ビー・ア・ヒーロー

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林田の伯父さん叔従母さんはふたりとも「みんなで夏祭りを目一杯満喫して、深夜までお喋りしていた」という平八のいつものヘラヘラした嘘を疑いもしなかった。というか健司が何か言う前から「夏祭り、楽しかった?」と聞いてきた。短時間ではあったものの、との夏祭りは最高に楽しかった。

夏休みの期限が迫っていることだし、そろそろ帰ると言い出した健司にも特別な反応をすることはなく、「またいつでもおいで」と言ってくれた。

叔従母さんは昼にカレーを作ってくれて、駅まで車で送ってくれた。ついでに駅前で買い物をするという平八が残り、健司は数日前に荒んだ気持ちで降り立った駅の駅舎を見上げた。そういえばあの時、遊ぼうって誘ってくれた子にそっけない返事しちゃったんだよな……

「てかにフラれたんだって?」
「お前な……今それをここでほじくるか」
「あいつも頭固いよな〜。そういうとこ、似た者同士なんだけどね」

今日の早朝、オフにし忘れていた勘兵衛のアラームで目が覚めてしまったジャスティス7は疲れが残っていたので、ひとまず全員家に帰ることにした。みちる、菊千代、七郎次などはろくに口もきかず、千秋やリン、勘兵衛も「またな」程度で帰って行ってしまった。伊織に至っては起きてこなかった。ので、やっぱりまだ眠い健司はと平八と帰ってきたのだが、も「じゃあね〜」と言っただけで帰ってしまった。というか平八はやはり昨夜の告白を聞いていたのだろうか。

「いや寝てたけど、付き合うことになったらここにいるだろ」
「まあそうなんだけど……
「てかもういいぞ、平八とか。お前のジャスティス7は終わったんだから」

平八のヘラヘラ笑顔にちょっとイラッとした健司はしかし、せっかくなので聞いてみることにした。

「お前はなんでジャスティス7やってんの?」
「んー? 最初に声かけられた時はまだボランティアだったし、何も考えてなかったけど」

平八とは最初期メンバーなので、現在のちょっとした武闘グループ状態のジャスティス7は言ってみれば「話が違う」状態であるはずだ。けれど、伊織の言うようにジャスティス7は好きなときに離脱していい組織なので、話が違えば違うほど、今でも参加しているのには理由があるはずだ。

そして気付けばこの平八が一番、その理由が謎な人物だった。

……ま、お前ならわかると思うけど、ほらオレ、なんでも上手く出来るだろ。勉強でも運動でも人間関係でも、正直躓いたり挫折したことってないんだよな。記憶を消してしまいたいほどの黒歴史もないし、過去に戻ってやり直したいこともない。順調すぎるんだよ、オレの人生」

いやそれは全く理解出来ない……と思ったが、黙っておく。

「だからか、どうも何に対しても真剣になれなくて、お前らみたいに誰かを心から好きになるって感覚もよくわからないんだよ。これまでに何人か付き合ったし、その子たちのことは好きだと思ってたはずだけど、たぶんお前がに感じてる思いや、リンがみちるに対して思ってる感情なんかに比べたらものすごく薄っぺらいと思う。だからまあ、そんな風に誰かと恋愛ごっこしてるより、ジャスティス7やってる方が楽しいんだよ。それだけ」

ただその方が楽しいから。全方向にオールラウンダーである平八のようなタイプには、そのくらいでちょうどいいのかもしれない。思いもよらない敗北に直面するまでの健司もそういう側面があった。ただ健司にはいくら求めても満ち足りることのない勝利への渇望があっただけで。

すると常にヘラヘラの平八が顔を向け、突然真顔になった。そうしていると、やはり健司に似ていた。

……だから、得意なこと、夢中になれることがあるお前には、自分の帰るべき場所を思い出してほしかった。ジャスティス7がそれに最適だとは思ってないけど、うちでぼーっとしてるだけじゃ、もっとダメになると思ったから。と惹かれ合ってしまったのは、ちょっと誤算だったよ。ごめん」

健司の真っ直ぐでサラサラした髪と違い、平八の髪はふわふわと柔らかなくせ毛で、その隙間から見える彼の目はいつになく真剣で、しかしどこか遠くを見ているような冷たさがあった。

「幼稚園の頃からずっと一緒の幼馴染だし、を好きになれたならもっと楽だった。だけどオレたちはそういう感情をちょっとでも抱いたことがなくて、それはもう本当に家族みたいなもので、だからなのかな、お前らが惹かれ合っていくのを見てるのはすごく面白かった。人が恋に落ちるってこういうことなのかって、でもだからって誰かを好きになれるとは限らないんだけどな」

順調すぎる人生なんて言いながら、お前にはそういう苦しさがあるんじゃないか――と言いたかったけれど、やめた。程度の差こそあれ誰でも心に何か抱えて毎日を過ごしてる。ほんの数日前、この駅に降り立った時はそんなことすら考えるのは癪に障った。

だけどもう、心に何かを抱えたままでもいいから立ち上がりたかった。

自分の中の得体のしれない黒くドロドロした感情は自分を守るための鎧だったのかもしれない。

そういうもの全部持ったまま、「いつもの自分」に戻ろう。だから、帰る。

黙るとやたらと健司に似ている平八は、真夏の熱風に吹かれながら、少し微笑んだ。

「元気、出たか?」
……元気って、なんだろう」
「そういうとこだぞ健司……

改札に向かう健司の肩を抱き寄せた平八は元のヘラヘラ顔に戻り、ニヤリと唇を歪めた。

「明日やりたいことがある、くらいでいいんじゃないの」
「じゃあ元気出た」

改札を通り抜けた健司は、振り返り、手を挙げる。

「またな。また会いに来るよ」

明日やりたいことなら、数えきれないほどあるから。

自宅に戻った健司を待っていたのは両親だった。ふたりとも夏季休暇で、遠方への行楽などには行かずに過ごしているとは聞いていたが、健司の帰宅を待っていてくれたらしい。思えば、林田の家に行ってみたらどうかと勧めてくれたのは両親だ。

荷物を下ろした健司は、自分のことを心配してるのを隠せていないふたりに向かい、

「元気、出たよ。考える時間をくれて、ありがとう」

そう言って頭を下げた。ふたりは何も言わずに健司を抱き締め、頭を撫でたり背中を擦ってくれた。

その日は夏休みで混み合う近所のファミリーレストランで食事をし、駅前のカフェでコーヒーを飲みながら話し、帰宅してからは3人で映画を見て、そしてそれぞれの寝室で床についた。暗闇の中、健司が手に取った携帯には、ジャスティス7の誰からもメッセージが入っていなかった。

それはどう考えても元の世界に戻った健司の心を引き止めないための彼らの気遣いであり、大袈裟に言えば友情であり、まあ伊織はそんなもの持っていないだろうが、それはそれで心が痛むような気がした。なので健司は例の掲示板にアクセスすると、入力フォームのある最下部までスクロールする。

スレッドは相変わらず地元の大事件で普段より賑わっている。土屋さんと思しき書き込みもあるし、これまでジャスティス7に助けてもらった人々らしき書き込みも散見される。人々はこの事件の影にはヒーローチームがいて、彼らが助けてくれたのだろうと思いたいらしい。正解!

健司は眠気を感じながらフォームに打ち込む。

オレも助けてもらった。些細なことだったけど、オレにとっては救いだった。ここは何もない街なんかじゃなくて、ヒーローのいる街。困ってたら助けてくれる人がいる街。それって、すごいよ

送信ボタンを押した時には半分くらい目が閉じていた。オレはジャスティス7のメンバーじゃないし、ジャスティス7は居場所ではないかもしれない。だけど、明日からもオレはヒーローだ。助けが必要な人の声を聞こえないふりしたり、見て見ぬふりはしない。自分の居場所で。

静かな決意とともに眠り落ちた健司はひどい寝坊をした。翌日が部活再開初日だなんてことを完全に忘れており、したがってアラームもセットしておらず、明日から部活だよと親に伝えるのも忘れ、2時間以上寝坊していた。このところ就寝起床が曖昧だったせいで凄まじくダルい。

そして久々の制服がもう異常にダルい。暑い。初日なので荷物が多い。死ぬほどダルい。携帯を確認したけどジャスティス7からはやっぱり連絡なし、部員たちからも、遊ぼうって誘ってくれた子らからも、何もなし。友達いない疑惑。クッソダルい。

そんなダルダルの体を引きずって部室に顔を出すと、髭の生えてる藤真さんなんか嫌だと後輩に逃げられた。ダルいのと寝坊ですっかり忘れていた。いいんだよもうにはフラれたんだし、どうせ。

ダルいが後輩に示しがつかないとマズいので髭を剃っていると、隣に久しぶりに見るメガネが現れた。

「お前なにそのメガネ」
「従姪っ子に前の壊されて急いで新しいの作ったら手違いで変なの届いた」
「コンタクトにすればいいのに」
「そしたらお前とキャラが被るだろうが」
「1ミリも被らねえよ」

確か花形とは喧嘩のような言い合いをしたきりだったはずだが、それもなんだか遠い記憶のような気がする。というか定時連絡といい、あの否定的な物言いといい、今考えると花形らしくないような気がする。そんなパッション持ってるやつだったっけ、お前。

「ま、半分くらいは暇潰し」
……そういうやつだよなお前は」
「でもあとの半分は色々わざと」
「そのわざとの内訳を言え」
「オフショル女子とどうなったかを正直に言ったら教えてやる」
「うるせーなフラれたよ! 絶対両思いになってたのにダメだってよ! これでいいか!」
「ンッ……いいだろう、大変、結構」
「笑い堪えてんじゃねえ」

これは今日部活終わるまでの間ににフラれたこと拡散されまくるんだな……とある種の諦めのようなものを感じつつ、健司は剃り終わってこざっぱりした顔で腕を組んだ。

「お前はこのチームのリーダーだし中心的存在だし監督だけど、プライベートになると感情表現が下手だし、後で気持ちが変わったり、気分にムラがあることもある。まあ別にそれは普通のことだけど、監督でいる時にはそういうものをほとんど出せないし、プライベートにも持ち込まないから、一度全部出した方がいいんじゃないかと思ってた」

確かに監督という立場になって以降はそれが加速した自覚はある。ただのプレイヤー、ただの藤真健司としての考えや志向より優先されるものがあると思っていたし、自分を殺した方がチームはまとまると思っていた。事実予選で敗退するまではそれで上手くいっていた。

「でも絶対いつかどこかでそのバランスが崩れると思ってた」
……早く言えばよかったのに」
「予選の前にそんなことオレが言って信じたか?」
「信じなかっただろうな」
「それが突然マイルドヤンキーひしめく街に転地療養とか言うから、これは一旦壊した方がいいかもと」
「まあ、壊れたような気はする」
「でも生まれ変わった気はしないだろ」
……過去はなかったことには出来ないしな」

しかしどうにも花形に親切心や篤い友情は感じない。

「そりゃそうだ。オレたちは仲良しお友達グループか?」
「違うけど」
「だけどお前は、藤真健司は翔陽の選手で、今は監督でもある。責任放棄は許さない」

それにもう3年生の夏は終わり、この翔陽がナンバーワンなのだと示せる機会は残り僅か。そもそも自分たちにグズグズ言っている暇などなかった。しかし両親同様、花形も敢えて健司を放り出してくれたと考えてもいいのかもしれない。

…………だからって感謝とか全く感じないんだけどな?

それはジャスティス7に対しても同じ気がした。あの怒涛の日々とそのきっかけという意味ではジャスティス7という概念に対しては感謝もあるが、メンバーをひとりひとり思い出していくと、にしか感謝は感じない。オレを助けてくれたのは8割くらい会いたい……

「まあだから股の緩い女に慰めてもらうのでもいいかなと思ったんだけど」
のことそんな風に言うな。股は緩くない」
「これだよ。だったらなんでもっと首尾よく」
「しょうがないだろ向こうが無理だって言うんだから」
「そんなもんいくらだってどうにでもなるだろ言い訳だ」
「お前否定したいのか応援したのかどっちなんだよ」
「お前がグズグズしてるのが鬱陶しいだけだよ」
「それはっ……いやそうだけど」
「これですぐにデカい大会でもあればな」
「予選は遠い……

ふたりは揃って静かにため息をついた。自分自身を取り戻すだのなんだのも結構だが、そもそも翔陽はチームの建て直しがまだ手つかずで、しかも指導者不在の折、どの方向に持っていけばいいのかよく分かっていない。実はあまりふざけたことを言っていられる状況ではない。

というわけでその舵取りは部長副部長であり主将副主将であるこのふたりの肩に丸投げされている。

「どーすんだよこれから」
「オレに言うな。オレは副部長だけどお前は監督だろうが」
「てか今日から練習再開とかやっぱり走るしかやることないのマズいだろ」
「それもしょうがねえだろ今月は校内活動に時間制限があるんだから」

一週間近くも非日常の中でエモめなアオハルして来たので、我がバスケットボール部がインターハイ優遇を失った夏休みだということも忘れていた。おいどうすんだよ何も考えてなかったよ。

「でも今から冬の予選が目の前みたいな内容でやってもしょうがないだろ」
「こんな中途半端な時期から監督やってくれる人もいないだろうしな」
「てかそれさ、だったらまだOBとかに頼む方が可能性ありそうじゃないか」
「オレはもうこの際高校で全国大会の経験がある人なら誰でもいい気がする」
「あーもう、ぼんやりしてる暇なんかないじゃないか!」

少しずつ自分のペースで元の日常に戻っていかれたら……なんて思っていたのだが、そんな余裕はなさそうだ。インターハイを逃したことで3年生はほとんど引退してしまったし、ということはチームの体制の立て直しも急務だし、付き合いの短い1年生は絶対無敵かもしれないと思い込んでいたチームの思わぬ脱線で不信感があるようだし、自分も含めた主力選手をどう使っていくかも考えなければならない。

あれ? 何この忙しさ。なんであんな落ち込んでたんだっけ?

そういう日々の中に強制的に戻り、ジャスティス7のことなど思い出していられない「明日」が怒涛のように押し寄せてくる。への思いは消えていなかったし、ふと思考が止まって頭が空になると彼女のことを思い出さざるを得なかったけれど、それでも一日ごとに非日常の感覚は薄らいでいった。

夏休み、インターハイ優遇がないからこそ校内で出来ることは限られてしまい、時に健司たち主力の3年生は部活が終わってからもミーティングを重ね、なんとかチームの立て直しを図っていた。今度こそ後悔しないように、自分たちの持てる全力をコートで発揮できるように。

そして9月、毎日奮闘を続けるバスケット部に、ひとつの報せが届いた。

本年度の国体バスケットボール少年の部神奈川代表を、選抜チームとする。そのメンバーとして、翔陽から3名の選手の参加をお願いしたい。

「えっ、ほんとに?」