チェンジ・ザ・ワールド

02

世に数多ある時間旅行ものの鉄板ネタであり、実はそれしかネタがないんじゃないのっていうくらい物語のキーになる「過去を変えてしまったことによる自分の消滅の危機」、それはわかってたつもりだったのに。そういうの、散々見たり読んだりしてきたはずなのに、なんでやらかすかな!

サラッサラのロン毛なびかせた親父はこっちをちらりと見ただけでさっさとどこかに行っちゃうし、私は私で本当に具合が悪くなってしまい、何をどうしたか、今、お母さんの家にいる。さっきえらく若いおばあちゃん見ちゃって、それでとうとう許容量オーバーして倒れたところ。

気付けば本日最後のギュルギュルタイムはとっくに終わってて、私はよく知ってる匂いのするベッドで唸る羽目になった。お母さんは有事には肝の座る人なもんで、私のことを「小学校の時に同じ委員会で仲良かったんだけど、転校しちゃった」友達なのだと紹介してた。

ついでに私は両親が長期海外出張で、マンスリーマンションで一人暮らししてるんだとでまかせを言い出してくれた。お母さんがあんまり優しいもんだから、私は途中から本当に泣いてた。お母さん、お母さん聞いて、助けて、私消えちゃうかもしれないよ。どうしよう、消えるって、死ぬのと同じなのかな。

「ミライちゃん、起きてる?」
「起きてる〜」
「今お母さん出かけたから、もう大丈夫」
「出かけた?」
「うちのお母さん看護師でさ。今日は夜勤」

そうだった。おばあちゃんは看護師で、一時はおじいちゃんより稼ぎが多かったとかで、今でもお母さんとそのことをネタにして笑ってる。だけど毎回、子育てでブランクが発生したせいで師長になれなかったと悔しがって終わる。お母さんに対する嫌味じゃない、おじいちゃんに対する嫌味だ。おじいちゃんはガチガチの昭和の男らしい。

「お父さんも土曜日まで帰らないし、その、ミライちゃん、もしかしたら何か困ってたりしない?」
「うん、困ってる」
「私でよかったら、力になれないかな」

お母さーん! 私はまたヒィヒィ泣き出した。いつもそうだ。お父さんは私をギチギチに縛って干渉してくるだけ、お母さんはこうやって私がつらいのを察してくれる。私の手に重なるお母さんの手はあんまり変わらない感じがした。今の……26年後の方が少しカサカサしてるかな、っていうくらい。

「変なこと言ってごめん、なんだかミライちゃん、他人のような気がしなくてさ」
〜」
「それに、なんだか無性にミライちゃんを助けてあげなきゃいけないような気がして」

いかん、これが母の愛ですか、だめだ、今日1日のストレスが、頑張って耐えてたけど、もう無理、折れる。私は声を上げて泣き出した。ねえ、普通こんなん気持ち悪いよ? 他人の気がしないからって、一応初対面の人が自分のベッドでわんわん泣いてるんだよ。なのに、ああ、マジ天使。

「実はちょっと、困ってるんだけど、とりあえず何日かでいいから泊めて〜」
「いいよ。親はあんまり家にいないし、お姉ちゃんも家出ちゃったし、その辺は何とかなるから」

そうだった。には姉がいたんだった。伯母さんは北海道の大学に進学して、大阪で就職して、今はなぜかカナダにいる。だからほとんど会ったことはない。正月も帰らないから、お年玉が1件少ないと思ってあんまり好きじゃなかったけど、だけど今はそれが有り難い!

「お腹とか空かない? まだ吐き気する?」
「平気、気持ち悪いの治ってきた。でもお腹はまだ空かないかも」
「食べたくなったら食べようね。私もまだそんなに減ってないから。あとこれミライちゃんのバッグ」

はドアの近くに放り出してあったバッグを引き寄せてきて、手の届くところに置いてくれた。

「わ、いい匂い! なにこれ、薔薇?」
「薔薇とラベンダーのポプリ」
「こういう匂い好き〜! ミライちゃん女子力高いね……
「いやいや、貰い物だからこれ」
「私はそういうのどうも弱くて」

……そうだっけ? いやいやあんたアロマとかオーガニックコスメとか大好きでしょうが。と思ったけど、それは43歳のの話だ。26年後とのギャップについ驚いちゃったけど、これから興味が出るのかもしれないもんね。

そうか、つい43歳の母親と同じような感じで見てたけど、ここにいるのは17歳の、私と同じJKで、将来好きになるものにはまだ出会ってないかもしれない女の子なんだな。それなのに、私が存在してる以上は、この女の子の未来はもう決まってる。結婚する相手も、生まれてくる子供も決まっちゃってる。

それって……どうなんだろう。の未来はもうひとつしかないと決まってる。

改めて聞いてみたことなんかないけど、お母さんて、お父さんと結婚して私を産んで、幸せだったんだろうか。本当にそれはお母さんが望んだ人生だったんだろうか。今ならやり直せるんじゃないだろうか。父親の束縛で彼氏もできない娘がいつまでも嫁に行かれないとか、そんな人生だったら、可哀想じゃない?

だけどが違う人生を歩めば、私は消える。そう思ったらまた泣きたくなってきた。

そしたら、の手が伸びてきて、頭を撫でてくれた。なんでわかるの、母親だから? だけどこの時私なんて影も形もないんだよ? ていうかその可能性を私が自分で握り潰しちゃったんだよ! もうほんとにどうしよう!

泣いてスッキリした私は、しばらくすると急にお腹が減ってきて、がこっそり用意してくれたパンやらおにぎりやらを貪り食った。それに誰も帰って来ないから大丈夫、とお風呂を借りて、にパジャマまで借りて、22時頃には一緒にベッドに潜り込んだ。

この後のことを考えるのは明日にしよう。とりあえず手が透けてるなんてもこともないから、私が生まれてくる可能性、つまりと親父が出会うチャンスはまだ残されてるってことだ。だから、薄暗い部屋でどうでもいいことをボソボソ喋ってた。

は今、彼氏とかいないの」
「うん。中3の時にちょっとだけ付き合ってた人がいたんだけど、高校分かれたから」
「へえ、どんな人だったの」
「どんなって、3年の時同じクラスで」

初めて聞く話だった。お母さんはあんまり過去の恋愛の話とか積極的にする人じゃなくて、具体的に言葉にはしないけど、やっぱりお父さんが好きなんだって言うタイプだった。それがまったく理解できなくて、それは今も同じだけど、の恋愛は親父だけじゃなかったんだなあ。なんか不思議な感じ。

「じゃあ今は好きな人もいないの?」
「なんかそう思える人もいなくてさ」
「どういう人が好みなの?」
「ええー、かっこいい人がいい」
「誤魔化してない?」

まあ、にとってはあれもかっこいいうちに入るのかもしれないけど。はエヘヘと笑う。

「うーん、そうだなあ、あんまり優しい人は好きじゃないかも」
「はあ!? 優しいのが嫌なの!?」
「実は、元カレがね、すごく穏やかで優しい感じの人だったんだけど、本当はすごく凶悪な人で」

とにかく人のことを悪し様に言うのが好きな男だったのだという。容姿や成績や運動能力、どんな些細なウィークポイントでも拾い上げては文句を言うのが当たり前の人だったとは言う。まあ、いるよね、そういうの。

「なんかそういうの、嫌になっちゃって。私の友達とかも悪く言うから」
「それは別れて正解だったねー。そかそか、そういう意味の優しい人ね」
「ちょっと無愛想でもいいから、そういうの、ない人がいいな」

うん、確かに娘には極悪非道の限りを尽くしてるけど、そういう湿っぽいところはないよね、うちの親父。親父の若いころの写真て人相が悪いのが多くて、まったくなんでこんなのと思ってたけど、そうか、グレてたとしても、ある程度は好みだったんだな。なるほど、可能性は残ってる、か。

「大丈夫大丈夫、可愛いからすぐにいい男見つかるよ!」
「そ、そうかなあ。てかミライちゃんは? 彼氏いるの?」
「う、それは聞かないで。親が厳しくて付き合うなんてとてもじゃないけど」

てか、そのせいでこんなことになってる気がしてきた。全部親父が悪い。

「好きな人もいないの?」
「えっ、えーとそれは、うーん、好きってほどでも」
「あはは、いるんだね、好きな人」
「はあ!?」

いやいや、何言ってんの! 別に私あいつのこと好きなわけじゃ! ってこのは知らないんじゃん!

「親が厳しいから付き合ったり出来ないけど、好きな人はいるんだね。どんな人?」
「え、いや、その、やめてー!」
「えー、何でよ、そんなに恥ずかしい?」
「無理無理、そういう相手じゃないし、無理だよ」

無理なんだって。ほんとに色々無理なの! てか私のことなんかどうでもいいんだよ、なんとかしてあんたとあのロン毛のヤンキーをくっつけないと、私消滅しちゃうから!

私の話を引っ張るには適当に返事をして、私はうとうとしてるふりをしながら、どうやって親父と引き合わせるか、そればっかりを考えてた。本人の言う通りなら、あの人相の悪いヤンキーでも大丈夫そうな気がする。てか本来なら知り合ってからどういう経緯で付き合いだしたのよ。聞いたことあったかなあ。

ていう思い出したくても思い出せない記憶に頭を軋ませてた私は、いつしか眠りに落ちて、やっと出来た彼氏とイチャコラしてる夢を見た。べたべたくっついて、いっぱいチューしてた。こういうの、欲求不満て言うの?

だけど、次の日の朝、に起こされたところで覚悟が決まった。私は26年後に戻って恋がしたい。彼氏が欲しい。そうやって大人になりたい。そのためにも消えるわけに行かない! だから、やろう。自分で撒いた種なんだし、これも何かの運命に違いない。

と三井寿を出会わせて、恋に落とさせてみせるよ!

まあその、私「ミライ」とか名乗りましたけど、苗字は三井なんですよね。当たり前なんだけど。だけどそうするとミツイミライとかアホな名前になるし、必要がない限り、苗字はなしの方向で。

で、私はに私服とビニールバッグを借りて、日中は外で過ごすことにした。店が変わっちゃってたとしても地元近辺には違いないし、土地鑑がまるっきりないわけじゃないし、何しろ今後の対策を練らなきゃいけないし。また図書館かなあ。と思ってたら、よ。

「え、なにこれ」
「お弁当」
「いや、女子力高いのそっちでしょうよ……
「別に可愛いキャラ弁とかじゃないよ」

聞けば母親の仕事が不規則なので、高校に入ってからは自分で弁当を用意しているのだという。基本的に冷凍食品とご飯だと言うが、私、それすら出来ない気がするけど。てかそれポイント高いんじゃない? なんとか知り合えたら弁当持って遊びに行ったりとか……ヤンキーが?

そんなに焦って考えてもダメか。は丁寧にもお茶のボトルまで付けてくれた。うう、有り難い。

「じゃあ、学校終わったら連絡するね。連絡先、聞いてもいい?」
「うわ、ごめん、私今携帯壊れてて、ないの。何時頃? 駅で待ってるよ」

は携帯がないことをすごく心配してくれたけど、まあ、買うわけにはいかないし、こればっかりはしょうがない。親子なんだし、緊急時にはきっと心が通じるよ。そうに違いない。そういうことにしておいて。

一応駅まで一緒に行って、そこで別れた。私はが改札を抜けていくのを見送ったところで踵を返して駅を出る。は私も駅を使うんだと思っていたらしいが、とんでもない。現金には限りがあるんだよ。

しかも、この26年前には存在しない硬貨を弾いたら、また少なくなった。札の方は大丈夫そうだったけど、念のため自販系には通さない方がいいかもしれない。あと携帯。電源は落としたし、バッテリーは2つ持ってるけど、何しろネットワークに繋がらないんじゃどうにもならない。

昨日のパソコンでザッと調べてみたけど、もちろん私の使ってる通信サービスは存在してない。ていうかパソコン古過ぎて何事かと思った。街はお店が変わるくらいで、道が消えたりはしてないけど、こういうのはまるで別物というか、改めて26年ていう歳月を感じる。

で、そのパソコン使って調べたところによると、の最寄り駅の駅前にサイクルショップがあって、そこでレンタサイクルをやってるらしい。一番安いママチャリで営業時間内に無傷で返せば、なんと1日400円! 使えない硬貨を除くと、私の所持金は6200円。全部使うわけには行かないけど、10日くらいなら借りられる。

私はフレームの太い頑丈そうなチャリを借り受けると、腕まくりをして漕ぎだした。とりあえず情報収集のために、あちこち走り回るつもりだ。ないのはわかってるけど、時間があれば自宅の辺りも見てみたい。が学校終わって駅に着くのは15時位だと言っていた。それまでに調査を済ませねば。

ま、具体的に言うと親父、三井寿の調査だ。こっちも実家は今と違う場所にあるはず。一人息子の寿が大学進学で家を出たのを機に、三井の方の祖父母は家を売ってマンションを買った。そこに息子のための部屋はなかったそうで、お母さん会いたさに帰省してきた親父はリビングで寝起きしていたらしい。

だけど、元々の家の場所は見当ついてる。の家とは、湘北を真ん中に挟んでちょうど反対側、という感じの場所で、地元では有名な大きな工場の近くに立っている。その工場は26年後にもあるから、地図がなくても行かれるはずだ。ちょっと距離はあるけどしょうがない。

結構体力はある。――と思っていたのは私だけだったのかもしれない。の最寄り駅からは、駅数にして4駅ほど離れた当時の三井家は遠かった。てかつまり帰りもこれなわけでしょ!? キツい!!

それでもなんとか辿り着いた私は、最初ちょっと言葉が出なかった。あまりに普通な、汚くも豪華すぎもしない一戸建ての片隅にバイクとチャリがギュウギュウに詰まってて、窓なんか開いてないっていうのに、重低音が響いていた。この中にいるのか、寿。

バイクとチャリがギュウギュウ詰めになってる駐車スペースは、普段は車が入っているらしい。4輪のタイヤの擦れた跡がある。そこでまた思い出した。確か三井のおばあちゃんは実家の飲食店を手伝っていて、昼間いないことが多かったはずだ。おじいちゃんももちろんいないし、なるほど、溜まり場になってるのか。

私はチャリを押して三井家の前をそろそろと離れた。少し戻ると、工場の近くになんちゃってコンビニみたいなのがある。そこまで戻って少し様子を見よう。と思って、チャリを停めた私はが用意してくれたお茶を飲んでいたわけですよ。そしたらですね――

「お前らは真面目だよな実際」
「この後どうするよ。まだ店開いてねえだろ」
「これもう完全に遅刻だな」
「誰だよ間に合うとか言ったの。おい、タバコ捨てていくな、めんどくせえんだよ」

野太い声が聞こえてきた。てか最後のはたぶん親父だ。昨日はちらっとしか見えなかったけど、17歳の親父はどんな顔してんだろ。私はカモフラージュに手帳を掲げながら目を凝らした。けど、この目に飛び込んできたのは寿じゃなくて、私のことガサツだの母親に似なくて残念だの言ってはガハガハ笑う、徳男のおっさんだった。

いやあ、お茶吹きましたよね。ふざけんな、お茶返せ徳男。お前全っ然変わってないじゃないか! てかもう既に40代のおっさんじゃないか! 笑いを堪えるのがつらすぎて正視できない。

徳男のおっさんは実家の板金工場を継いでて、男の子3人のお父さんでもある。徳男の嫁がすげえ怖いと親父が言っていたような気がする。なんだけど、徳男のおっさん自身は女の子が欲しかったそうで、小さい頃はとても可愛がってくれたらしい。今? 可愛くなくなったってうるさいんだよ、こいつも!

その他にも私服と学ランが何人か出てきて、バイクやらチャリやらでたらたらと走りだした。ちゃんと見られないけど、知ってる顔はいないと思う。徳男のおっさんだけだ。というか寿と徳男ともう数人は、これから学校行くらしい。遅刻だの何だのって言ってるけど、お前らもう10時だぞ。なんとか4限に間に合うくらいじゃないのか。

顔を背けた私の横を寿たちが通り過ぎる。横目でちらりと見てみたけど、ロン毛で隠れてて、顔がわからない。背がちょっとだけ低いような気がする。まだ伸びてる途中だったのか。まあそうだよな、寿だってまだ17歳なんだ。と同じ、私と同じ、大人になる途中なんだよね。

「鉄男、お前帰るのか?」
「いや、店にいるわ」
「三っちゃん、後で行くんだろ」
「たぶんな。まだわかんねえ」
「なんか用でもあんのか」
「別に」

バイクに乗った私服は鉄男という人らしい。大型のバイクに私服だし、もしかしたら高校生の年齢ではないのかも。一体どういう関係の集まりなんだろうな。寿含めて学ラン着てるのは全員高校生だろうけど、まあヤンキーって言っても、組織に与してなきゃ年齢は関係ないか。

寿たちは学校へ行く、鉄男とか言う人はどこかの店に行く。外にも溜まり場かなんかがあるんだろう。店の場所は知りたいけど、バイクじゃ追いつけない。学校が終わったら寿たちも行くのかもしれないけど、その頃にはも帰ってくる。くそー、万事休す。

「そういや隣の工事終わってんのか」
「あー、なんか今内装やってる。張り紙があったな確か、居酒屋、ろく何とかじゃなかったか?」

ろく……六星!!!

遠ざかっていく寿たちの言葉の中によく知った名を聞いた私はまたお茶をこぼした。そうか、六星はこの頃に出来て、溜まり場の隣だったのか。ちなみに居酒屋六星は26年後の今もちゃんとあって、小さい頃に何度か連れて行ってもらったことがある店だ。焼き鳥おいしい。

じゃなくて! 溜まり場の場所わかっちゃったじゃん!! まったくなんて運がいいの私。ていうかこの時代に来てからツキまくってるよね私。お母さんにばったり会えたり……ってそのせいで帰れなくなったのか。運がいいのか悪いのかどっちだよ。

まあいい。とにかく寿は一応学校には通ってて、放課後になると六星の辺りでウロウロしたりしてるってわけだ。私は寿たちが消えたのを確認すると、また走りだした。少しでも距離を稼いで六星近辺を探っておかないとね。ああでもずっと自転車漕いでるからお腹減ったよ。どこかでのお弁当食べよう!