ビー・ア・ヒーロー

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突如舞い降りた全国大会に、選手として抜擢された3名だけでなく翔陽のバスケット部全体が沸いた。代表だけでも構わない、本来ならインターハイで発揮されるはずだった翔陽の底力を見せてきてほしい。

……という部員たちの願いも背負って国体に参加した健司だったが、今年の神奈川は特に曲者揃いで、中には当然翔陽を打ち破ってインターハイに出場した選手も多く含まれており、「神奈川代表」というひとつのチームにまとまるのは困難を極めた。

そのせいで9月の後半はほとんど記憶がない。国体が終わったらすぐに中間なので、試合が終わったらすぐに睡眠時間を削ってでも勉強時間を捻出しなければならないほど9月後半の記憶がない。

だというのにチームはまったくまとまらず、一応本年度の主将経験者ということでリーダー班に突っ込まれるし、そのサポートをやって来たはずの花形は手伝いもせずに代表選手たちと情報交換しているし、健司はまたストレスで疲れてきた。どこ。

それでも良く言えば本番に強い神奈川代表、一部の堅物を除いて士気は高く、練習でのまとまりのなさは一体何だったのかというほど順調にトーナメントを勝ち抜いていった。そしてとうとうベスト4まで勝ち上がった。この試合に勝てば決勝に進める。国体では3位決定戦は行われないので、明確な順位として成績を残すには勝たねばならない。

が、勢いと個々のポテンシャルだけで突っ走ってきた神奈川代表はここで沈んだ。何しろチームワークとか相手を信頼とかいう団体競技に必須な要素が非常に弱い。しかも急拵えの選抜チーム。

悔しさは当然あったけれど、それが少し落ち着くと「まあしょうがねえかこれは……」という気になり始める者も多かった。自分たちのチームならともかく、選抜校の監督ふたりが好き放題選んだドリームチームだし、言うこと聞かねえやつらばっかりだし……

なので準決勝で敗退したものの、健司を始め翔陽からの参加者はそれほど落ち込んでもおらず、もう冬にしか残されていないと思っていた全国大会に出場出来ただけでも良かったのではないか、冬の大会への肩慣らしになったのでは――と前向きな気持ちになっていた。

そしてこの国体で共闘した選手たちとはまた冬の大会の予選で戦わねばならない。今日の仲間は明日の対戦相手だ。お互い健闘は称えるが、それも今日まで。首を洗って待ってろ、お前もな、なんていう雰囲気の中、神奈川代表チームは会場の外で移動のバスを待っていた。

カラリと晴れた良い天気の土曜だったので、試合を観戦しにきた選手の家族は多く、健司の両親も顔を出してくれた。あるいは部員たち、親しい友人たち、特に翔陽の場合は冬の予選を突破しない限り週末に行われる試合は最後かもしれないので、多くの生徒が観戦に来ていた。

ということは、健司のような見栄えのする選手を取り囲むチャンスでもある。健司はもちろん、神奈川代表とその対戦相手も一瞬で大勢の女子に囲まれてしまった。特定の相手がいないならそれは困ることでもないし、取り囲まれない選手に僻まれるなどの弊害はあるにせよ、基本的にはみんな喜ぶ。

が、健司は例外。元々そういう扱いは苦手なタイプだし、未だへの思いを振り切れない状態では素直に喜べない。健司がそういう態度なので巻き添えを食らっている花形は不愉快そうだが、健司は無視。オレは試合しに来てんだよ。女子にモテたくてバスケやってるわけじゃないし。

するとそんな健司の背中に聞き覚えのある「健司〜」という声が聞こえてきた。

一瞬空耳かと思った健司だったが、慌てて振り返ると懐かしのヘラヘラ笑顔が手を降っていた。

「平八!!!」
「平八?」

急に大きな声を出した健司に花形はポカンとしていたが、声の主を確かめると、「あー」と納得の声を上げた。柔和な笑顔の主ではあるが、それはもう健司に似ている。全身無印っぽいファッションだし、そこはかとなく漂うマイルドヤンキー臭はあるけれど、これは一発で親戚と分かるな……と花形は頷いている。駆け寄る平八に健司はハイタッチ、気付けば一ヶ月半ぶりの再会である。

「おま、来るなら連絡しろよ。まさか伯父さんと叔従母さんもいるのか?」
「来てたけどもう帰った。つーかお前んとこの従伯父さん叔母さんと飯食って帰るらしい」
「え、お前は行かなくていいの。オレ一緒には……
「オレだけ親たちの中に放り込まれてもつまんないし。てかまだ少し時間あるよな?」
「あー、まあまだ大丈夫だと思うけど」

ちらりと背後を振り返ると、まだまだ会場の外は大盛り上がりだし、実はミーティングがあるので代表チームは一旦横浜に行かねばならない。もし今日勝利したら海南大学附属に直行で翌日の対策を取ることになっていたが、それが飛んだのでミーティングののち解散となった。なので多少の余裕はある。

「ていうか惜しかったな、あとちょっとだったのに」
「まあな……こっちはこっちで色々大変なんだよ」
「でも本当にお前がすごい選手だって、生で見られてよかったよ。だから、オレからプレゼント」
「プレゼント?」

つい平八の手元を覗き込んだ健司だったが、そこには無印ファッションには最悪の組み合わせと思われるドクロ柄のケースに入ったスマホだけ。顔を上げると、普段のヘラヘラではない、やけにきれいな笑顔の平八が体を避けて手を差し出していた。

「一番欲しかったものだろ」

平八の手が示す先に、ジャスティス7がいた。

翔陽の生徒はもちろん、神奈川代表チームをよく知るファンにとって健司はトップクラスのスター選手だった。県内でも屈指の卓越したプレイだけでなく、彼が高校3年間の間に見せてきた才能、大きな結果が伴わなかったことも結果としてはそのスター性を高める役割を果たしていたし、だけでなくその端正なルックスからも人気は高かった。

その健司が脇目もふらずに駆け出し、おおよそ彼のプロフィールからは想像しにくい集団に飛びついたことは、かなりの人目を引いた。金髪のツーブロックにゴスパンクに猫背の不審者って、翔陽の藤真ってああいうのと仲いいんだ、ちょっと引く……という囁き声がざわめきの中に揺れる。

そして無造作に抱きついていた集団がふたつに割れ、その間から女の子が現れると、神奈川高校バスケット界のアイドルである藤真健司は何の躊躇もなく彼女を抱き締めた。あちこちから悲鳴が上がる。

「ごめ、ごめん、私がダメだって言ったのに、無理だった」
「知ってる。オレも無理だった。全然大丈夫じゃなかった」
「健司がすごい選手だって実際に見てやっぱりダメって思ったけど、みんなが、行こうって」

ふたりの傍らでは菊千代が「何見てんだ」と野次馬を威嚇し、七郎次がしっしっと手で追い払っている。平八は引いてる女子たちに手を振ってみてはキャーキャー言われているし、リンは「チューしちゃえばいいのに」と言ってみちるにどつかれている。「オレ帰っていいか」と不貞腐れる伊織を勘兵衛と千秋が捕まえている。

そんな中で健司は顔を上げ、今にも涙がこぼれそうなの目尻に指を滑らせた。

「まだのこと好きでいていいの?」
……だって、私もまだ好きだから、健司のこと好きだから」

頷きながらそう言うをまた抱き締める健司、それを次々に抱き締めていくジャスティス7、その腕の中に守られてふたりはそっとキスをした。そしてリンの「ほんとにやるか」というツッコミに笑っていると、上の方から「七人の侍に空きはないの?」という声が聞こえてきた。

自分は一般的には高身長という認識でいる平八と勘兵衛は突然現れた197センチを呆然と見上げ、それを見ていたみちるが吹き出す。健司はを片腕に抱きながら花形を指し、「オレの相棒」と言った。直後に花形が「……と藤真は思い込んでいる」と言ったのでみちるがまた吹き出し、全員つられて声を上げて笑った。伊織ですらも唇を歪めていた。

「うちの藤真がお世話になりました」
「お前はオレの親か」
「彼女さん、こいつに飽きたらいつでも連絡ください」
「おい」
「身長は藤真プラス20センチ、偏差値もプラス20は固いです」
「いやちょ、そんなに低くない!」

花形のいつものいじりネタに突っ込みつつ、片腕に抱いたの暖かさを感じながら健司は思った。

確かにこれはオレが一番欲しかったもの。翔陽も、ジャスティス7も、そしても全てオレにとっては必要なものだ。高校はいつか卒業するし、ジャスティス7もも永遠ではないかもしれない。けれど今は、まだそれが許される間だけでも手放したくない。

それら全てひっくるめて、自分自身だから。

その後のことを少し。

ジャスティス7はチームのモラルを担う3年生世代が受験から進学で離脱してしまうと活動が立ち行かなくなり、かといって新規にメンバーを勧誘する気にもならず、どれだけわがままを振りかざしてもちゃんとまとめてくれると勘兵衛を失った伊織は急激にヒーローごっこへの興味をなくした。

なので彼は惰性で通っていた高校を唐突に退学すると、高卒認定試験を受け、それが通ると海外の大学へ進学してしまった。当然ジャスティス7のメンバーには何の相談もなく事後報告。

しかしその時既に伊織たち2年生世代は3年生に進級しており、リンとみちるは受験生になっていた。なのでジャスティス7はあっけなく空中分解、伊織がいないのでたまり場になるガレージもなく、あとには家業に就職の菊千代とまだ2年生の七海兄妹が残された。

菊千代と七郎次ならあるいはふたりだけでもヒーローごっこが出来たかもしれないが、しばらくすると菊千代に彼女が出来て、それが決定打となってチームは消滅した。

とは言っても、地元を離れたのは遠方の大学に進学した勘兵衛と海外に行ってしまった伊織だけなので、それぞれ自宅は変わらず、会おうと思えばいつでも会えたのだが、生活環境の違いがやがて全員を疎遠にし、毎日のように集まっていた日々は遠いものになっていった。

その中で頭を抱えたのは例のスレッドの存在を知る街の人々だった。ヒーローいなくなっちゃった。

というのも、伊織は出立の直前にスレッドに「本人だと書いても証明するものがないが、とにかくチームはそれぞれの事情があって活動が継続出来なくなる」という書き込みを残していった。しばらくその書き込みの真偽を疑うやり取りが続いていたけれど、数ヶ月経つと本当にヒーローが消えたとスレッドがざわつき始めた。何をどう助けを求めても一切反応がない。

その後かなり長い間、「突然消えるなんて無責任だ」「今困ってるのに、助けてもらえた人はずるい」「ヒーローがいると思ってたのに、オワタ」などという批判的な意見と、「彼らに一生この街を救い続ける義務はない」「もう充分やってくれた」「ヒーローはいなくて当たり前、自分でなんとかしろ」という擁護派の意見でふたつに割れていた。

しかしスレッドを無駄に消費して揉めていても新たなヒーローが現れるわけでなし、やがて言い争いは鎮火していったが、その終わり際に「なあ、だったら自分たちで助け合えばいいんじゃないのか。あのヒーローたちは大きな事件にも関わってたけど、普段は誰にでも出来るようなことをやってただろ。徘徊おじいちゃん見つけたり、酔っ払いに絡まれてる人助けたり、そういうの、自分たちでやっていけばいいんじゃないのか。そしたらヒーローいなくならないよ」という書き込みが現れた。

だが、その書き込みに反応はなく、以後ヒーローについて語られることは二度となかった。

「また見てるの、そんなの」
……これで最後。もう見ないよ」

後ろから抱きついてきたに寄りかかりながら、健司はスレッドのブックマークを削除した。

は自宅から通学の学生となり、健司は自宅よりの家の方が近いような街でひとり暮らしで学生になった。も入り浸っているが、平八も入り浸りまくっている。花形も入り浸りまくっている。基本以外は追い出したい健司だが、が甘やかすのでなかなか出ていかない。

高校時代、監督としてベンチにいる健司と、選手としてコートにいる健司はまるで別人のようだと評されることがあった。けれどと付き合い始め、高校最後の大会でも予選で敗退したのち、進学してからはそのふたつの側面が緩やかに混ざり合ってきたようだ、と言われるようになってきた。

現在健司が所属しているチームは競技の成績だけに固執せず、競技を通して未来の社会を担えるような人間を育成するという目標を掲げており、ルール無用の学生縦社会ノリには大変厳しく、なおかつ社会奉仕活動に熱心であった。キャンパスがある地域の清掃やら、地域の子供たちとの交流やら、練習と勉強で決して暇ではなかったが、とにかく毎週のようにボランティア活動が入ってくる。

そうした活動を知らずにこの大学を選んだ部員も多く、特に1年生には大変不評。自分の新生活だけでも慣れなくて大変なのに、なんでボランティアなんかやらなきゃならないんだよ。海外でプレイしてる選手が礼儀正しいからって同じことする必要なくね? マジ迷惑。

……という中でひとり全く疑問を感じずに活動に参加しているので、一時期健司は偽善者と陰口を叩かれていた。が、プレイヤーとしての技量が健司に及ぶわけでもないので、それは徐々に聞こえなくなってきたし、オレはバスケしに来てんだよ掃除しに来てんじゃないんだよ、と辞めてしまう者も出始めた。健司は何もいい子になりたくてやっているわけではないので、雑音は聞き流している。

伊織の強引な理屈を正しいとは思わないが、それでも彼が組織したジャスティス7は実際に街のヒーローだった。それが消えて住民たちが困るくらいにはしっかりヒーローをやっていた。その行動に移したという点だけは見習わねばと思った。なのでチームとしての活動には意義も感じているし、高校時代よりもさらに結果を出さねば次に繋がらないステージにいるので、自分を鍛え上げられる機会は余すことなく顔を突っ込むことにしている。何ひとつ無駄にはしない。

はそんな健司を誇りに思い、大事に愛してくれている。平八や花形が鬱陶しそうな顔をするくらいには、順調。というか鬱陶しい顔をするくらいなら来るな。

健司はの胸元に頬を擦り寄せて携帯を放り出す。

「ヒーロー不在問題がようやく鎮火したみたいだから、もう用もないし」
「このスレッドに書き込んでも反応がないだけで、きっとみんなヒーローだからね、今も」
「平八……ヒーローかなあ……
「うん、平八と伊織以外の全員ね」
「七郎次もかなあ……
「どんどん減る〜」

笑いながらは健司をぎゅっと抱き締め、額にキスを落とす。

「健司も、ヒーローだよ。ずっと私のヒーロー」

どこにいてもどんな時でも、人は誰でもヒーローになれるはずだ。それは選択、どんな自分でいるのかを選ぶということ。あの夏の記憶がある限り、ヒーローに値しない選択はしない。真っ黒でドロドロしたもので心を覆い、暗闇に飲まれそうになるのも二度とご免だ。

健司は顔を上げ、いつでも心を救ってくれるヒーローを見上げて、その頬に触れる。

もだよ。オレの一番のヒーロー」

とふたり、いつでも少しの「明日やりたいこと」を大事に。

そのくらいの元気があればいいんじゃないかな。

END