プラクティス・デイズ

02

半分まで見ていた映画が終わると、ちょうど1時10分だった。

「これって続くのか?」
「どうなんだろ、調べてないけど。私はショウの行きつく先を知りたいけどなあ」

きちんと状況を弁えているらしいは、テーブルの上に出していたテキストや携帯をバッグにしまい始めた。

「こんな遅くまでごめんね、ありがとう。漫喫代浮いちゃった」
「いや、気にすんな。この通り誰もいないんだし」

じゃあね、とスタスタ歩いていくを花形は追いかける。

「ひとりで帰る気かお前は。藤真並みのバカだな」
「なんですとー。バカはいいけど藤真並みはいやだ」
「送っていくよ。家、駅前って言ってたよな」
「なんかほんとごめん」

ローファーのつま先をトントンと打ちつけているの背中をポンと叩いて、外に出た。

さすがに1時も過ぎると、駅に近付いても人気がなくなる。はこれならひとりで帰れるとでも言いたげだが、制服姿の女子高生がふらふらとひとりで出歩く時間帯ではない。先ほどの酔っ払いのようなのはもういないだろうが、それとは別に素行のよろしくない若者が増える時間ではある。それはそれで大変危険だ。

「明日も朝から練習だったりするの?」
「日曜に体育館使うとかで、今日の午後から追い出されてるんだ。だから休み」
「へえ、そういうこともあるんだ。じゃあ寝坊できるね」
「いや、午前中は市民体育館で午後は有料コート」

県予選が近いので、あまり時間を無駄にしたくない。そのために今は特に練習を詰めている。

「それなのにこんな時間まで、マジごめん」
「いいって。早朝からやるわけでなし、そんなに毎日早寝してるわけでもなし」
「有料コートって、あのタワーパーキングの隣の?」
「そう。こういう時はよく使うんだ。金はかかるけど遅くまで空いてるし」

今向かっている駅の近くに、なかなかお洒落に作ってあるバスケットコートがある。ライトユーザーが使用していることが殆どだが、四方を背の高いフェンスで囲まれていて照明も明るく、練習には充分すぎるほど。難を言えば屋外なので板張りではないことだ。

「あそこって、昼間は小さい子がいるけど、夕方になるとチャラいの増えるよね。平気なの?」
「そりゃあちょっとプレイすれば遊びに来てるわけじゃないのはわかるしな」
「絡まれたりしない?」
「まあ、例えば今のスタメンが揃うと190センチ以上がオレを含めて4人だもんで」

は納得がいったらしく、大きく頷いた。そりゃ関わりたくない。

「花形は190……
「なな」
「なな!?」

は一瞬足を止めて離れ、しげしげと花形の全身を眺めている。

「大きいとは思ってたけど、ほぼ2メートルとは……うわーおんぶしてくれー」
「いいよ」
「いや真顔でボケとかいいから」

別に本当におんぶしても構わないんだけど。そう思いはしたが、黙っておく。おんぶどころかお姫様抱っこも腕にぶら下げも出来ると思うが、案外女の子にそれをやってやる機会など巡ってこない。

そうして歩いているうちに1時20分は過ぎ、終電の過ぎた駅は一気に閑散とする。が酔っ払いに捕まっていた通りや、タクシー乗り場はまだ賑わっているかもしれないが、もう少しすれば駅舎の明かりも落ち始める。

一応は駅前なので商業施設があるけれど、ターミナル駅ではないので規模はたかが知れている。予備校が集中している北口などは、5分も歩けば住宅街だ。商業施設や飲食店が多いのは南口。有料コートも花形のマンションも南口方面だ。の家が駅前と聞いて、花形はなるほど北口かと思ったものだ。

だが、は駅舎を超えないのに足を止めて、人差し指を立てた。

「私んちここ」
「す、すげえな」

駅周辺にある建造物の中で一番大きく一番高いタワーマンションだった。軽く目視しただけでも30階以上はあるのがわかる。この駅を通過する電車の中からでもその豪勢さがわかるほどの、いわばランドマークだ。

「プライベートに口を挟む気はないんだが、、奨学金て親の所得制限あるぞ」
「あー、やっぱり? そうかなあとは思ってたんだけど」

だがそれ以上は深入りすまい。花形はの少し後ろを歩きつつ、マンションのエントランスまで随伴した。

「じゃあまた月曜な」
「なんかほんと突然ごめんね。ありがとう。バスケ、頑張ってね」
「明日の午後、暇なら有料コート見に来れば? 藤真も来るぞ」
「去年のG組は藤真様に幻想を抱かないんだよ」
「知ってる。知った顔のギャラリーが入ると面白いかと思ってな」
「邪魔じゃないの」
「別にプレイするわけじゃないだろ」

ちょっと考えている様子のだったが、色々事情もあるのだろう。特に返事をせずにバッグから携帯を取り出すと、片手に持ってひらひらと振って見せた。

「行けそうなら連絡する。アドレス聞いてもいい?」
「いいよ。オレメール返すの遅いからそのつもりでな」
「手が大きいもんねえ」
「バスケやってなかったらコンプレックスにしかならんだろうな」

連絡先を交換すると、は手を振ってエントランスの自動ドアの前に立った。

「じゃあねー、おやすみ!」

豪奢なエントランスホールに、翔陽の制服が似合わない。その後姿を見守りつつ、がオートロックを通過した所で踵を返し、花形は今来た道を戻る。少しだけ冷たさの残る風が背中に吹き降ろしてくる。高層マンションの壁を滑り落ちてきた風だろう。

ポケットに突っ込んだ携帯を取り出す。女子のアドレスが新しく入ったのは久し振りだった。特に嬉しいわけでも、ドキドキするわけでもなかった。けれど、という人物が、その本人と繋がるアドレスが入っていることが不思議でたまらなかった。

翌日、市民体育館を出た自主練組は一度昼食を取りに帰宅し、その後有料コートに集合の予定になっていた。ひとり暮らしで近所の花形はだいたいいつも一番乗りである。 今日もコートに到着した時は誰も来ていなかった。外で待つスペースはないので、料金を支払ってコートの中に入る。土日祝日の午後はフリータイム制だ。

小学生が一生懸命プレイしているので、仲間が揃うまではベンチで大人しくしている。ひとりで練習していてもいいのだが、怖がられてしまうので面倒くさい。または好奇心旺盛な子供だったりすると付きまとわれたりもするので、どちらにせよ静かにしている方がいい。

ベンチで手の中のボールを転がしていると、後ろから「花形ー」と女の子の声で呼ばれた。

「お、か」
「連絡入れられなくてごめん。メール打とうと思ってる間に着いちゃった」
「いやいいよ、まだ誰も来てないし。見ていくか?」
「あ、ごめん。午後予定入っちゃって。これを渡しに来たの」

花形の身長よりもずっと高いフェンスを挟んだ向こうで、は紙袋を掲げて見せた。昨日と違って私服だ。白のロングパーカーにスキニージーンズ、ミドル丈のブーツ。それだけのこざっぱりした取り合わせだが妙に色気があって、花形は少しドキリとした。これだからミステリアスと言われるのかもしれない。

「なに?」
「ケーキとコーヒー。よかったらみんなで食べて」
「おお、悪いな。手作りか?」
「うん、そう、見た目はあんまりよくないけど」
「えっ、マジで!?」

冗談で言ったつもりが、本当に手作りだった。コートの入り口まで戻った花形はから紙袋を受け取ると、凝視してしまった。なんだかドライな印象のあるが甘いケーキと結びつかない。

「甘いもの、苦手だった?」
「いや平気。藤真もバカみたいに好きだから喜ぶよ。かえって悪かったな」
「ああ、そうだったね。コーヒー甘くないけどいいかな。恥ずかしかったら私からなんて言わなくていいからね」

言いながらはパチン、とウィンクをしてみせた。

「恥ずかしくはないけど、面倒なことになりそうだから親が来たとでも言うわ」
「その方がいいよ。先に着いちゃったから、誰かいたら呼び出そうと思ってたんだ」

変な女。改めて花形はという同じクラスの女子を不思議に思った。この自己主張のなさはなんなんだ。クラスで机を並べている女子の大半はこんなこと言わない気がする。

「じゃ月曜日ねー」

そう言って挙げた片手にも、ごく自然にハイタッチを返せる。先ほどは一瞬ドキリとしたが、今はもうどうということもない。軽やかな足取りでコートを去っていくの後姿が、昨夜の制服の後姿と重ならなくて、花形はしばらくそれを見えなくなるまで眺めていた。

そして約束していた全員が集合。途中休憩の間にケーキとコーヒーを出したところ、案の定藤真は大喜び。シンプルなナッツとドライフルーツのパウンドケーキだった。甘いものとはいえ大柄な男子数人と考えたのだろう、カットされてはいたが2本分くらいはありそうな量だった。

ケーキはあまり甘くなくコーヒーも濃すぎず、おやつにはちょうどよかった。午後の風にそよそよと吹かれながら、花形はコーヒーの入っていたクリーンカンテーンのステンレスボトルを見つめていた。は何も言わなかったが、これは返さなければならない。学校で手渡すのは嫌がるだろうか。

それともまた部屋に呼ぶのか?

だがそうだとしても問題がないような気がした。と花形はそういう分別臭い性格なのだから。その是非はともかくとしても、とにかくそういうふたりだったのだ。

「ケーキご馳走様。ボトル返したいんだけど、どうしたい?」

帰宅後、あまり気取りたくはないので、それだけ打って送った。返ってきたのも本当にザックリしたメールだった。

「取りに行ってもよければ週明けにでもよろしく〜」

基本的に放課後はずっと部活だが、それも体育館が使用出来る時間までのこと。どんなに遅くとも20時には出なければならない。それから有料コートという場合もあるし、昨夜のように自主的に走ることもある。それを1時間やそこらのために裂いたとしても、問題はない。

空いている時間を連絡すると返せば、ただ「了解!」とだけ返ってくる。こういうのは可愛げがない女ということになるのだろうか。よくわからない。ただ、そんなメールのやり取りが出来るのは気を使わなくていい。楽だ。

もしがまた来るのなら、何か映画を借りてこようか。他に何もには求める気持ちはなかったのだが、並んで言葉も交わさずに映画でも見たいと思った。それも、優しくない表現の映画を。それをじっくりと見て、ああだこうだと言い合ったら楽しいような気がしていた。

空いている時間と言っても、日々はバスケットと学校の繰り返しで都合も何もなかった。それに思い当たった月曜日、花形は「いつでもいい」とメールした。平均して19時前後には駅に着くから、その後ならいつでも、と。ただし、迎えに行くから飲食店街には近付くなと追記した。

の苦笑いが目に浮かぶが、自分の部屋に来る途中にまた酔っ払いにでもからまれでもしたら気分が悪い。それをまったく感じさせない淡白な返信には、火曜の夜を希望する旨が書かれていた。3年生とはいえ、まだ1学期の4月。忙しいのは部活に熱心な生徒だけだ。もいつだっていいんだろう。

翌日、部活を終えて帰り支度を済ませた花形が携帯に目をやると、メールが一件届いていた。

「南口のセガフレードにいるよ」

それだけ。ついにやりとしてしまう。本当に可愛げがない。だが、こんな顔を仲間たちに見られてはならない。熾した覚えもない火が燃えていると騒がれるに決まっている。特に藤真。もちろん藤真はモテるが、そのせいで本当に好きな子には振られるという運命の下に生まれた男だ。

顔を戻してから振り返り、何事もなかったように学校を出る。駅まではぞろぞろと部員が列を成して帰っていく。そして花形は翔陽最寄り駅から2つ目の駅で下車する。同じ駅で数人下車するが、記憶が正しければ南口方面の部員はいなかったはずだ。だが一応携帯を眺める振りをして確認してみた。

思っていた通り、全員北口に流れていく。南口方面は北口に比べると住宅が少ないのだ。そんな小細工をしなくても花形の場合は身長のせいで翔陽の3年生あたりには一発でばれる仕様なのだが、わざわざ余計な火種を撒くこともない。

少し遅くなってしまったが、指定のカフェに到着するとは文庫本を手に私服で寛いでいた。服装や髪型に関係なく、遠巻きに見ているととても高校生とは思えない佇まいである。かといって老けて見えるというほどでもない。ミス・ミステリアスと言われるだけのことはある。

「遅くなってすまん」
「お、お疲れ」

文庫本を閉じては顔を上げる。花形が正面の席に腰を下ろすと、は少し身を乗り出す。

「ねえねえ、ご飯食べた?」
「いやまさか」
「じゃあさ、一緒に食べない?」

はにやりと笑ってショッピングバッグを掲げた。中身は見えないが、何か食料が入っているらしい。これから作るにしろ作ってあるものにしろ、ケーキもおいしかったことだし、花形も異存はなかった。しかし今日も終電まで帰らないと言い出すんじゃないだろうなと危惧するだけだった。

「いいけど、家はいいのか」
「あ、今日はいいの。たぶんひとりだから。ひとりで食べてもつまんないし、花形がよければーと思って」

はにこにこしているが、本当に家庭環境は芳しくないようだ。

……それならまた映画見て帰るか?」
「えっ、何よ気が利くね。何を借りたの」
「ジャンヌ・ダルクと十三人の刺客」
「うわ、十三人の刺客見たかったんだよね。でもジャンヌダルクも久し振りに見たいなあ」

当たったな。花形は目を見開いて喜ぶを見て頬を緩ませた。