし。えっ、別に不思議じゃないって? いやいや、お母さんはまだわかるよ、だけどあのクソ親父を好きになる理由がないから! なんであんなクソ親父と夫婦やってられるのかが不思議でしょうがないんだよ!

今朝もそう。友達の誕生日プレゼント買いに行く約束になってて、だけど一緒に行く予定の子がどうしても部活抜けられないから、ちょっと遅くなるって話だったのね。だけどそれも本当にプレゼント買いに行くだけだし、20時には絶対帰って来られるに決まってるのに、文句言い出して。

誰の誕生日だ、誰と買いに行くんだ、何を買うんだ、どこで買うんだ――あーもう、うるさいよ!!!

ていうかその誕生日の子は、クソ親父もよく知ってる子だし、買いに行く子もよく遊びに来たりしてるし、だけどそれをちゃんと全員説明しても信用してくれないのは一体どういうわけなんだろうか。私に彼氏が1度も出来なくて、結婚もできなくて、一生独身で孤独死すればいいって思ってるんだろうか。

まあその、結局はお母さんがとりなしてくれて何とかなったわけなんだけど、とにかく私はもうほんっとにうんざりして、部活がある子を待ってる間、ひとりで先に買い物予定の駅まで出てフラフラしてた。

別に超成績がひどいわけじゃないし、超ギャルってわけでもないし、そりゃあんまり熱心に部活とかしてないけど、私みたいな高校生なんていくらだっているのに、それが友達と一緒に過ごしたり、彼氏と過ごしたりしたらいけないんだろうか。そんなことをぼーっと考えながら歩いてた。

で、気付いたら来たことない場所にまで来てて、顔を上げると、それはもうおしゃれな感じのアンティークショップの前に立ってた。私の貧相なボキャブラリーではうまく説明できないけど、ヨーロッパというかファンタジーというか、なんかそんな感じで、開いたままになってるドアにはドライフラワーがぶら下がってる。

たぶんだけど、それはラベンダーのドライフラワーだった。そこにすうっと風が吹いて、優しいラベンダーの香りに顔を撫でられた私は、ついフラフラと店内に入ってしまった。

「あら、いらっしゃいませ」

しんと静まり返っているから、人はいないかもしれない、ちょっと覗いてすぐに出よう――そう思ってたのに、店内に入るなり声をかけられた私は、その場でぴょんと飛び上がった。うーわ、恥ずかしい!

「すすす、すみません、私――
「どうぞごゆっくりご覧下さいね。届かないものがあったら声をかけて下さいね」

年齢は……ええと、こんなに年齢がわからない人初めて見た。もちろん大人だけど、たぶん20代でも30代でも40代でも50代でも大丈夫な感じがする。店内にあるものと似たような落ち着いた色の服を着た女の人で、三つ編みを頭にぐるっと巻き付けてあるヘアスタイルで、雰囲気ぴったり。

だけどその人はおろおろしてた私にそう声をかけると、さっさと店の奥に引っ込んじゃった。私は、ちょっとがっかりして、だけどかなりホッとして店内を見始めた。

特にアンティークとかそういうのに興味があるわけじゃないんだけど、小物から家具からトルソーにかかってる服やら、とにかく全部素敵で、しかも店内はあのラベンダーの香りが染み付いていて、なんだか違う世界に迷い込んだみたいな感じ。制服姿じゃなくて、ここにあるドレスみたいな服着て紅茶とか飲みたい。そんな感じ。

クソ親父がうるさいからろくにバイトも出来なくて、私の乏しいお小遣いは今日の友達の誕生日プレゼントで3分の1くらい飛んで行く予定になってるんだけど、そんなものナシにして、何か買いたくなってきちゃった。

だけどまあそういうわけにもいかない。いくら父親が厳しくても、私は私の10代を犠牲にする気はない。

店内にある商品全て、私が買える金額じゃないと思っていたから、本当に見てただけだったんだけど、店の入口の近くのテーブルに置いてあった腕時計に目が止まって、つい手に取った。落ち着いた赤茶の皮のベルトに、汚れた金の金具、象牙色の文字盤、真っ黒な針。すごく可愛い。

金具のところには小さな薔薇が付いていて、似合いそうもないなと思ったけど、そっと手首に当ててみた。

「お気に召しましたか?」
「ふぉあっ!?」
「あら、いいのを見つけましたね」

店主だか店員だか、とにかくさっきの年齢不詳のお姉さんがいつの間にか背後に立っていて、私は本当にひどい声を上げた。「ふぉあっ」て何。やばい恥ずかしい消えたい。

「いえあの私」
「それはとても『いいもの』ですよ。目に止まってよかったですね」
「え?」

よくあるショップのセールストークとはちょっと違うもんだから、私はつい聞き返した。

「アンティークだからかしら、こういう商品って『人を選ぶ』んですよ。本当に似合う人、本当に必要としている人の手にしか渡らないようになっているんです。それに、この時計は2度、帰ってきてるの。買って帰った方がしばらくするとここに置いて下さいって持ってきてくれるのよ」

いやそれただの返品じゃないの、というのが顔に出たらしい。お姉さんはくすりと笑う。

「詳しいことは私も知らないんだけど、いっぱいいいことがあったそうなの。だけどもう自分には必要ないから、これを必要としてる人たちのために、ここに置いて下さい、お金は返さなくていいからって。最初は困ったなあと思って、だけどどうしても欲しいっていう人がいたからまた売ったら、その人も同じように戻しに来たの」

……というでっち上げの話で売ろうっていう、開運商法じゃないだろうな。

「で、でも、こんな素敵なの、高いですよねえ? 私バイトもしてなく――嘘!?」

貧乏高校生なので買えませーん。ていう展開にしようとして糸で括りつけられていたタグをひっくり返したら、私の声も一緒にひっくり返った。なんと、500円。

「そんなことがあったものだから、誰でも買える値段にしようと思って」
「へ、平気なんですか、こんなワンコイン」
「まあ、そういう商品があってもいいかなって」

お姉さんが柔らかく微笑むので、私は気持ちがぐらりと傾く。欲しい。どんな「いいこと」があるのか知らないけど、そうじゃなくて、私はこの時計が欲しい。似合わないかもしれないけど、そうしたら手首には付けないでバッグにつけるから、これが欲しい。

「これ、私が買ってもいいんですか」
「もちろんですよ。ちゃんと箱もありますからね。こちらにどうぞ」

レジと思しきカウンターの横にある布張りの椅子を勧められた私は、両手で時計をガッチリと掴んだまま恐る恐る腰を下ろした。またラベンダーの香りがふわりと漂う。

「500円だけど、もし『いいこと』がなくて返品したかったらいつでも持ってきてね」
「は、はい、わかりました」
「あったあった。これが箱ね。袋とかいるかしら」
「い、いいえ、大丈夫です」
「そう? じゃあこれと、あとおまけ。薔薇のポプリ」

お姉さんは古ぼけた長方形の木箱と、小さなサシェをテーブルの上に並べる。うおお、これも可愛い。

「このポプリ、私が作ってるんだけど、恋愛に効くらしいの。お役に立てますように」
「ほんとですか!? どうやって使うんですか!?」
「持ってるだけでいいんじゃないかしら。私もお客様に聞いただけだから」

なんてありがたい。私は歓声を上げてサシェをバッグのポケットに突っ込んだ。

「なんだか魔法使いのお店みたいですね」
「あら嬉しい。ポプリなんか作ってる時は本当にそんな気分になっちゃうんですよ」
「魔女が作ってくれたポプリとか確かにすっごく効きそうです」
「恋愛に効くって言われてからは、誰かの恋が叶うようにって祈りながら作ってるのよねえ」

いいことがあるっていう腕時計と魔女のポプリ。これはご利益があるかもしれない!

今朝の親父とのバトルで腐ってた私は、すっかり機嫌が治った。あんな頭の固いクソ親父の妨害なんかに負けない。私は恋がしたいし、人を好きになって好きになってもらって、そうやって大人になっていきたいんだもん。きっとこの腕時計とポプリはそれを助けてくれるに違いない。

カウンターに500円玉を差し出した私に、お姉さんはまたにっこりと微笑んだ。

「ありがとうございました。また遊びにいらしてね」
「は、はい、来ます。友達も連れてきます」
「あらほんと? 待ってるわね」

なんて素敵な午後だったんだろう。上機嫌の私は店を出るとうきうきした気持ちで駅に向かい、友達と待ち合わせて誕生日プレゼントを買い、ちゃんと20時までに家に帰った。ら、今日は帰宅が早いはずの親父がいない。

「えっ、お父さんいないの!? なんで連絡くれなかったの」
「いつ帰るかわからないっていうんだもん。早く戻って間に合わなかったら困るでしょ」

友達はまだマックで喋って帰るって言うのを、門限があるからって帰ってきたのに。お母さんの言うことはもっともなんだけど、あと30分くらいだったら大丈夫だったような気がして私はまた不機嫌になった。せっかく素敵な午後だったのに、帰ってきたらこれかよ!

「プレゼント買えたの?」
「うん。それは大丈夫」
「お小遣いなくなっちゃったんじゃないの」
「3分の2に減った」
「少し出してあげようか。プレゼントに使ったんだし」
「ううん、いらない。お父さんが厳しいのが悪いんだもん。それには屈しない」

お母さんはあはは、なんて笑ってるけどほんとに笑い事じゃないからな。私は制服のままご飯を済ませると、さっさと部屋に戻った。クソ親父と鉢合わせたらまた何買ったんだとか突っ込まれるに決まってるからね。

部屋に戻っていそいそと腕時計を取り出す。いやー可愛い! ついでにポプリも引っ張り出す。いい匂い!

うーん、これは制服だから似合わないんじゃないだろうか。それなりの服を着てそれなりの髪型をしたら、私だって似合うような気がする。ヨーロッパのお城とか似合っちゃうんじゃないだろうか。薔薇の匂いに包まれてると、どんどん気分が上がる。

手にしたサシェを見下ろすと、薔薇だけじゃなくて、ラベンダーも入っていた。ドラッグストアで買えるような整髪料とかコスメの薔薇の香りは臭くて苦手だったけど、これはいい匂いがする。そっと顔に近付けて嗅いでみると、少しだけ胸が疼いた。これは、恋がしたくなる香りだ。

好きな人に抱きついて「好き」って言いたくなる香りだ。なるほど、これは確かに効くみたい。

だけど現実問題私は親父の妨害はあるし門限は20時だし、腕時計さんに頑張ってもらうしかない。どんないいことがあるのかわからないけど、とりあえず私は彼氏が欲しいです! それが私の「いいこと」です!

腕時計に願掛けをして、私は薔薇とラベンダーの香りに包まれて眠った。

だからさ、誰がこんなこと想像する? こんなナチュラルでファンタジックな腕時計、そこから妖精が飛び出してきても私は驚かなかったかもしれない。さあ私の夢を叶えて! って言えたと思う。だけど、妖精は出てこないし誰も私の夢を叶えてもくれなかった。

この腕時計が、タイムマシンだったなんて!