プラクティス・デイズ

16

「なんか、驚くほど違和感ねえな」
「そりゃそうだろう、変わったのは部屋だけだからな」

3月末、東京である。3人とも無事に卒業を迎え、花形は実家に帰り、藤真は大学の学生寮に入寮した。

「何言ってんのよ、藤真の頭が一番おかしいでしょ」
「中身が壊滅的みたいな言い方するなよ」
「まあそれも間違いじゃない」

そして念願のひとり暮らしとなったである。ここはそのの部屋で、学校より花形の家に近いという立地の単身者専用マンションだ。支援者である猛禽類系のおじ様は安全性を何より重視したため、少々家賃の値は張るそうだが、なんと海外にいる父親からも援助が出たという。

そのオートロックのマンションにやって来た藤真の髪はブロンドになっていた。

「一度やってみたかったんだよ、いつでも戻せるんだからいいじゃねえか」

髪の色など本人の好きで構わないが、花形との目には「ますますバカに見える」のであった。

「てか花形こそなんだよ、しばらく切ってないだろそれ」
「去年の11月が最後か?」
「11月だったっけ? 私が少し伸ばしてみて欲しいってリクエストしたの」
「なんかチャラくねえ?」
「そういうことは鏡見てから言え」

結局彼女ができないまま卒業した藤真は、とりあえず夏までに彼女ゲットを目標に掲げている。卒業式ではブレザーがゆえに数少ないボタンを求めて女子が殺到、校章はもちろんシャツのボタンやベルト、マフラーバッグ靴下上履きまで身ぐるみ剥がされ、最終的には髪の毛まで毟られたという武勇伝を打ち立てた。

「まあ、そういう色の方がハゲが目立たないよね」
「ハゲって言うんじゃねえ! 短いだけだ!」

毟られた箇所は髪が千切れている。花形はの存在のおかげでそんな憂き目に遭うこともなく、穏やかに卒業を迎えた。花形本人が最後まで神奈川にいたがったのもあって、彼の引越しは卒業式の翌日、もその3日後であった。藤真は入寮日がもう少し後だったので、ふたりの引越しを手伝い、最後に東京へ来た。

の引越しは猛禽類系おじ様が直々に陣頭指揮を取ったため、母親との間にトラブルはなかったが、それでも引越し当日に花形と藤真が現れると、見境のないアグレッシヴな母親は目を輝かせ、小奇麗な服に着替えてきて猛禽類系おじ様にまた叱られた。一応頭を下げたにも、頷いただけで何も言わなかった。

「そういや花形の兄貴はどうしたよ」
「私、藤真のことは大事な友達だと思ってるけど、今のその顔は殴りたい」

引越しやら手伝いやらで花形の家族に引き合わされることになっただが、既に独立している花形の兄がを気に入ってしまったらしい。ほぼ冗談なのは見ていてわかるのだが、言ってみれば花形の顔をした藤真のような男で、面倒くさい。引越しの時は藤真がふたり状態で、花形はげんなりしていた。

「どうしたも何も、あいつは関係ないだろうが」
「なんだよ〜モメろよ〜今度はオレが可愛い彼女と幸せになるからお前らはトラブれよ〜」
「よっしゃ、オーブンの中身捨ててくるわ」

家を出て抑圧から解放されたは活き活きとしている。進学祝いに猛禽類おじ様に買ってもらったオーブンの中でこんがり焼かれていくパウンドケーキを捨てるべく立ち上がったの足に藤真がすがり付く。さながら金色夜叉の図である。

「藤真のコントに付き合ってやるとは、はなんて優しいんだろうな、ははは」

棒読みだ。金髪を振り乱しながらを引き戻そうと必死の藤真に、その藤真を蹴り落とそうと奮闘するを眺めながら、襟足が伸びた花形はコーヒーをすすっている。藤真は面白がって兄のことなどを持ち出したがるが、今のところとの仲は安定している。

ふたりのことは猛禽類おじ様にもから話がいっていたようで、引越しの時に花形は久々に下から見下ろされた。猛禽類おじ様は厳しいが人間としての器は並外れて大きく、「君が飽きることがない限り、を守ってやってくれ」と肩を叩いた。花形は体を二つに折り曲げて頭を下げ、その言葉を引き受けた。

が自由になったのは素晴らしいことだけれど、彼女にはすぐ近くで支えになってくれる家族がひとりもいないのだ。花形は自分がを守ってやらなければ、という意識を新たにした。自分か、このおじ様しか今のところを助けてやれる人間はいないのだから。

貫一とお宮藤真は、藤真の崩れ土下座でカタがついたようだ。

「まったくさんは冗談が通じなくて困ります」
「こんなのと高校大学7年一緒だなんて困ります」
「うわ、7年……オレ一緒じゃなくてよかった」
「お前ら、いい加減にしないとオレそのうち泣くからな」

だが、改めて数えてみると7年とは。

「まあいいじゃねえか、オレと7年くらい。お前らはどうせ結婚すんだろ、一生一緒じゃないか」

にっこり笑った藤真の言葉に花形はコーヒーを吹き出した。霧状のコーヒーが藤真に直撃する。

「きったねえな! なんかおかしいこと言ったかよ!?」
……藤真、お前の頭ん中は本当にどうなってんだ」

が慌てて差し出したティッシュでコーヒーを拭きつつ、花形はじろりと睨む。

「いやいやいや、おかしくないだろオレは!」
「おかしくないかもしれないけど、藤真が口出すことでもないよね」
「そんなことないだろ、親友の幸せを見届けたいというこのアツい心をだな」

思ったよりコーヒー被害が激しく、花形とは藤真をほったらかしたままあちこちを拭いている。

「それにもう充分練習して来たんだし、いつだっていいじゃねえか」

藤真理論ではそうなるらしい。コーヒーと格闘していた花形とは、諦めのため息をつく。

「練習って、バスケとごっちゃにするなよな」
「してねえよ。前にも言ったろ、バスケ出来る大学の中で一番いいところに行って」
「はいはい、稼げる仕事について嫁にもらえってんだろ、覚えてるよ」

気持ち良さそうにまくし立てている藤真を軽くいなしていた花形の隣で、はコーヒーカップを取り落とした。残っていたコーヒーがまた飛び散る。

「あれ、聞いてなかったのか」
「言ってねえよ! お前の思い付きだろうが!」
「そういう話は私のいないところでやってよ!」
「うるせえなもう、どうでもいいからお前らさっさと結婚でも何でもしろ!」

なぜか胡坐で腕を組み、鼻息荒く藤真は言い放った。

「藤真こそさっさと彼女見つけてもう来るな!」
「言われなくてもそうするわ! おいケーキまだかよ!」

カップから飛び散ったコーヒーを拭いていた花形は、堪えきれずに吹き出した。可笑しくて、抑えられない。大好きな彼女も3年間共に戦ってきた親友も、どちらもすぐそばにいて、自分はなんて恵まれていて、そして幸せなのだろうと思った。そして、この幸せを守るためならどんなことも耐えてみせると心密かに誓う。

藤真の思いつきだが、を嫁にもらうのは悪くない考えだから。

「改めて7年て言葉にするとなんか重いね」
「まあ、そのうち彼女もできるだろ。そしたら変わるさ」
「私だって藤真には幸せになってもらいたいと思ってるよ」
「あいつだってそれはわかってるって」

夕食を一緒に食べた藤真が帰り、ふたりはDVDを見終わったところだ。花形のボロマンションの時のように、壁に寄りかかってエンドロールを眺めている。本当に部屋が変わっただけで、他には何も変わっていない。花形は鼻のあたりまで伸びた前髪をばさりとかき上げる。

「ほんと、藤真じゃないけど伸びたね」
「どのくらいまで伸ばせばいいんだ?」
「え、部活始まるまででいいよ。そんな長いの、だめでしょ」
「そんなこともないと思うけど」
「じゃ、もう少しだけ」

は花形の前髪に戯れるのが好きだった。今もぺたりとくっついてきたかと思うと、垂れ下がる前髪に唇をすり寄せた。触れそうで触れない唇が前髪を揺らして、くすぐったい。

、くすぐったいって」
「そのくらい我慢我慢」
「お前、家出てからちょっとわがままになったな」

そう言いつつ、こんなわがままならもっと言って欲しいと思っている。寂しい時に寂しいのだと感じることすら許されなかった時間は長すぎて、こんな風に素直に感情を出せるようになったのは本当に最近のことだった。花形はまだ前髪に顔を擦り付けているの体を少し持ち上げると、そのままゆっくりと押し倒して覆いかぶさった。

、オレ、藤真の思い付き、悪くないと思うんだけど」
「藤真の思い付きっていうのが気に入らないけど、私も悪くないと思う」

にやりと笑い合い、のんびりと唇を重ねる。

「今日帰らなくてもいい?」
「もうそのつもりなんでしょ」
「ご名答」

エンドロールが流れる部屋で、花形はの体を強く抱き締めていた。春はもうすぐそこまで来ている。

END