プラクティス・デイズ

14

12月が近付き、一段と風が冷たくなってきていた。そんなある朝、翔陽高校3年生の教室が入っているB棟1階は騒然としていた。部活動に熱心な校風である翔陽の中でも特に実績のあるバスケット部、その5番を背負う花形が翔陽きってのミス・ミステリアスであると手を繋いで登校してきたからだ。

しかもそれを聞きつけた翔陽ヒエラルキーの頂点に君臨する藤真がすっ飛んできた。バスケットのことになると人格が変わるが、普段は愛すべきバカで美形な上に男気があるというふざけた人物が花形との教室に駆け込み、感慨深そうにふたりと会話している様は異様な光景だったに違いない。

遠巻きにちらちらと3人を盗み見てはこそこそと何やら話す生徒が後を絶たなかった。

「花形ァ、お前尊敬するわ」
「お前の顔がニヤついてなかったら謙遜するところだな」

窓際にあるの席に花形が座り、は窓に寄りかかっている。藤真はの前の席に勝手に座っている。すっ飛んできた藤真は、最初こそ手を繋いで登校してくるまでになったふたりをよくやったと褒めてやりたい気持ちになっていたのだが、そんなものはものの数分でどこかへ飛んでいった。いじりたい。

一方で、よりにもよってなんでなんだという声がないわけではない。藤真自身、自分の教室を飛び出す時には同じクラスの女子の口からそんなような言葉を聞いている。いつのまに、引退したら告白しようと思ってたのに、その上なんで藤真まで絡んでるの? これは避けて通れない道だ。

それでもの場合は運がいい。得てして反感を買ってしまいがちなこの手の展開において、多くの生徒に愛されている藤真という味方がいるというのは実に幸運な巡り合わせだ。を恨みがましく思うことがあっても、藤真に悪く思われるようなことはしたくないのが翔陽生だ。軽率に嫌がらせなどは絶対に出来ない。

もよく覚悟したな」
「まあ、元々少し茨の道だったわけだし、もう困ることもないだろうから」
「気楽だなおい。、なんかあったらちゃんと言えよ。バスケ部はお前らの味方だからな」
「そのバスケ部はこのことをまったく知らないわけだが」

熱く友情を振りかざして見せた藤真に花形がツッコむ。そう、バスケット部はこのことを一切関知していない。

「まあどうせ今日中には知れ渡るよ。そんでもって昼とか放課後とか、飛んでくるんだみんな」
「藤真、他人事だと思って楽しそうだね……
「そういう薄情なヤツなんだよこいつは」

なんと言われても藤真はニヤニヤ笑いを引っ込めなかったが、花形もも慣れっこである。

「本当に薄情だね藤真って」
「なんとでも言いたまえよ、そんなこと言ってると大学で困ってても助けてやらないぞ」
「お前が困ってに助けを求めることはあってもその逆はないだろ」
「今日のお昼、藤真も一緒にどうかと思ってパン焼いてきたけどいらないのか、そうか」
「それは嫌だあ! ごめんなさいもう余計なことは言いませんから!」

ただでさえ廊下にギャラリーがいるというのに、藤真は情けない声でに手を合わせた。その頭を花形がはたく。ザ・トップ・オブ翔陽はミス・ミステリアスに何か弱みでも握られているらしいという噂が駆け巡るのに時間はかからなかった。

藤真の言う通り、昼にも放課後にも仲のいいバスケット部員が代わる代わる声をかけて来たが、花形はずっとと一緒にいたので、あまり突っ込んだ話をせずに済ませた。突然のことなので騒がれてしまうのは仕方ないとしても、全て説明してやる必要はない。

むしろ、あることないことを話したがる藤真を抑えるので忙しかった。

それでも、春に有料コートでのケーキにありついていた長谷川高野永野あたりは藤真同様にどことなく安堵したような、花形に彼女がいることを喜んでいるようでもあった。しかもそこで長谷川にも2年の時から彼女がいたことが判明し、藤真が愕然としていた。

「畜生ほんとオレ大学行ったら絶対彼女探す。、手伝えよ」
「やだ」

の焼いたチョコチップパンを齧りながらぶつくさ言う藤真に、は即答した。今度は藤真がの椅子に座り、と花形は窓に寄りかかっている。バスケット部のツートップにがパンを与えているという状況が次第に可笑しくなってきたのか、遠巻きに見ている生徒たちの顔がニヤつき始めた。

修学旅行で色々な失態を演じ、主に当時の同じクラスの女子から幻滅された藤真は、3年も終わり間近のこの時期にまた多くの女子生徒の幻想を打ち砕くことになった。藤真にしろ花形にしろ、どこか別世界の人間に見えていたという生徒は多かっただろう。だが、彼らも18歳で高校生だったのだ。

「しかし部活ないと思うとウズウズしてくるな。そういうのないか、花形」
「あるある。たまには有料コート行こうぜ」
「んじゃなんか作ってくれ」
「なんでそうなる」

文句を言いつつ、も楽しそうだ。もしかして花形と藤真がプレイしているところなど見てしまったら、また泣いてしまうかもしれない。けど、それでもいい。花形とのことを黙っててごめんね、と言ったに3年スタメンたちは何も言わなかった。覚えているわけもないと思ったが、ケーキおいしかったと言ってくれた。

「藤真のためじゃなければ作るけど」
、花形の真似なんかすると背が伸びるぞ」
「藤真のバカが感染るよりはいいだろ」

とうとう近くで弁当を囲んでいた女子が盛大に吹き出した。それに気を良くした藤真がまたを餌にバカを言い、花形がツッコミを入れる。も教室にいるというのに、にこにこと笑顔を振りまいていた。クールで秘密の多そうなさんは、目尻が甘く柔らかな笑顔が可愛い、どこにでもいる女の子だった。

その日、そんなさんが大好きな花形くんは、また彼女の手を取り、衆人環視の中を帰路についたのだった。

花形とが付き合っているという衝撃は、藤真の存在もあり比較的静かに沈静化していった。花形に想いを寄せていた女子もいたようだが、それがへ攻撃的になるということもなく、またバスケット部ツートップと親しいことを利用しようと急に擦り寄ってくるようなのも現れず、面倒は起こらなかった。

藤真はそれが面白くない。

「まあなんだ、もうちょっと面白くなることを期待したんだけどなオレは」
「日ごろの行いの賜物だな」
「なんだと? じゃあなんでオレには彼女がいないんだよ」
「だから日ごろの行いの賜物なんでしょ」

放課後に部活がなくて暇な藤真は前にも増してよく遊びに来るようになった。引退してしまったらやることがないと言いながらおやつを貪り食っているが、期末考査は目の前である。それを横目に花形とは黙々と期末の準備を進めている。藤真と違い、進路が決まっているからと言ってこういうところを蔑ろにしない。

むしろ部活がない分、時間には余裕がある。花形が体力を持て余し気味の藤真を突付いて勉強させたり、が寮とは言え春からひとり暮らしになる藤真に夕食の準備を手伝わせてみたり、3人は家族のように仲良く過ごしていた。

「ほんとにお前らは勉強ばっかり」
「期末終わったらコート行けばいいんだろ。お前が赤点取らなければの話だけど」
「わかったよもう! やりゃいいんだろ畜生」

部活がないならないで、期末をちゃんとクリアすれば何をしていてもいいのだし、花形もも藤真を宥めすかしながら勉強し、その結果、再度花形は1位になりも50位と受験組に混じっての結果としては上々。それより特筆すべきなのは藤真で、ふたりにつきっきりで面倒を見てもらったおかげか、平均点が18も上がった。

「たぶん本人より私たちの方がホッとしてるよね」

藤真の結果である。ふたりは期末が終わったのでDVDを借りにレンタルショップへ来ていた。そろそろ春から初夏のヒット作が新作でリリースされる頃だ。何が何でも新作をいち早く見たいタイプではないが、気になる。は新作の棚を見上げつつ、へらへらと笑った。

「まあ自分ひとりで努力した結果だと思ってるだろうがな」
「そういえばクーポンがあったような……あれ」
「どうした」

携帯を覗き込んでいたが弾んだ声を上げた。

「バンコク出張だって! 明日の朝早い便だから……ホテル! よっしゃ!」

最近の母親は東南アジアへの出張が多い。かつての上司に絞られて以後のことなので、ある種の制裁なのかもしれない。ただが監視している限りではお偉いさんの親族だという例の彼氏とは続いているようだ。結婚を考えているらしいが、にはもう関係ないし、だからこそそんな話が出ているのだろう。

自身、20歳を迎えたら戸籍を独立させるつもりでいる。このことは猛禽類系おじさまにも相談し、その方がいいだろうという理解をもらっている。そうなれば、の母親が例え何をしようとに厄介ごとが降りかかる心配がなくなるし、おじさまも援助しやすい。

「また東南アジア? 最近多いな」
「前は偉そうにヨーロッパじゃなきゃ嫌だとか言ってたからね。わざとじゃない」

の母親が帰宅しないならDVD2本と決まっている。金曜の夜だし、夜更かししても構わないのも都合がいい。今日は花形が「オーメン」が「座頭市」を借りた。相変わらずカップルで見るようなセレクトではないが、そういう映画は藤真のいる時に見ている。

「ひとり暮らし始めたらこんなこといちいち気にしなくてもよくなるのにね、早く家出たいな」

やれやれといった風には肩を竦めたが、花形はこんな風に過ごす時間が春までなのだと思うと、少し名残惜しかった。きっと進学してもの部屋に行くだろうし、藤真も来るだろうし、家主が変わるだけで同じような過ごし方を出来ると思うが、なにしろとは学校が分かれてしまう。

今のように3人とも同じ学校で、とは同じクラスで、そんな日々の中にもう少しいたかった。

「しかしさすがに12月になると寒いな」
「鍋にしたのに、もう寒いね」

花形とはこたつに足を突っ込み、ふたりで1枚の毛布にくるまりながらDVDを見ている。夕食を鍋にして、その時は確かに暖まったのだが、「座頭市」を1本見ている間に寒くなってきてしまった。とはいえ、これから「オーメン」である。花形もも大のお気に入りの1本である。

「古いホラー映画って妙に品があるよね」
……このシーンでその感想?」
「さっきのベビーシッターのシーンもそんな感じしない?」

ブレナン神父が教会の敷地内で突然の嵐に見舞われるシーンである。

「オーメンは厳格だけど、エクソシストは色気があるよね」
「厳格はわかるけど色気はわかんねえなあ」

終盤の怒涛の展開に手に汗握っていたら寒さが気にならなくなってしまったふたりは、エンドロールになってやっと息をついた。はため息をついて花形に寄りかかった。

「はー、久々に見たからなんか疲れた」
「意外とぼかして終わるしな」

花形はの頭を撫でている。

「でもなんかいいね、あの人もいないし期末も終わったし金曜日だし、何にも心配いらないこの感じ」

ふにゃりと笑うは、本当に幸せそうだ。花形は、思い切って言ってみることにした。

……泊まっていくか? 別に、何もしないし」

さすがに顔を見ては言えなかった。その上、後半は完全に嘘である。それはもわかる。

「それはそれで……なんか寂しいな」
……

も、まっすぐに花形の顔を見上げる勇気はなかった。いくらドライでも女の子だ。花形は少し震えを感じる手での顎をすくって唇を近付ける。その意味は伝わると信じている。このキスさえ拒めば普段どおりでいいのだ。それで拗れるような関係ではないと信じていた。

は迷うことなく花形のキスを受け入れた。