チェンジ・ザ・ワールド

14

帰ってきたよ25年後……あの恐ろしい未来はちゃんと修正されているんだろうか。

今更ながらちょっとビビってきた。というか何しろ朝の6時25分である。今から家に帰ったら私がまだ寝てる。また私はファストフードで延々時間を潰し、ふと思いついて、市営の図書館へ向かった。

ライブラリ室の使用許可を取り、データベースにアクセスできるブースに入る。この市営図書館のデータベースは、主要な新聞の全国版と、ローカルな新聞をいくつか網羅していて、地元のことを調べるのにはうってつけだった。というか中学生の時にこれを使う宿題があって、みんなで奪い合いになった。3台しかないのにアホか。

そこで私は「白鬼母」というワードで検索を始めた。

私がタイムスリップする前は、まだ白鬼母は巨大な地元企業だった。だけどあの時崩壊してしまった白鬼母はどうなったんだろうと気になったからだ。最初にヒットしてるのは、4年前の、だけど一番新しい記事で、ある意味では私が1番知りたかった内容だった。

「ストーカー事件、被疑者死亡のまま送検……か」

地方紙の小さな記事は、セイトが近所の母娘にストーカー行為をした末に、そのふたりを道連れに無理心中を図ろうとし、自分だけ死んでしまったことを伝えている。せっかく逮捕したのに、あんなバケモノを解き放ったのか、バカだな。ストーカーされた母娘が無事で何よりだよ。

検索結果を遡る。

セイトはその前にも2度、ストーカーで送検されている。だからさ、なんでこんなの街に放つわけ? よくが無事だったなと思ったけど、記事によれば、セイトの住所はかなり離れた場所になってる。まあ、もうホワイトもないんだしね。そうして遡っていき、23年前の記事に辿り着いた。

セイトだけじゃない。ハデスも死んでた。あの逮捕から2年後。本人も重度の薬物依存症だったらしいハデスは医療設備のあるところへ収監されていたようだが、そこで自ら命を絶ったらしい。事件が完全に解明できていないのに、その本人が死んでしまって、薬物の入手経路がわからなくなってしまったと伝えている。

ハデスが死んだことよりも、自殺を許してしまった管理体制を問うような記事だった。

その間に大量に挟まっている記事によれば、腐っても白鬼母、以前のような豪族ではいられなくなったけれど、一族は細々と存続している模様。三井家の近くにあった巨大な工場は閉鎖したけれど、あの事件から1年後にPB商品の工場が入ったらしい。携帯で地図を見てみたら、まだある。

なんだか安心してしまった私は、にやりと笑って、徳男のおっさんやてっちゃんの名前を調べてみたりして、当然何も出てこないのでそれをニヤニヤしながら眺めてた。ところが。

「ファッ!?」

図書館だということも忘れて、私は素っ頓狂な声を上げた。慌ててブースから顔を出したら、ライブラリ室は無人で、私は急いでモニタに目を戻した。去年のローカル紙の紙面、1/4ほどの大きさを割いた記事は、お父さんの出身校である湘北が8年連続でインターハイへ出場することが決まったと報じている。

それはいい。IH出場は途中途切れたこともあったけど、湘北はお父さんの代からこっち、強い県立として有名だし、資金力では劣る私立にも負けない強気なバスケットをすることで知られている。だからIH出場は別に何もおかしくない。私が驚いたのはそこに載ってる写真と記事の内容!

写真の中でネットにボールをねじ込んでるのは、さっき寿に話した私の幼馴染で、私がタイムスリップする前の世界では陵南に入ってたはずだった。その上、記事を読み進めた私はガクガク震えだした。5年前から監督として湘北を率いているのは、誰であろう、三井寿その人だった。

自身も同高校出身の監督の采配は今年も的確で――強力な新人を得てなお高みを目指し――慌てた私はこの年の夏の地方紙の紙面を1つずつ確かめていく。この年のインターハイ、一緒に出場した海南はベスト8、だけど湘北は3位だった。それ自体はおかしいことでもなんでもないけど――

そして私は幼馴染がボールを手にジャンプしている写真の中に、父親らしき影を見つけて、またガタガタと震え出した。私がタイムスリップする前、寿はスポーツクラブのインストラクターだったのに。バスケの仕事したかったけど、世の中そんなに甘くないって自分で言ってたのに。

ちょっとパニック起こしてるけど、とにかく、寿は大分じゃなくて神奈川にいる。白鬼母兄弟もいないし、離婚はしてないに違いない。というかむしろちょっといい未来になってない? 私はつい怪我をした膝に手を伸ばした。でもそこには手術痕がちゃんとあって、まあそう簡単にはいかないか。

私は何も変わってないのかもしれない。だけど、世界はこんなに変わった。私はそれが嬉しい。私を取り巻く世界が、そこにいる人たちが好きだから。その中で生きていきたいから。

携帯を取り出した私は幼馴染に連絡して、放課後に会いたいから練習の間に出てこいと一方的に約束を取り付けた。予選の時期だけど、今湘北にいるということは寿のもとで指導を受けてるんだろうし、それこそ小学校低学年の頃から知ってるから、私が騒いでると言えばなんとかなるはずだ。時間は取らせんよ。

時計を見上げたら時間は11時、私は意を決して図書館を出て、自宅へ戻っ――えええ!!!

自宅が、家がでっかくなってる……! いや、でっかくなってるっていうか、家がふたつくっついてるよ……? またガクガクしながら近付いていくと、ふたつの門が並んでいて、表札が3つあった。三井、三井、。えーと、これはつまり、二世帯、いや三世帯ですか!? どうなってんだコレ!

いやほら、同居って無理にするようなことじゃないじゃん。友達のお母さん姑にイビられてハゲ出来ちゃったりとかしてて、親と同居が大正義ってわけじゃないじゃん。一体どうなってんのよ〜私だけ取り残されてんじゃんよ〜誰か説明してよ〜。

に、お母さんに問い詰められたらどうしようかなと思いながら帰ってきたけど、正直それどころじゃない。私はのママチャリのある方の三井家に自転車を停めると、最初のタイムスリップより前の世界から持ち出したままの鍵を差し込んだ。鍵は難なく開く。てか、鍵、同じに見えるけど、変わってるのかな。

汚れててボクがいるなんていうことはもちろんない。私は靴を脱いで家の中に入り込む。すると、キッチンと思しき場所からが出てきた。あああ、お母さん、元のお母さんだ、寿の嫁の方のだ!!!

「あれ!? どうしたの、制服は?」
「ご、ごめん、ちょっと色々あって、その、えっと」
「早退までしてくるなんて珍しいね。またなんかトラブってんの? んもー、危ないことはしないでよ」

お母さん、は腰に手を当ててニコニコしてる。え? 怒らないの?

「てかなんかヨレヨレしてるよ、今日ほら、プレゼント渡すんでしょ、ちょっときれいにしなよ」
「えっ? ああ、プレゼントね、まあうん、渡すけど別に着飾らなくたって」
「どうしていつもそうなのよ、美容院行く?」

いや、あんたじゃあるまいし。だけどは真剣な顔でそんなことを言う。

「美容院!? そんな大袈裟な」
「なんでよー、ユヒト、喜ぶと思うけどなあ」
「な、なんであいつがそんな、私が美容院で」
「もー、いい加減素直になりなよー。師匠が師匠なら弟子も弟子だわー。あんたもユヒトも寿くんそっくり」

いやほんと一体どうなってんの!?

あー、その、ユヒト、由比人っていうのが、はい、幼馴染の、はい、好きな人です、はい。小3でミニバス入ってからの付き合いで、ユヒトん家は父子家庭だったので、てっちゃんみたいによくうちにご飯食べに来てたんだよね。だから一番仲がいいミニバスの友達で、まあその、それが結局「好き」になっちゃったわけでギャー!!!

私の知ってるユヒトは、中学で県2位に食い込んだおかげで方々からスカウトが来て、そのまま推薦で陵南入っちゃった。この世界になる前は、陵南で、あれ? 陵南であいつ、何してたんだっけ。私はキッチンに戻っていくの後ろ姿を見ながら、ぼんやりしていた。元の世界の記憶が、思い出せない。

まだちゃんとおしゃれして行きなさいよとか言ってるに生返事をして、私は階段を上がる。おかしいな、初めて入った家のはずなのに、足がこの階段の段差に慣れていて、勝手にトントンと上がっていく。探さなくても自分の部屋がわかる。ドアを開けると、そこは「見慣れた自分の部屋」だった。

今度は私も、この世界仕様に作り替えられていくのか――

ベッドにごろりと横になった私は、ギュウギュウに荷物の詰まったバッグからレポート用紙とペンを探した。けど、どこにもない。というかそこで初めて気付いたけど、あのレポート用紙とペンだけは、過去の世界のものだ。つい持って帰ってきてしまったけれど、勝手に消えてくれていたらしい。

レコーダーもない。あの時、間違って作られた世界で徳男のおっさんに聞いた話を録音していたレコーダーはなくなってるし、携帯の方のレコーダーからは録音した音声が消えていた。その上、あの殺風景な寿の部屋の写真もなかった。まあ、私が見るはずもなかった景色だったからな。

うまくできてんだなあ、なんて、ぼーっとしてた私は、がばと跳ね起きて、クローゼットを開けた。よかった、ちゃんと制服が入って――何ィ!? なんだこの制服!? 湘北のじゃないか!!!

私は色々オーバーしてしまって、床にぺたりと座り込んだ。あは、あはは、お父さんは湘北の監督でユヒトは湘北の部員で、私も湘北なん!? でもそうだよな、新聞記事によれば寿が監督に就任したのは5年前、私がまだ怪我をする前の話だ。父親のいる高校に行くのは不自然なことじゃない。

その瞬間蘇る湘北を受験した時の記憶、ユヒトと一緒に行った入学式、確か別の高校で一緒だったはずの友達と湘北で過ごした高1の1年間、高校に入ってますますギクシャクしはじめた私とユヒトと寿――

私、タイムスリップする前、どこの高校に通ってたんだっけ……

ちょっと怖くなってきた私は、机の中からノートを取り出して、記憶が消えないうちに、私がこの十数日の間に体験したことを書き殴った。上手な文章にはならなかったし、そんなものにしようと悩む間にも記憶が消えていくかもしれないから、箇条書きで、その時感じたこと思ったことも書き込んで、一心不乱に私の「冒険」をまとめた。

延々書き殴った私は、残っている記憶が消えないうちに、どうにか記録を取ることが出来た。ただ、私の頭の中から薄れていく記憶は主にタイムスリップする前の世界のもので、例えば通っていたはずの高校、寿が勤めていたはずのスポーツクラブ、陵南でのユヒト、そういうことばかり。

だから、26年前と25年前にタイムスリップしてやらかしてきたことはそれほど薄れてない。というかあの間違って作られてしまった世界の記憶とか、ハデスの顔とか、そーいうのはむしろ消えて欲しいんですけど! 私あの兄弟のトラウマ、一生引きずるような気がしてならないんだけど、早く記憶消去の技術確立されないかな。

で、気付いたらユヒトを呼び出した時間が迫っていた。途端に緊張して、ドキドキしてきたけど、大丈夫、18歳の寿の言葉を思い出せ、きっとうまくいくよ。

だけど、着替えて出かけようとしたら、に捕まって、髪をきちんと整えるまで解放してもらえなかった。だもんで、ユヒトとの待ち合わせに20分ほど遅れてしまった。もー、自分から呼び出しておいて遅刻とかなんなの! ユヒトは湘北の駐輪場の壁の影でしょんぼりした顔で待ってた。

「ごめん!!!」
「おお、連絡ないからちょっと心配したよ……
「マジごめん、……お母さんに捕まっちゃって」
「小母さんずいぶん会ってない気がするなー」

ユヒトが小学生の間は、ユヒトの父親の仕事が忙しすぎて家に全然いなくて、だからうちに泊まったりしたこともあって、つまり家族ぐるみで仲が良かった。今はもう小父さんの仕事も落ち着いたので、ユヒトがうちにご飯食べに来るようなこともない。さて、どう切り出そうかな。

「てかどうしたんだよ、急に」
「急にって、今日誕生日じゃん」
「え!? マジで!?」
「え!? 自分の誕生日忘れてたの!?」
「いやそうじゃなくて、その、それで呼び出されたとは思ってなかったから……

じゃあ何だと思ってたんだろう。ともあれ、私は話が途切れた隙にプレゼントを差し出した。昨日一緒にプレゼント買いに行った友達のも入ってる。その子たちもつまり、ミニバス仲間の幼馴染。私がユヒト好きなの知ってるから、代表で届けてきて、って言ってくれたというわけです。

「え、くれんの?」
「預かったのも入ってるけど、私からのはこの赤いリボンのやつね」
「あ、ありがとう……悪かったな、気を遣わせて」

ユヒトは何かちょっと苦笑いだ。まあそうだろう、怪我して以来、私は寿だけじゃなくてユヒトにもキツく当たってきた。ユヒトはそれに対して怒りもせずに付き合ってくれてたけど、つまりこれまでの私だったら、照れも手伝って悪態をついていたに違いない。それが大人しくしてるから、変な感じなんだろう。私も変な感じだよ。

「あのさ、今年も予選、見に……来られない、よな」
「えっ」
「今年は決勝リーグ完全優勝しようぜって頑張ってるんだけど、まだ、その――

私は怪我して以来、バスケットと関わるのをやめていた。そこは寿と同じ。だからユヒトのプレイなんて、小学生以来見ていない。ものすごく上手くなっちゃってるんだって事実だけで、それだけで興味なくしてた。

「いや、無理はしなくていいけどさ、監督もさ――
「ユヒトあのさ」
「たまにふたりになると――えっ、何?」

寿とユヒトがふたりきりで何を話してるのかは気になるけど、ごめん、それ後で聞かせて。とりあえず勇気が挫けないうちにちゃんと言いたいんだ。私は18歳の寿とを、てっちゃんを、徳男のおっさんを思い出して、息を呑む。風の中に、薔薇とラベンダーの香りを嗅いだような気がして、私は顔を上げる。

「急にこんなこと言ってごめん、私、ユヒトのこと好きなんだ!」
「ファッ!?」
「足を怪我してから普通に出来なくなっちゃってごめん、だけど、小学生の頃から私――

用意してきた言葉を全部言い終わらないうちに、私はユヒトに抱き締められた。ユヒトは中学卒業の頃には180近くなってて、今は186のはず。だから、170近い私でも、一応身長差が発生している。それもちょっと嬉しい。背が高いから好きなわけじゃないんだけど、私にとって、ユヒトは「かっこいい男の子」なんだよね、やっぱり。

きっともこんな気持ちだったんだろうなあ。いつかちゃんと話を聞いてみよう。私が知らないふたりのことを。

「ごめん、オレが言いたかった。緊張、したよな」
「へ、平気だよそんなの、てかその、いいの?」
「オレもずっと好きだったし、お互い様。アイドルみたいな男がいいんだと思ってたから」

言ってたな。まあその、そういうことを言ってはユヒトを困らせて、私は溜飲を下げていたんだろうと思う。順調にバスケやってるユヒトが羨ましかったから。というか私は父親の友人たちの顔がみんな怖くて、そういう環境で育ったから、女の子みたいな美少年は正直苦手。ユヒトの顔はどっちかっていうと、えーと、壁?

だけどそんなの関係ない。ぎゅってしてもらったこの感触、鼻をくすぐるユヒトの匂い、そういうのが好き。小さい頃からずっとすぐそばにあった大事なものだから。ユヒトの顔が近付いてきたから、私は少し爪先立って目を閉じた。実は私たちのキスはこれが初めてじゃない。9歳の時にノリで1度だけ。

……2度目にえらく時間、かかっちゃったな。8年か」
「3度目も8年後?」
「ううん、今」

やばいー! 私ユヒトとなんかいっぱいチューしてるよ!!! てかあれ? もしかして、私が腕時計型タイムマシンを500円で買った時に願ったことって、なんか全部叶ってない? タイムマシンが叶えてくれたわけじゃないけど、結果的にそんな風になってるんじゃないかな。

そっか、「いいこと」ね。なるほどね。これ、返しに行かなきゃな。

「あのさ、予選終わったら1日だけ時間くれない?」
「いいよ。テスト前なら時間あるし。勉強しないと監督怒るだろうけど」
「監督の高校時代の成績に比べたらそんなもの。ちょっと行きたいところあって、付き合ってくれないかな」

頷くユヒトは照れくさそうで、だけどちょっと嬉しそうで、私も嬉しい。最初はを連れて返しに行こうと思ってたけど、でも、彼女は今、「お母さん」だ。同い年のお友達じゃない。だから、ユヒトと行きたい。そしていつか、ユヒトにはこの冒険の全てを話したい。きっと信じてくれると思うから。