ビー・ア・ヒーロー

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少なくとも、その屈辱的な敗北から1ヶ月ほどは心を立ち直らせるためのステップを順調に踏んでいると思っていた。仲間たちも1日が過ぎるごとに心の傷を修復し、遠い季節に残された最後のチャンスへと気持ちを移していっているように見えた。

別に負け試合は初めてじゃない。子供の頃から数えても、何度も何度も負けは経験している。だけど、負けるはずのない試合だったし、負けてはならない試合だった。そして、負けるとは微塵も思っていなかった。いつも通りにやれば、いつも通りに勝てる試合のはずだった。

最初のショックが過ぎた2日後、インターハイ予選の初戦で敗退というまさかの事態に呆然としていたバスケット部の3年生は、部室で肩を落として腕を組んでいた。例年通りならシードである予選を余裕で突破して、県予選の決勝に向けての対策を始めなければならない頃合いだが、インターハイ出場の可能性が消滅したため、体育館は県大会を順調に勝ち進んでいたバレー部に明け渡さねばならなくなった。なので、しばし練習は短縮。あるいは外を走るか。

そんなどんよりした空気の中で3年生たちがぼそぼそと語り合った中で出た結論のひとつに、「恐れがなかったこと」が挙げられた。揺るぎない自信や勝利への明確なイメージ、あるいはそれらを裏打ちする日々のたゆまぬ努力、そういうものばかり見ていて、「今度の対戦相手に負けるかもしれない」という危機感は微塵もなかったと気付いた。

それは単純な言い方をすれば「対戦相手を舐めていた」ということなのだが、本人たちにはもちろんそんなつもりはなく、かといって、ただ前だけを見て未来を目指していれば勝利は自分たちのものだ、なんていう綺麗事に囚われている自覚もなかった。

相手がどれだけ格下に見えても、自分たちにどれだけ実績があっても、番狂わせは起こる。それを身をもって体験した3年生はそこで初めて「対戦相手に敬意がなかったかもしれない」ということに気付いた。負けるまでの対戦相手は、勝って踏み台にしなければならないだけの存在だったからだ。

慢心などないと思っていた。けれど、自分たちの本当の敵は3日前に敗北した県立湘北高校ではなく、海南大附属高校だと思っていた。湘北との試合の間でさえ、海南のことを意識していた。

目の前にどんな対戦相手が現れようと最大限の敬意を払い、「こいつらがオレたちの最後のインターハイを阻む大きな壁なのかもしれない」と思えていたら。だから「一瞬たりとも油断することなく、これが最後の試合だと思って死ぬ気で戦わなければ」と思えていたら。

まだ敗北のショックに背中を丸めていた3年生たちは、それを「恐れる気持ちが足りなかったのでは」と結論づけた。これで3年生の夏が終わるなんて、誰も思っていなかった。

そうして自分たちを敗った湘北高校が、去年まで予選一回戦敗退だった「弱小チーム」がインターハイへの出場を手に入れるのを見送り、彼ら翔陽高校の3年生は長い夏休みを迎えた。

例年であれば、夏休みになった途端合宿に出かけ、ほんの数日休みを挟んですぐにインターハイ、そこから戻っても引退などで変わる体制の調整など、夏休みは朝から晩まで部活だった。お盆の頃には一応休みがあり、寮生は帰省するなどしていたけれど、それもほんの数日で、宿題は部活の合間に部室やミーティングルームでやっていて、家にすらほとんど帰らず遊びにも行かず……という8月を過ごすものだった。練習と関係ない楽しい思い出というと、合宿の最終日前夜に恒例のバーベキューと手持ち花火くらいだっただろうか。

でもそれでも構わなかった。浴衣の彼女と手を繋いで花火を見ながらキス出来なくても、インターハイで優勝したかった。自分の望むものはそれしかないと思っていた。

だというのに8月、バスケット部は実に5年ぶりに「インターハイ優遇なし」の夏休みを食らった。

翔陽高校における「インターハイ優遇」とは、宿題の一部免除・規定時間以上の体育館使用と校内活動の許可・合宿日数の超過許可、の3つ。ということで、その特別待遇を失ったバスケット部は普通のクラブ活動と同じように合宿を5泊6日以内で切り上げ、他の生徒と同じ量の宿題を出され、8月中の校内活動の時間を制限された。お盆休みも規定通り、例年より3日も上乗せされてしまった。

それでも高校総体神奈川代表が遠く広島の地で激戦を繰り広げている間は淡々と走り込みをしたり、基礎練習からやり直したり、次の全国大会へ向けてのメンタル作りなども行っていた。

が、8月の初週、神奈川における2大強豪校でありライバルと思ってきた海南大附属が決勝進出したとの報が飛び込んできた。以前から全国的な強豪校だった海南大附属だが、決勝進出は初だったそうで、予選敗退から自分の心をずっと騙し続けてきた3年生は空気の抜けた風船のように一気にしぼんだ。

そのまま例年より長いお盆休みに突入する羽目になった翔陽高校バスケット部3年生、中でも現在主将であり選手兼監督兼部長である藤真健司は全身が空っぽになったような錯覚から抜け出せないまま、副部長の花形に背を押されて学校を出た。明日からしばし本当の「夏休み」である。

「特に用がなければ毎晩連絡しろよ」
「別に話すことなんかないと思うけど」
「だからだよ。生存報告しろ。いいな」
「心配しなくても自殺したりしないよ」
「それは心配してない」
「じゃあなんだよ」
「闇落ちしないように」

背中を丸めて歩いていた健司は、そんな花形の言葉に彼を見上げた。確かに仲間のメンタルを心から案じる友情に篤い表情――ではなかった。普段通りの真顔。

「お前には冬までチームを引っ張ってもらわないとならんからな。ちゃんとメンタル立て直して来い」

そのためにもひとりで暗闇に堕ちることがないよう、ちゃんと連絡しろと花形は言い、そんな気遣いなのか何なのかよくわからない仲間の言葉を反芻しつつ、健司は自宅に戻った。ベッドの傍らには合宿に持っていった大きなスポーツバッグとリュック。

あまりにも自分の中が空っぽな気がして、こんな重そうなバッグふたつを背負える気がしない健司だったが、何でもないという顔をして家族と食事をし、ゆっくりと入浴をし、真っ暗な部屋にヘッドフォンで世界を閉ざすと、花形が言う「暗闇」が自分を取り巻いているような感覚がした。

わかりやすくグレるだとか、危険な遊びをするだとか、そんな自分は想像出来なかったけれど、空っぽになってしまった自分の中に満ちていたはずの光や暖かいものの代わりに、冷たくて暗くて重い何かが入り込んできて、そのせいで何かが変わってしまうかもしれないというイメージは簡単に湧いてきた。

けれどそれは妙に心地が良くて、暖かな光よりもよほど自分を慰めてくれるような気がした。

そんなもので自分の中がいっぱいになってしまったとしても、きっと何も変わらない。少しだけこの苦しさと空虚さが和らぐだけで、オレは変わらない。いつもより長い夏休みが終われば、昨日までの日常が戻ってくるだけ。ただひたすら次の大会に向けて練習するだけ、それだけの夏に戻るだけだから。

だってそうだろ、オレはオレ以外の何者にもならないし、なれないんだから。

「夏休み」初日、健司はリュックを背負い、スポーツバッグを斜めがけにして初めて降りる駅でぼんやりと突っ立っていた。左手のスマホは沈黙しており、なぜか右足のふくらはぎを汗が伝う。イヤフォンからは無性に聞きたくなってしまったハードロックが流れて耳を叩く。

それにしても暑い。どうしてかいつも通りに顔を出しているのが嫌でキャップを被り、その上からフードまで被ってしまったので余計に頭が暑い。

沈黙していたスマホに通知が浮き上がる。それを確認すると、今年は例外的に夏休みが長いと聞きつけた同じクラスの女子からのメッセージだった。自宅もわりと近い彼女は休みが長いなら遊ばないかと誘ってきた。彼女はクラスの中でも目立って明るいタイプで、しかしマウントやいじめには縁がない、楽しくて話しやすい子だった。そんなつもりはなかったけれど、どうせ付き合うならこういう子の方が部活との両立は楽だろうなと思っていた。

だが、そんな好感しか抱きようがない女子が今は憎らしく感じるほど苛立っていた。なんでこいつ楽しそうなんだよ。テンション高めの絵文字がムカつく。オレがこんな疲れてるの知ってて言ってるんだろうか。予選で負けたことは知ってるはずだろ。せめて一言労るとかないのかよ。

頭の中に浮かび上がるのは言いがかりばかり。もしかしたら落ち込む健司を気遣う誘いだったかもしれないのだが、それを真正面から受け止められなかった。

健司は夏の日差しに眩みそうな目を細めて返信を打つ。

ごめん無理。しばらく親戚の家にいるから

嘘ではない。初めて降り立った駅は見慣れぬ私鉄の駅で、ここは親戚の住む街。

目の前で鳴ったクラクションに顔を上げると、黒いバンの助手席から懐かしい顔が手を降っていた。

「健司ー! すまん道が混んでて! おまたせ!」

その声を聞いた瞬間、健司は言いがかりと苛立ちから解放されて、顔には笑みが浮かんだ。イヤフォンを引き抜いてポケットに突っ込むと、足取りも軽くバンに乗り込む。途端にひんやりとした空気が全身を包んで、呼吸が楽になった気がする。

「悪かったな、思ったより道が混んでて。暑かっただろ、喉乾いてないか」
「大丈夫、ありがとう。そんなに待ってないよ」

すぐに発進したバンの中で健司はバッグを下ろし、フードとキャップを外して身を乗り出した。運転しているのは伯父、そして助手席にいるのはイトコでありハトコでもあるというややこしい関係の同い年の親戚。ふたりとも会うのは久しぶりだ。

「てか久しぶりだな健司! またかっこよくなったんじゃないか、お前」
「人のこと言えた顔かよ。伯父さん、元気だった?」
「みんな変わりないよ」
「親父は髪の量が減っただろ」
「量は減ってない。1本1本がちょっと細くなったからそう見えるだけだ」

伯父とイトコハトコの言い合いに笑いながら、健司は日常の感覚が遠ざかっていくのを感じていた。

酷い敗北にすっかり参っている息子を案じて転地療養を勧めたのは親だった。自分たちでは慰めてやれるのにも限界があると感じたふたりは、夏休みの間を「普段の藤真健司」を誰も知らない場所で過ごしてみないか、と勧めた。それがこの街と親戚の家だ。

バンを運転している伯父は健司の母親の兄なのだが、その妻は健司の父親のいとこにあたる。なので助手席の同い年はイトコ兼ハトコということになるのだが、そのせいかどうか、親戚の中でもふたりはよく似ていて、子供の頃から仲が良かった。

そのイトコ兼ハトコ、林田(あゆむ)は体を捻って後部座席に顔を向けると、優しい声で言う。

「健司、こんな何もない街だけどさ、ゆっくりしていけよ」
……ああ、ありがとう」

そういえばこの街には何もなかった。健司はシートに身を沈め、まだバスケットに出会う前の自分を思い出す。やはり夏休みになるとこの街か自分の地元で歩と遊んでいた。個性のない街、家と低層ビルとひっきりなしに走る車、ほんの少しの緑、全国チェーンの店ばかり。

どこにでもある街、どこにでもある景色、どこでも変わらない街、代わりはいくらでもある。

オレにはこういう場所が相応しいのかもしれない。

また自分の中の空洞を感じた健司はしかし、運転席と助手席の聞き慣れた声にそれを振り払った。林田家に泊まるのは何年ぶりだろう。バスケット選手として注目され始めて以来、親戚づきあいからは遠ざかっていた。盆暮れ正月に法事も何もかも、健司はいつも部活で欠席していた。

本当に何もない街だけど、そんな無個性の世界に紛れて歩と遊ぶのも悪くない。

昼過ぎに林田家に到着した健司は叔従母(いとこおば)が用意してくれた山盛り天ぷらとそうめんに迎えられ、普段ちっとも身内の集まりに顔を出さない健司が久しぶりに来ていると聞きつけた林田の親戚たちにも迎えられ、照れくささと嬉しさと懐かしさで目眩がしそうになっていた。

あれよあれよという間に財布はお小遣いで膨れ上がり、歩はそれを見つつ「それで遊びに行くなら付き合うけど、お前は貯金か?」とニヤニヤしていた。見た感じはよく似ている健司と歩だが、性格でいうと歩は緩め、健司は硬め。

こんな風に部活と関係ない人間に囲まれて、どうでもいい話をするのは本当に久しぶりだった。みんな二言目には「彼女いるの?」と聞くが、誰も部活のことには触れてこない。全員事前に歩たちから予想だにしない大敗で健司が参っていると聞かされていたんだろう。

そんな肌触りの悪い気遣いが逆に気持ちを宥めてくれる。林田家の影のドン、12歳の飼い猫ナナ、そして歩の祖母にも癒やされる。しかも林田のおばあちゃんということは、健司にとっても祖母にあたり、彼女とは実に3年ぶりの再会で、思わず泣き出した祖母につられて目頭が熱くなる。

そんな怒涛の午後、健司はやがて急激な眠気に襲われ、荷解きもしていないスポーツバッグに頭を乗せ、ナナに添い寝をしてもらって昼寝をした。歩の住む林田家は古く、部屋と言っても差し支えないような広縁があり、そこで眠りに落ちてしまった彼を気遣って親戚たちは帰っていき、歩はカーテンを閉めてくれた。この数ヶ月というもの、健司にはめったに訪れない熟睡だった。

「普段毎日走り回ってるからって、疲れないわけじゃないもの。よかったね、ぐっすり眠れて」

目が覚めると、大きな座卓に茹でたとうもろこしを置こうとしていた叔従母、歩の母親が見えた。家の中はしんと静まり返っていて、傍らではナナが撫でてくれとでも言いたげに腕を舐めている。

……ごめんなさい、荷物もそのまま、挨拶もせずに」
「いいのよ。みんなわかってるから。あんたが少しでも元気出たらそれでいいの」
「かっこ悪いよね、そんなの」

ナナをゆっくり撫でてやりつつ、健司は鼻で笑った。けれど叔従母(お ば)さんは山盛りのとうもろこしを積み直しながら、「ハッ」と笑った。そういえば彼女は若い頃は今で言うギャルだったと聞いたことがある。ギャルはギャルでもちょっと強めのタイプだったのかもしれない。

「バカねえ、あんたはずっとかっこいいの。私たちみたいな素人には、それがあんたみたいな素晴らしい選手なら、勝っても負けても同じなのよ。勝利にも感動するけど、たとえ負けたとしても、その敗北の中から立ち上がる姿に勇気をもらって感動するの」

その立ち上がる気力がないんだけどな……と思いつつ、健司は礼を言って荷を広げた。この古い林田家は何度かリフォームを繰り返しているが、元は横長の田舎家に似た造りで、1階にも2階にも部屋が多い。健司は1階にある部屋を借りることになっているので、そこに荷物を運び込む。

畳に襖にガラス障子、折りたたまれた布団に扇風機。普段はおそらく収納部屋として使われているであろう4畳半に、居心地の悪さとときめきを同時に感じる。撫でられ足りないのか足元にすり寄ってくるナナの「にぁあ〜ん」という甘えた鳴き声が木材の天井に吸い込まれていく。

そこで荷物を広げていると、ノックもなく襖が空いて叔従母さんが顔を出した。

「伯父さんと歩、今お寿司買いに行ってるの。その間にお風呂入っちゃったらどう?」

山盛り天ぷらとそうめんだけでも宴会のように感じていたけれど、彼女はまだもてなしてくれるらしい。それも嬉しいが、林田家の風呂と聞いて健司はまた気持ちが沸き立った。この古い家の風呂は大きく、健司と歩の祖父が大の風呂好きだったせいで大きな窓があり、露天風呂気分になれるのだった。昔はよく歩と一緒に風呂に入り、水鉄砲やおもちゃで遊んだものだ。

「なんかもてなしてもらってばっかりで申し訳ないけど、先にお風呂もらうね」
「久しぶりなんだもん、いいじゃない。夕ご飯も楽しみにしてなさいね」

とうもろこしと寿司はバレているのに、この言い方ではまだ何か隠れているのかもしれない。ぐっすり眠っている間に天ぷらとそうめんはすっかり胃を通過したようで、早くも腹が減り始めていた。

林田家の古い風呂は記憶の中のままで、健司はニヤついてしまいそうな口元を手で押さえつつ、シャワーで汗を流すとその大きなタイル張りの浴槽に沈んだ。湯は熱め、だけどその肌を差すかすかな痛みが快感に変わる。

のんびり湯に浸かってから風呂を出ると、ちょうど歩たちが帰宅したので、そのまま宴会になった。伯父さん叔従母さんはとうもろこしと寿司だけでなく、ステーキと唐揚げと焼き鳥とトンカツと餃子を用意していて、林田家の大きな座卓はそれらの「健司もてなし料理」で埋まってしまった。

しかも「食後にはサーティワンもあるぞ」と伯父さんは楽しそうだ。翔陽に入学してからというもの、当時まだ在籍中だった監督の指導の元、タンパク質を中心とした食事指導で過ごしてきた健司には久々の食べ放題だった。脂質と糖質は疲労を長引かせるとして、合宿でも控えめに設定されていた。

だがもうその監督はいない。今は健司が監督なので、その食事指導を守らねばならない理由もないはずだった。食事指導を徹底していたって、試合には負ける。健司は何も考えずに好きなだけ好きなものを食い、喋っては笑い、酔い始めた伯父さんと一緒になってクィーンの「We are the Champion」のサビを繰り返して歌った。そこしか歌詞がわからない。

普段より多く飲んだらしい伯父さんはやがて、玄関に続く廊下に上半身を転がして寝てしまった。

「伯父さん、ああいうのよくあるの?」
「いや、久々に見たよあんなの。楽しかったんだろうな」
……オレも楽しかったよ。こういうの、久しぶりで」

食後、潰れてしまった伯父さんの背中を眺めつつ、健司は歩とボソボソ喋っていた。テーブルの上の宴会の残骸は箸や手がついていないものが引き上げられて隙間があり、余計に無惨だ。すると歩が寿司のパックを指で押しのけてスペースを作ると、身を乗り出して声を潜めた。

「実はさ、オレを産んだあとに母親に病気が見つかって、2人目、望めなかったんだよ。でもふたりとも子供はせめてふたり以上欲しかったらしくて、だから嬉しかったんじゃないかな。ほら、オレたちちょっと似てるだろ」

初めて聞く話だった。そんな話を聞かされてしまうと部活を理由にずっと疎遠になっていたことが申し訳なくなってくる。だから子供の頃はよくこの家に来て遊んでいたんだろうか。確かに思い返してみても、林田の伯父さんと叔従母さんはいつも可愛がってくれていたような気がする。

かといって、「今後は出来るだけ顔を出すようにするよ」とは無責任に言えなくて、健司は歩から目をそらした。それを約束することは自分のバスケットからも目をそらすことになるし、この「夏休み」が明けて元の自分に戻るなら、その約束は嘘になる。

どう答えたものかと考えていた健司だったが、そこに引き戸の玄関ドアがカラカラと開く音がして、叔従母さんともうひとり、女の子の声が聞こえてきた。

「あれ? 叔従母さんどっか行ってたの?」
「あー、近所の家じゃないかな。ちょっと食いきれない量だったし」

苦笑いの歩に苦笑いで返していると、伯父さんを跨いだ叔従母さんのあとから甲高い声が聞こえた。

「えっ、ちょ、なにこれ小父さん? なんでこんなとこで寝てんの?」

声のした方を見ると、オフショルダーのチュニックを着た女の子が立ちすくんでいた。

「わ、お客様、ごめんなさい」

いいえ、と言う健司と女の子の間で伯父さんのくしゃみが炸裂した。