プラクティス・デイズ

06

途中コンビニに立ち寄り、お菓子やジュースを買い込んだ藤真は、何も買わない花形の横を歩きながらあれこれと想像をめぐらせていた。普段の部活中は何も変化がないので、ごくプライベートなことなのだろうが、彼女が出来たのならそう言えばいいだけの話だ。

彼女ごときコソコソ隠すような間柄でもないし、例えば三角関係的なことも現状ありえないはずだ。彼女じゃなくて彼氏か? とも考えたが、隠したいなら友達だと言えば済む話だ。じゃあなんだ。蛇でも飼ったとか? いや、オレは蛇ぐらい恐れない、と藤真はひとりでふんぞり返る。

そうしてマンションが見えてきた頃になって、花形がぼそりと呟いた。

……驚くかもしれんが、あんまり騒ぐなよ」
「お、おう。なんだか知らんが、わかった」
「学校でもだぞ」

藤真はうんうんと何度も頷いた。一体何が待ち受けていると言うのだ。楽しみすぎて腹が減る。

鉄の重いドアの、これまたレトロなドアノブをガチャリと引くと、藤真の目にどう見ても花形のものではないローファーが飛び込んできた。完全に女子のものだ。花形に姉や妹はいないし、なんだやっぱり彼女じゃないかと、少々期待はずれに感じていた藤真だが、先に靴を脱いで上がった花形が振り返って言う。

「寝てるっぽいから、声かけてくる」
「彼女いるならオレまずくないか」
……彼女じゃないから大丈夫」

藤真の頭の上にはクエスチョンマークがいくつも浮かんでいる。なんで彼女じゃない女がお前の部屋で寝てるんだ。というか彼女でもない女をいつも連れ込んでるっていうのかお前。そんな藤真の心のうちが読めたのか、花形は少しため息をつく。

「だから言ったろ、驚くかもしれないって。変な関係じゃない。ちょっと複雑な事情があるんだ」
「いやまあ、お邪魔でないならいいけどさ」

意味もなく忍び足の藤真は、荷物を置いてスタスタと歩いていく花形の少し後ろを着いて行く。花形は寝室として使っている部屋へ入って行く。元々は襖仕切りの部屋だが、襖は取ってしまって、遮光カーテンが半分かかっている。残り半分の隙間から、しゃがんで声をかけているらしい花形の背中が見えている。

「藤真連れてきた。いや平気、いいから無理するな。薬は? え? いいよそんなの」

オレを知ってるとなると、翔陽の生徒か? 藤真は覗き込んでしまいたいのを堪えつつ、お菓子やジュースをテーブルの上に並べながら、耳をそばだてている。そして、ちらりちらりと目をやってみる。

日々花形の巨体を支えているベッドから、白っぽい女の手がだらりと垂れている。その手の指先を、花形はゆるりと摘んで指で擦っている。なんだかお兄ちゃんかお父さん的な感じがするとも思いつつ、藤真はカーテンをバッと開いて「説明しろ!」と怒鳴りたい気持ちで一杯だった。わけがわからない。

後ろを気にしつつ戻った花形は、キッチンで水を飲むと皿を手に戻ってきた。皿の上にはおにぎりが乗っている。

「食うか?」
……食べる。けど、わけがわからなすぎて頭爆発しそう」
「まあそう焦るな、本人来るから」

焦らない代わりに妙な緊張が襲う。誰だ。そしてこの状況は何だ。勉強? このままじゃ頭に入るわけがない。ガサガサとお菓子を広げながら、藤真は努めて寝室の方を見ないようにしている。その間にメールが届き、携帯の方に気を取られたところに、頭上から女の子の声が聞こえてきた。

「ほんとに藤真だー。久しぶり〜」

顔を上げた藤真は2秒ほど目を丸くしていたが、直後、ちょっとひっくり返った声を上げた。

!?……だよな?」
「だよな、って3月まで同じクラスだったでしょうが」
「こいつはそういう薄情なやつだから仕方ない」
「いやそういう意味じゃねえから……

藤真の正面に腰を下ろしたは、制服のスカートの下にジャージをはき、髪をかき回している。花形の言うように寝ていたのだろう、ぼんやりした顔をしている。というかなぜ3月まで同じクラスだったが6月の今ここで寝起きなのか、藤真は理解が及ばず混乱気味だ。これで彼女じゃないとは。

「藤真が来るってわかってたらおにぎりもっと作っておいたのに」
「帰りに急に言われたからなあ」

あっ、そうか、実は生き別れの双子だったとか! って似てねえよ!

「藤真、目が回ってる」
「状況がわかんないんだから仕方ないだろ」
、オレが言おうか」

、だって!? これで付き合ってないとかお前ら恋愛ナメるのも大概にしろよ! 藤真はまたも怒鳴りたいのをグッと堪える。聞かせてもらおうじゃないかその「事情」ってやつを。少し構えていた藤真だったが、花形の説明を聞くうちにどんどん気が抜けてきた。の事情は変に生々しかった。

「駅前のアレかあ。アレで何年か前うちの親ケンカしたんだよな」
「引っ越すつもりだったのか?」
「まさか。母親がいいなあって言ったら親父がむくれて、そのまま大喧嘩」

花形は鼻で笑ったが、は表情を変えない。

「そういえば、1年の時にあったよな、なんか」
「藤真、デリカシーないねえ」
「ええー、聞いちゃマズかったか」
「藤真にデリカシーなんか期待してたのか」
「いや改めてないなあ、と」

乱れた髪を撫で付けつつ、水を口に含んだはテーブルに肘を着いて誰もいない方向を向いた。

「そっか、透にはこの話、してなかったか」

また名前呼びだ。藤真は背筋がぞわりと震える。事情はわかったが、自分には理解できない世界だった。

「結果的に、あのマンションに住んでることが理由で3人くらい友達なくしたっていうね」
「藤真、そんな話振ったのかお前……
「悪かったよ。だってなんか、可哀想なのはの方なのに、が悪いみたいな言い方されててさ」

あんなランドマークに住んでいたら裕福だと誰もが思うだろう。実際も経済的に困窮はしていない。していないがお小遣いが無限にあるわけではないし、その中から日々の衣食を賄っている状態。あのマンションはあくまでもの母親の所有物で、は未成年だから部屋をあてがわれているに過ぎない。

「高校入ってから仲良くなった子が全員、パーティやりたいって言いだしてさ」
「そりゃまた無理な話を」
「何度も断るんだけど、親が留守がちなのにダメっていうのをわかってもらえなくて」

の母親を目撃したことのある花形は、それがどれだけ無茶な計画であるか、よくわかる。

「遊びに来るくらいなら構わないだろうけど、さすがにパーティは」
「オレも誘われたんだよ。んちでパーティやるから来ないか、って」

3回同じことを繰り返したは、以来、特別な友人を持たないことに決めた。それが1年生の3学期。

「2年になってから急に女子がはクールだとか秘密が多いとか言いだしたんだよな」
「そういうキャラで通せば変なのは寄ってこないじゃん」
「修学旅行の時なんか自由行動もひとりだったんじゃなかったか」
「それをあんたが一緒に回ろうよとか言い出したから、大変な目に遭ったんだよ」

と花形両方に冷たい目を向けられた藤真は、両手で顔を覆ってテーブルに突っ伏した。今こうして話を穿り返していると、確かに実に余計なお世話だ。修学旅行でテンション上がっていたとはいえ、藤真の立場ではあまりに軽率な言動だといえよう。

「でも嬉しかったよ、あの時はありがとう。無愛想に断ってごめん」
……なあ花形〜可哀想だ〜卒業旅行に京都行ってやれよ〜」
「いつの話だ。まだ6月だろうが」

突飛だが藤真は真剣だ。これだから好かれもするが持て余すことも多い。

「なんならほら、バスケ部みんなで行ったっていいだろ」
「お前、その気持ちだけで突っ走るのどうにかしろ」
「気持ちはありがたいけど私藤真と旅行はもういいや」
ひどい!」
「ほんとに何やったんだお前……

確か藤真は不安の残る期末のために来ていたのではなかったか。しかし、少なくとも本人はもう勉強する気などどこかに飛んで行ってしまって行方不明だ。ふたりの話を聞いているだけで結構楽しくなってきた。どちらにしても意外な一面を一気に見せてもらっている感じだ。

付き合ってもいないのになんだか仲良しというのは理解できないけれど、花形の緩い側面は悪くないし、寡黙でドライだと思っていたのこんな柔らかい笑顔には、どこかホッとしている。

「藤真、メシどうする? 食ってくか」
「えっ、食う食う。何かあるのか?」
「これから私が作るんだよ」

藤真はまた目が回りそうな気がした。彼氏彼女通り越して夫婦じゃねえかコレ。そう突っ込みたいのを頑張って我慢する。が作るのが当たり前になっている空気、女の子の手料理だというのに甘さの欠片もない雰囲気。しかしこれを耐えればまた面白い話になるかもしれないと思うと、帰る気にはならなかった。

「あ、そういえば前に有料コートでみんなにあげたケーキ、あれのだったんだ」
「え! アレ食べたい!」

今も絶え間なくお菓子を摘んでいる藤真は目をキラキラと輝かせて手を挙げた。

「今すぐはちょっと……それはまた今度作ってあげるよ」
「うお、約束だぞ。って料理上手いの?」
「いや別に全部上手いってことはないよ。失敗もするし」

の場合、単にドライフルーツとナッツのパウンドケーキが元々得意だったというだけである。その他の料理に関しては、花形の部屋に入り浸るようになってから習得したものだ。当然中には失敗してしまった料理もある。

「唐揚げは大変だったよな」
「あっ、そうそう藤真聞いてよ、ひどいんだよこの人。揚げてる間中鍋のふた持って自分だけ守っててさ」
「花形ってのはそういうヤツなんですよさん……

お前ら新婚さんかよ。これはちょっと自分が居たたまれない。藤真は少し遠い目をしている。

「でも透のリクエストが和食ばっかりだから、たまには違うのと思うんだけど」
「お前そんな和食好きだったっけ?」
「煮物とか外であんまり食べられないじゃないか」

有料コート近くの古い喫茶店の常連である花形と藤真は、その店の洋食をこよなく愛している。が、ひとり暮らしの花形の場合それが続けば飽きもしよう。

「で、今日はなんなの?」
「中華の予定だったんだけど、藤真平気?」

藤真は前髪をパサパサ揺らしながら、何度も頷いた。食べ盛りに嬉しいガッツリ系だ。

「じゃあメシまでの間、勉強しますかキャプテン」
「うわ、マジか」
「マジかじゃねえ、それが目的だろうが!」

キッチンに立つが声を殺して笑っているのがわかる。藤真は口を尖らせて教科書を引っ張り出した。

「つーかさ、いつもこうやってメシ作ってもらってんの」

大盛りの炒飯をもぐもぐやりながら、藤真はスプーンでと花形を差した。

「でもお金ももらってるし、リスクを負ってるのは透の方だし」
「ギブアンドテイクが成り立ってるからな」

それが精神面にも及んでいることまでは、わざわざ言わなくてもいいだろう。

「家でひとりでいるより、ここでご飯作ったり勉強したり映画見たりしてる方が全然いいよ」
「映画か、花形も好きだもんな。はどんなの見るんだ」
「ほぼオレと同じ」
「は!?」

藤真にとって花形の見る映画というのは怖くてつまらないものというイメージがある。もっとも、藤真の言う映画というものは、極端に言えば大長編ドラえもんなのであるが。

「渋いな……オレはドラえもんの映画で精一杯だ……
「うわ、藤真、何てこと言うんだお前!」
「ドラえもんの何が悪いんだよ!」
「逆だ!」

その日、藤真と花形は食事中をフルに使っての映画ドラえもん語りを聞かされる羽目になった。しかも、途中でどのタイトルが一番かという議論に発展し、鉄人兵団を推す、絶対に小宇宙戦争だという花形、のび太と恐竜こそ至高という藤真がぶつかり合い、結局食後も延々ドラえもんの話をし続けた。

藤真は結局夕食前の1時間ほどしか勉強しなかった。

携帯をいじっていたが帰ると言い出したのは、22時頃のことだった。今日は少し早い。

「あれ、泊まらないのか」
「泊まったことなんてないよ。ちゃんと帰ってる。藤真こそ泊まらないの」
「遅くなったしなあ。藤真どうする」
「え、じゃあそうしようかな」

が泊まっていったことがない、それは「彼女じゃない」なら確かに当たり前のことなのだろうが、お互いを名前で呼び捨て、家事までやってくれる女の子は本当に「彼女じゃない」のだろうか。藤真はまた悶々とし始めた。しかし今夜は泊まることになったわけだし、は帰宅する。いくらでも問い詰められる。

「藤真、晴れてる。を送っていったついでに少し走らないか」
「おっ、いいねえ」
「ふたりともなんでそんなに元気なのよ」

褒められたと勘違いした藤真は腰に手を当ててふんぞり返った。梅雨の合間の晴れ夜空の下を、と花形と藤真は駅に向かって歩き出した。