チェンジ・ザ・ワールド

03

六星へと向かう途中、大きな県立公園に差し掛かったので、私はそこでお弁当を食べることにした。小さい頃から何度も来たことのある公園で、よく知ってるし、平日ならあんまり人もいないと思った――んだけどとんでもなかった。おじいちゃんとおばあちゃんとお母さんと子供でいっぱいだった。

なんとか園内の端っこの日陰のベンチを確保できたので、そこでのお弁当とお茶でお昼にすることにした。薄暗いベンチは人気がないらしくて、その周辺はひと気がなかった。だもんで、お腹がペコペコだった私は、恥ずかしげもなく大口開けて中に入ってたおにぎりに早速食いついた。

腹ペコの私はすごい勢いでおにぎりモグモグやってたんだけど、遠目に小さい子供とお母さんが遊んでる姿を目にした途端、そのままボタボタと涙を流し出した。口の中おにぎりでいっぱいなのに、泣けてきてどうしようもなくて、吹き出さないようにするので精一杯だった。

この公園、小さい頃、お父さんとお母さんと何度も来たことがある。あの頃はお父さんもあんな風じゃなかった。一緒に遊んで、遊び倒して、眠くなった私をおんぶしてくれてた。私をおんぶしながらお母さんと手を繋いでて、子供がいるのにって照れてるお母さんの顔を、私は薄目開けて見てた。

なんでこんなことになっちゃったんだろう。なんであの頃のままでいられなかったんだろう。

それに、おかずは冷凍食品でも、17歳ののおにぎりは43歳のお母さんのおにぎりと同じ味がして、私はお弁当を食べてる間中フガフガ言いながら泣いてた。涙が口に入ってもそのまま食べた。26年後に帰りたい。私の生きてる時代に帰りたい。お父さんとお母さんがいる時代に帰りたい。

そうしたら私、今度こそちゃんとお父さんに自分の思ってること言うから。私がどう思ってるのか、どうしたいのか。そしたら、この公園で遊んだ頃みたいに戻れないだろうか。それでもお父さんは私を縛るんだろうか。それはちゃんと元の時代に戻って、自分の言葉と目で確かめたい。

お腹がいっぱいになったし、たくさん泣いてすっきりしたしで、私はまた気力が蘇ってきて、お茶を飲み干すと自転車に跨って勢い良く漕ぎ出した。との約束の時間までに六星のあたりを調べて来ねば!

馴染みのある店構えは真新しくピカピカで、私の知ってる煤だらけの六星じゃなかったけれど、だけど無事に着いた。すぐ横には26年後にはなくなってる薄暗い喫茶店があった。さっき見たようなバイクが停まってるし、たぶんここが溜まり場なんだろう。わかりやすい。

というか、六星周辺はそれほど変化がないようだった。知ってる店も多いし、たまに知らない店でもビル自体は同じとか、コンビニの種類が変わってるだけとか、そんな感じだった。これなら張り込むんでも追いかけるんでも困らなそうだ。

ちょっと安心した私はつい、その薄暗い喫茶店を覗きこんだ。店名が可笑しかったからだ。喫茶ホワイト。いやいや、ホワイト感ゼロだから! ついにやにやしながら窓の方をちらりと見た私は、その窓に映る自分と、その背後に怖い顔した男が立っているのを目にして固まった。な、何、何でこの人私の背後にいるの。

「入るの?」
「は、はい?」

怖くてガチガチになってた私は、後ろから聞こえてきた低い声に、何とか体を捻って答えた。虚ろな目と蒼白い肌、首が前に出てて、肩が落ちてて、口がだらりと開いてる。大量のピアスに、首のところにある青黒い染みは多分タトゥーだ。その上怪我をしているのか、片腕が包帯でグルグルになっている。怖い。

「入らねえの? じゃあ何の用?」
「いえその、私は――
「てかお前誰? どこ高?」
「え!? 高校!?」

これ、何なんだろう。ナンパじゃないだろうし、ボコられるほどのこともしてないはずだし、どこの高校の誰だって知ってどうすんのさ。ていうかあんたこそ誰よ。ホワイトの従業員て感じでもなさそうだし、寿の知り合い?

「こ、高校はちょっと、遠くて」
「鉄男の女?」
「てつお?」

一瞬誰だかわからなかったけど、そうだ、さっき寿と一緒にいたそこのバイクの主だ。やっぱり溜まり場の仲間か。納得した私は鉄男なんか知らないと言おうとしたんだけど、このトロルみたいな男に素早く腕を掴まれてしまって、ヒッと情けない悲鳴を上げた。何、何、何なの!

「あの、痛いから離し――
「おいボク、またやってんのかよ!」
「はい?」

また一瞬ぽかんとしてしまったけど、私はその声を聞いて飛び上がった。寿だ! いいところに!

「なんだよ、いいだろ、鉄男の女じゃないって言うし」
「鉄男の女じゃなかったら誰でもいいのかよ、見境ねーな」
「徳男いねーの」
「後から来るよ」

このトロルみたいなのはしょっちゅうこうやって女の子を捕まえてるんだろうか。迷惑な話だ。ところで腕が本当に痛いんだけど。喋ってないで助けろよクソ親父! というか途中まで寿は私なんか放置する気だったらしい。だけど、ちらりと私の顔を見た瞬間、寿の顔が変わって、「ボク」とかいう人の腕を叩き落としてくれた。

「また兄貴にボコボコにされたいのか」
「されねーよ、平気だよ」
「いいから先入ってろ。女が欲しいんなら、その締りのない口元どうにかしろ」

寿に追い立てられたトロルはホワイトの中に入っていった。タバコの臭いがむわっと漂ってきて、つい袖口で鼻を覆ってしまった。けど、とにかく助かった! やるじゃん親父!

「お前みたいなのが入るような店じゃねえぞ」
「わかってるよそんなこと。入ろうともしてない。ただ絡まれただけ」
「じゃあもう近付くな。今度は助けないからな」
「あれっ、助けてくれたの?」

これは私、この後すぐに後悔することになるんだけど、26年後のクソ親父っていう感覚が抜けなかったもんだから、つい挑発的な言い方をしてしまった。いつも何か言われては負けたくなくて言い返す、その習慣のまま喧嘩を売ったような言い方をした。そりゃ当然、寿は凶悪な顔に変貌する。

「助けない方がよかったんなら、この中にブチ込むぞ。ボクが歓迎してくれるぜ」
「そ、そうは言ってないでしょ。てかさっきの人の仲間なんじゃないの」
「だったらなんなんだ」
「いやその、助ける理由がないんじゃないの、と思って」

私の顔を見るまでは確かに、助けようという素振りもなかった。寿は顔をしかめたままちょっと首を傾げた。

……お前どこ小? 中学は?」
「この辺じゃないから」
「じゃあ幼稚園か?」
「それも遠いけど。てか何それ」
……知り合いじゃねえよな?」

まあ一方的に知り合いというのが正しい気はするけど、そんなこと言うわけにもいかない。だけどそっか、あんたもみたいに、わかるんだね。私が自分にとって無関係な存在じゃないって、感じてるんだね。

「たぶん。そっちは? 中学どこよ。名前は?」
「は? 武石、ってなんでそんなこと!」
「私、ミライ。よろしく!」

まだ影も形もない娘に警戒を解かされた寿は、私がビビったりしないもんだから、ちょっと狼狽えてる。その隙を突いて私は寿の手を取ってぶんぶん振り回した。

「な、何なんだよお前、離せ」
「見たところそんななりして荒れてるっぽいけど、本来的には快活な少年だったな?」
「ハァ!?」

また凶悪な顔になったけど、私は知っている。こいつは、いくらグレていても、女をひどい目に遭わせたことはないと将来ふんぞり返るようになるヤツなのだ。そんなのは当たり前だと私に突っ込まれて、また言い返して、お母さんにまあまあと宥められてやっと大人しくなるようなおっさんになるんだよ君は。

だから全ッ然怖くないんだよね、これが! 私は高笑いをしたい気分だった。

「助けてくれてありがとう。私しばらくこの辺ウロウロしてるから、今度は遊ぼうぜ!」
「何でだよ!」
「いいじゃん別に。グレてるくせにお堅いな。女の子連れてきてあげるから」
「いらねえし遊ばねえし、いい加減帰れよ」
「私がこの街のどこをどう歩こうが、それは私の自由だからね。てかあんたも遊んでないで帰りなよ」

昨日をナンパしてたヤンキーみたいな顔になってる。だけどそこは親子なんだろうか、寿は突っ張るのを諦めたようで、面倒くさそうな顔になると、私の肩をぐいっと押してホワイトから遠ざけた。

「お袋かお前は。わかったからもういいだろ、気を付けて帰れよ」
「おう、またね」
「はいはい、またな」

これは、本物の寿だ。私はそう思いながらホワイトの前を離れた。よく似た誰かなんじゃとか、そういうことじゃなくて、少し面倒くさそうに、だけど嫌々社交辞令を言ってるわけでもなくて、ちょっと上から目線であしらうような態度。これは本来の寿の姿だ。きっとグレた仲間には見せていない姿なんじゃないだろうか。

あくまでもお母さんに言わせれば、お父さんは「イケメン」なのだそうだ。娘の私には理解できないけれど、徳男のおっさんもそんな風に言うことがよくある。そしてその割に、女の子にはモテなかったという。そりゃグレてたからだろというツッコミを遠慮した私だったが、その代わりに同性には好かれたのだと聞く。

それは恋ではなくて、友達や先輩後輩にはとても慕われ可愛がられ、こうしてグレている時も更生してからも、仲の良い友達はたくさんいたらしい。面倒見がいいという人もいるし、兄貴肌なんだという人もいるけど、つまり今、寿が見せた一面はそれなのだ。

私が涙目の上目遣いでプルプル震えるような可憐な女の子じゃないので、つい男の子にするように私をあしらった、そんな感じがする。それに一応娘なので、邪険にする気にならなかったんだろう。ほら、これも私が消滅せずに済んでいる「可能性」だ。

寿はこんなにグレていても、彼の中には本来の寿が隠れていて、それがと出会い恋に落ち、やがて私が生まれることになる。その可能性はゼロじゃない。彼の中に本物の寿がいる限り、私は消えない。

薔薇の花びらがひとつ欠けた腕時計を見ると、15時を過ぎていた。きっとは心配しているだろう。私はまたふたりが出会える方法を考えながら、自転車を飛ばした。

「携帯、修理に出した方がいいって」
「あー、それはちょっと。心配かけたのは悪かったって」

30分も遅刻した私を待っていたのは、真っ青な顔しただった。罪悪感がハンパない。

「それより、お弁当おいしかったよ!」
「冷凍食品だってば」
「おにぎりおいしかった!」
「握っただけなのに」

それでも個性が出るんだよ。もしかしたら私が娘だから余計にそう感じるのかもしれないけどね。のおにぎりはおいしい、他の人のはなんとなくイマイチ。

「ねえねえ、って部活とかは?」
「1年生の時にちょっとやってたんだけど、続かなくなっちゃって」
「何やってたん」
「バスケ」
「は!?」

そんなの聞いたことないぞ! てか高校時代は帰宅部だったって言ってたじゃないか、娘に嘘ついたの!?

「え、そんな驚く?」
「いやごめん、イメージなかったから」
「まあそうだろうね、マネージャーだったから。しかも女バスの」
「それはまたレアな」

友達がバスケットをやっていて、楽しいからおいでよと言われたものの、は俊敏に動けるタイプじゃないので、マネージャーになったという。大して強くないのだそうだが、それでもキツくなってしまって辞めたのが1年の秋だったらしい。まあ、話すほどのことじゃなかったのかもしれないけど。

ていうか、細ーい糸ほどの繋がりだけど、ほんの少しだけ共通点があったじゃん。

そりゃ友達に誘われた女バスのマネージャーでも、一応バスケ部員だったわけでしょ。寿の方も途中おかしなことになってたけど、中高とバスケ部員、大学ももちろんバスケ、終いにゃプロにまでなった人だ。ま、それほど長いプロ生活じゃなかったけど、そういう「バスケットの人」なわけだ。

うーん、これ何とかならないもんかな? 今、寿の方はグレててバスケどころじゃないけど――

「ミライちゃんは何かやってないの部活とか」
「私も帰宅部だよー。てか『ミライ』でいいよ、タメなんだし」

私はさっさと話を逸らす。細かいプロファイルは突っ込んじゃいけません。てか私もその寿のせいで小さい頃バスケやってたけど、そんなこと言ったら色々説明しなきゃいけなくなるからダメ。、なぜか他人のような気がしない、その感覚だけで我慢してくれ!

それにしても、本来ならナンパされてたところを助けたっていう出会いをしたと寿、その場でフォーリンラブとは考えにくいし、一体なんで付き合うことになったんだっけ。いつ付き合うことになったんだっけ。確か寿が大学生やってる時は既に付き合ってたはずだ。

横浜の専門に通ってたとは時間がなかなか合わなくて、何度も破局の危機があったらしい――というのはこの間遊びに来てた大学時代のチームメイトとかいう人から聞いた。だから、高校生の間に付き合うことになったのは間違いない。徳男のおっさんの昔話もそんな風だった気がする。

だけど、あのロン毛ヤンキーの寿が突然更生したのは高3の時のはずだ。なんで更生したんだか忘れたけど、とにかく急にバスケ少年に戻った寿は高3の時にインターハイに出ている。インターハイ……

――思い出したァ!!!

あれ、これ誰に聞いたんだっけ。少なくともと寿ではないはずだ。徳男のおっさんでもない。私なんでこれ知ってるんだ!? ちらちらと誰かの影が頭の中を彷徨うけれど、とりあえず思い出した。

インターハイに出発する前に、寿がに告白したんだよ!

絶対優勝してくるから、そしたら付き合って欲しいって。お前それ死亡フラグじゃないかっていうのも言わないでおいてあげた優しい娘がこちらです。それはともかく、そういうこと言って結局優勝なんか出来なくて、合わせる顔がない寿は帰ってきてもに連絡を取らなかった。

だけどは寿が連絡くれるのを待ってたんだよね。つまりその頃は既に両思いで、更生バスケ少年が頑張ってるもんだから、が遠慮してたとかそういうことじゃないんだろうか。ともかく、しびれを切らしたが連絡を取り、付き合いだした――ということだったはずだ。

そうか、ふたりが「彼氏と彼女」になるのには、まだ相当時間がかかるんだ。だから本来の出会いがなくなってしまっても、私は消えずに済んでいるというわけか。

だからといって、のんびりはしていられない。本来なら既に知り合っているはずのふたりは、そこから長い時間をかけて両思いになったのかもしれない。私が邪魔したことで、その「両思いになるまでに必要な時間」がどんどん減っているのだ。

この際手段は選んでいられない。何しろ私の命がかかってる。

幸い明日は土曜日だ。、遊びに行くよ!

そして私はこの日の夜、が風呂に入っている隙に、しばらくぶりに携帯の電源を入れた。画像フォルダを開き、友達の写真をざっと見て、そしてお父さんとお母さんの写真を表示させた。高1の夏休みに旅行に行った時の写真だ。カフェのテラス席で携帯を向けられたふたりが手を繋いで寄り添っている。

なんだかものすごく久し振りに両親を見た気がする。というかこうして実際に目で確かめてみると、ふたりとも激変というほどでもない。大人の方のふたりをよく知ってるせいもあるけど、26年前の17歳のふたりはやはり顔が丸くて、頬のあたりが幼い感じがする。

この時代に帰りたい、消えたくないという思いを新たにした私は、携帯の中で微笑むふたりを見ながら、そしてバッグの中から漂う薔薇とラベンダーの香りに目を閉じ、祈った。どうかと寿が出会えますように。

誰に祈ってるのかよくわからないけど、まあそう、強いて言えば、運命に、てところかな。

中2かよとかそういうこと言わない。だって、もしこれが失敗したら、私は消滅してしまうんだろうし、そこで私の運命は潰える。それは嫌だ。本人に聞いたことなんかないけど、も寿も、私という娘を加えた3人家族を大事に思っているに決まってる。だけど失敗すればその運命も消える。それも嫌に決まってる!

だからそう、誰だかよくわからないけど、私とと、そして寿の運命を守って!