ハート・オブ・ゴールド

01

藤真にと言えば、ある年代の翔陽高校出身者にとっては非常に有名で影響力もあり、また双方の出身地である街でもよく知られたふたりでもあり、とにかく慎ましく生きる名も無き市井の人々ではなかった。

藤真修吾、そして皆人は翔陽高校に入学したその時からライバルであり親友という関係になっただけでなく、瞬く間に全生徒の中心となり、3年生の頃には新任教師の方が萎縮するほどになっていた。

どちらも文武両道だったけれど、どちらかと言えば修吾の方が活発で、皆人の方が頭脳派。修吾は当時翔陽高校で一番強かった剣道部の主将、皆人は生徒会長を務め、またこのふたりは揃って見栄えもしたので、どこにも隙がない青年であった。

出来がいいだけでなく、女子生徒からは常に憧れを抱かれ、しかし男子生徒にも頼られ慕われるという作り物のような人物が一度にふたりも揃っていたので、当時の翔陽はさながら修吾と皆人の天下だった。それが高じて傲慢さが見え隠れしていたけれど、高校生の頃はまだ可愛いものだった。

さて、そんな環境で高校3年間を過ごした修吾と皆人は、別々の大学に入っても親交を持ち続け、さらに社会に出てからもライバルであり親友という間柄のまま、やがてどちらも伴侶を得て結婚した。結婚自体は修吾の方が1年ほど後だったが、その後図ったように同じ年に子供が生まれた。

修吾には息子、皆人には娘が生まれた。名前は健司と

それから十数年、翔陽時代から何かというと競い合い、また時には協力しあってきた修吾と皆人は、どちらも自身が起業した会社の社長に収まっており、またその会社が一代で築いたとは思えないほどの大きなものに成長していて、つまりふたりは地元のみならず、関東でも大変有名な企業のトップになった。

まあ端的に言って成金だ。だが、歴史も伝統もない新しい企業の熱血社長ふたりは揃ってそういうサクセスストーリーの上を順調に歩んでいた。それが彼らをますます傲慢で独裁的にさせていってしまったのは、むしろ自然なことだったのかもしれない。

それでも会社が順調である以上は傲慢だろうがなんだろうが、そこは問題なかった。ただ、修吾と皆人の傲慢さは家庭の中でも変わることがなかったし、結果として、息子と娘を半ば強制的に翔陽高校へ入学させることとなった。始め、このことに反抗的だったのは修吾の息子、健司だった。

「オレ、東京の高校からスカウト来てたんだよ」
「断っちゃったの?」
「親父がな。オレは東桜でよかったのに」

修吾と皆人の地元、神奈川県某所にある家の本宅である。ふたりの傲慢親父はそこそこ近い場所に豪邸を構えており、その子供である健司とは小さい頃からずっと一緒で、つまり幼馴染だ。藤真家の方は母親も修吾と一緒に仕事をしているので、健司は幼い頃から家に預けられていた。

ふたりとも小学校は距離のある私立に行かされていて、そのため自宅に帰ると近所に友達がおらず、小学校低学年の頃はふたりで遊んでいればよかったけれど、が徐々に健司の体力に着いていかれなくなり、持て余した健司はその頃たまたま地域に新設されたミニバスのクラブに入ってバスケットを始めた。

それが大当たり。健司は見る間に上達してすっかりバスケットに夢中になり、中学からは公立で揉まれて成長しろという父親のお達しでバスケットの強い所には行かれなかったけれど、それでも東京の強豪校から監督直々にスカウトが来るくらいには優秀な選手になっていた。

だが、公立で揉まれろが一転、今度はオレたちの出身校に入れと言い出した。今度は私立の翔陽である。

「だけど翔陽だってバスケット強いんでしょ?」
「まあな。だけど神奈川は海南大附属だろ」
「へえ、翔陽より強いの?」
「オレたちが生まれる前からずーっと神奈川ナンバーワン」

スカウトが来ていた東京の東桜がちょうどそういう学校だった。海南大附属からは、来ていない。

「私は受験がなくてラッキーって感じだったけど……そっか、健司はちょっとつらいね」

だだっ広いリビングのソファにちょこんと座って膝を揃えているは、ソファの上にひっくり返って不貞腐れている健司の頭を撫でる。修吾と皆人は母校である翔陽に多額の寄付をしており、さてこの年息子と娘が中学3年生で翔陽に入れたいと思っている――などと言い出したからさあ大変。

健司の方には優秀なバスケット選手という都合のいい大義名分があったので、まずはそちらの推薦入学が決まった。次いでは正式な推薦入学の手続きを踏んだけれど、それももはやただの形骸的な事務処理に過ぎなかった。ふたりは春から父親たちの母校に通うことになる。

「まあいいよ、こうなったらオレの代で神奈川の勢力図をひっくり返してやるから」
「健司ってほんとめげないよねー。そーいうとこえらい」
「お前がやる気なさすぎんだろ」
「みんなこんなもんだと思うけどなあ」

今のところ特に将来の展望もないは、受験なしで高校が決まったので得した気分になっていた。それに中学が分かれてしまった健司とまた同じ学校というのは心強い。どうせ時間が空けばこうして家で一緒に過ごすのだろうが、よく知った顔があるのは安心できる。

……小父さん、今日も帰らないの」
「今日も、って帰って来る方が珍しいぞ」
「泊まってく?」
「それは別にどっちでもいいけど。あ、でも飯は食ってく」

いくら成金の豪邸でも、叩き上げ家長の藤真家と家はハウスキーパーの類を常駐させない主義である。家の方はの母親が専業主婦で家にいるので、彼女は毎日朝から晩まで掃除をしている。健司の母親は修吾と一緒に仕事をしているので、藤真家の方はたまにクリーニングサービスを使うそうだが、それだけだ。

健康な男子の健司はいつでも腹を空かせており、それをの母親はずっと面倒見てきた。今も健司が藤真屋敷に帰ったところで、キッチンにはろくな食材がなく、部活ばかりで時間もない健司のこと、コンビニに走り豪邸のダイニングでカップ麺と菓子パンというディナーになるのは目に見えていた。

そんなものだから、健司はいつでも家に入り浸っている。食事はもちろん、疲れていれば泊まっていくこともあるし、部活で毎日出る洗濯物などはほぼの母親が面倒を見ていた。

「今日はうちも皆人いないし、お母さんも用があって出かけてるから夕ご飯作るの私だけど」
「マジか。やっぱ帰ろうかな……
「お前もう二度とうちに入るな」

バチンと肩を叩かれた健司はヘラヘラと笑って身を起こし、ははーと大袈裟なアクションで土下座をしてみせた。はぷいとそっぽを向いて、携帯をいじる。

「作るって何作るんだよ」
「グラタン」
「マジか! 早く作れよ、グラタン食べたい!」
「まだ14時だよ。さっきお昼食べたばっかじゃん」

春休みな上に高校入学直前の健司は部活もなく、こうして家で毎日ダラダラ過ごしていた。物心付く前から一緒に育ってきたはベッタリ仲良しというわけではなかったけれど、何しろ家族のように気楽で遠慮もいらないし、滅多なことでは喧嘩にもならなかった。

「やばいグラタン超楽しみ」
「初めて作るからおいしくないかもよ」
「おいしくなるように頑張れ。オレのためにおいしいの作れ」
「何様だよ!」

けたけたと笑い合うふたりはこんな風にのんびりと一緒に過ごせる関係だった。それはこの先もずっと変わらないのだと思っていたし、変えたいとも思わなかった。健司は、は、気心の知れた気安い幼馴染で、まるで兄弟姉妹のような存在。そのはずだった。

数日後、ふたりはそういう穏やかな関係を、父親たちにブチ壊される羽目になる。

入学式も間近のある日、健司とはふたりまとめて父親ふたりに「制服を着て17時までに出かけられるよう準備をしなさい」と言いつけられた。ふたりは意味がわからないながらも、逆らっても仕方ないので渋々真新しい制服に着替えて家で待っていた。

「健司のとこブレザーだったから、あんまり変わらないね」
「お前はセーラーだったからいきなりブレザーだと変な感じ」

まだゴワつきの残る制服に袖を通したふたりは、それぞれの制服姿をまじまじと見つめつつ、そんなことを言い合っていた。藤真家も家もそれほど距離は離れていないが、市が違うので公立に進まされた結果、学校が違ってしまった。

それぞれの中学で友達もいたし、部活もあったし、男と女だし、普通ならそれだけで疎遠になりそうなものだが、何しろ修吾と皆人は地元では大変有名な名士である。ふたりが大きな企業のトップであることも、健司とがその子供であることも、まあまあ有名である。

それが直接の理由になったことはなかったけれど、それでもやはり健司とはどこか「別世界の人」という捉え方もされていて、また健司の方が家に面倒を見てもらっていたりで、なんだかんだと距離が近い。

ほんの数週間前までは違う学校の制服を着ていたのに、揃いのデザインのブレザーを着ているのが不思議な感じがする。そんなことを話していると、表に迎えの車が到着した。どちらの父親も乗っていない。ふたりは困り顔で車に乗り込み、行き先も知らされずに走りだした。

30分ほど走って到着したのは、この辺りでは一番大きなホテル。宿泊施設というよりは結婚式や会議やパーティに使われる目的の方が主で、確かに修吾と皆人がよく利用しているところだ。

到着するなり修吾の部下に出迎えられたふたりは、そのまま大きな広間の控室らしき場所に通された。修吾と皆人はまたいない。また呼びに来るからと置いていかれたふたりは、わけがわからないのとお腹が減ってきたのとでだいぶ機嫌が悪くなっていた。

「なんかのパーティとかか? 食べ物あるかな」
「パーティになんで私たちが呼ばれるの。しかも制服。いつもなら変なドレスとか着させられるのに」
「去年の創立記念パーティのドレスは悲惨だったな」
「それはもう忘れてよ!」

皆人は娘のをお人形的に扱うこともしばしばで、15歳の娘に派手なピンクでリボンだらけのドレスを着させて影で笑われたことがある。も可愛いので似合わないわけではないけれど、年齢を考えるとあまりに「お子様」なドレスだった。

それが制服で来い、ということなので、ふたりは余計に不安になっていた。一体何が始まるんだ。

それからさらに30分ほど経ってようやく修吾の部下の迎えが来た時、健司の腹はギュルギュルと派手に鳴っていた。なんでもいいからこの先に待っているものが立食パーティかなんかでありますように、そんなことをブツブツ言いながら大広間に案内されていったのだが、通されたのは広間の大扉ではなくて、小さな出入口。

ドアをくぐると中は暗く、背の高い壁の向こうに煌々とライトが付いている。どうやらステージの背後に通されたらしい。わいわいと騒ぐ声に、修吾の声が響いてきた。マイクで喋っているらしい。

「ねえ健司、なにこれ」
「オレもわかんないって」

大人ばかりの中にポツンと放り込まれたふたりは当惑して、はつい健司の制服をギュッと掴んだ。小さい頃からは怖くなるとこうして健司の服をギュウギュウ引っ張る癖があった。

そんなふたりは修吾のスピーチのタイミングに合わせて、引きずり出されるようにしてステージに上がらされてしまった。万雷の拍手の中、目が眩むほどのライトが突き刺さり、しかめっ面の健司とその制服を掴んだままのはおどおどしながらステージの上の父親たちの近くまで歩み寄る。お父さんなんなのこれ。

「おかげ様で息子の健司、そしてくんの愛娘ちゃんもご覧の通りすっかり成長して、翔陽の制服に袖を通すまでになりました。我々の時代の制服とは趣が変わってしまいましたが、校舎の面影はあの頃のまま、懐かしい学び舎に子どもたちを通わせられる喜びがこれほどとは思いませんでした」

何の話だ? 健司とは朗々と話す修吾を見ながらポカンとしていたが、ついキョロキョロしたが背後の金屏風にかかるパーティのタイトルを見て、またツンツンと健司の袖を引いた。見てあれ!

「翔陽OB会……同窓会とは違うのか?」
「だけどお父さんたちと同年代の男の人しかいなくない?」

こそこそとそんなことを話していたふたりだったが、真横からぬっと現れた皆人に肩を抱かれて飛び上がった。

「お、お父さん何これ」
「ふたりとも、ちゃんと前を向いてまっすぐ立ちなさい。、健司の制服を離しなさい」

皆人は今マイクを持って喋っている修吾ほど饒舌なタイプではない。だが、それが逆に怖く感じるというタイプで、ふたりはぎこちなく気を付けをして向き直った。逆光でフロアは殆ど見えない。ただステージの近くにいるおじさんたちがみんな一様ににんまりしているのが見えるだけだった。

怖い。両手を体の両脇に貼り付けているふたりだったが、今すぐに身を寄せ合いたかった。そんなふたりの怯えた顔には目もくれず、修吾はにこやかな表情で喋り続ける。

――これは翔陽時代から続くくんとわたくしの友情であり、それが両家の間で未来永劫続いていくことの証として、ここに固く約束を交わすものであります。皆様には是非ともこの喜ばしい日の証人となって頂き、共に青春時代を過ごした同輩としての絆をより一層強いものにしてゆきたいと願っております」

拍手喝采。

「それではここに、藤真家長男健司と、家長女の婚約を取り交わします」
――は!?」
「婚約!?」

つい叫んでしまった健司とはしかし、すぐさま皆人に肩を掴まれて黙った。

するとステージ袖から修吾の部下であるスーツ姿の女性が音もなく現れ、手にした小さな箱を上司に手渡した。箱の中には照明を受けてまばゆい光を放つダイヤモンドリングが鎮座しており、修吾は指輪の入った箱を手に健司の肩を抱き、の肩を抱く皆人に向かって箱を差し出した。

その瞬間、「おめでとうございまーす」という女性の声がスピーカーから響き渡り、割れるような拍手とともにカメラのフラッシュが無数に焚かれ、呆然とする健司との目の前で、光が強すぎて本体がはっきり見えない指輪は修吾の手から皆人の手に渡ってしまった。

にこやかな顔でカメラのフラッシュに応える修吾と皆人は、息子と娘の肩をしっかり抱き、静かな声で囁く。

「皆人、これでオレたちは家族だ」
「そうだな。健司、をよろしく頼むよ」
「なあに、こちらこそよろしく頼むよ」

そして、修吾はに向かってにっこりと笑いかけ、恐ろしい言葉を口にした。

「健司、オレたちの会社を頼むぞ。、オレたちに似た男の子を産んでくれよ」