ビー・ア・ヒーロー

8

「オレは最初からジャスティスがいいって言った」
「嘘つけよ、クガンジャーズとか久我戦隊とか言ってただろ」
「久我十字騎士団って言ってたの誰だっけ。みちるだっけ」
「厨ニ臭いの全部私に押し付けないで。それは平八」
「無印の服ばっかり着てるくせに、なぜかスマホケースだけはドクロだからなあ……

昼食後に本部へやってくると、普通に全員揃っていた。昨夜あちこちを怪我した菊千代も大事ないようで、ポリカーボネイトが仕込まれているアームカバーを直していた。平八はすぐに勘兵衛とリンとみちるの雑談に混じり、昨夜のことなどすっかり気にしていない様子で盛り上がっている。

なので健司はに「本部班」の作業場である「作戦テーブル」を見せてもらっていた。テーブルは伊織の定位置であるコンピュータ群のすぐ近くに置かれていて、タブレットやラップトップや地図などで溢れていた。椅子は3脚、おそらくとみちると千秋の分、ということだろう。

「地図、アナログも使うのか」
「基本ネット頼みだけど、その方が早いときもあるしね。事件をまとめる時は紙も使うよ」
「あるよな、書いた方が早い時って」

するとこちらも「本部班」の千秋がやって来た。

「健司くん、平気?」
「ありがとう。大丈夫だと思う」
「初日にいきなり大きな事件だったから、ちょっと心配してたんだ」

健司は大丈夫だと答えたけれど、千秋は難しい顔のまま、広げてあった地図を指した。

「ここと、ここと、ここ。3ヶ所塞げたら、通報しても逃げられなかったはずなんだ」
「千秋、それは……
「だからごめん、オレたちがもっと伊織を抑えられていたら……
「オレがどうしたって?」

千秋が俯いてぼそぼそと話していると、その後ろから黒っぽい影が割り込んできたので健司はつい身を引いた。今日も伊織は全身黒ずくめで真っ黒なボサボサの髪で表情を覆い隠している。

「おはよう、ヒーローズ。任務が入ったぞ」

言いながらコンソールの前の椅子に腰掛けた伊織は、くるりと椅子を回転させて足を組んだ。

「昨日の社長さん、高圧洗浄機をレンタルするから落書き清掃のバイトしてほしいってさ」
「バイト? じゃ任務じゃないじゃないか」
「それを昨日の件の報酬に代えたいらしいから、まあ任務のうちだろ」

社長さんの報告によると、山門は専門家に診断してもらうそうなので、ひとまず民家と会社と倉庫とお寺の壁だけ清掃を試みてみることになった。会社や倉庫には従業員もいるわけなので、それらがやってもよかったのだが、どうせなら正々堂々報酬を出せる状態でジャスティス7に礼をしたいと思いついてのことらしい。社長さんは全員で来てほしいと言っているとのこと。

だが、その予定日がかなり先になるらしい。おそらく健司はいない。

「いや、いいよバイト代なんて。そんなつもりでやったわけじゃないし」
「尊い心がけだけど貰う以上は均等に分けるから、後で平八に送ってもらってくれ」

話が終わると伊織はくるりと背を向け、何やら操作してあちこちのモニターを切り替えている。健司はと千秋の方に身を屈めて声も潜める。

……任務がない時でもこうやって集まってるの?」
「まあ、今は特に夏休みだから」
「学校がある時も放課後はここにいることが多いよ。誰も部活やってないし」

まあ、超裕福な友達が「離れ」を持っていれば、そこがたまり場になるのは自然なことか……と納得した健司は、平八たちの雑談からも伊織からも距離を取って作戦テーブルの椅子に腰掛けた。伊織が揃えたものなのだろうか、オフィスチェアのようだが、えげつないほど座り心地がいい。

……みんなそれぞれ『はみ出し者』なところ、あるから」
も?」
と平八はちょっと違うよね?」
「まあ、そうなのかな。正義のヒーローとは思ってなかったし」

の事情はある程度聞いているし、ジャスティス7への興味を自覚したばかりだし、目の前にいるのは千秋という最年少で大人しくて小柄な男子なので、健司はちょっと首を突き出して聞いてみた。

「千秋はなんでジャスティス7やってるの」
「妹が心配なのと、この自警団もどきが自惚れて深刻な犯罪にまで発展しないか心配だから」

普通に伊織に聞こえる声だった。おそらく千秋の背後で壁に向かってアームカバーを直している菊千代にも丸聞こえのはずだ。千秋は最年少で内気な男子と思っていた健司は面食らった。それって勘兵衛や伊織の求める方向を全否定してることにならないか……

すると、しっかり聞こえていたらしい伊織がくるりと振り返り、ニヤリと笑った。

「健司、ここは誰がどんな意見を持ってても構わないんだよ。オレや勘兵衛が支配する縦型構造の組織じゃないし、参加も離脱も自由。千秋がジャスティス7を疑問に思ってるのはみんな知ってるし、だけど七郎次が離脱しない以上、千秋はここに留まることを選んでる。それだけだ」

面食らいはしたが、まあまあ納得できることではあった。なので健司はもう少し突っ込んでみる。

「じゃあ千秋は、七郎次とは意見が一致してない、ということ?」
「してないね。家ではチームのことはあんまり話さないし」
「ということは、千秋と七郎次のはみ出してる部分てのも、違う?」
「半分同じで半分違うかな」

千秋はどこまで説明すべきか迷っているようだ。それを見ている伊織はニヤニヤ。

「監督はヒーローズに興味があるようだな」
……まあ、オレみたいな人間にとっては、未知の世界だし」
「オレたちの事情を知ることは、今後の役に立つのか?」
「それは、どうだろう。そのつもりで聞いてるわけじゃないよ」
「オレもその興味を責めてるわけじゃない。ここは自由、だからカオス」

人差し指をくるりと回して壁を指し、伊織はまた背を向けた。ついその指の向く方を目で追うと、壁にかかったフラッグが見えた。単なるインテリアかと思っていたのだが、何やら英文がプリントされている。「True freedom is within the Chaos and Disorder.」「Fake justice is Evil.」なんだかどちらもいわゆる厨ニっぽい単語が紛れていて、翻訳する気にもならない。

「伊織の座右の銘っていうのかな……キャッチコピーっていうか」
「察した」

苦笑いのが囁く声に胸のあたりが疼く。

しかし健司の脳裏にはバスケット部の部員たちの顔が浮かんでは消えていっていた。もっとも身近な存在である3年生の主力選手たちはもちろん、まだほんの数ヶ月の付き合いである1年生まで。同じ競技のもとに集まった同士だが、判で押したように全員が同じ考えを持っているわけじゃない。

リーダーとしてそれをまとめるということは、あまり難しく考えずに直感にも頼りながらやってきたように思える。唯一全員が共通して見ている方向は「チームの勝利」であり、それが同じである以上は、競技への向き合い方や捉え方などが異なっていても問題になることは少ない。

だとすると、不慣れな人々であるジャスティス7のメンバーのその人となりを知ることは、やはり無意味なのだろうか。大人しそうな千秋に突っ込んだ質問をしてみたことは、ただの暇潰しで、今後の自分には何の影響もないことなんだろうか。

特に緊急の依頼も入らず、勘兵衛と菊千代が以前から相談を受けている件の調査に出るくらいしか任務もないというので、健司はと平八と一緒に一旦帰ることになった。あまり続けて夕食をすっぽかし、伯父さん叔従母さんに不審がられても困る。

なので林田家に戻った健司は、先に花形に連絡を入れた。

「オレ、今デート中なんだけど」
「なんだよ彼女いたのか。それなら先に言えよ」
「まあいいけど。彼女4歳だから」
「それ確かイトコの子だろ」
「今日一日で何回『大きいお父さん』て言われたことか」

しかも従姪には「透ちゃんとは結婚しないよ。透ちゃんバスケばっかりでお仕事しないから」と言われてしまい、今からでもいいからジャスティス7に子守手伝いの要請をしたいとため息をついている。

が、そんなことはとりあえずどうでもいいので、健司はまたざっくりと報告をする。

「お前の真面目なところは長所のはずなんだけど……
「どういう意味だ」
「せっかく転地療養なのに何でも部活のこととくっつけて深刻になってどうする」

しかし平八やリンのようにチャラチャラと遊ぶ気分にはなれないのだから、仕方ない。

「てかそのちゃんや叔従母さんたちの、お前をまるで病人みたいに扱う態度もそういうのを助長してるのかもしれないな。てかちゃんいい感じなんだろ? ヒーロー基地に入り浸ってる場合かよ。なんか口実つけて誘い出してふたりっきりになればいいじゃないか」

それを健司がやらない理由はふたつ。誘い出したところでショッピングモールしか行くところがない、そして自分は遠からずこの街から出ていく旅人でしかないこと。

「だからそれが真面目過ぎるって言ってんだよ。ひと夏の経験でいいだろ」
にそんなことしたくない」
「おい嘘だろ純愛か」
「むしろなんでお前らは発想が軽薄なんだよ」
「お互い傷が深くなるからだろ」
「え……

またいつもの調子でふざけたことを言っているのかと思っていた健司は、花形のさも当然という声に驚いて掠れた声を出した。どうせ旅先で出会った女なんかヤリ捨てればいいだろ、みたいなことを言いたいのかと思っていたのだが……

「そっちでも散々言われてるだろ、住む世界が違うって」
……試合の動画が、勝手にアップされてて、それ、見られて」
「高校バスケットの世界ではトップクラスの選手だってことも知られてるんだろ?」
「たぶん……平八が話してあると……

おそらくジャスティス7のメンバーも事前に説明を受けているはずだし、はより詳細に話を聞いているはずだ。みんな気軽に親しくしてれるので、住む世界が違うとまで思われている実感はなかったのだが、例の動画でそれは事実として認識されているかもしれない。

「そんな状態でピュアですって顔して純愛貫いて気持ちが盛り上がってきたところでタイムリミット、以後はもう二度と会いません、君たちとは世界が違うので! っていう状況の残酷さはわかるか?」

考えてもみなかったけれど、意味はわかる。健司はまた乾いた声で返事をする。

「本音でぶつかりすぎると後でつらい思いをするだけだと思うけどな。どっちも」
「だけど……そんなただヤりたいだけみたいな……
「もしそれを彼女が受け入れるなら、その意味もわかってるはずだ」
「そんな、女の子はそれじゃ」
「それは彼女が判断することだろ」
「拒絶されたらどうするんだよ」
「後腐れない旅人なんだから構わないだろ。あとでどんな風に思われたって、二度と会わないんだから」

健司は軽く混乱してきた。ええと、だから……

「お前、何が言いたいの?」
「お前があと数日で戻らなきゃいけない自分を完全に見失ってるってことだよ」
「そんなことない」
「あるだろ。このまま自然に任せて別れてみろ、彼女はお前を忘れられないぞ」
「だからそれは」
「お前もたぶん1ヶ月くらいは忘れられない。療養になんかなりゃしない」

花形の淡々とした声に苛立ちながらも、健司は「たぶん1ヶ月くらい」を忘れられなくてひきずることは容易に想像がついた。それほどと過ごす時間は心地良いし、彼女と一緒にいることで得られる安らぎは手放したくないものだった。

だけど「1ヶ月くらい」が過ぎた頃にはの存在が薄らいでいることも容易に想像がつく。

それは行きずりのヤり捨てと何が違うのだろう。どちらにしても相手を傷つける気がした。

夕食が終わり、自転車を押して家を出た健司と平八は、一番近いコンビニでと待ち合わせてから伊織の家――ではなくジャスティス7の本部に向かった。すると人数が減っていた。七海兄妹と伊織しかいない。が七郎次に呼ばれたので、千秋が声をかけてくれた。

「みちるとリンはデートだけど、勘兵衛と菊千代は調査に出てるよ」
……ふたりはずっとここにいるの?」
「まあ、用もないしね。ここにいる方が楽しいし」

ジャスティス7のあり方に関しては否定的な意見を持つ千秋だが、この本部で過ごすことは「楽しい」範疇のようだ。それには大いに共感できる。自警団ごっこなんかやめて、ここで遊んでる方がいいのに。

だが、そんな千秋の向こうではと七郎次がタブレットを覗き込んで難しい顔をしているし、伊織は調査に出ている勘兵衛か菊千代と何やら話している。みちるとリンが夏休みの夜にデートをしている一方で、ジャスティス7の活動は止まらない。

すると電話を終えた伊織がに向き直り、

「今日は任務ないぞ。勘兵衛と菊千代は直帰。その件は要再調査」

そう言ってまた背を向けてしまった。

……そういうわけだから、どうしてもここにいなきゃいけないこともないよ」
「まあそうなんだけど」

かといって早速巨大なモニタでゲームを始めた平八を置いてひとりで帰るわけにもいかず、も帰らないならここを出る理由がなく、かといってここにいたい理由も思いつかなくて健司は後頭部を掻いた。すると千秋がいたずらっぽく笑顔を作って、声を潜めた。

「まあ、がいるのに帰りたくないよね」
「え!?」

どこまでバレてんだよ!? と面食らった健司だったが、当のが戻ってきたので、急いで顔を作り、なんでもない風に装う。やあちゃん、任務がないので暇ですね!

「ねえ、じゃあ健司、『七人の侍』見てみる?」
「えっ、見られるの?」

によれば、この離れは3階建てだが、伊織の寝室は3階にあり、2階にリビングやバスルーム、小さなキッチンがあるらしい。なのでそのリビングで見ないかという。そりゃあみんなここに通うわけだ……と改めて納得した健司は、とふたりきりで映画かとぬか喜びをして頷いた。

だが結局千秋も一緒で、伊織もたまに覗きに来ては少し見ては寝室に上がっていく……なんてことを繰り返していたので、とふたりっきりは一瞬たりとも訪れなかった。

ただ、いわく「世界で一番有名で評価されてる日本映画」だという「七人の侍」は、その古めかしい映像や聞き取りにくい音声からは想像が出来ないほど面白く、前半が終了する頃には「こんな傑作を、なぜもっと早く見なかったんだろう」と若干憤りを感じていた。

そして207分の上映が終わる頃にはすっかり日付が変わっていて、巨大なコーナーソファの片隅では眠り込んでいた。気付けば平八も伊織も七郎次もソファで目を閉じていて、健司は無意識に吹き出した。なんだかこうしているとみんな幼くて、まるで遊び疲れた子供だ。

ひとり起きていた千秋はその健司の吹き出した意味を感じ取ったらしく、同じように優しげな笑顔になりながら、「いつもこんな風だといいんだけどね」と言った。

……それじゃ、ダメなんだろうな、みんな」
「良くも悪くも、みんな正直で真っ直ぐなんだと思うんだ」
「それが怖いことは、あるよな。千秋は家族だから余計に」

すると千秋は静かに膝を立てると、さらに声を潜めた。

……まあ、オレと志乃は、血縁、ないんだけどね」

ソファの背に乗せていた健司の腕がズルッと落ち、その向こうで平八の鼻がフガッと鳴った。