チェンジ・ザ・ワールド

08

「ナンパなのかなあ、あれって……

は夏休みの間に遭遇したトラブルを回想すると、難しい顔をして天井を見上げた。

「だってナンパなら、遊びに行こうとか、そういうことになるでしょ? だけど、そういうんじゃなくて、わらわらと取り囲まれたかと思ったら、そのまま腕掴まれて引きずられて」

それはナンパじゃないかもしれないけど、もっとたちの悪い「拉致」ではないんですか。私は血の気が引く。

「それを寿が助けてくれたの?」
「ひとりじゃなかったよ。堀田くんとかもいて、喧嘩になっちゃったけど」
「だけど助けに入ってくれたんでしょ」
「ううん、私の方が見つけて助けてって叫んじゃった」

私の頭の中はまたグルグルと回り出す。は、拉致られる寸前だったところを寿と徳男のおっさんに助けてもらい、もちろん喧嘩になっちゃって、仲間全員それなりに怪我をさせてしまったと神妙な顔つきで話しているが、何かひっかかる。最初にを見つけた時と同じだ。ナンパというには、なんというか「チャラさ」がない。

ていうか察するに寿と徳男のおっさん含めて6人くらいに助けてもらった様子だけど、はさっきから寿の話ばっかりしてる。表情は固いし、申し訳ないことをしたっていう気持ちもビシビシ伝わってくるけど、それ以上に全身からピンク色の何かがもわーっとにじみ出てる。

しかしここでハッパかけて急かしてはだめ。それに、私の方はそのおかしなナンパの件も含め、情報がほしい。あんたらを守るためにもね。

「顔見知りとかそういうのだったとかは……
「顔見知りってことはないんだけど、ひとりだけ知ってる人はいたよ」
「いたの!? 誰」
「誰、って、中学の時の先輩。別に話したこととかもないんだけど、目立つヤンキーだったから」

ごくごく地元の人間てことだ。向こうもが後輩であると知っている可能性はゼロではないし、場所はホワイトのある街だし、を拉致ろうとした一団は地元育ち地元在住のヤンキーと考えていいだろう。それがなぜをとっ捕まえた? しかもそんな目立つ所で。

「寿も知ってたのかな、そいつらのこと」
「顔は見たことあるって言ってたよ。まあ、同じ街をウロウロしてるんだしね」
「だったら、どういう勢力なのか知ってそうなものじゃない?」
「ところが、後で聞いた話なんだけど」

つまり寿も徳男のおっさんも、とかく「派閥」に興味のない不貞腐れた高校生なので、彼らは気の合うヤンキー同士で群れているだけで、グループ抗争とかじゃなかった。寿たちの仲間内ではリーダー的なポジションにいる鉄男とか言う人は高校を中退してるし、何かの組織ないしは勢力の傘下にいるわけじゃなかった。

そうか、だから徳男のおっさんはホワイトで制裁を受けたのか。強いて言えば、寿たちはあのトロルの兄貴の下にいたってことになる。昭和の暴走族みたいにチーム名付けて遊んでたとかそういうことじゃなくて、溜まり場の主であるトロルの兄貴が自然と大ボスになっていたんだろう。

トロルは見たところギリギリ10代という感じがしたけれど、私服だし頭は金髪だしピアスだらけだしで年齢はよくわからない。だけど、いくら金があるからって、喫茶店をやってるんだから、兄貴の方も寿と同じくらいというわけにはいかないはずだ。それの不興を買って溜まり場に入れてもらえなくなったら困るだろうし。

なんとなく引っかかるけど、寿のヤンキー仲間の揉め事ってわけではなさそうだ。

にしても、の話は寿推しがウザくなってきたし、このの話と寿の話、そして徳男のおっさんの昔話を早くひとつにまとめたい。そうすることで、あの「間違って作られた未来」の糸口が掴めそうな気がする。

「それにしても、ほんとにはヤンキーとか全然気にならないんだね」
「うーん、なんか不思議なんだけど、三井くんたち、あんまりそういう感じがしなくて」
「もし告られたらどーする? ヤンキーでも平気?」

こっちもブワッてなって真っ赤ですよ。お前らさっさと結婚しろリア充め。

「平気なのか、すごいなー。私はやっぱり躊躇しちゃうな」
「そ、そりゃあシラキボさんみたいなのは嫌だけど……
……シラキボ?」

寿んちの近くにあるでっかい工場の名前じゃないか。株式会社白鬼母。

「あれっ、知らなかったっけ? ほら、弟さんに絡まれたんでしょ」
「弟?」
「三井くんがそんなこと言ってた気がするんだけど、違った? ホワイトの」

私はその時、仏壇の前で聞いた「間違った未来」にいるトロルの息遣いが聞こえたような気がして、血の気が引いた。ザーッと音がして体が冷たくなっていくあの感じ、このところそんなことばっかり繰り返してるけど、ちっとも慣れない。また頭がザワザワしてきて、気持ち悪い。

あのトロルは白鬼母の人間だったのか。ホワイト、白鬼母の白から来てたのか。そりゃあ金くらい持ってるはずだ。寿んちの近くにある工場はもちろん大きいけれど、それだけじゃなくて、この辺りは白鬼母の工場や会社だらけだ。市議県議にも白鬼母がいるし、白鬼母の名がついた施設も多い。要は地元の豪族だ。

「ああ、あのゾンビみたいな」
「ゾンビ! あはは、確かにそんな感じ! ああいうのはちょっと怖いけどねー」

君がそのゾンビと付き合うことになっちゃう未来もあるんだけどね。はそれに比べたら寿などただちょっと不貞腐れてるだけに見えると言いながらホンワカしてる。まあ、そりゃそうなんだけどね。来年の春辺りには更生するんだし。ついでに君へのデレも加速するわけだし。

ていうか白鬼母を知ってるのはともかく、白鬼母さん、なんて、なんだか知り合いみたいな言い方じゃないか。確かの方の親類縁者にも白鬼母関係の仕事をしている人はいなかったはずだ。白鬼母は医療系にも手広いけど、おばあちゃんの勤めてた病院も白鬼母とは無関係。

「白鬼母さん兄弟? 名前は私も……三井くんはハデさんとボクって言ってたけど」

ハデさん? 何だその名前。まあ、「ボク」もアダ名なんだし、そんなところなんだろうけど。やっぱり対等な相手じゃないよな。兄貴の方はさん付けだ。弟の方は例え年上だったとしても、あの愚鈍さなら敬語を使わなくても平気という感じがするけど……

「会ったことあるの?」
「助けてもらったお礼にご飯一緒したときに。お店出たら通りかかったの」

それもなんだかわざとらしく感じる。によれば、寿たちにご飯を奢ったのは、半地下にある安いファミレスだったそうだ。まあ、ふたりきりじゃないしね。だけどそこを通りかかるだろうか。ホワイトとは駅前の広場を挟んで反対側にあるんだぞ。時間は完全にホワイトの営業中と思しき時間帯だし。

自宅がそっちの方で、それで通りかかったんだろうって? 半地下のファミレスが入ってる雑居ビルの先は、行き止まりなんだよ! 立地が悪いから小さい会社とかマッサージとかデリバリーサービスの店とか、そんなのしかない辺りなんだよ。偶然通りかかるようなところじゃない。

やっぱり徳男のおっさんの言うように、ボクがを狙ってたんじゃないだろうか。

いや待て、私がトロルに絡まれて助けてもらった時、「また兄貴にボコボコにされたいのか」って寿言ってなかったか? てことは、兄貴の方の「ハデさん」は弟が無差別に女にちょっかいを出すのを嫌っているんじゃないのか? だとしたらそれを引き連れてわざとらしく通りかかるのも、不自然だ。

「ハデさんには三井くんたちもちょっとペコペコしてて、なんかすごく怖そうな人でさ」
「まあ、あのゾンビが刃向かえないくらいだから、そうだろうね」
「だけど、喫茶店やってるからおいで、なんて言ってくれて」

だから怖い顔してるけど中身は、だなんて思ってるのか? 私はそれは間違いだ、考えなおせ、このお子ちゃまが! と言いたいのを飲み込み、明日は何としてでも録音起こしをせねばと心に決めた。

「寿はなんか言ってた?」
「ボクみたいなのが溜まり場にしてるから近寄るなって言ってた」
「正しいね。、寿はともかく、白鬼母兄弟とは関わらない方がいいよ」
「うん、そうだね。私も関わりたいとは思わないよ」

気を付けなよ。にそのつもりがなくても、向こうにはそのつもりがあるかもしれないからな。

「困ったら寿にすぐ言うんだよ」
「え、そ、そんなの、悪いでしょ……
「今日は遠慮なく私を送らせたじゃん」
「あ、あれは勢いでつい」
「だけど寿も文句言わずに送ってきてくれたじゃん」
「そうだけど……

あんまり突っついても時計の針を無理に動かすことになるから、この辺にしといてやる。しかしなんというか……相手があの寿とはいえ、ちょっとほっぺたピンクにしてもじもじしてる、クッソ可愛いんですけど!!!

昼の心配はいらないと言ったんだけど、は、ミライは顔色悪いし、ちゃんと食べてるかどうか心配だから、せめておにぎりだけ持っていけと譲らなかった。やっべ泣きそう。顔色悪いのは主に私のせいで凶悪に捻じ曲がった未来のの姿のせいなんだけど、だからこそこのおにぎりが私の心を癒やす。

のおにぎりを携えた私は、新品のチャリに跨がり、今度はの家の近所の図書館を目指す。市のウェブサイトによれば、図書館というかほとんど図書室といった大きさだけど、衝立で囲まれた学習スペースがあるらしいので、今日はそこで文字起こしをしようと思った。

と同時に家を出たので、もちろん図書館は開いてない。ファストフードで時間を潰した後、改めて図書館に向かう。読み通り、開館したばかりの図書館は小さい子どもとそのお母さんくらいしかいない。学習スペースは無人、しかも児童コーナーの騒ぎ声がダイレクトに響く狭い図書館、これは本気で学習したかったら誰も来ない。

市のウェブサイトで見た通りにちゃんと衝立があるので、私は一番奥の席に着くと、レコーダーや携帯、そしてここに来る途中に買って来たレポート用紙とペンを取り出した。こういう時はPCがあった方が作業が早いけど、そんな贅沢も言っていられない。

レコーダーにイヤホンを差し込むと、私は徳男のおっさんの昔話の書き起こしを再開した。

徳男のおっさんの回想によれば、高校2年生の頃の寿は、マックスまでグレて、それが「普通」になってしまった状態らしい。つまり、ヤンキーになっちゃったとはいえ、ヤンキーの寿としては比較的落ち着いている頃なのだ。ああして暇になっては街をうろつき、ホワイトに入り浸り、両親のいない家では友達と重低音、という生活。

そんな中でに出会った。で、こうしてなんだかいい感じになりつつ、徳男のおっさんの回想通りに事が進めば、ふたりは年明け頃に大喧嘩するのだ。うーん、喧嘩ねえ。付き合ってもいないのに大喧嘩? それも妙な表現だよな。だってその後付き合うんだよ? 友達同士の修復可能な大喧嘩って?

現時点までの出来事をまとめ終えた私は、ペンを片手にため息をついた所で、ゴン、と机に頭を落とした。

だから、見に行けばいいじゃん、それ!

どうも過去に来ると、私はタイムマシンの存在を忘れがちになる。まだ午前中でよかった。未来に行ける。しかし、とにかくモバイル端末がないのが困った。レンタルするにも身分証は必要みたいだし、そもそもは未成年だし、これがないせいで過去に戻っても少し先に進むにしても、大変な時間のロスになる。

だけど、もったいないのは金より時間だな。私は永遠に17歳でいられるわけじゃない。急がないと時間はどんどんなくなる。学習コーナーから出た私は、図書館内に2台しかないPCコーナーへ行き、ある程度は自由にインターネット閲覧が使えることを確認すると、フリーメールのアカウントを作った。

一応、これがあれば当座のところは好きなときににメールを送信できる。そのためにいちいち漫喫やこうした無料PCを使わなきゃいけないけれど、公衆電話はよくわからないし、毎回毎回寿が通りかかってくれるわけでもない。漫喫1時間分くらい、必要経費だ。

取得したばかりのフリーメールでに連絡をしておく。ちょっと遅くなるか、もしくは帰らないかもしれないからよろしく。何かあったらこのメールに送っておいてね!

腕を上げると、10時40分だった。今から自転車を安全な場所に移動させるから、その後で12時1分にしゅぽん! すれば、来年に行かれる。徳男のおっさんの話しぶりでは、3年生が自由登校で学校に来なくなった頃に喧嘩をしたということらしいので、つまり、2月なら確実に喧嘩の後ということになる。

呼び出しやすいように、2月の最初の週の土曜を選び、日付をセット。今は前年の秋なので「1年後」という表現は正確じゃないけれど、このタイムマシンでいうと、1年先が翌年扱いなわけだ。私は図書館を出ると、自転車で走りだした。行き先は、隣の市の市営体育館。

なんでかっていうと、ここの駐輪場は常に自転車で溢れてて、カオスなのだ。子供の頃よく使ったから知ってるんだけど、しかも年末年始は大小の大会ばっかりで、年末だからって放置自転車撤去なんていう暇もないところだからだ。案の定この日はママチャリでぎっちりになっていて、私はギリギリ屋根のかかる場所に自転車をとめる。

時間を確認すると、11時30分。私はまた泣き出すんじゃなかろうかと思いつつも、市営体育館の休憩所でのおにぎりを食べた。つかもう、泣きながら笑っちゃうよね、やたらと大きいおにぎりだなと思ってたらさ、中におかずが全部入ってた。私が弁当いらないって言ったから、この中に詰めちゃったんだろう。

もーさ、自分の母親ながら、ってなんて可愛いんだろう。無言で激モエしながらおにぎりを食べた私は、この可愛いがビッチになる未来を回避すべく、市営体育館の影に入り込むと、12時1分を待ち、ボタンを押す。ギュルギュルしゅぽん! で、私は数カ月後に降り立った。

「さっむ!!!」

2月だからね……。私はバッグの中にあった服を全部着て駐輪場に向かった。本日は子供の大会があるのか、小さいチャリで溢れかえっている駐輪場の片隅に、ちゃんと私の自転車があった。管理不行き届き最高! 枯れ葉がカゴに入ってるけどそんなもの! えーいこんなもの! なんか虫がいるけどこんなものー! 助けて!

しかし寒い。私は歯の根が合わなくてガチガチ言わせながら一番近い駅に向かった。の最寄り駅の隣にあたる駅だ。大型スーパーの駐輪場を使うことにして、私は何はともあれ、ファストファッションの店に飛び込み、薄くて暖かいっていうダウンと、合皮の手袋を買った。これがないと死ぬ。

その次に漫喫。作ったばかり、そして数ヶ月放置のアカウント内は、ウェルカムメッセージの他には、からのメールが2通来ていた。1通はさっきの返信としても、もう1通は何だ? メールを開くと、日付は1月末、ほんの1週間位前だ。JKらしい顔文字も何もない文面、中身は単純だった。

「三井くんと喧嘩した。ミライに会いたい」

母親モエマックスだったせいもあって、この時私は寿をブン殴りたくなった。だけど、これは徳男のおっさんの回想通り。またおかしな分岐をしなかったことにホッとしたので、父親を殴りたいという気持ちはスーッと引いていった。私は戻ってきたから会えるよという旨を返信する。

幸い午後イチのしゅぽん! だったし、時間はたっぷりある。だけどここに長居するつもりはない。話を聞いて、また確認しておいた方がいい場所があれば、しゅぽん! するつもりだ。だから、タイムアップは16時30分。これなら17時台を全て使えるし、過去に戻るならもう少し待てば18時が来る。

出来るだけ早く返信がくればいいなと思いつつ、ストロー咥えてプラプラさせていた私は、フリーメールの受信ボックスからぴょんと出てきた通知ポップアップにむせた。ストローが吹き飛ぶ。はえーよ。まあ携帯だからすぐに気付くとはいえ……

「これから会えないかな? いまどこにいるの?」 私は正直に近場の駅にいること、もちろん会えること、だけど今日は16時30分までだということを返信した。またすぐに帰ってきたメールには、地元駅で母親と買い物をしていたから、そのまま移動できる旨が書かれていた。

私はホワイトや半地下のファミレスやいつかと行ったカフェのある街を指定した。私ももすぐに移動できる範囲だ。自転車で行ってもそれほど時間はかからない。が30分ほどかかるというので、私は自転車で移動することにした。そして2月の寒空の下で、白い息を吐きながらを待った。

指定の時間から5分ほど遅れてやって来たは、私を見るなり駈け出して、そのまま飛びついてきた。

「会いたかった、ずっと会いたいって思ってた。連絡してくれてありがと」
「喧嘩しちゃったのか。よしよし、可哀想に。何でも話しなよ」
「ごめん、私のことばっかり」
「そんなこと気にするなよー。のためなら私何だってするよ」

嘘じゃないよ、お母さん。

「そんな……なんかほんとごめん」
「いいからいいから。私も他人ていう気がしなくてさ。が苦しんでるの、見たくないから」

はすっかり眉が下がってしまっていて、私はその手を引いてわざと騒がしいファストフード店に入った。静かなカフェだとどこで誰に何を聞かれるかわからないし、土曜の午後で子供連れや中学生で溢れてるから、白鬼母兄弟やどこかのヤンキーは絶対入って来ないだろう。もちろん、寿も。

で?