チェンジ・ザ・ワールド

09

喧嘩の原因を聞いた私は、呆れてしまって、またストローを咥えたまんまプラプラさせてた。

の主観で語られてはいるけど、寿の方の事情も容易に想像がついた。先だっての日曜、は例の陽気なヤンキーのクラスメイトとこの街でばったり出くわした。は寒いので通学用のマフラーを探しに来てた。ヤンキーくんは彼女と友達と遊びに来てた。その子らと一緒にカラオケ行っちゃった。

ヤンキーくんの彼女も面白い人で、彼らの友達も普通の高校生で、はずいぶん楽しい思いをしたらしい。で、カラオケ出て喋ってたら、寿が通りかかっちゃった。つい駆け寄ったに、お前ああいうのと関わるなって言っただろ、確かミライにも言われてただろ! 寿はそう言っちゃった。

だけどにとってはクラスメイトとその彼女と友達。2時間歌って喋ってただけなのに、ていうか彼氏でもないのに何でそんなこと上から目線で言うの? とまあ、わかりやすい売り言葉に買い言葉で喧嘩になった。さらに、寿の顔見知りが通りかかり、痴話喧嘩かよ、そんなのよりオレにしなよ、と囃し立てた。

「いきなり殴りかかるんだもん」
「まあ、からかわれたと思ったんだろうし、実際からかわれたんだろうし」
「だからって殴ることないでしょ!? そんなことするなんて思わなかった」

普段から君の見えない所でバカスカ殴ってたと思いますけどね。で、また寿は怪我をした。喧嘩の途中だったけど、寿のことが心配になったはつい「何でこんなことしたの!?」と責め立てた。寿にしてみれば、からかってきた顔見知りを排除してやったのに、なんて言い草だと思ったんだろう。

「お、お前こそ彼女でもねえのにオレに指図するな! って」

まあそうなりますわな。で、そのままプイッと別れたというわけだ。

「帰ってから、なんでこんなことで寿くんと喧嘩しなきゃいけないんだろうって悲しくなっちゃって」

にしては、しれっと「寿くん」にクラスチェンジしてるんだもんなあ。確かめる術はないけど、きっと寿の方も「」とか呼んでるはずだ。ちなみに26年後のふたりは、私を交えて話していると「お父さん」「お母さん」と呼ぶけれど、私には関係ない話になると「」と「寿くん」である。結婚しても君付けの可愛いだろ。

「それ以来連絡取ってないの?」
「だって、私が謝るのもおかしいでしょ」
「謝らなきゃいいじゃん」
「何事もなかったみたいになんて出来ないよ」
「この間喧嘩しちゃったけど仲直りしようって言えば?」
「そ、それ、なんか付き合ってるみたいじゃん、別に私そんなつもりじゃ」

あるだろうが。寿の妨害で彼氏が出来ない立場の私はだんだん苛々してきた。しかし耐えねばならぬ。

、大丈夫だよ。喧嘩しちゃったかもしれないけど、もし本当に寿が友達なら、いつかまたちゃんと話せる日が来るから。時間がかかったって、が寿と、寿がと、冗談でなく真面目に、きちんと向き合おうって思えてたら、ちゃんと友達に戻れるよ」

友達って言ったけど、内容は恋愛上の問題そのものだ。はそれを茶化すでなく、大人しく話を聞いている。友達だと思ってるのは自分たちだけなんだろうなあ。徳男のおっさんは鈍いから、全然気付かなかったって言ってたけど、私は一応JKなもんで、すぐにわかる。

今のところ白鬼母兄弟の影も見えないし、徳男のおっさんの回想通りだし、私は少しだけ安心して、だけど私は何も手を出していないし、つまりこのまま行ってもあの「間違った未来」になってしまうわけだから、まだ油断できない。結婚して私が中1の時に離婚するまでは順調だったんだろうから、余計に。

「そうだ、いいものあげる! はいこれ、お守り!」
「えっ、これってあの時の……ダメだよ。大切にしてるんでしょ」

私が差し出したのは、恋愛によく効くっていう、あの薔薇とラベンダーのポプリ。私はこれをもらってからほんの数日なわけだけど、にとっては半年以上前の代物で、それがすぐにバッグから出てきたので、大事にしているものだと思ったんだろうな。

だけど、君の恋愛が成就しないことには、私の恋愛だって生まれようがないからね。まずはちゃんとが寿と恋愛を出来るように、このポプリに助けてもらわないと。

「たまに行くお店でタダで貰えるものだから、気にしなくていいよ」
「タダで!? へえーいいなあー」
「不思議なお姉さんのいる店でさ、そのお姉さんの手作り。恋愛によく効くんだって!」
「だ、だから私は!」
がいい恋愛、出来ますように。私も祈ってるからね」

私が真剣にそんなことを言うものだから、は黙ってしまった。私はサシェを掴むと、の手を取ってその手のひらの中に包ませた。、なんせ腕時計型タイムマシンなんてのが500円で売ってる店だからさ、きっとこのポプリも効くよ! 心の中でそう言いながら、時間も迫ってきたので締めさせて頂きます。

「またちょっと留守にするけど、私はいつでもの味方だからね!」

だからこれからまた半年後に飛びます。いよいよふたりが付き合い出した頃に行こうと思う。寿が更生してから付き合い出すまでは、寿がバスケで忙しくて殆ど会ってなかったって言うし、徳男のおっさんが制裁を受けて以降は白鬼母兄弟と接触はなかったって話だ。

だけど私は例の「ハデさん」とやらをまだ疑っている。だから行くのだ、今度は夏真っ盛りの8月に!

「あっつ!!!」

2月からいきなり8月だもんな……。ダウンは脱いでたけど、2月に半袖になるのも辛かったから、私は長袖のパーカーを着てた。汗が吹き出す。慌てて近くのコンビニに駆け込んでTシャツに着替えた私は、またファストファッション店に急行。すぐに洗濯できなくてもいいようにトップスだけ何枚か買い足して、漫喫に向かった。

夏休みだし、すぐにと会ってもいいんだけど、疲れた。2月の時点で駅近くの生涯学習センターの駐輪場に置いてきた自転車も取りに行かなきゃいけないけど、もうそんな気力もない。今日はもう私服なので何の問題もないし、ナイトパックで漫喫に入った私はご飯食べてシャワー借りると、21時頃にコテッと寝てしまった。

疲れて早寝しちゃったせいか、目が覚めると6時だった。こんな時間に起きたの久しぶりだ。コンビニパンで朝ごはんしながら、私はフリーメールをチェックする。そこにはまた新しいメールが2通。どちらもからだ。

1通目。寿が突然更生してバスケ部に戻ったことを報告してる。嬉しそうだ。バスケ部に戻ってすぐ、バッサリ髪を切った寿に遭遇したらしい。喧嘩した時のことを寿の方から謝ってくれたと書かれている。ほーら、寿の中の寿はちゃんと生きてた。こういうところ、カッコつけも含めて「男がすべきだ!」ってとこあるからね、あの人。

そして2通目、ほんの十数日前。寿に告白されたと報告してる。インターハイに行くっていうから、差し入れしたくて時間を作ってもらったは、例の死亡フラグ告白を受けたというわけだ。テンションあがってるんだろうか、誤字脱字に、文章もところどころ意味が繋がってない。

だけど、自分もずっと寿が好きだったこと、バスケ部に戻ってから大活躍の寿とは、ヤンキーだった頃よりも距離が出来た気がして、絶対に付き合ってなんかもらえないと思っていたから嬉しいと綴られている。

また私はボロボロ泣いた。が幸せで、こんな嬉しそうにメール書いてて、それが安心しちゃって、私もものすっごく幸せで、泣かずにいられなかった。

インターハイ帰ってきたら返事をするつもり、答えは当然OK。そして、ミライにも会いたい、あのポプリ超効いたし、実際に会ってありがとうって言いたい、今度は自分がミライの力になりたい、と締めくくられていた。

今回はさっき調べておいた今年のインターハイの開催日程を考えて、しゅぽん! してきた。だから、私の見立てが間違いじゃなかったら寿はとっくに帰ってきてる。で、優勝できなかったんで、に合わせる顔がなくて唸ってる頃だ。なので、今日は寿を呼び出します。

えーと、これだけはマジ悪いことしたと反省してるので見逃して下さい。の携帯から寿の連絡先抜き取りました。だからたぶん本人もびっくりするだろうけど、私の一生をかけた大問題なので見なかったことにして下さい。さて、メールしよう。よう、寿、負けたんだって!? ……と。

いくら更生したって言っても、寿は元から短気だし、冗談も通じないし、つまりそんなメールを唐突に送りつけたので、すんごい怒られた。だけどすぐに漫喫の近くまで出てきてくれて、前に飯奢ってもらったから、なんつって、かき氷奢ってくれた。髪が短くなって、私のよく知る寿に似てきた。

「てか何で負けて帰ってきたこと知ってんだ」
「そんなもん調べりゃすぐわかるでしょうよ。だけどすごかったらしいじゃん」
「まーな。オレが戻ってきたんだから当たり前だろ」
「号泣しながら体育館でへたり込んだだけのことはあるね」
「何でそれ知ってんだよ!!!!!!」

寿はまた真っ赤。甘いな、こちとらあんたにバスケ仕込まれた娘なんだよ。

……に連絡したの?」
……してない」
「優勝できなかったから?」
「まあな」
、待ってるよ」

もうそれは間違いじゃない。そしていずれにしても、ふたりは手を取り合う運命にある。

「そんなのわかんねえだろ」
「わかってるよ」
「はあ? あいつがそう言ったのかよ」

まあ言ったに等しいけど、それをベラベラ喋るのは野暮ってものでしょ。

「そういうわけじゃないけど、じゃあ寿はさ、が『優勝してくるって言ったのに、嘘つき』とかそんなこと言うような女の子だと思ってるの? の何を見てきたんだよ」

かき氷かきこんで頭にキーンと来ながらそんなこと言っても締まらないけど、寿はアイスコーヒー啜りながら面白くなさそうな顔をした。もちろんのことをそんな風に思ってなんかいない。いざとなったらビビっちゃっただけなのは、自分が一番よくわかってるだろうからね。

……ってさ、可愛いじゃん。おにぎりおいしいし」
「おにぎり?」
「ボンヤリしてるように見えて、いつも周りの人のこと気にかけてて、いつもニコニコしてて」

また寿はそっぽを向いて俯く。今そういうが好きなんだって、改めて思っただろ。

……バスケ部に戻った後に、駅で会ったんだ」

聞いてもいないのに寿はそんなことを話し出した。ここで私のいつもの悪い癖でからかったりすると、寿はもう二度とこんな話をしないだろう。うずうずしてしまう頬をグッと引き締め、私は努めてさりげなく相槌を打つ。

「久しぶりだったから、つい肩掴んじまって……髪が短くなったから気付かなかったらしくて。だけどあいつの顔見たら無性に謝らなきゃいけないような気がして、いきなり頭下げてまたビビらせて。どうしたんだっていうから、すげえざっくりとバスケ部に戻ったって話をしたんだ。そしたらあいつ、泣き出して」

嬉しかったんだろうなあ、

「だけどそれってさあ、寿が髪切ってバスケ部戻ったから、じゃなかったよね」
…………それは後でオレも気付いた」
「きっと迷いが消えて楽しそうな顔してる寿を見て嬉しくなったんだよ」

はヤンキーの寿だってよかったんだ。そんなことにこだわっていたわけじゃなかった。だけど、今私の目の前にいる寿は、長い髪で顔を隠していた頃とは別人のように落ち着いた顔をしている。もう不貞腐れてなんかいなくて、ちゃんと顔を上げて自分の世界を見ている。それが嬉しかったに違いない。

「その時に、それまではひとりでへそ曲げてひとりで苦しんでたって思ってたけど、こいつにまで心配かけてたのかと思って、ものすごく後悔したんだ。しかもその後、こっそり予選見に来てたらしくて、試合のたびによかったねとか残念だったねとか体大丈夫とか、連絡くれて」

寿はうっすらと口元に微笑みを浮かべて遠い目をした。寿、25年後のも同じだよ。

「だからインターハイ行く前に勢いで、つい」
「勢い!?」
「いや嘘ついてるとかそういうんじゃねえぞ。何も考えてなかった、ってことだ」

だったらいいじゃん別に。本音、ってことじゃん。

「だけど、負けて帰ってきて、なんとなく、オレみたいなのじゃなくてもなあとか、思って」
「自信なくなっちゃったのか」

この人は自信満々に見えて自虐癖があるから、いざとなるとこういう風にポッキリ折れたりする。

「それこそがそう言ったわけでもないのに、気が早くない?」
「そりゃまあ、そうなんだけど」
がなんて言うか、確かめてからでいいのに。振られるの怖い?」

誓ってこの時の私はからかってやろうという気はなかった。でも、寿にはそう聞こえるかもしれないし、言ってからしまったと思ったけど、もう遅い。かき氷のせいもあって、サッと体が冷たくなった。だけど――

……そうだな、怖い」
「えっ?」
「言わなきゃよかった。友達のままでよかった」

振られてを失うくらいなら。もちろんそんなこと言わないけど、そういう顔をしてた。というかこんなに凹んでしおれてるところ初めて見たよ。17歳の娘にひどい干渉をしてくるクソ親父だったはずなのに、なんだか可哀想な気がしてきた。

うーん、困った。振られるなんてことは今のところ100パーないんだけど、それは私が言うべきことじゃないからなあ。慰めてやりたいけど、結局のところ、からの連絡を待つか、寿の方から会いたいって連絡するしかない。いくら一般論でああだこうだと言ってみても、自信なんか戻らない。

……これから会うのか」
「えっ? ああね。いや別に。まだ連絡してないし」
「てかお前何者なんだよ、顔出す時はいつもあいつの家に転がり込んでるだろ」
「知りたければ教えてもいいけど、命の保証はしないぞ」
「闇の組織かよ」

ふん、と鼻を鳴らして寿は笑った。父親としてのこの人の笑顔は慣れたものだけど、17歳……いやもう18歳か。18歳の寿の笑顔はたぶん初めて見たんじゃないだろうか。そう思うと、とはよく話すから色んなことをわかっていると思うけど、寿――お父さんのことはよく知らないような気がしてきた。

「寿は今休み?」
「一応な。盆休みで体育館使えねーし、家も誰もいねーし、暇」
「だったら休みの間に連絡取った方がいいんじゃないの」
「わかってるんだけど……

とはいえ、本来ならこうして踏ん切りがつかなくなってる寿のところにから連絡があるんだから、まあいいか。もう少し話を聞いてみたいと思ってたけど、かき氷なくなっちゃったし。また漫喫に戻るしかない私が荷物をガサゴソやり始めると、寿がしかめっ面になっていく。何よ。

「お前まさか家出か?」
「ていうわけでもないんだけど、まあ、そうだね、今日は漫喫かな」
「はあ!? お前こそちゃんと連絡取って泊めてもらえよ!」

なんだか懐かしいなこのテンション。43歳の父親よりは優しいけど、ほとんどお父さんだ。

「それは追々ね」
「いや追々じゃなくて! 女が何あぶねーこと言ってんだよ!」
「じゃあ泊めてよ」
「バカかお前!!!」

ふざけて言ってみただけだけど、それ、いいかもしれない。もう少し話を聞きたかったんだよね。

「親いないんじゃないの」
「あのな、いないからとかいう問題かよ」
「だけどさ、私になんかしたいと思うわけ?」

それが常識的な判断という理屈だけでカリカリしていた寿は、私の言葉に穴を開けられた風船みたいにしぼんで落ち着いた。100パーねえわ、って顔してる。そりゃあそうでしょうとも、娘なんだから。

「どうも妙なんだよな……小学生の従妹がいるんだけど、そいつみたいな感じ」
「おお、わかるわそれ。なんかお父さんみたいな感じ」
「何でだ!!!」

事実だ!!!

しかしそういうことだ。こんなに出自不明で正体不明で、それが泊まらせろとか言い出したのに、寿はまあいいかという気になっている。もそうだったな。まだ存在しないとはいえ、なにかこう、私たち3人にしかない繋がりみたいなものがきっとあるんだろう。

それでも、明るい内に連れて帰るのは嫌だと言うから、私は少し移動して総合アミューズメント施設に寿を連れて行った。お盆だし、私は身分証もないからちょっと高くつくけど、まあいい。インドアのコートがあるから、それを奢ってやろうと思ったわけだ。それに、すごかったとは聞くけど、高校生の寿のプレイなんて見たことないしね。

自分で出すと言い張っていた寿だったが、強引にコートに押し込むとすぐに顔が変わった。ボール拾いをしてやり、私が散々父親に言われてきたことを横から口出ししてやった。将来自分で言い出すことなので、的外れでもなかったらしい。きょとんとした顔してたけど、素直に聞いていた。

そうやって散々遊んだ後、またニケツの私はいつかこっそり偵察に来た三井家にやってきた。

途中通り過ぎた白鬼母の巨大な工場が、やけに恐ろしかった。