ビー・ア・ヒーロー

13

救出班と追跡班は、それぞれ決断を迫られていた。

被害者を一刻も早く土屋家から移動させないと、犯人グループが帰宅してきてしまう。信瀬家をたまり場にしているらしいグループは日中深夜の別なく出入りがあり、いつ鉢合わせるとも限らないし、玄関先が死角になるのは防犯カメラだけなのであって、被害者の移送は家を出るだけでリスクだった。

しかも自転車で逃走しようにも、予定の逃走ルートを行けば犯人グループに鉢合わせる可能性が高く、逆の方向に走り出すと信瀬家の防犯カメラに映ってしまう。

一方の追跡班は犯人グループを素早く発見出来たので、なんならやはり七郎次を救出班に向かわせてもいいのではと話していた。祭会場をうろつく犯人グループは楽しそうだったし、これなら充分時間が稼げる――と思っていたのだが、犯人グループはナンパに3回失敗した。

というか浴衣やサマードレスで楽しんでいる女の子たちから見れば、犯人グループは異様な雰囲気の怖い大人でしかなかったし、誘い方もスマートではなかったし、全員が酒を飲んでいて、しかも顔を確認するために近付いた平八によれば、妙な異臭がしたらしい。成功するわけがない。

なので犯人グループはいくつか屋台で飲み食いをすると、道路に唾を吐きながら、帰ろうとし始めた。伊織の報告ではまだ救出が始まっていない。犯人グループは確かうち何人かが原付だったから、このまま帰られてしまっては作戦が全て中止になってしまう。

珍しく勘兵衛も焦った。七郎次は先回りして待ち伏せし、そこでバトルを仕掛けて足止めすればいいのにと真顔で言ったが、もちろんそんなわけにもいかない。5対5で頭数は同じだが、向こうは武器を所持している可能性が高いし、言わば指揮官である勘兵衛にとってジャスティス7の活動は全て正義のためなので、こちらから暴力を仕掛けるのはあってはならないことだった。

けれど犯人グループを足止め出来なければ、この唯一のチャンスを棒に振るし、救出班を危険に晒すかもしれない。リンの汗が止まらない。

そんな状態の中、グループ通話でどうするどうすると呻いていると、土屋家でワッと声が上がった。みちるがいきなり服を脱いだらしい。千秋の「オレ見てないからな!」という声がひび割れる。

救出班の作戦は、みちるの服を被害者に着せて、防犯カメラに映る方向に逃げる、というもの。

それなら別にみちるの服を着せなくても、土屋さんに服を借りて全員で脱出すればいいじゃないか――と当然追跡班は考えたが、既にその方向で動き始めたはいつになく厳しい声を出した。いわく、土屋さんは超小柄で身長が150センチに満たない。対する被害者はガリガリに痩せているが、身長が168センチはあるという。土屋母子のものだと、一切の服、一切の靴が入らない。

誰かの自転車の後ろに乗せて脱出したいが、背を向けて防犯カメラの前を通り過ぎたのだとしても、土屋さんの服では体の線をくっきりと出して異常な痩身を晒すことになり、そうでなければあとは冬物のコートくらいしか手がなく、防犯カメラに映ってしまう以上は不自然な行動しか取れなくなってしまう。その時にリスクを負うのは自転車で彼女を運ぶ役割の救出班だ。

の服なら着られたかもしれないのだが、こちらも異様な痩身を隠せなかった。その点今日のみちるは何段階にもレイヤーが入ったロンTにスカートが付いたボンテージパンツで、しかもベルトアクセサリーをたくさんつけていた。これなら体型を隠せるし、ファッションを装って被害者を固定出来る。しかしどうしても靴が入らなかったので、土屋父のサンダルを履かされた被害者は、また少々変装した千秋の体に固定され、と一緒に飛び出した。

これで犯人グループとの鉢合わせは防げたわけだが、今度はみちるを救出せねばならなくなった。ので、追跡班は犯人グループを追いながら伊織とああだこうだと策を巡らせると、菊千代と勘兵衛は一旦菊千代の自宅へ立ち寄った。残りの平八とリンと七郎次で追跡を行ったが、幸い犯人グループはコンビニに立ち寄ったり、缶ビールとたばこで騒ぎながら移動しており、妨害をしなくても済みそうだった。

みちるの救出作戦は、菊千代宅で彼の父親のスーツを借りた勘兵衛がタクシーで乗り付け、親しい仲を装って連れ出すというもの。なぜ勘兵衛がスーツかと言えば、その組み合わせなら成人に見えるので土屋家の客人として自然だということと、勘兵衛の体の大きさなら、肩を抱くようにして信瀬家に背を向けていれば、みちるを隠せるからだった。みちるは土屋さんの服を借りるしかなく、それはそれでつんつるてんであり、靴だけラバーソールなのでやはり不自然。

そうして慌ただしくみちるを連れ出し、待たせたままのタクシーに乗り込んで走り出した瞬間、犯人グループが騒ぎながら通りに入ってきた。間一髪だった。

――というジャスティス7全員が、いや七郎次を除いた全員が冷や汗を大量にかきながらの監禁被害者救出作戦はこうしてひとまず終わった。

と千秋は伊織の指示に従って夜の街を駆け抜け、被害者宅へと急行。行方不明者の情報を求めるポスターを探し出した伊織が直接被害者の家族に連絡を取り、被害者を救出して移送しているが、一切声を出さずに玄関に入れてほしい旨を説明し、と千秋は被害者をふたりで抱きかかえて彼女の自宅へ飛び込んだ。

被害者の家族は数分間まともに話せないほど号泣していたが、汗だくで息の上がったと千秋の「彼女は犯人グループの不在を狙って自力で逃走したことにしてほしい、我々のことは他言無用でお願いしたい」という言葉に頷いてくれた。

と千秋を黙って帰してくれた被害者家族は早速自宅から通報、数ヶ月ものあいだ行方不明だった19歳の大学生は自力で逃走したことになっているが、憔悴激しく意識も朦朧としており、病院に搬送された直後に一度だけ、どうやって逃げ出したのかという問いに対して、「王子様が助けに来てくれた」と答えたらしい。それは当然、妄想だと判断されたし、意識がはっきりして以降は一切記憶にないとしか言わなかったそうだ。

そして犯人グループは帰宅すると女性がいないので激怒し、窓が開けっ放しになっていたので逃走したものと思われるが、なぜそれに気付かなかったんだと母親を怒鳴りつけた。だが母親の方もいつ消えたものか、お隣さんにお裾分けを貰っていた間しか覚えもなく、不可抗力だと訴えたが火に油だった。彼女は息子とその仲間に暴力を振るわれ、ほうほうの体で外に飛び出して悲鳴を上げた。

なのでどこからか通報が行き、犯人グループは全く関係のないことで警察署に連行されていった。だが、そこに監禁被害者からの通報が入った。深夜の警察署は蜂の巣を突いたような大騒ぎ。そして土屋さんは近所の住民という素振りであれこれとネットに情報を流しまくり、伊織も被害者家族にマスコミの取材には積極的に応じるようにとメッセージを残すなど、出来る限りの工作を行った。

数日後、何もない街の大事件にちょっぴり書き込みが増えていた「【マジで何もない】A市生活情報全般スレ177【モールはB市】」のスレッドにまたひとつ、書き込みがあった。

どうしても秘匿で助けてほしかった件、助けてもらいました。本当にヒーローはいる。本当に助けが必要なところに、ちゃんと来てくれた。でも、何か特殊な能力を持った人なんかじゃなかった。ただ困ってる人の手助けをしたいって、本気で思ってるだけの人たちだった。それで目立とうとか、上から目線の施しなんかじゃなくて、助けたらそれで終わり。約束通り、依頼のことは忘れる。だけど口先だけの綺麗事なんかじゃなくて、汗だくになって助けてくれたヒーローたちのことは、一生忘れない。本当にありがとう。これでやっと熟睡できる。

壁に寄りかかってぐったりしていた健司だったが、追跡班とみちるが到着すると連絡を受けて覚醒、うざったいという顔を隠そうともしない伊織を突っついて彼らを迎える準備を始めた。何しろ全員汗だく、しかも夏祭りで少し食べたり飲んだりしただけで、水も飲んでいなかった。

久我家の敷地内にある自販で水を何本も買い足し、全員がシャワーに入ると考えてタオルを用意し、面倒くさそうな伊織を無視して健司は本部で忙しく立ち働いた。

そこにまずは追跡班が帰還、土屋さんの服でつんつるてんのみちるが優先的にシャワーに回され、次に七郎次で、女子は3階の伊織のベッドルームで身繕い、男子は2階のリビングで身繕い、と振り分けられた。その世話を済ませた健司は本部に降り、伊織のもとに入るはずのからの連絡を待った。

それから遅れること1時間、こちらも汗だくのと千秋が無事に帰還。

1階の本部には伊織だけしかおらず、あとは一緒に帰還してきた千秋だけしかいなかったせいかどうか、健司は汗だくで髪も乱れたを何も言わずにきつく抱き締めた。無事を安堵する気持ち、一緒にいられなかった悔しさ、彼女の心意気に対する感謝など、様々な思いがぐちゃぐちゃに混ざりあって、言葉にならなかった。

一瞬間を置いてもぎゅっと抱き締め返し、背を向けた伊織だけがいる本部で、ふたりはしばし抱き合っていた。限界まで腹が減っていると平八が呼びに来るまで、そうしていた。

というわけで今度は大量の料理をデリバリーし、飲まず食わずで走りっぱなしだった全員が一気に食いまくった。本部で座っていただけ、そして極端な偏食である伊織以外はたらふく食べると、ひとり、またひとりと糸が切れたように寝落ちていった。

特に普段現場に出ることのない千秋とみちるは、子供のように口を開けて寝てしまった。本部は静かで涼しくて、そして堅牢な守りの中にあり、今は何も心配することがなかった。

リンはずるずると傾いていくみちるを抱きとめ、彼女を抱え込むようにして目を閉じている。千秋は既に深い眠りの中。平八もまた鼻をフガッと言わせているし、七郎次と菊千代と勘兵衛も大あくびで目を擦っている。健司はまた伊織を突っついて掛けるものを用意させると、ひとりひとりに掛けて回った。

もこれ、膝にかけておきな」
「ありがとう。伊織は?」
「まだ本部じゃないかな。ひとりだけ疲れてないし」

伊織本人は、普段と比べて時間的な余裕も確実な手段もなかったから精神的に疲れたと愚痴っていたけれど、精神的に一番疲れたのは救出班だと思っている健司は聞き流した。あるいは今日ずっと気が気でなかったのはリンのはずだ。

このジャスティス7の中ではとりわけ人畜無害な人柄であり、一番年相応の感性を持つリンだが、彼はどういうわけか激しい気性のみちるに心底惚れていて、それは少し疑問だった。確かにみちるはアニメのキャラクターのような美少女タイプだが、伊織とは幼稚園の頃からの幼馴染。あの伊織とそれだけ長い年月を親しく出来ていただけのことはある、という人物には違いなかった。

それを思うと、リンとふたりだけで話してみたくなった。そんな気持ちでリンを見つめていたので、横からのフッと吹き出す声に健司は我に返った。本部に置いてある服に着替えたは氷の入ったグラスで炭酸水を飲みながら、ニヤニヤしている。

「リンが左手に付けてるブレスレット、プレートの裏に『michiru ♡ rin』て入ってるんだよ」
「え……
「しかもリンが勝手に作った。みちるは激怒」

だからどうしてそんな組み合わせがカップルなのだ……というのが顔に出たか、は人差し指を立てると、少し顔を寄せてきた。つい胸がときめいた健司は余計に顔を寄せる。

「みちるはああいう子だから、すぐに頭に血が上る自分を怖がってるところがあって、だけどリンと一緒にいると、そういう自分を忘れられるらしいの。リンはリンで、一見ひ弱そうなみちるには悪に立ち向かう強い心があると思ってて、だから自分たちはヒーローカップルなんだって感じみたい。ああ見えて、似た者同士なんだよね」

前言撤回、健司は一気に興味をなくした。どうぞ末永く爆発してください。それも完全に顔に出た健司に気付いたはくすくすと声を殺して笑い、「みんな面白いよね」とチームのお姉さん丸出しだ。するとの向こう側にいた菊千代がぬっと首を突き出してきた。

「ふたりで何話しててもいいけど、オレ寝が浅いタイプだから、眠ってても話してる内容聞こえてるかもしれないよ。聞かれたくない内容なら、ふたりきりになれるところ行ってからよろしく」

菊千代はそう言うと返事も待たずにブランケットを腰にかけて横になった。ガレージ2階のリビングのソファは巨大、菊千代の向こうの勘兵衛も肘掛けに頭を載せてぐっすりのようだ。

「みんな疲れたよね」
は大丈夫? 慣れない現場で疲れただろ」
「それは健司もでしょ。救出班一番大変だったと思う」
「それはそう。伊織が疲れたとか言ってるけどオレたちの方が全然疲れた」

健司自身、みんなのような強烈な眠気は感じなかったのだが、あまりにも非日常な数時間を過ごしたせいで、いつぞやのように脳がオーバーヒートしている気がした。

……さっき、ひどいこと言ってごめん」
「ひどくないよ。オレを……守ろうとしてくれたんだろ」
「そのつもりだったけど、健司を傷付けるような言い方だったと思うし」
「言うほど傷付いてないよ」

それは事実だった。土屋家を追い出された時は居た堪れない気持ちだったけれど、あれはの精一杯の誠実な気持ちだったと解釈しているし、あの追い詰められた状態では優しく丁寧な言葉を選んでいる余裕がなかったこともわかる。

「でも、実際あの被害者の人を外に出ようって気にさせたのは健司だし」
「そうかなあ……
「伊織に言われた通り、微笑んだんでしょ」
「たぶん……
「その時の彼女の顔、覚えてる。ちょっと目に光が戻る感じがしたの。健司すごいって思った」

照れて天井を見上げていた健司の肩に、温かいものが触れる。驚いて見下ろすと、の頭が肩に寄りかかっていた。オーバーヒートして逆立っていた全身の神経が緩む気がする。

……きっと彼女は一生苦しむことになると思う。救出されてめでたしめでたしってわけにはいかない。普通の人が誰でも生きられるようには、彼女は生きられないと思う。だけど、だからといってあの家に閉じ込められたままでいいはずもない。きっと、彼女にとって健司は永遠にヒーローだと思う」

救出作戦の時は無我夢中でそんなことを考える余裕はなかった。自分の意志とは関係なく望まぬ場所に囚われた彼女に、敗北の苦痛の中から抜け出せない自分を重ね、本当の自分でいられるようになってほしかった。ずっと同じ場所に縛り付けられているのではなく、自分で歩いていける場所で。

すると本部から伊織がやってきて、冷蔵庫からペットボトルを一本取り出すと、ふたりに声もかけずに大あくびで3階へ行ってしまった。

……伊織はね、破壊衝動から抜け出せなくて、苦しんでる」
「えっ、破壊……
「子供の頃から、物を壊したり解体するのが好きだったんだって」

他のメンバーならともかく、こと伊織に関してはの善意に溢れた解釈なのではと思えて仕方ないが、ひとまず彼女の言うことは否定したくない。

「だけどね、これ内緒ね、みちるに聞いたんだけど、伊織もああ見えて動物には優しくて、本音では破壊衝動を持て余してて、誰にでも優しく接したいって思ってるみたいなんだよね」

いやそれ絶対嘘だよ。そう言いたかったが、健司は腹に力を入れて黙った。

「ジャスティス7は、みんなそれぞれ色んなところが欠けてて、いびつな形をしてるけど、誰もそんなこと気にしてなくて、活動に関しても考えてることバラバラなんだけど、でもどうしてか今日みたいな日は、仲間だなあって思うんだよね。一番高いところにある目標は同じっていうか」

その感覚は嫌というほど覚えがある。自分たち――翔陽ではそうやっていつも戦ってきた。その舵取りをひとりで出来ると思ったのは傲慢だったのだろうか。インターハイの予選で敗北するまでは、そんな気負いは感じたことがなかったのに。

健司はの手を取ると緩く繋ぎ、彼女への気持ちを再確認すると、囁いた。

、オレ、もう帰るよ」
「もう、大丈夫?」
「たぶん。でも、また立ち向かっていけると思う」

敗北に打ちのめされた心が癒えたかどうかは正直わからない。けれど、この何もない街で、ジャスティス7で健司が手に入れたものは、もう一度立ち上がりたいという意欲だったような気がしてきた。

あのガリガリに痩せた被害者の体を抱き締めたとき、それでもなお彼女の体には体温があって、汗をかいていて、まだ生きていることを強く感じた。それと自分の境遇はまったく程度が違うけれど、それでも彼女が明日も明後日も生きていてくれるなら、自分も立ち上がろうと思えてきた。

だからこの街に残して行かねばならない思いと言ったら――

健司は繋いだ手を解くとを抱き寄せ、さらに声を潜めた。

……でも、とは離れたくない」

もしかしたら菊千代や勘兵衛はまだ眠りに落ちていないかもしれない。フガッと鼻を鳴らしている平八だって、聞き耳を立てているかもしれない。七郎次はまだ健司を信じていないはずだ。でも、それでもよかった。ほんの数日、通り過ぎていくだけの仲間だけれど、誰に聞かれても構わなかった。

のこと、好きだから」

それは告白というより、自分自身への宣言でもあった。たった数日の夏休み、きっと誰もがそれは吊り橋効果だと言うだろう。非日常に現れた異分子への強い興味を恋と錯覚しているだけ、元の生活に戻ればすぐに忘れてしまう――そんなあやふやな感情なんかではない、その覚悟を決めるために。

健司の腕の中で顔を上げたの目が潤んでいる。いつでも健司を優しく受け止めてくれた頼れるみんなのお姉さん……ではなく、今にも泣き出しそうな、それでいて万感の思いに歓喜しているような、生々しい表情だった。

……それは、だめ」
……
「健司の帰る場所に、私の居場所は、ないよ」

食い下がろうとした健司の唇を指で止め、は首を振る。そして両手で健司の両頬を包んで引き寄せると、そっと、音もなくキスをした。

「おやすみ、なさい」

仲間たちの寝息だけが聞こえる中、健司とは抱き合ったまま眠り落ちた。一切のことを忘れ、真っ暗で何の音もしない深い眠りの中に落ちていった。