ハート・オブ・ゴールド

12

祖父の衝撃の宣言の後はやっと楽しく食事をすることが出来た。聞けば祖父母の家も叔母夫婦の家も近くなのだそうで、今日は楽しいから飲んじゃうぞ、と全員ワインを飲んでいた。叔母夫婦はバスがあるし、祖父母はタクシーで20分くらいとのことだ。

進学の件がどうやら正当な手段でクリアになりそうなので、健司も上機嫌だった。今度一緒にディズニーランド行こうよという叔母にもと一緒ならいいよと言い、そんじゃダブルデートにしようと盛り上がる叔父にもニコニコしていた。照れていたのはだけである。

21時頃にお開きになっても健司は上機嫌で、デートと言っても時間が遅いので、それこそ創立記念パーティーの時に出来なかった「素敵なカフェ」でお茶しただけで帰路につき、家までを送って帰ったが、ダイニングテーブルには母親の字で「お父さんに呼ばれてマンションにいます」と書き置きがあった。

やはりどちらが言い出したものか、修吾も皆人も最近では都内にマンションを購入して基本的にはそちらで生活をしている。なので、今日は藤真家も家も、誰もいない。上機嫌なままの健司はその勢いでに飛びつき、この日は泊まって、翌朝そのまま部活に出かけていった。

そして翌週には自分たちが出られなかった決勝リーグを観戦しに行けるまでになった。まだ海南戦を自分の目で見られなかったと言って帰ってきてに抱きついていたけれど、それでも以前ほどの落ち込み方ではなかった。倒れてしまった心を少しずつ起こしていこうとしているようだった。

そんな時間を経て現在翔陽の中心である3年生スタメンは全員冬の選抜まで残留する意志を固め、まだ半年以上先である予選へ向けて長い練習を始めた。練習試合だのはともかく、IHも国体も関係ない翔陽にはただひたすら練習を重ねるしかないのだ。

さらに正規の監督がおらず、やむなく生徒がその役割を担っていた、そして予選の段階で負けてしまったという事態にはやっと保護者から苦情が出た。いくら強豪校で素人では通用しない世界なのだとしても、子供にその重責を負わせたまま半年以上何もしなかったのはさすがに怠慢ではないか、というわけだ。

そのところは健司が監督をこなしてしまっていたことが裏目に出たわけだが、これは言われるまでもなく連続IH出場を逃して大ダメージの学校側は早急に対応しますと頭を下げていた。健司が引退したら後がないということにやっと気付いたようだった。

そして、もしきちんと監督を見つけられていたならもっと目にとまるチャンスがあっただろうということで、3年生の進学に関しても何とかしてみせると覚悟を決めていた。幸いバスケットで進学したいという部員はそう多くないし、これまでにスポーツ推薦で何人も送り出している実績がある。

健司もスカウトが白紙になっていたが、改めて自分の希望で進学するなら……と初めて具体的に将来というものを考え始めていた。そんな中で、もし自分の願う通りバスケットを目的として進学が叶うなら、婚約は破棄されるんじゃないか、と思えてきた。思う通りにならないことは切り捨てるはずだ。

その時こそとは本当の意味で恋人同士になれるのじゃないだろうか。

そういう希望が見えてきたことで、健司は予選前に信頼のおける同学年の部員ならとのことをカミングアウトしてもいいのではないかと考えていたことを思い出した。カミングアウトしたからと言って何が変わるわけでもないけれど、婚約のことを含めずっと嘘をついていたことを謝りたかった。

が、しかし、そのためにスタメンを全員家に呼び、そこにさらにも呼ぶという手段に出たことは、あとでにガッチリ怒られた。どうして修吾みたいなことをするんだと言われた健司は即答で「ごめんなさいもうしません」と頭を下げた。ほんとに修吾みたいだった。最悪だ。

とはいえ、いつでも大人がいない豪邸、キャプテンはなぜか料理上手、そしてここにきて健司は初めて知ったのだが、部活も適当で彼氏も作らず、ただひたすら地味に過ごしていたは、なんとずっと「勉強してた」という。塾に通い、英会話教室に通い、高1の時にはパソコン教室にも通っていたという。

豪邸にお呼ばれして部長の手料理食べてる花形たちも首を傾げた。

「皆人よりランクの高い大学に入りたくて」
……どういう意味?」
「修吾小父さんもそうだと思うけど、翔陽と同じように出身大学の自慢、するでしょ」

するなんてもんじゃない。しまくる。そしてそれよりちょっとでも格下な大学は貶す。

「だけどさ、あのふたりが学生だったのって20年以上前のことで、ランクなんて変わるじゃん」

大まかなところでは変化はないにせよ、それぞれの出身校はふたりが自慢するほどの大学ではないような気がしたのだ。それに気付いたのが高1のゴールデンウィーク。折りしも健司とのことで苦しかった時期である。適当な男と付き合って無理矢理思い出作りする気のなかったはスイッチを切り替えた。

「どうせ自分の出身校を受験しろと言うと思うんだけど、その時にそんな低ランクヤダって言いたくて」

健司は驚いていたが、花形からは拍手が出た。こちらも翔陽ではちょっとばかり役不足な頭脳の持ち主である。

「て、アレ? お前中間とか期末って」
「いつも上位にいるよな」
「そうだっけ!?」
「健司が見てないだけでしょ。あの北里を蹴落とそうと思ってるんだけどこれが中々……

北里くんはみみっちい男で性格にも難があるが、勉強はよくできる。すると健司特製の角煮丼をかき込んでいた花形が箸を置いてメガネをついっと上げ直した。

「オレもこの期末はちょっと本気出してみようかなと思ってるんだよな」
「何だその本気出せば出来るんだみたいな」
「出来ますが、何か」

の前でかっこつけられるのが面白くない中間学年182/300位はぶすくれた顔をしたが、メガネの副部長は至って真顔だ。本当に本気出せば北里くらい蹴落とせる自信があるらしい。

「それに、今年はIHがない以上はテスト前に部活できないからな。ちょっと頑張ろうかと」
「あああそうか! みんなテスト前で部活できないのか普通は!」
「だからここでちゃんとやっとかないと、『部活だったから』っていう言い訳が使えなくなるぞ」

健司と似たりよったりな成績だった長谷川高野永野は「今気付きました」という顔をして箸を置いた。すると花形がまたメガネを指で押し上げ、ぼそりと言う。

「藤真がいいならだけど、みんなで勉強するか?」

本気出せば北里なんかチョロいらしい花形と、虎視眈々と北里を蹴落とすことを目標にしてきたが助けてくれるということだ。似たり寄ったり3人組の目がキラキラしてきた。一斉に視線を集めた健司はしかし、が仲間に入ることは少し面白くなかったのだが、中間学年182/300位である。

「そうだな。どうせ強制的に時間出来るし、みんなでやるか」
「ここ使っていいの?」
「構わないだろ。どうせ帰ってこないんだし」

花形たちがいることは若干引っかかるけれど、が正当な理由で毎日通ってこられるということでもある。健司はあくまでも「仕方ない」という顔を装って勉強会を受け入れた。

勉強会はテスト期間に突入してからはほぼ毎日行われ、と花形の先生ふたりのハイレベルなやり取りの傍ら、似たり寄ったり4人は理系の花形文系のに隙間をきっちり埋めてもらって効率よく準備ができた。しかも毎回部長の手料理付き。最終的に高野は「藤真との子供になりたい」と言い出した。

その結果、北里くんは学年50位あたりでフワフワしていた花形に突然トップを引きずり降ろされ、その上自分を袖にしたにまで負け、入学以来守り続けてきた学年1位をとうとう奪われた。しかも3年生の学期末考査である。最悪だ。健司は嬉しそうにしていた。

似たり寄ったり4人の方もしっかり準備できたおかげで全員平均点が上がり、無事に面目を保った。

そうして夏休みを迎え、IHに出場する海南と湘北に対しては複雑な感情を抱えていた翔陽バスケット部だが、それを除けばと健司は比較的平穏な日々を送っていた。は予備校の夏期講習に参加していたし、健司はただひたすら練習の日々。

途中夏祭りに出かけたり、叔母の誘いで夕方からディズニーランドに行ったり、そういうこともしながら夏休みを過ごした。健司の成績が上向きになったことがまたどこからか漏れて、修吾から「もっと上げろ」と「指示」がきたことを除けば、そこそこ楽しい夏休みだった。

だが、ここで転機が訪れる。

「えっ、すごい! 何それ私も見たい! 神奈川ドリームチームじゃん!」

今年の国体、少年の部神奈川代表が選抜チームになったというのだ。健司から報告を受けたは飛び上がって喜んだ。健司は知らなかったけれど、は1年生の頃から翔陽の公式戦はほとんど見ている。神奈川の選手にも多少は詳しい。しかも今年は東京開催。

そういう話なら、実力から言って健司が呼ばれないはずがない。今年の戦績が予選止まりである以上、チーム内の序列では順位が落ちるけれども、ここ3年ばかりの神奈川の高校バスケットを牽引してきた選手であることは間違いない。一緒に花形と長谷川も呼ばれた。

「もう冬の予選しかないと思ってたから、ちょっと信じられないけど」
「ええと、気持ちの方は大丈夫? 海南も湘北も一緒なんでしょ」
「それは平気。ちょっとわくわくしてる」

やっと元の健司に戻ったな、と安堵していたも、都合がつく限り試合を見に行った。合同練習の最中は「混成意外とめんどくさい……」と青い顔をしていた健司だったが、トーナメントが始まってしまうと、全て吹き飛んだ様子だった。というか、普通にコート内では中心になっていた。

元々主将だし、今年の翔陽は同学年であっても監督としての健司には従順な様子を見せていたわけだが、他校の選手はそういうわけにはいかない。その上今年はでもわかるほど癖の強い選手が多くて、勢い健司は「ツッコミ」になっていた。あまりに言うことを聞かないので怒鳴るしかない。

選抜チームのキャプテンは別にいたのだが、そっちはそっちで苦労していたし、観客席で見ていたが笑ってしまうほど健司はあちこちに気を払いながら試合を頑張っていた。

神奈川代表は順調に勝ち進み、結果としてはベスト4で終わることになった。だが、事件はここからだった。

決勝には残れなかったが、それでもベスト4まで勝ち上がれたので、神奈川代表はそこそこ明るい雰囲気の中にいた。決勝戦を観戦し、表彰のセレモニーが終われば混成で妙に盛り上がった国体も終了である。もそれを見届けるつもりで来ていた。

表彰式が終わり、ロビーで保護者が選手たちと喋ったりしていたので、も健司を探していた。幸い花形のお陰ですぐに見つけられたので、顔を出した。出場した3人だけでなく高野と永野もいたし、お疲れ様、と労っていたときのことだ。

あれこれと試合について喋っていた健司たちのところに、突然初老の男性が突っ込んできた。

「ああやっぱり! 藤真くんだよな!?」
「えっ、はい、そうですけど……

誰もこの男性に見覚えがない。彼は少々興奮気味に健司の肩を掴んで詰め寄ってきた。

「覚えてないか、3年前、どうしても君が欲しくてお父さんに頼み込んだ東桜の――
「監督!!!」

健司だけでなく、も一緒に声を上げた。遡ること3年前、健司は東京で古くからバスケットの強い東桜学院高校にスカウトを受けていた。どうしてもうちに来て欲しいと熱心に口説いた監督だったが、修吾は取り合わなかった。翔陽もバスケットの強い高校だったし、監督には修吾を説得する材料がなかった。

しかし当の健司は東桜に行きたいと思っていたのだ。東桜は当時東京の覇者だったし、翔陽が嫌だったのではなくて、せっかく東京のトップ校から来ていたスカウトを断るのが面白くなかったのだ。

「いやー、今年のIHで見かけなかったから、どうしているかと思ったんだよ」
「ええと、予選で敗退してしまいまして……
「だけどまさかここで君を見られるとは思ってなかった。これは何かの縁に違いない」

監督さんはなんだかひとりで大盛り上がりである。たちはポカンとしつつも、黙っていた。

「それで藤真くん、進学先はどこのチームになったんだい」
「あ、いえ……まだ決まってなくて」
「何!? ほんとか!? やっぱりこれは運命だ!!!」

いよいよ監督は大興奮、健司たちはドン引き、という図だったが、監督はとんでもないことを口にした。

「藤真くん、今度こそ君がほしい。うちのチームに来ないか?」

ドン引きが今度は唖然である。今度こそ、って藤真くんは高校3年生ですが。それを見て取った監督はにっこりと笑って両手を広げる。熱くてしっかりした指導者のようだが、一体――

「説明が後になって申し訳ない。東桜の監督は去年度までで辞任してるんだ。今年度からは大学で教えてる。君ほどの選手ならとっくに推薦が決まっているかと思ったが……まだ決まっていないならこの話、考えてみてくれないか。今度こそ君と一緒にバスケがしたいんだ」

監督が改めて名刺を差し出すと、覗き込んだたちは一斉に声を上げた。関東一部リーグ常連校であり、大学としても普通に有名所、というかの言うような、修吾や皆人の出身校より格上の大学だ。花形たちはともかく、健司とは少々震えてきた。夢じゃないよな?

「3年前も思っていたけど、今日見て改めて思った。君はとてもいい選手だ。ぜひ前向きに考えて欲しい」

混雑のさなか、監督はそう言って去っていったが、後には興奮が伝染した6人が残された。

東京のトップ校からスカウトがかかる選手だったにも関わらず、親の都合で別の高校へ入り、そこでも確かな存在感を示したものの、怪我でIHをふいにするわ監督不在が響いて予選敗退するわ、その時来ていたスカウトは不誠実だわで、プライベートも含め、とにかく健司にはろくなことがなかった。

そこに突然3年前に手放した縁が戻ってきた。

大学のレベルだけ拾い上げてみればあるいは修吾も文句は言わないかもしれない。だが、彼は経済学部ないしは法学部くらいしか認めないだろうし、その大学でバスケット部に所属するなどと言おうものなら、またネチネチと自分に都合のいい理屈で難癖をつけてくるだろう。

だけど健司は祖父の負けず嫌いのおかげで、自分の意志で進学ができる。自分の未来を自分で選び取れる。

自分の意志に反してバスケットで進学をする健司を修吾はどうするだろう。との婚約をどうするつもりだろう。皆人とどんな話をするだろう。健司は武者震いがしてきて、思わず自分の腕を抱いた。

そこへ興奮が伝染した花形がメガネを押し上げながら上ずった声を上げた。

「おいおい、よかったなお前、これなら親父さんもOKしてくれるんじゃないのか」
「ああ、ちょっと自分でも信じられないけど……まあ親父はどうせダメだって言うよ」
「えっ? 学費もクリアになってるのに?」
「そりゃそうだろ。バスケやめろっていうのが向こうの主張なんだから」

やはり少し上ずった声を上げていた健司だったが、花形が神妙な顔で黙ったので、首を傾げた。

「なんだよ、そこは変えろって言っても変わらないって」
「そうじゃなくて……お前、まだ未成年なんだから」
「それがどうしたよ」
「親の同意がなくて大学に入学できるわけないだろ」

何だか全部丸く収まりそうだと興奮していた一同は水を打ったように静まり返った。

「もし親の同意がなく勝手に大学に入りたいならハタチになるのを待つか、結婚するか」

一応未成年であっても結婚をすれば成人とみなされ、親権者の同意なく契約を結ぶことが出来る。だが、未成年者の場合はそもそも結婚に親権者の同意がいる。どちらにしても親の許可なく何かしらの契約をすることは出来ない。高校3年生、18歳は、まだ「子供」なのだ。

スカウトが来た、学費も祖父が出してくれる、だけど最大の難関である修吾の許可がなくば全て無駄だ。

歓喜に体を震わせていた健司は一転、目の前が真っ暗になった。もう誰がどう助けてくれてもバスケットによる進学は叶わないのではないか。自分でもどうしようもないし、親権者という絶対的な立場にある修吾は絶対に認めてはくれないだろう。それともまさかあと2年、浪人するのか――

終わった。オレのバスケットは本当にここで終わる――そう思った。