プラクティス・デイズ

12

「4校も来てるの!?」
「そう、すごいだろ」

翌日、宣言通りのおやつと料理を食べに来た藤真はふんぞり返っている。前日の晩にとうとう花形がを好きだと宣言したので、何事もはっきりしているのが好きな藤真はそれだけでだいぶ機嫌がいい。

「そっか、藤真、私もね東京の学校受験することにしたんだよ。推薦だけど」
「え、じゃあ……
「そうなの、家、出られるんだよ〜」

一瞬だけポカンとした表情をした藤真だが、見る見るうちに相好が崩れて、満面の笑みを浮かべた。

「そか、そっか、よかったな、よかったなほんとに!」
「ありがとう藤真〜」

藤真はたまらずの手を取り、ぶんぶんと振り回す。もその手を包み返し、何度も何度も頷いた。

「なんだ、そしたら花形は東京帰れるしも東京、よかったなほんとに」
「受かればね〜。場所も近いんだよ」
「志望校ってどこよ」

にこにこしながらが答えると、藤真はまた激しくむせた。

「なんだって!? オレそこから声かけられたぞ?」
「世の中狭いよな」
「そうかあ、そっか……まあ東京だと近くていいよな、まったく行ったこともない所よりは」

藤真はうーんと腕組みをして考え込むが、バスケット以外のことで悩んでいるのがありありとわかる。

「お前さ、と同じところに行けばケーキが食えると思ってるだろ」
「それは否定しない」
「でも、難しくなるよ、オーブンとか材料費とか」

がばりと顔を上げた藤真は泣きそうな顔をしている。花形とはため息。

「そんな理由であの大学にしようかとか考えるからそうなるんだ」
「そうは言うけどな、24時間バスケだけやってるわけじゃないんだぞ」

迷う藤真に対して、花形とは明確な目標が立ってしまったので、まだ気楽だ。難しい顔をして適当なことを考えている様子の藤真の向かい側で、はかつてないほどに柔らかい笑顔を浮かべて言った。

「まだ時間あるよ。卒業するまでは出来るだけケーキもご飯も作るから」
「冬の選抜予選も始まるしな」
「ま、そうだな、オレはせいぜい悩むことにするよ」

だが、それから数日後、藤真はの志望校からのスカウトを受けることに決めたと言ってきた。なんでも、監督自ら自宅までやって来て延々と口説かれたらしい。しかも、受験してくるのは別にしても、今年の神奈川からは藤真以外取らないと言う。方々にリベンジしたい相手のいる藤真にはもってこいの誘いでもあった。

これでの推薦が通れば3人とも東京だ。いずれそれぞれの環境に合わせて関係も変わっていくだろうが、これだけ親密な関係の友人が近くにいるというのは心強い。

その後には冬の選抜の県代表戦も始まり、翔陽は1次予選を難なく勝ち進み、2次予選――決勝戦へと駒を進めた。夏にインターハイをかけて競い合い、国体では手を組んだ4校が11月に再度ぶつかる。11月はの推薦入試と選考発表もあり、3人はにわかに忙しくなってきていた。

翌月、の志望校にて推薦入試が行われた。さすがに試験前1週間ほどは花形の部屋に来るのも控えていただったが、選考日の夜は花形と藤真を駅まで呼び出していた。支援者である母親の上司にも挨拶をしてきたというは20時頃になって地元駅に到着、練習終わりの花形と藤真と合流し、きょとんとしているふたりを連れてマンションへと向かった。

「えっ、まずくないのかこれ」
「いいのいいの、もうそう長いこといないんだから」
「お袋さん、いないんだよな?」
「今出張でシンガポールらしい」

エレベーターですらきらきらと輝いていて、部活帰りでジャージの花形と藤真は気恥ずかしいことこの上ない。軽やかな音を立てて到着したエレベータから出ての後を着いていく。分けても藤真はなぜ自分まで呼ばれたのかわからない。

「けど、急にどうしたんだよ。しかもオレまで」
「オレまで、ってそりゃふたりに来て欲しかったからだよ」

玄関はフラットな大理石、花形と藤真が並んで歩ける廊下を過ぎると、大きな窓のリビングに通された。

「うわ、すげえ!」
「14階でもこれだけ見えるんだな。花形んちってあの辺じゃないか?」

あまり使用していないのだろう、生活感のないリビングだった。嵌め殺しの窓は角に位置したリビングの二面を覆っており、低いながらも南口駅前の町並みが一望できた。花形のマンションのだいたいの場所もわかる。女の子がパーティしようと言いたくなるのも無理はない。

「進学したらもうここには戻らないつもりだから、ふたりを一度呼んでおきたくて」
……うん、この景色を見ておいてよかったよ」

ちらりと花形に視線を投げながら、藤真が静かにそう言った。花形も小さく頷く。はこんなに豪華なマンションで、誰もいない高みのリビングで裾に広がる町並みをずっと見下ろしていた。たったひとりで。花形はその景色を目に焼き付けておこうと思った。の痛みの象徴だったから。

「家主は留守だけど、一応夜だし、おやつ食べたら出るね」
「おう、なんか落ち着かないよな。花形のボロマンションの方が気楽だ」
「ボロは余計だ」

ボロは余計でも、ここに住んでいるですらそう思っている。

「冬の選抜の予選もそろそろなんじゃないの」
「うん、もうすぐ。てか今度こそ見に来いよ」
……そっか、最後の大会なんだよね」

冬の選抜が終われば否応なしに引退であるし、花形と藤真の進学先が分かれた今、ふたりが同じチームでプレイしているところを見られるのはとりあえず最後の機会になる。県代表になれば本戦トーナメントでも見られるが、もし予選で散ってしまえばそこで最後だ。

「今度こそ湘北を倒してやるんだからな」
「まあ当たるとは限らないが……
「当たらねえかなあ〜。赤木はいないんだし、ギッタギタに潰しておきたい」

藤真の目がきらきら輝いている。インターハイ予選でまさかの敗北を許した相手をどうしても倒して先へ進みたいのだろう。

「よし、こうなったら冬の選抜優勝がクリスマスプレゼント的な。なあ花形」
「あれ、決勝って……?」
「決勝は23日だからクリスマスは空いてる」
「藤真、クリスマスケーキ作ろうか」
……さん、オレはそんなに無粋な人間ではないのですよ」

藤真なりの気遣いだが、はあまりピンと来ていない。花形が感謝を込めてフォローを入れる。

「25日ならいいだろ」
「あっ、そうか。よし、そうしよう、25日な!」

インターハイにぶつけられなかった高校3年間の全てを冬の選抜に置いてきたい。といる時にはあまりそういったそぶりを見せない花形と藤真だったが、もちろんもそれはわかっている。優勝できるのはいつだって1校だけで、そこから下位につける者たちは体が痛むほどの悔しさと共に生きている。

そんな花形と藤真の姿を見てみたいと思ったことがないと言えば嘘になる。けれど、これまでは自分の進路への不安や、それを紛らわす花形との時間だけで精いっぱいで、見てみたいという選択肢すら考えていなかった。は藤真がトイレに立った隙に、ダイニングで花形に問いかけてみた。

「私、見に行ってもいいのかな」
「大丈夫だろ、うちの体育館でやるわけじゃないし、たぶん土日だし」
「ううん、そういうことじゃなくて……透がいいなら行ってみようかな、って」

花形はコーヒーカップにかけていた手を止めて、を見る。少し視線を逸らして、窓の方を見ている。の横顔に、花形は少しドキリとする。観客席に私がいてもいいの? はそう問うている。

「オレは……少し嫌かもしれない」

バスケットは大学でも続けるのだから、自分がプレイしているところはこの先まだまだ見る機会がある。何も翔陽バスケット部にこだわる必要はない。否定の言葉には少し俯く。しかし花形にとってはなにより――

「プレイ中の藤真は別人のようにかっこいいからな。……好きになっちゃうかもしれないだろ」

は顔を跳ね上げる。花形はそっぽを向いて肘を突き、手で口元を覆い隠している。

「そんなことは、ありえないよ」
「翔陽以外にも、いい選手がいっぱいいるぞ」
「好きになんてならないよ、藤真も応援したいと思うけど、たぶん、透しか目に入らないと思うから――

お互いに視線を逸らしたまま、手を伸ばし、そっと指先を組み合わせる。

「それなら、いい」
「ありがと」

藤真の鼻歌が聞こえてきたので、ふたりは組んでいた指先を引き抜いて何こともなかったように戻った。

がこの決勝戦の客席のどこかにいる、ということはわかっていても、気にはならなかった。がいようといまいと、これは自分たちの3年間の集大成であることには変わりないし、切り替えはきちんと出来ている。藤真もこういう時はふざけて花形を突付いたりはしない。

冬の選抜県予選に数日先立ち、が無事に推薦入試をパスしたのだが、その頃にはもう花形と藤真はそれどころではなくて、は夕食を作っただけで、花形に会わずに帰ったりもした。

はひとりで私服で来ると言っていた。コートから絶対見えないような場所で、翔陽の試合だけ見たら帰ると言っていた。帰って、また夕食を作って待ってると言って微笑んでいた。

有難いことに、決勝トーナメント戦の緒戦は湘北だった。夏に屈辱の敗北を味わわされた因縁の相手であり、なおかつチームの中心的存在が引退したことで、藤真でなくともコテンパンにしてやりたい相手だった。翔陽にとっては夏のリベンジマッチであり、そしてそれは見事に勝利で終わった。

3年間共にプレイしてきた花形ですら、藤真が鬼に見えた。そんな試合で、翔陽は決勝戦へと勝ち進む。

これが高校最後の試合となるか、それとも――

まだ試合までは時間のある選手控え室、もうしばらくすればまた鬼の形相に豹変するであろう藤真は花形の隣に座り、他の部員たちに聞こえないようにぼそぼそと呟いた。

「さっきからメール来た。今日来てるんだってな」
「見えないようなところにいるって言ってたな」
「花形、変な意味じゃなくてさ、って、いい女だよな」
「ああ」

花形も藤真もお互いを見ずに、ぼんやりと言葉を交わしていた。

「オレも大学でああいう彼女見つけるわ」
よりいい女なんかいるもんか」
「なんだよ急に正直になりやがって」
「そうしろって言ったのはお前だろうが」

もうあと30分もすれば、これまた3年間の因縁の相手である海南大附属との決着とも言える試合が始まる。

「海南に勝って、県ナンバーワンになって、冬の選抜に行く」
「オレはナンバーワンガードになって、お前はナンバーワンセンターになって、それでのところに帰れ」
「今日も待ってるって言ってたな」
「優勝土産に持ってってやれよ」

後輩が声をかけてきたのでそこで話は終わったが、が客席から見ているという意識だけがふんわりと心に残って、どうかすると怒りにも似た闘志が燻りがちになるのを、整えてくれる気がした。

もう何も余計なことは考えない。花形は手のひらに目を落とし、そしてグッと握り締める。

全て勝つ。勝って、そしての元へ帰るのだ。