ビー・ア・ヒーロー

11

せっかくの夏祭りだって言うのに……と不貞腐れていた健司だったが、ダンスパレードが始まる前の会場はトラブルも少なく安全だ、ということで、しばし自由行動が許可された。平八がトルコアイス食べたいとうるさかったのだが、形振り構っていられない健司はを誘った。

そうして、少し背中の空いたトップスにピンクゴールドのイヤリングのとふたりきりになった。平八が着いてこようとしたが、菊千代が止めてくれた。菊千代くん君はやっぱりナイスガイだ……! 正直その向こうの七郎次の顔が怖いけど見なかったことにする……

……何もないといいね、こんな楽しいお祭なんだから」
「去年はひったくり追いかけてたんだっけ?」
「そう。相手自転車だったから、逃げられちゃったけど」

かき氷を食べながら話すの唇がイチゴシロップで薔薇色に染まる。チュロスをかじっていた健司はそれに気を取られながら夢見心地で歩いていた。全てに疲れて暗闇に飲まれそうだったオレに必要だったのは、こういう時間だったんじゃないのかな。平八とかジャスティス7とか花形とか特に必要なかったんじゃないかな。

の首筋でピンクゴールドがキラリキラリと揺れては煌めく。それすら頭の芯をとろけさせてしまいそうだ。が両手でかき氷を食べねばならない都合上手は繋げないけれど、その代わり何かあるたびに背中や肩を抱き寄せるようにして雑踏を歩く。それはそれで。

そして地元民が地元の祭なので知り合いがどんどん流れてくる。誰も彼も、に声をかけた後に健司を彼氏だと勘違いしてくれた。いいぞ、その勘違い、どんどん吹聴してくれ。だががすぐに「歩のいとこ」と言ってしまうので、全員「あ〜」と妙な納得をして去っていく。

「オレ、昔から地元の繋がりとか希薄で、こういうの少し怖い気がする」
「それもわかる。こそこそと悪いことしてたら親にすぐバレる街だからね」

かき氷のあとはあんず飴。またの唇がてらりと光る。

「それも……最近は少し違和感感じてて」
が?」
「子供の時は気にならなかったんだけど、大人の会話の意味がわかるようになってから、少しね」

チュロスで喉が乾いた健司が手にしていたラムネ瓶のビー玉が、カチリと鳴る。

「嘘か本当かわからない噂が消えない街なの。大人はいつまでも不確かな噂を『情報』だと頭にインプットしたまま、陰口を叩き続けてる。きっと……伊織はそういうこの街に、絶望してしまったんだと思うんだよね。久我の家は今でもお殿様みたいに扱われてるし」

昨夜伊織と話したことを思い出した健司は、それはの「優しい受け取り方」であって、伊織の真実ではないのではと思ったが、彼女のその善意を否定したくなかった。

「チームにいれば誰かを助けることが出来る。でも、そのたびにこの街を嫌いになる」

健司は一瞬意識が遠くなり、脳内で健司の「日常」であるバスケットコートの音を聞いた。

の違和感が、勝利への渇望と敗北への不安に似ているような気がして。

と祭デートで幸せに浸っていた健司だったが、ダンスパレードが始まると勘兵衛から呼び出しがかかった。イヤホンの向こうで勘兵衛はやけに浮ついた声で「ジャスティス7、アッセンブル」と言って鼻で笑っていた。本日夕方まで本部で寝たり起きたりしていた勘兵衛と菊千代は七郎次の見ていたヒーロー映画を眺めていた。さしもの勘兵衛も祭だと気分が上がるのだろうか。

だがそんなお祭り気分も十数分後に千秋の通報で吹き飛んだ。まずは中学生の女の子が酔っ払いに絡まれていた。しかしこれは羽目を外した一般人の粗相だったようで、菊千代が急行して間に入っただけで解決。助けられた中学生女子までもがビビっていた。

その足で菊千代が迷子を見つけたが、迷子が菊千代にビビって逃げ出したのでと千秋が急行、ほぼ同時に高校生と中学生の喧嘩の通報が来たので、そこでジャスティス7は分散した。

最年長地元民であると平八と勘兵衛によれば、それでもこの程度は毎年のことで、3人が記憶にある一番大きなトラブルというと、ダンスパレードに出場していた大人チーム同士の喧嘩で、数十人vs数十人の、ほとんど暴動だったそうだ。

なので細かなトラブルに首を突っ込んでは「社会奉仕活動」に精を出していたジャスティス7だったのだが、ダンスパレードが終わりきらない19時45分頃に突然伊織から連絡が入った。

「全員集合。緊急事態」
「どうした、全員それほど離れてな――
「いいから集まれ。土屋さんから連絡が入った」
「土屋さん?」

グループ通話を聞いていた健司はついオウム返しにそう聞いてしまったのだが、目の前にいた勘兵衛の顔色が変わったので、すぐに口を閉じた。勘兵衛は落書き犯が山門にスプレーを吹きかけた時と同じ顔をしていた。すぐ近くにいたのか、合流してきた菊千代も穏やかでない表情をしていた。

「全員聞いてるな? 土屋さんから連絡が来た。今、信瀬(のぶせ)の母親と被害者しかいないようだ」
「確かか」
「これまでに確認出来てる全員が集まって祭に向かった様子らしい」
「どうする」
「今土屋さんが窓越しに話しかけてる。いけそうなら隣に移す」

話が全く見えないが、集まってきたジャスティス7の表情が一様に厳しいので、健司は思わず喉を鳴らした。なんだか言葉のひとつひとつが、これまでのケースとは比較にならないほど緊迫したものに聞こえていて、真夏の夜だと言うのに手首のあたりにゾクリと震えが走ったような気がした。

「現場班は信瀬たちを捜索。見つけ次第即報告。とみちるは土屋さんの家で被害者を確保。おそらく土屋さんと信瀬の家を尋ねることになるだろうから、それは千秋に頼みたい」

普段現場班と本部班をきっちり区別している伊織がたち本部班まで駆り出すということに、ジャスティス7も緊張が強くなってきた。しかも、ジャスティス7の活動に対しては否定的な意見を持っているはずの千秋に異議はないらしい。それだけ切羽詰まった事態なのだろうか。

「健司、説明は道すがら誰かに聞いてくれ。てか細かいことは移動しながらにしよう」
「旧道の交差点のあたりまでは全員一緒だから、そこまでに作戦まとめるぞ」
「急ぎだけどトイレ行きたかったらそれだけは済ませておけよ」

グループ通話はそのままに、ジャスティス7は特設駐輪場に向かい、自転車を引っ張り出して祭会場を離れた。祭のメインストリートではダンスパレードがだいぶ押していて、優勝候補と名高いソーラン節のチームで盛り上がっている。

その喧騒を背に、健司は隣を走るの低い声に息を呑んだ。

……ある家に、監禁されてる女性が、いるの」

最初の「依頼」はやはり例の掲示板だったそうだ。どうしてもヒーローたちに相談したいことがあるが、慎重を要することだから、直接連絡が取りたい。そんな書き込みにスレッドの住民たちは、ここで内容を公に出来ないことを依頼するのはヒーローたちの安全のためにもやめた方がいいと忠告した。だが、依頼主はもうヒーローしか頼れる人がいないと食い下がった。

そして伊織にとっては殺し文句である「役所も警察も誰も信用出来ない」という言葉を書き込んだ。

それでも一応掲示板には「ヒーローたちから直接連絡を取ってもらうための手順」が記されており、依頼主はそれに従って連絡を待った。数日後、いそいそと連絡を取ってみた伊織は、とんでもない話を耳にする。依頼主は土屋と名乗り、「隣の家に女性が監禁されている」と報せてきた。

「昨日も勘兵衛と菊千代が調査に行ってたでしょ。その件を調べてた」
「信用出来なくたって、それはまず通報するべきなんじゃないのか」
「それが、その家っていうのが」

伊織の言葉の中にあった「信瀬」、それが女性を監禁している家なのだそうだが、によれば、信瀬は久我に匹敵する地元の古い家柄で、久我ほど裕福ではないが、とにかくこの街の一角は信瀬だらけ、いたるところに信瀬の者がいて、それは役所も警察も同じだという。

「私が実際に確かめたわけじゃないけど、少なくともこの街の大人にとってはそれが共通認識。お殿様は久我だけど、実際にこの街を仕切ってて、色んな意味で支配しているのは信瀬。しかもちょっと裏側の。だから土屋さんは通報出来なかったんだと思う」

勘兵衛と菊千代の調査によると、その信瀬家はそれでもいわゆる「愛人の家」で、信瀬の中でも中心部の人物が囲っていた女とその子供に与えた家らしい。

「だけどそこの子供っていうのが、この辺では有名なワルというか、もう昔から手のつけられない困った人だったらしくて。今30歳前後くらいらしいんだけど、でもずっと何のお咎めもないから、きっと犯罪を犯していても揉み消されてるんだろうって噂されてた。私も何度か見かけたことあるけど、いつも金属の棒みたいなの持ってて怖かった」

ジャスティス7始まって以来の強敵に、さしもの伊織も即突撃とはいかず、主に勘兵衛と菊千代が何度も調査に赴いて、下調べをしているところだった。

「今のところ分かっているのは、女性がひとり閉じ込められてること、信瀬には仲間がいて全部で5人のグループだってこと、信瀬の母親は息子を恐れてるみたいで、近所の人と話そうとしないこと、現場の信瀬家は角地、裏は近所の会社の倉庫で、信瀬家のことは隣の土屋さんしか気付けないから、もし通報したら一発でバレるってこと、依頼主の土屋さんも、若い女性だってこと、土屋さんはチャンスがあるたびに監禁されてる女性に声をかけ続けてるってこと」

そこで健司は顔を上げて首を傾げた。だったらさっさと救出しちゃえばいいじゃん。

「監禁されてる女性はたぶん、自分が逃亡すると、自分の家族や土屋さんが襲われると思ってるんだと思う。事実、土屋さんの家も意見が割れてて、お父さんは見て見ぬふりをしろと言ってて、お母さんはなんとかして別の地域の警察に介入してもらえないかと考えてる」

これは確かに通報するしないの問題ではないのかもしれない……と健司も思い始めた。ある時忽然と被害者が消えでもしない限り、犯人グループは外部の「救いの手」を疑うし、それが誰であろうと報復を考える可能性が高そうだ。

「例え警察が来ても、もし信瀬の噂が本当だったら、その時だけ女性を外に出して、そんな女なんかいません、て言って家の中見せて、そうですねすいませんでした〜で終わっちゃうかもしれない。そんなことになったら信瀬は通報者を探す、女性の存在に気付ける可能性が最も高いのは隣の家。だけど依頼者の土屋さんはどうしても無視出来ないって、それで掲示板に」

伊織は自身の家である久我家にも懐疑的なだけあって、地元という泥沼にズブズブになっている信瀬一族に絡んだ事件ということで奮起もしており、土屋家に害が及ばないよう、確実な手を模索していたところだった。ところが犯人グループが全員で家を出たと気付いた土屋さんが、慌てて伊織に連絡してきたらしい。もうこんなチャンスはないかもしれない。

先頭を行く勘兵衛が自転車を止め、伊織のグループ通話に入るよう促す。気付けば「旧道の交差点」に辿り着いていた。多くの人が祭に繰り出している街は静まり返っていて、夏の夜にやけに煌々と輝く街灯はひび割れた地面にスポットライトのように円を作っている。

ジャスティス7は自転車ごと身を寄せ合い、伊織の声を待つ。

「健司、事情は聞いたか」
「聞いた」
「よし、じゃあ追跡班と救出班に分けるぞ。追跡班は勘兵衛、平八、菊千代、七郎次、リン」
「追跡?」
「一刻も早く信瀬を見つけてあいつらの動きを見張り、逐一報告」
「ちょっと待て、てことは救出班は」
「救出班は、健司、千秋、みちる」
「待て伊織、それじゃ」
「黙れ、今回は全員でやらないと無理だ」

みちるが現場に出ることを快く思わないらしいリンが声を上げたが、伊織は意に介さないし、みちるはそんなリンの訴えは無視。普段ならすぐに意見を出す勘兵衛も黙っている。

「救出班がこのメンバーなのは被害者が怯えない人選だからだ。女子はもちろん、万が一被害者を抱き上げることになったとして、それが可能で1番被害者を怖がらせないのは健司だし、千秋も同様。平八もいけるだろうけど、それじゃ追跡班の戦力が落ちすぎるし、追跡班は地元の知識がある方がいい」

伊織の説明は妙な説得力があり、リンはしかめっ面をしつつも小さく頷いた。リン自身も被害者が怖がらないタイプの男子に入るだろうが、なにぶん健司に比べると小柄で幼く、頼りなさげ。

「うまくいけば当然救出班はバトる必要はないけど、健司、そういうことだから、救出班の全体的な安全に関してはお前に全部投げることになる。あと、被害者に接する時は優しく微笑んでくれ」

ちらりとジャスティス7を見回した健司は、頷きながら返事をして、そっとため息をついた。これまで自分で自分を美男子だなどとは思えないでいたけれど、勘兵衛や菊千代では怯える女性が余計に怖がるだけだというのはよくわかる。そして確かに地元民平八は追跡班にいた方がいい。

「伊織、だったら七郎次も救出班に……
「しつこいぞリン!」
「だけど……
「七郎次が抜けてどうする。やつらを止める必要があった時、七郎次がいなかったらお前死ぬぞ」

健司はまたちらりと七郎次を見る。彼女は腰に手を当てて仁王立ち、表情はいつも通りの仏頂面、そして動揺は一切見えない。伊織の「正義」を信じ込んでいるらしい点は問題なのだろうが、健司から見てもこのジャスティス7で1番強いのは七郎次だ。迷いが一切ない。

「リン、協力出来ないなら帰れ。みちるは自分の意志でここにいるんだ。お前の所有物じゃない」
……わかった」
「時間がないっていうのに……。そういうわけだから、追跡班、今すぐ出ろ」

さすがにリンが可哀想になったのか、みちるは彼にキスをして送り出した。そして追跡班が走り去ると、伊織はため息をひとつ挟んで手を叩くような音を響かせた。

「次、救出班。まずは現場に急行。土屋さんの玄関ドアが開いてるから、音を立てずに何も言わずに入ってくれ。そしたら土屋母子がお裾分けを装って隣の家を尋ねる。信瀬の母親は怪しまれたくないから絶対出てくる。そしたら少し遅れて千秋、道に迷ったふりをしてふたりに声をかけてくれ。その誤魔化し方は土屋さんが考えてくれてる。残りはその間に救出」

土屋さんによれば、被害女性は土屋家と一番近い窓に接近することが出来るそうなので、信瀬の母親を引き離している間にと健司とみちるで助け出すという計画。これは確かに女性の警戒を緩めやすいルックスを持ち、抱き上げられる筋力も兼ね備えている健司が適任かもしれない。

「被害者の状態にもよるけど、移動に問題がないようならそのまま土屋家を出る」
「待った、土屋家は大丈夫なのか、それで」
「信瀬の家の玄関には防犯カメラがあるんだ」

そのカメラの画角を慎重に調べたところ、土屋家は庭木と物置のお陰で玄関が死角になっており、玄関からの脱出は捕捉されない。そしてその防犯カメラがあるおかげで「救いの手」の可能性が一番高い土屋さんのアリバイも確保できる。

「アリバイって、その土屋さんちが全員でお裾分けに行くのか?」
「父親は仕事で出張中で、別の意味でアリバイ確保済み。お裾分け中は土屋家は無人てことになる」
「ということは、被害者が自力で抜け出したということになるの?」
「そう。体裁としてはそうなる。それには土屋家の敷地を使うことにはなるけど」

その間、土屋母子と千秋が玄関先で信瀬の母親を足止めしていれば、空白の時間は発生する。

「だけどおそらく信瀬の母親は一刻も早くドアを閉めたいだろうから、のんびりはしてられない」
「被害者が救出に頷いてくれなかったら……
「それは今土屋さんが説得してる」
「じゃあその結果次第では中止ってことも……
「それはあり得る。だけど最後のチャンスだってことは言い続けてる」

隣家に関わることを嫌がっていた土屋家の父親もいないし、確かに今夜は降って湧いたチャンスではある。あとは被害者が勇気を出してくれさえすれば――

「以上、質問は?」
「土屋家に保護したあとのことは」
「チャリで一刻も早く現場を離れて被害者の家に直行」
「警察じゃなくて?」
「被害者担ぎ込んで『ヒーローです!』って言う気か?」
「被害者宅で事情説明すればいいのね」
「オレたちは関わっていない、被害者が自力で逃げ出した、それ以上の痕跡は残すな」

救出班全員が頷き、自転車のストッパーを外した。健司はともかく、たちは普段本部で後方支援のメンバーだが、それでも表情に迷いはないように見える。全員ジャスティス7を「ヒーロー」だと思っていることには変わりがない。

その正義やヒーローとしての在り方にはそれぞれ思うところは異なるが、救いの手がないところにこそ手を差し伸べねばという気持ちだけは共通しているのかもしれない。正直、健司にはそこまでの強い気持ちはなかったけれど、本当に理由もなく閉じ込められている人がいるのなら、それを家族のもとに返してあげたいとは思った。

「ヒーローズ、気を抜くなよ。これは遊びじゃない」