チェンジ・ザ・ワールド

11

とはいえ、あのトロル、白鬼母弟のボクがひとりでを連れ去るというのは少し無理があると思う。金髪やらピアスやらで何しろあいつは目立つし、頭の方は少々オカシイみたいだし、例えひとりで待つを見つけたのだとしても、それこそ寿の言うように慎重なたちのは着いて行かない。

じゃあなぜはサシェを落として待ち合わせの場所から消えた? もし無理矢理車に連れ込まれたとかだったら、絶対にサシェは落ちない。それはの意志でバッグから取り出され、意図的に落とされたはずだ。

私が「お守り」なんて言ったから……

自転車を漕ぎながら、私は頭をフル回転させる。つまりはやむなく待ち合わせの場所を離れたということだ。そして私と寿に「すっぽかしではない」ことと「自分の意志で待ち合わせ場所を離れたわけではない」ということを伝えるために、サシェを落とした。

さすがに真夏に全速力でチャリを漕いでいたら汗だくになる。ここで私が倒れたら何もかもが手遅れになる気がして、自販でスポドリ買って一気に流しこむ。そこで1回目のタイムスリップの時にからもらったお茶のボトルを思い出した。三井家の近くのなんちゃってコンビニの前でこうして飲んでた。

あれは白鬼母の工場の従業員をあてにして作られたなんちゃってコンビニの前だった。

ボク、未来のビッチとボク、寿に助けてもらった時もは拉致られそうになってた、寿が更生したのが気に食わなくて徳男のおっさんが制裁を受けた、それは白鬼母兄・ハデさん、ハデさんは喫茶店をヤンキーの溜まり場にさせてる、白鬼母は超金持ち一族、このあたりは白鬼母関係の工場や会社ばかり――

私の髪を夏の風がさらう。その中に私は一瞬だけ薔薇とラベンダーの匂いを嗅いだ気がした。

しつこいようだけど、これは私の「勘」だ。

けれどもう私は確信していた。理由はわからない。だけど、ボクが狙っているのは、そして、ハデさんが狙っているのは寿だ! 兄弟の利害は一致してる。だからボクだけで出来ないようなことが起こる。

一度寿が更生したあたりを見ておくべきだった。こんな事件が起きるくらいだから、おそらく、徳男のおっさんはこの世界では制裁を受けていないんじゃないだろうか? それを確かめておけばよかった。

だけど、過去をいじって徳男のおっさんが制裁を受けられるようにするのも嫌だ。こんなタイムマシンなんかあったって、過去は変えられない、勝手に変わってしまうだけで、私の手ひとつで変えられるほど世界なんて簡単なものじゃない、そんなことに囚われてる暇なんかない、を何としてでも助けたい、今すぐに!

考えろ考えろ考えろ! ボクはが欲しいだけだ。だけどハデさんとやらの方は違う、そっちは寿が気に入らないだけだ。だからボクに手を貸す、寿がムカつくから、寿が急に更生したのが面白くないから、それを、それを壊すために――――――は囮だ!

考えながら私は三井家の近くの白鬼母の工場群のあたりまでやって来ていた。何の工場かは知らないんだけど、大小の工場が町の一角を占拠している。大きなものはいつも人がいて活気があって、ちゃんと「生きてる」けど、端っこの方にあったりするのはちょっと違う。ひと気がなくて汚くて、工場というより「倉庫」だ。

巨大な白鬼母の工場を見上げた私は、深呼吸をして、また走り出した。工場というより「倉庫」、それを探せ! そして途中で公衆電話を見つけた私は躊躇なく受話器を取り上げ、財布の中から小銭を取り出して何枚も突っ込み、寿に電話をかけた。ほぼワンコールで出た寿の声も慌てていた。

「どうした、と連絡――
「寿、家に帰れ! それからバスケ部関係ない喧嘩できる友達集めろ!」
「ハァ!?」
「白鬼母だ、寿。あのホワイトの兄弟だよ、だから場所は白鬼母関係の場所だ!」

寿が息を呑むのがわかる。なんでそんなことを私が言い出したのかとか、色々気になってもいるだろう。だけどそこは私と同じ、そんなことに構っていられない。寿は低い声でわかったと言った。声がかすれていた。

「だけど、もうわかってるだろうけど、お前は絶対に手を出したらダメだからな!」
「そ、それは――
「何があってもキレたりするなよ、やっと本来の自分を取り戻したんだろ!」
「だけど――
「寿、大丈夫、私を信じろ!」

お父さんにそう言ってもらうと、本当に勇気が湧いてきて、なんでも出来る気がしたんだ。

「わかった、今からそっちに向かう。人集めるから、お前も絶対に無茶するなよ」
「頼むよ、腕の立つやつ集めておいてね!」

まあその、無茶をするなという点に対して返事をしなかったのはわざとじゃない。後でやっべと思ったけど、まあそこはそれ、私なのでそういうものだと思って頂けたら。

そして私はあまりに怪しい「倉庫」っぽい工場を見つけた。寿の家の目と鼻の先だった。

工場の敷地は、背が高くて鉄柵が刺さったブロック塀で囲まれていて、だけど入り口は何もなく、チェーンすらかかっていない。その敷地内にチャリが何台も転がっていた。しかも私が買ったようなママチャリじゃなくて、学生が使うようなスタイリッシュなタイプのものばかり。

それを見て私はまたピンと来た。まさかとは思うが、ボクがに目をつけたのは、と寿が知り合うよりもずっと前だったんじゃないだろうか。私がふたりの出会いを邪魔したと思っていたあの駅でのナンパ、寿が助けた時のナンパ、どちらもナンパというにはチャラさがなくて、とにかくをどこかに連れて行こうとした。

つまりあれは、ナンパじゃなかった。ボクやその兄に命令された無派閥の寿みたいなヤンキーが、を連れて行こうとしただけだったんじゃないだろうか。今思えば、弟の色情癖には兄が鉄拳制裁をする――というのも寿が言っただけだ。何か目的があれば弟にも協力するのかもしれないじゃないか。

敷地内にこそこそと忍び込んだ私は、入り口の辺りの植え込みにバッグを隠し、中から万が一の時に使えそうなものだけを取り出してポケットに突っ込み、建物に近付いていった。建物の入口は観音開きのドアになっていて、少し開いている。その中から若い男の声が聞こえてきてる。なんだか楽しそうだ。

外から中を覗き込めないかと思って周囲を探ってみたけど、採光窓は高すぎて届かないし、足場もないし、様子を窺う方法はなかった。私はやっと暮れてきた夏の空を見上げて静かに息を吐いた。

確かに私は危なっかしいんだろう。寿はそれを心配してると言ってくれた。だけど、もしこのことが原因でと寿の未来がまた変わってしまったら、私はいずれ消滅する運命にある。母親がビッチになってる未来も嫌だけど、それ以前の問題だ。消えてしまう。死ぬんじゃなくて、存在すらしなかったことになる。

その時、私の世界は消えるのだ。

はーやれやれ、こんなことになるなら告白でもしておくんだったかな。お父さんともちゃんと話して、自分がどうしたいのかとか、そういうことしっかり伝えておけばよかったな。まあもうそんなこと言っても遅いけど。どれだけ過去をいじれば元の世界に戻るのかなんて、私にはもうさっぱりだからね。

気合を入れなおした私は、さくさくと歩いて工場のドアに手をかけ、バーン! と開いた。

「すみませーん、こちらにうちのお邪魔してませんかあー」

工場内は妙に涼しくて、薄明るくて、事務机や壊れた棚、アーケードゲーム機、卓球台なんていうとりとめのないもので溢れていた。中にいたのは、予想通り、グレてた頃の寿みたいな高校生が6人くらい。そいつらが一斉に私の方を見た。そして、その奥には真っ青な顔をしているがいた。

「ミライ!!!」

はぶわっと泣き出して、だけど困ったような顔をして笑った。お母さん、もう大丈夫だからね!

「いやお前誰だ」
「だからそこの女の子の、えーっと、そう、身内!」
「それが何?」
「そろそろ帰る時間だから迎えに来た。君らもお家に帰りなよ」

乗り込んできたのがいたいけなJKひとりだもんで、を拉致ってきた現行犯と思しき彼らはのんびりしてる。まあそりゃ怖くないもんね、可憐なJKひとりくらい。身長170くらいあるけどか弱いJKひとりくらい、どうとでもなるよね。遺伝とスポーツの組み合わせは恐ろしいわ、ちっくしょう!

「余計なお世話だ。このねーちゃんは人に用があるんだよ」
「そんなもの、そっちにあってもこっちにはないから。さっさと解放しなよ」
「お前さ、手ぶらで単騎で乗り込んできて勝てると思うわけ?」
「まあそりゃ腕力じゃ無理だよね。それで勝負するっていうのはフェアじゃない。卑怯な話だ」

フェアじゃないとか卑怯とか、そういうワードに反応するタイプのヤンキーであってくれという願望込みのアイデアだった。果たして、不幸なラッキーガール・ミライちゃんには追い風が吹く。ふらふらと拳を揺らしていたふたりほどが、さっとそれを引っ込めた。

「よし、ただでとは言わない。まず私はちょっとばかりお金持ってる」
「金、ってお前な」
「現ナマで5枚だけど?」
「5万!?」

高校生には魅力的な数字のはずだ。もし白鬼母兄がこいつらを金で雇っていたのだとしても、金持ちほど金にはケチくさいのだからして、こんなに出さないという気もしていた。ヤンキーくんたちは食いつく。よーし、いい子だ。

「だけど私もこれをタダでくれてやるのは惜しいし、君らも勝負した方が後腐れなくていいだろ」
「いや別にしなくてもいいけど……
「なんだよ金の亡者か! そこは『いいだろう……』とか言うところだろうが!」

ヤンキーくんたちは私の逆ギレにへらへら笑ってる。、大丈夫、怖くないからな。

「だから、ここにあるゲームで一勝負しよう」
「いやなんでだ」
「もし私が勝ったらを返してもらいたい。プラス3万も付ける」
「えっ?」
「もし私が負けたら、5万だ。どう?」

どっちにしても金が手に入る。こんなところで女の子拉致ってるぐらいだから、頭はあんまりよろしくないだろう。ヤンキーくんたちは「確実に3万が手に入る」という結論だけで頭がいっぱいになってしまい、おお、いいんじゃねえの、とかなんとか言い出している。いいぞ、このままいってくれ。

私は本当に5万円をポケットから出してヒラヒラさせて見せて、嘘ではないことを示すと、工場の中のアーケードゲーム機を急いで物色した。こんなところに放置されている割には埃がついていない。しょっちゅう電源を入れて遊んでいるんだろう。庫内が涼しいのも、ちゃんと空調が生きているからだ。

それをこの高校生たちが維持・管理しているわけがない。もちろんここは白鬼母の工場群の中の一角。つまりあの白鬼母兄弟のテリトリー。隠れ家。遊び場。私の読みは間違ってないと思う。ということは、だ。遠からず弟が、もしかしたら兄貴の方もやって来る。寿も人集めて来るだろうけど、それまでにを取り返せたら――

……この勝負もらったァ――!!!

「ねえねえ、これはどうよ! なっつかし! ちっちゃい頃よくやったんだー」

ヤンキーくんたちは私がキャッキャしてるので、余計に緊張感がなくなってニヤニヤしだした。まあその、大盛りとはいきませんけども、こっちもブラトップ1枚のJKですしね。それがぴょんぴょん跳ねながらそんなこと言えば、警戒心は緩むに違いない。

そんな私に誘い出されたヤンキーくんたちがを置いてその場を離れる。白鬼母兄弟は愚かだな、こんな忠誠心のないバカを尖兵にするからこういうことになるんだ。私はそれに紛れての状況を確かめる。束縛はされていないらしい。ただ、靴が片方脱げているので、私はを見ながら爪先をトントンやり、靴をちゃんと履いておけというジェスチャーをして見せた。は微かに頷き、目だけで周囲を探る。

ヤンキーくんたちはいそいそとゲーム機を引っ張り出してくる。それを見ても目を丸くしている。

「入っても入らなくても12本、いいな」
「オッケー!」

ヤンキーくんたちはまたニヤニヤし始めた。腕力でもゲームでも、女に負けるわけはないと思っているんだろう。

だが、そこで私にとっては非常に想定外の事態が起こった。ガチャンと自転車の倒れる音がしたかと思ったら、ぜいぜい言ってる寿が飛び込んできてしまった。おおい、計画が台無しだよ! お前こそなんで単騎で突っ込んできてんだ! 仲間連れて来いって言ったろうが!!!

、ミラ――何やってんだお前ら」
「勝負」
「勝負!?」

ちらと見ればは靴を履いてバッグを斜めがけにして、準備万端整ってる。だけど私は寿に喧嘩をさせたくない。だから徳男のおっさんとかその周辺のを連れて来いって言ったのに!

「お前……三井か? ずいぶんとまあ」
「何がどうなってんだか知らねえけど、拉致とかよくやるなお前らも」
「そりゃお前の方だろ、ハデさんに楯突くとか、いい根性してるよな」

マズい、私は戦力にならないから、このままだと1対6、寿はまた怪我をする。そんなのはダメだ。せっかく本来の自分に戻ったのに、とも上手くいって、自分らしい生き方を出来るようになったのに。私は寿とヤンキーくんたちの間にずかずかと踏み込み、両手で双方を制した。

「まーまーまー! そうカッカしない、暑いんだから。てか寿、これから勝負なんだ、口出すなよ」
「何言って――
……寿、大丈夫、信じろ、私は負けないから」

寿がグッと顎を引いて黙ったので、私はその肩を押して遠ざけた。その時だ。寿に気を取られていたヤンキーくんたちを大きく迂回したが猛ダッシュで寿に飛びついた。当然ヤンキーくんたちは慌てる。何しろボクに差し出さなきゃならない大事な獲物だ。

私は素早くふたりの前に立ちはだかると、にっこりと笑って見せる。

「まあまあ、まずは勝負しようよ。私が負けたら寿を押さえて奪い返せばいいじゃん」

ヤンキーくんたちはそれもそうだ、という顔になる。いやあ、バカで助かった。ゲーム機の電源が入り、身を寄せ合って真っ青な顔をしていると寿にサムアップをしてみせた私は、ヤンキーくんたちが投げてよこしたボールを片手で受け取る。おお、久しぶりの感触。空気抜けてないじゃん。

ゲームは9フープス、バスケットのシューティングゲーム。

私を誰だと思ってんだバカめ、日本一のシューター・三井寿の娘だ!