ビー・ア・ヒーロー

10

確かに伊織は不可解で奇妙で歪んでいて理解不能な人間だ。だが、薄暗い本部でそれと向かい合うと、自分の心の中に巣食う闇の象徴のように感じてきた。この気味の悪さは、林田家にやってきた初日の健司の心の底にたっぷり溜まっていたドロドロで真っ黒な感情に似ている。

ライバルと思ってきたチームと選手がインターハイ決勝進出を果たしたと知った時、もし健司の心の中のドロドロが外に出てきたら伊織の姿になるんじゃないか。そんな気がした。

睨みながらニヤついているような伊織の不愉快な表情。それを乗り越えられれば、あの正体不明の気持ち悪い感情から抜け出すことが出来るのではないか。そんな気がしてしまった健司は、座り心地のいい椅子に深く身を沈めたまま伊織を見つめた。

こんな並外れた規模の「離れ」からほとんど出ようともせず、まるで引きこもりのようだが極端な痩身または肥満というわけでもない。リーダーの勘兵衛を始め現場班全員が格闘に耐えうる肉体をしているので見過ごしがちだが、どういうわけかしっかりとした体つきをしている。そして首を突き出したような猫背を真っ直ぐに伸ばしたら、身長はそう変わらないかもしれない。

長めの髪は整えもせずに顔にかかり、ところどころ寝癖と思しきハネが見られるが、髪自体は艷やかで真っ黒。外に出ていないので肌は白め。案外みちるみたいな女の子はこういう男が好きだったりするんじゃないのかな……と健司は思った。これで表情が穏やかなら、意外とモテるタイプなのでは。

だが伊織はそんな要素を全て台無しにする人相の悪さであり、知り合って数日経つが慣れることもなさそうなので、逆にジャスティス7のメンバーたちが平気な顔をして仲間をやっているのが不思議に感じてきた。それって結局、ごく子供の頃から知ってる間柄だからなのか? そういう知り合いがいつの間にか危険な匂いのする人間に育っていても気付かないもんなのか?

「そう、ご想像の通り、オレは勘兵衛やのような善意でジャスティス7をやってるわけじゃない。勘兵衛に声をかけたのだって、あいつが駅前で女に絡んでる酔っ払いを交番に突き出してるのを見たからだ。酔っ払いを不愉快に感じても、行動に移すやつは少ない」

伊織によれば、勘兵衛はいわゆる「ガキ大将」だったらしい。だがそれは暴れん坊で徒党を組んでいたわけではなく、地域の子供達のリーダーでありまとめ役であり、要するに今の状況と大差ない子供だったらしい。それがそのまま成長していたことに目をつけ勧誘したと伊織は頷く。

「あいつの正義は深夜のゴミ出しを注意し、防犯防災衛生に努めろと説くことだ。間違ってない」
……お前のは違うんだよな」
「そう。オレの正義は深夜に出されたゴミを元の家の敷地にブチ撒けることだ」
「そっちは間違ってるよな?」
「そうだろうな。だけど二度と深夜にゴミ出しをしなくなる可能性が高いのはどっちだ?」
……それは、五分五分、なんじゃ、ないか」
「なぜ言葉に詰まる?」
「まだ、解決策は、あると思うから」
「へえ、じゃあ聞かせてもらおうか。困った行為をやめないやつに、それをやめさせるには」
「そ、それはケース・バイ・ケースだろ。必勝法があるわけじゃない」
「つまんねえ政治家みたいなこと言ってんじゃねえよ」

ニヤリと口元を歪める伊織を見ながら、健司は静かに深呼吸をする。壁にかかったお察しキャッチコピーを思い出して気を静める。落ち着け、伊織の煽りに乗るな。

「お前は普段、スポーツマンシップとやらで保たれた秩序の中でその必勝法を模索してる。みんなの目的はいつもひとつ、点数で勝利すること。それにより順位を少しでも上げること。オレたちは違う。というか勘兵衛もまだ生ぬるい。正義の正論を叫びながら拳を突き上げたって誰も聞きゃしない。そんなことで街がクリーンになるならこの世界はとっくに天国になってる」

その理屈は分からないでもないが……と思ってしまった健司は慌てて目をこすり、気持ちを立て直す。

「じゃあ、何でもかんでも暴力で解決すればいいっていうのか?」
「本音ではそうだ。それはオレとみちると七郎次の総意」
……洗脳じゃなくて?」
「それは本人に聞いてみな。みちるはオレより過激な正義を持ってる」
「過激って……
「子供、女性、動物。これらに暴力を加えたやつをみちるは殺してもいいと思ってる」

伊織はなんだか嬉しそうだ。だがまあ、みちるのそれは想像に難くない。むしろ不思議なのはそれに惚れ込んでいるリンの方だ。外見から雰囲気から人柄まで、リンはどこにいても男女の別なく好かれそうな人物だ。それが過激な思考で実際冷徹なツッコミが多いみちるにベタ惚れなのは、正直謎だ。

健司が考え込んでいるので、伊織は椅子を少し回転させると、天井を仰いだ。

「さっきも言っただろ。実力の釣り合わない、絶対に勝てるとわかってる相手にしか挑まないんだよ、クソ野郎ってのは。挑戦なんかしない。冒険もしない。リスクは冒さない。だけどそういうものを賭けて挑んでいる人と同じ結果を得ようとする。そういう時、昨日の女性みたいな、住職や社長さんみたいな被害者が出る。だからオレはジャスティス7を使うんだよ。この街に蔓延る臆病で卑怯なクソ野郎を、同じ理屈でねじ伏せる。菊千代や七郎次っていう力を使い、同じやり方で痛い目を見てもらう」

途中少しだけ真っ当な方向へ流れそうになった伊織の「正義」だが、結局暴力の方に着地してしまった。それを聞きながら、健司はこのジャスティス7が全員の正義を内包しながらも、中心の部分ではてんでまとまりのない組織なのだと分かってきた。

しかし千秋の話しぶりではそのバラバラな正義感は全員承知の上で、しかしそれぞれの正義に、あるいは心配や不安のためにチームとしてまとまっているのか。

どうしてもそのジャスティス7のあり方が、自分がまとめねばならないチームに重なった。珍しく花形と険悪になってしまったこともそれを助長させる。みんな全く同じひとつの目的のためにしっかりと結束していると思ってた。その目的は全員、寸分違わず同じものであると思ってた。

もしかして、違ってたんだろうか。何度も勝利への道筋についてのビジョンは話したつもりだった。監督として、チームの主将として、あるいは後輩たちの手本となるべきプレイヤーとして、翔陽が目指すべき場所についてはミーティングでさんざん話したつもりでいたのだが……

「健司、深く考えるな。お前は今たまたまここにいるだけ。そのうち消える存在なんだから」
「それはそうだけど」
と付き合う覚悟もないんだろ? 平八とはこれを機に会う機会を増やすか?」

伊織が花形と同じようなことを言っている。健司は混乱するあまり、テーブルに肘をついて片手で目を覆った。そんなことはわかってるけど、いつまで経ってもこのモヤモヤしたものが取れないんだよ。

「まあそういうわけだから、『社会奉仕活動』が負担なら来るのをやめるんだな。平八がしつこいならに頼め。千秋も賛成してくれると思うぞ」

そして伊織は立ち上がると傍らを通り過ぎ、健司の肩をポンと叩いた。

「明日も来るなら上でちゃんと寝てこい。明日は夏祭り、忙しいぞ」

翌日、健司はガレージの2階で目が覚めた。ソファの上でぐっすり眠ってしまったらしく、軋む体で腕を伸ばして携帯を取ると、もう昼だった。そしてバッテリーがギリギリ。

顔を上げると、昨夜いなかったはずの菊千代がソファの対岸でぐっすり眠っていて、バスルームでは誰かがシャワーを使っている音がしていた。昨夜の伊織との妙な会話が今頃になって恥ずかしくなってくる。まったく深夜テンションというものは恐ろしい。そして伊織の異常さも恐ろしい。

そんなことを考えながら起き上がると、階段を上がってがやってきた。

「あ、おはよう。今勘兵衛がシャワー使ってるから、そのあとどうぞ」
「あ、うん、ありがとう」
「お腹減ってるなら下にサンドイッチがあるよ」

菊千代がぐっすりと眠り込んでいるので、は囁き声だ。なので距離も近い。無精髭がちょっと恥ずかしい。というかは着ている服が昨夜と違う。一度帰宅したのだろうか。

勘兵衛が出てきたので、健司は先にシャワーを借りてから本部に降りた。「七人の侍」を見ている間もほとんどお菓子を食べなかったので、前日の夕方に叔従母さんのサバ味噌を食べたきり、実は腹ペコだった。がカップスープとカフェラテを差し出してくれたので、それも頂戴する。

「なんか人数少ないけど……
「みちるとリンは夕方、七海兄妹はすぐ戻る。伊織は寝てるだろ、どうせ」

サンドイッチを次から次へと口に運んでいる勘兵衛も、やけに眠そうだ。

「昨日は直帰だったんじゃないのか」
「その予定だったんだけどな。調査が長引いたから自宅には戻れなくて」

聞けばも早朝に一旦自宅へ帰り、それと入れ替わりに勘兵衛と菊千代が帰還、その後七海兄妹が帰宅し、が戻り、今度は平八が自宅に着替えを取りに行っているとのこと。なんだか入れ替わりが激しいな。ていうか平八のやつ、オレの荷物勝手に漁ってんじゃないだろうな……

「昨日はみんなで黒澤映画鑑賞会したことになってる」
「まあ一応間違ってはいない……
「なんだ、健司も見たのか。みんないいけど、やっぱり久蔵がかっこいいよな〜」

こうして話していると勘兵衛も割と人好きのしそうな男子に見えるのにな……と健司は考えた。背は高め、体つきもしっかりしていて、低音ボイス。こーいう男臭いやつが好きな子って多い気がするけど。

だが昨夜の伊織の話が真実なのであれば、その正義感が強すぎて本当に親しくなれる人が少ないのかもしれない。勘兵衛の正義感は「間違ってはいないけどウザい」タイプであると思われる。全く同じ感性を持つ人物でなければ、友達にも恋愛関係にもなるのは難しそうだ。

そして徹夜の調査任務明けとはいえ、自分でも出来るはずのカップスープや飲み物の用意をに頼んでいるのは気に入らない。自分もに用意してもらったが、頼んだわけではないし、まるで勘兵衛の態度はを女房扱いしているようで……

「健司、今日の任務、聞いてるか?」
「えっ、ああ、夏祭りだろ。伊織が忙しいって言ってたけど」
「無理しなくていいぞ。平八抜きで林田家に帰れないならここにいてもいいし」

そして勘兵衛の態度にモヤッとしたものを感じてしまうのは、彼が「リーダー」であるからかもしれない。リーダーの下でその他大勢になるのはしばらくぶりだ。なのでそこはちょっと反省。来年になれば嫌でも新入りから出直すことになるのだし、傲慢な自分は好きじゃない。

「夏祭りで任務って、何やるんだ」
「特定の依頼があるわけじゃない。ただこの祭は昔から問題が多くて」

少なくとも60年ほど前には祭の存在が確認されているらしいのだが、当時は地域の中心にある神社の御輿を担ぐ程度の夏祭りだったらしい。地域の高齢者によれば当時は住宅が少なく、ちょっと街を外れると畑や雑木林ばかりの土地だったそうで、それが人口が増えるに従って大規模な催事に発展したそうだ。現在は神輿よりも多くの露店と日没後のダンスパレードの方がメインになっている模様。

「ダンスパレードは種目を問わないから子供や高齢者の参加も多くて、その時間帯まではいいんだけど、それが終わるとガラの悪いのが一気に増えるんだ。それでも今はまだ良くなった方で、昔は毎年暴走族と警察が大喧嘩してたとか、反社会的な感じの人がトラブルを起こしたとか、そんなのばかりで」

なので近年になるまで「未成年はダンスパレードが終わったら帰宅しましょう」が絶対的なルールで、それを過ぎてウロウロしている中高生がいると警備にあたる警察官から帰宅を促されるようになっていた。ここ十数年はいわゆるヤンキーな若者が激減したせいもあって、祭自体は以前より平穏になってきていたのだが……

「その代わり、祭から離れたところで犯罪が起こるようになった」

特に80年代「不良」時代はいわゆるカツアゲが横行し、あるいは通りすがりに女性が体を触られるなど痴漢が多く、そうでなければ遠方から多くのスリが出稼ぎに来ていたなど、祭が行われている大通りの中に犯罪が集中していた。そして改造バイクやパンチパーマが遊びに来ては警察と衝突。

それが90年代から00年代にかけて一気に廃れると、祭の帰り道で様々な被害に遭う女性が増大。あるいは低年齢層間でゲーム機やスマホの強奪なども相次ぎ、せっかく祭自体が平穏になったというのに、結局「子供は親同伴でさっさと帰りましょう」を勧めざるを得なくなってしまった。

「でも帰らんだろ、普通。ダンスパレードが終わるのって20時くらいだし」
「そのダンスパレードに参加してる子たちはそこからお祭りだしね」
「しかもそれぞれの帰り道まで警察は見守ってはくれない」
「現場が広がって犯罪のバリエーションが増えちゃった、って感じ」

祭でみんなが自宅を留守にするので、特に施錠に無頓着な高齢世帯を狙って空き巣が多発。歩くと遠い地域から車でやって来て民家の門前に駐車する輩が毎年必ず発生。自転車が消える。車上荒らしが増える。祭会場を少しでも外れるとゴミだらけ。

「それを全部手助けするのか?」
「それは無理。でも日没後からこの辺りを延々うろつくことになってる」
「それ、逆に不審者に思われそうだけど……
「オレたちは地元の子だから大丈夫。顔見知りも多いしな」

勘兵衛は事もなげに言うが、健司とはちょっとだけ気まずい表情をして目線を交わした。確かに健司が自転車でも徒歩でもうろついていたら「見知らぬ若い男が徘徊していた」と言われてしまうかもしれないが、勘兵衛なら「昂ちゃん」やら「田島くん」で済むわけだ。

「カバー範囲が狭いのはしょうがないけど、ここ何年かの被害から事件が起こりやすいエリアは特定出来てて、その辺を中心に巡回、もし問題があれば本部の指示に従って応援に、て感じかな。そう、もちろん伊織は行かない。だいたいあいつ暑いの嫌いだしな」

そういうわけで今夜は伊織を除いた全員が現場に出動。それぞれ祭会場やトラブル多発地域をウロつくなどしてパトロールに当たる。

「ペアはどうするんだ?」
「と言っても、菊千代と平八は単独、リンは当然みちる、去年オレはだったか」
「そう。七郎次と千秋はなんかあんまり興味ないみたいで、やっぱり単独巡回」

カップスープ片手に頷きながら、健司はまたちょっとモヤモヤしていた。3年生同士なので自然な流れなのかもしれないが、勘兵衛とという組み合わせは「リーダーとその女」を思わせる雰囲気がたまに匂ってくる。そしてそれは主に勘兵衛のへの態度のせいではないかと感じられて、健司はどうにも座り心地が悪い。

それに、このジャスティス7の中ではふたりとも厳格なタイプであり、狂犬揃いの後輩たちをまとめ、精神的にも支えているお兄さんとお姉さん。夏祭りにペアってそれ普通にデートじゃん。くっそ、平八がヘラヘラしてないでもう少し頼りになれば……

「ペアな〜。でも、去年は結局途中で別れたんじゃなかったか?」
「そう。私がみちると合流して、みんなはひったくり犯追いかけてた」
「そうだった。あんまり組み合わせを決めてしまうとそれはそれで困るんだよな」

いや、決めたい。オレがとペアになりたい。の浴衣姿見たい。

だが、おそらくきっと残り少ないジャスティス7との時間、せめてとふたりで夏祭りを、という健司の願いも虚しく、基本的には普段の現場班が会場外に出て、とみちると千秋の本部班が祭会場を巡回することになってしまった。

結局それかよ……と落ち込む健司だったが、夕方頃に全員が本部に揃うと、すぐに機嫌が治った。浴衣ではなかったけれど、が可愛い服に着替えたからだ。例え小豆色に白ラインのジャージを着ていてもは可愛いが、可愛い服を着ていればそれがより際立つ。

これでずっとふたりっきりだったらな! 言うことないんだけど!