プラクティス・デイズ

13

冬の選抜予選最終戦の後、翔陽バスケット部はまず学校へと戻る。部室でミーティングをしたあと、3年生だけで打ち上げをする。これはほぼ恒例行事であった。打ち上げと言っても、近所のファミレスですらない部室での乾杯とお菓子ではあるが。

そして、試合当日は遅くまで居残らないという藤真ルールに則り、全員早めに下校する。

花形と、に挨拶をしておきたいという藤真はほとんど喋りもせずに、マンションへ向かって歩いていた。今日はさすがの藤真も自宅へ帰る。帰るがどうしてもの顔を見ておきたかったらしい。

ふたりがドアをくぐって部屋に入ると、真っ赤な目をしたがキッチンから慌てて出てくる。

、ただいま」
「すぐ帰るけどただいま〜」
「おかえり」

そう言いながら、堪えきれない様子ではボタボタと涙を落とし、それを手で擦り上げている。

、今日ありがとな。来ないつもりだったんだけど、顔見たくて」
「藤真、藤真」

もう名前を呼ぶので精一杯のの背を、花形がそっと押し出した。花形とが奇妙な関係であったとすれば、藤真とは少し古臭いくらいの友情で結ばれていた。それは横で見ていた花形が一番よくわかっている。泣きじゃくるの背を押し、藤真の元へ連れて行く。藤真はそれを受け取って、優しく抱き締めた。

「オレも花形も超かっこよかったろ。最後に見てもらえてよかった。、ありがとう、感謝してる」

藤真にしがみついているの嗚咽がひときわ高くなる。翔陽は、負けてしまったのだ。

「またケーキ作ってくれよ。どこか遊びにも行こうぜ。もう卒業まで何もないんだ」

何度も頷くの頭をポンポンと撫でながら、藤真は穏やかな笑顔だ。花形も藤真も引退したのである。

「まあなんだ、ふたりの邪魔はしないけどさ、たまに来るから」
「そんなこと気にせず来いよ。いまさらだ」
「バカ言え、やっと正直になったんだろうがよ」

藤真はから離れると、じゃあまたなと言ってさっさと出て行ってしまった。

ドアが閉まり、少しして鍵をかけた花形の背中にはそっと抱きつく。そのを引き剥がして花形は振り返ると、まだ涙の止まらないを抱き上げた。やっぱりお姫様抱っこくらいわけもないと思いつつ、花形はいつもの指定席へとを運ぶ。壁際に腰を下ろして、立てた膝の間に座らせたを改めて抱き締める。

「最初で最後になっちゃったな」
「った、透も藤真もかっこよかったよ、怖いくらい、かっこよかったよ」

はまだ涙が止まらない。初めて見た花形たちの真剣勝負に心を打たれてどうにもならないらしい。しかも高校最後の試合だ。おまけに負けてしまった。無理もない。花形もの涙を止めようとは思わない。

「あいつ、鬼のようだったろ。オレも少し驚いたくらいだ、怖かったよな」

背中をさすってくれる花形の肩に顔を擦りつけたまま、は首を振った。

「怖かったけど、それだけ気合入れてやってるのに、負けたらどうしようって」
「まあ実際負けたんだけどな」
「透も藤真も、壊れちゃうんじゃないかって、そんなの、辛すぎると思って、なのに、ふたりとも」

こみ上げる嗚咽に喉を詰まらせたの頭に頬を寄せて、花形は少し笑った。

3年間ほぼ毎日顔をつき合わせて来た3年生の部員ですら竦みあがるほど、藤真は豹変していた。無表情ながら命がけの戦いに赴く戦士のようで、それだけの気迫を背負ってなおの敗北であったのに、にこやかに微笑んで「ありがとう」など、不意打ちだったに違いない。

「夏の予選の時みたいな、もうあんなの、あんな風になったらと思って」
「少なくともオレは……会場のどこかにお前がいるってわかってたから怖くなかった」

歓声などなくてもいい、姿が見えなくても構わない。同じ空間にがいる、そう思うだけで闘志は鋭利な刃物のようにシャープでクリアになり、全身から静かなる青の炎を燃え上がらせる藤真と共にベストな試合が出来たと思っている。それが誇らしくもあり、今となっては少しだけ照れくさくもある。

、ありがとう」
「やめてよもう……涙止まんないよ」
「いいじゃないか、好きなだけ泣いとけ」

花形は放り出した荷物に手を伸ばし、バッグの中からスポーツドリンクを取り出す。飲みかけだが、今更そんなことを気にするような間柄でもない。キャップを外すと、有無を言わさずの口にあてがう。泣きながら吹き出すは、少し飲んで、笑って、また泣いて、また笑った。

「冬の選抜に行くつもりだったから、引退は年末のはずだったんだけど、1ヶ月も早まっちゃったな」
「透なら今から一般受験でもいけちゃったりしてね」
「そりゃ無理だろ。また期末頑張ってみるか」
「邪魔しないとか言ってたけど、藤真も遊びに来るだろうねえ、勉強邪魔しに」
「だろうなあ」

飲みかけのスポーツドリンクを飲みきったは、ようやく人心地がついた様子でニヤニヤと笑っている。花形もつられて口元が緩む。冬の選抜に行かれなかったことは心残りではあるが、悔いはない。進学も決まっている。と一緒に東京へ戻れる。それは幸せなことではないだろうか。

国体の打ち上げの日の夜、藤真にが好きだと言った時から、花形は心を決めていた。藤真の言うように彼氏彼女でもない、こうしてふたりで過ごしていることもこそこそと隠れてやってるに等しく、やましいことなどないのに背徳の香りが拭いきれない関係をどうにかしたいと思っていた。

付き合っていようがいまいが誰に許可がいるわけでもなく、ふたりで好きなようにすればいいだけなのだが、を好奇の目に晒したくない一心で藤真以外の誰にも明かしてこなかった。だが、進路も決まったしも家を出られるし、最初から花形が望んでいたようにを普通の高校生のように過ごさせてやりたかった。

女の子の友達がいないのは一朝一夕にどうにかなるものではないので仕方ないとしても、その他の、そう彼氏と出来ることであればなんだって叶えてやれる。花形が漠然と想像することの殆どをは望まないだろうけれど、そういう時間を過ごしてもいいのだと思って欲しかった。

そのために、自分が少しくらい気恥ずかしかったとしても、構わない。

、嫌だったらそう言ってくれていいんだけど」
「う、うん……どしたの」
「こんなこと言うのおかしいんだけどさ、なんていうか、もういいかと思って」
「何よ、なんかこわいな」

変に改まった様子の花形に、はにやつきながらも少し身を引く。

、彼女になって、オレと付き合ってください」

身構えていたは、困ったような笑顔のまま固まってしまった。そんなやりとりなどないまま心だけが寄り添い、いつしか強く結ばれてしまって、切り離せないほどになってしまった。少し頭を落とし、を真正面から覗き込むようにしてそう言った花形は、真剣そのもの。

が嫌じゃないなら、藤真だけじゃなくて誰に知られても構わない」

例えばクラスメイト例えばバスケット部、誰に知られても堂々としていたい。藤真の言うように、元から隠す必要などない関係だったけれど、それをよしとしなかったのは自分たちだから、その枷は自分が解き放ちたいと花形は考えていた。黙っていれば、は一生そんなことを言わないだろうから。

「一緒に登校も下校もしよう、勉強は図書室でやってもいい、DVDも一緒に借りに行こう」

当たり前のことをどんな場所でも君と一緒に。固まったままのの頬に指を滑らせ、そっとキスする。それでも身動きできないの頭を、肩を、背中を、かつて自分がそうしてもらったように、優しく撫でる。

、今更だけど、その、好きです」

さすがに照れくさかった花形は、かくりと頭を垂れてそう言った。その言葉にやっと緩んだは、両腕でしっかりと抱きついて花形の耳元に唇を寄せた。ずいぶんと鼻声だったけれど、今までのどんな声よりも喜びに溢れていた。

「私も、私も透が好きです、大好きです」

その声が耳に届き意識の中に伝わって、そして痺れとなって全身を駆け巡った。ぞくりと音を立てて背中が疼く。の背を抱く手につい力が籠る。花形はこの時初めてに欲情したのだ。瞬間的な出来事で、自覚が伴うまで少し時間がかかったが、そうとわかった時には、どこかホッとした気持ちになった。

あれこれと理由をつけて好きなのではなくて、ちゃんと本能から好きなのだと実感できた。同情とか哀れみだけなのかもしれないと思ってみたこともあったが、そんなものは杞憂だったと安堵した。

それをもって、開くに任せていた扉は完全に開け放たれたのである。

花形が言ったように、ふたりはその後一緒にDVDを借りに行き、駅前の人目に付く店で一緒に食事をし、手を繋いで帰ってきた。土曜の夜のことで駅の南口は賑わっていたし、その中に誰がいるとも知れなかったが、もう何も構わなかった。名前で呼び合い、手を取り腕を組み、どこにでもいる恋人同士のように。

帰宅したふたりは懐かしい映画を見つけてきて、テンションが上がっている。80年代の作品でありながら、一部ではカルト的な人気を誇る「ラビリンス 魔王の迷宮」である。一見して夢見がちな少女の恋に恋するファンタジーであるが、高い技術と奥深い演出の名作である。

ならともかく花形にとっては少し甘いセレクトだが、いわゆる「もう一度見てみたい子供の頃に見たあの映画」である。この手の作品は往々にしてタイトルがわからないなどのもどかしさとセットになって記憶にしまいこまれている。今日はたまたま目に付いて勢いで借りてきてしまった。

DVDをセットして灯りを落とす。そしていつものように壁際に腰を下ろすが、今日は横に並ばずに、花形がを後ろから抱きかかえている。花形にもたれかかる、その頭に頬を預ける花形。これまで手のひらでしか感じられなかった体温が、ダイレクトに伝わってくる。

「懐かしいなあ〜。確か夏休みに風邪引いた時に親が借りてきてくれたんだよな」
「ていうかこれがデビッド・ボウイだって今日知ったんだけど」
「オレも子供の頃は気持ち悪いおじさんだと思ってた」

抱きかかえたをゆらゆらと揺らしながら、花形は笑った。も笑っている。ほんのり甘いラブストーリーを余韻に残して、彼氏彼女になった初めての夜、花形は、もっとに触れたいと思い始めていた。