ハート・オブ・ゴールド

04

青山だか一橋だかいうテニス部の男子がに交際を申し込んだ結果、どちらもあえなく振られた、という情報は新学期になってすぐ健司のもとに届いた。今回の情報元は高野。女テニに知り合いがいるらしく、そこから教えてもらったそうだ。健司はまた頑張って平静を装い、「ふーん」と答えておく。

「恋愛興味ないって断られたって話だけど、あんまり状況よくないぜ」
「よくないって……
「やっぱりお前と何か関係があるんじゃないかって。まあ主に女子の間で、だけど」
「ねえよ」
「その通り、男子の方はそんなことないらしいな。今度はうちのクラスの北里ってやつが」

女子の間でがあまりいい状況にない――健司はサッと体が冷たくなる。が誰とも恋愛しないのは当然自分が理由ではないのに、なんだその思い込みは。その上花形の言葉に腹のあたりがムカつく。またかよ。今度はどんな男だ。

「北里って確か……
「そう、今度は青山たちとは比べ物にならないほど上玉」
「ああそうだ、この間の期末1位だったやつだ」
「オレが手加減してやってるおかげで学年1位の北里くん、帰宅部だけどその代わりオサレカフェでバイト中」

オレが本気出せば期末で学年1位くらい余裕だと常々豪語する花形の北里くん情報に、高野と永野がしかめっ面をする。なんかおしゃれくさいやつはそれだけでムカつく。しかも頭もいいとか、敵だ。

……なんでお前そんなこと詳しいんだ。芸能リポーターかよ」
「いや、単にそのカフェにが友達と来たらしいんだ。それで好きになっちゃったって話」
「頭はいいけど他は?」
「顔はなんというか、可愛い感じ。それで頭いいし、カフェだし、女子人気は高い」
「てかなんであいつそんなにモテてんだ? 普通の子だぞ」

そこは普通に疑問だった。は可愛いけれど、校内一の美少女! とかいうタイプではない。花形たちのやり取りの合間に、健司は口を挟んでみた。これなら自分の大事な幼馴染を案じているという風には聞こえないだろう。花形は真面目くさった顔で健司を指さし、「それな」と返してきた。

「ぶっちゃけオレも青山と一橋の時点でちょっと引っかかってたんだ。がどうのっていうことじゃないんだけど、あの子大人しいし目立たないようにしてるだろ。青山も一橋も普通だけど、そういうタイプじゃない。だけど北里見てたらなんとなくわかったんだよな。要するに、ブランド志向なんだよ」

寡黙な長谷川を含めた4人が一斉に「えっ?」と声を上げた。なんだそれ。

「ギャルやだ、馬鹿もやだ、大人しくて可愛くて自分の言うこと聞いてくれる女がいいタイプ」
「それがなんでブランド志向ってことになんの?」
「貧乏人イコールDQN、バカでダサくて程度が低い、っていうそういうタイプ」
「ああ……

また4人は揃って同じ声を上げた。

「あのー、うちもんちも、一代叩き上げの成金なんだけど」
「今が金持ちならそれでいいんじゃないか」
「それが『好き』になるって、すごいな」
「自分に相応しい女と思ったかもしれない」

そこで初めて花形はにやーっと笑った。幼馴染がそんな風に思われているの、どうだ? と言いたいんだろうが、口に出して言えば健司は絶対に乗ってこないのをわかっているので、彼は表情だけで煽ってみたのだ。だが、そこはもうそろそろ1年の付き合いだ。健司はわざとらしくため息をついて手をひらひらと翻す。

「どっちの親も今は金持ってても普通の家の生まれだし、だから余計に子供には贅沢させないっていうタイプだし、よいお家柄とでも思ってんだったらとんだ思い違いだから、機会があれば伝えてやってくれ。ていうかの親父さん、本当にタチ悪いからな。痛い目見るぞ」

健司は大袈裟に呆れた声を上げて花形のニヤリ顔を睨みつけた。皆人が「タチの悪い人間」というのは間違っていない。しかも修吾より頭が切れる分、余計に面倒くさい。彼はそれなりにを可愛がっている風だが、自分の思い通りになるお人形のように扱っているのも事実だ。

おそらく皆人は彼の考える「素性の知れない低俗な男」をと添わせるのが嫌なんだろう。それはのためではなくて、お人形には、自分以降の家にはそれが相応しくないからだ。幸い健司は生まれた頃から知っているし、親の素性はもっとよく知っているし、知りうる限りでもっとも安牌な男なんだろう。

その気持ちは少しわかる、と思いながら健司は話を切り上げた。この調子ならはその北里くんに告白されても断るだろう。最初は何が何でもいい男との思い出を作って欲しいと思っていた健司だが、がそれで納得できるならまあいいか……と思い始めていた。

ところが翌月の中ごろ、バスケット部がバレインタインのチョコレートの数でギスギスしていると、と北里くんが付き合っているらしいという噂が飛び込んできた。性懲りもなくそんな話を持ち込んできたのは花形だ。まあ彼はその北里くんと同じクラスなので仕方ない。

……へえ」
「まったく興味ありませんて顔してんな」
「そりゃ興味ねえからな」
「青山と一橋じゃダメだったけど、北里ならOKだったのか」

何が違うんだ、やっぱり頭か、そんならオレの方が上だと豪語する花形に、やっぱり顔じゃねえの、そんなら藤真の方が上だろ、なんだよバスケ部隙がねえな、などと言っては高野と永野が笑っている。それには混ざらず、ロッカーからバッシュを取り出した健司の肩を、長谷川がいつかのようにそっと撫でた。

「大丈夫か」
……当たり前だろ。関係ないって言ってんのに」
「それは疑ってないよ。ただ……お前もも窮屈だろうなと思ってさ」

窮屈。その言葉に健司は肩を落としてこっそりため息をついた。本当にそんな感じだ。婚約なんて事件が起こらなかったら、自分たちの親が成金だなんてことが知られてなかったら、自分もももっと高校生活が楽しかったんじゃないか――そんなふうに思えて仕方ない。そんな可能性に比べたら確かに窮屈だ。

……色々、面倒くさいんだ、あいつとは」
「隠していたいこともあるよな」
「すまん、黙っててくれるか」
「わざわざ言う必要、ないからな」

ただでさえ口が重い長谷川のこと、健司は気が緩んで微笑んだ。

青山と一橋を断ったと聞いていたので、は積極的に恋愛する気がないんだろうか、と思っていたが、学年1位で可愛い顔した北里なら付き合うのか、と思ったら気が抜けた。正直、話に聞く北里くんのスペックでも物足りないと感じていたが、がOKした以上は仕方ない。

だが、話は終わったと思っていた健司に、長谷川は付け加える。

「でも藤真、オレもあんまり北里いい相手じゃないと思う」
「えっ?」
「同中の女子が仲良くしてたんだけど、秋くらいにすごく傷つけられて、しばらく落ち込んでた」

花形のニヤリ顔と違い、からかっているようには見えなかった。

「青山と一橋を断って北里をOKするって、ちょっと変だと思う」
「そうか……
「何かしてやれるわけじゃないけど、一応」
「わかった。ありがとう」

出処がはっきりしない噂ならともかく、長谷川が実際に遭遇したケースだし、彼はこんなことを尾ヒレをつけて吹聴するようなタイプではない。彼が言うからにはそれなりの印象があったからに違いない。おそらくは、その同中の女子にほとんど非はなかったんだろう。

まったく、なんであいつの周りには変なのばっかり寄ってくるんだよ。

健司は心の中で目一杯苛ついていた。限られた時間の中で、後で後悔しないだけのたくさんのいい恋愛をして欲しいと願っただけなのに、なんでそんなのばっかり引き寄せてんだあのバカ! 花形が耳にしたというのは当然本人からだろう。北里くんはと付き合ってると言っている。

は?

が付き合ってないと言えばそれでいい。に振られたか何かしてそれを認められない北里くんが見栄張ってるということなら構わない。しかし、それをどうやって確かめたらいいというのだ。お前D組の北里と付き合ってんの? と聞けばいいだけの話だが、何しろ4月から絶縁状態。久し振りの連絡がそれはマズい。

校内ですれ違うことはほとんどない。健司はB組だし、はG組。朝練もあれば放課後はフルで部活な健司が校内や学校周辺でウロウロしていることはないし、お互い様子を窺い知ることすらない。

そんな事態を招いたのは他ならぬ健司自身なのだが、今更時間を戻せない以上、北里くんの件が気になっていたとしても、手出しのしようがない。健司はそのことが引っかかったまま、モヤモヤが解消されないストレスをじわじわと溜め込んでいた。

それが突然すっきりしてしまったのは、1年生の修了式も目前の3月のことだった。翌日の土曜から遠征に出ることになっていたので、練習が短縮されて、3年生がいないので人数が減っている時期のバスケット部は珍しく早く下校していた。明るい時間に学校出るの久し振りだよな、というレベルである。

仲間たちとはひとりだけ方向が違う健司は、正門の方に向かって歩いていた。最近ひとりたこ焼きにハマっている健司は、またスーパーでタコを買って帰ろうと考えながら歩いていた。すると、正門の近くのベンチに何人か生徒がたむろしていて、そのうちのひとりが北里くんだった。

それには一応気付いた健司だったが、まあ用はないのでそのまま通りすぎようとした。が、北里くんの方が声をかけてきてしまった。健司は一応足を止め、顔を向けてみせた。面倒くさいが、完全無視も都合が悪い。

「バスケ部の藤真ってお前だよな」
「そうだけど……誰だっけ」

知っているがわざとそう言ってみる。実際校内の知名度は圧倒的に健司の方が高い。北里くんの顔が曇る。

「北里っていうんだけど、お前アレだよな、の幼馴染なんだよな?」
……幼馴染っていうか、まあ親同士がな」

バイトで培ったか、しゃべり方はものすごく柔和で優しい。呼び捨てにしているのは引っかかるが、もし本当に付き合っているのであればおかしなことはない。健司はこの1年で毎日のように訓練してきたポーカーフェイスを作る。おかげさまで試合でも役に立っている。

と仲いいの?」
……なんでオレに聞くんだ」
「あんまり言いたがらないんだよな。どうなの、その辺」
「仲がいいってほどでもないけど。中学別だし」
「それは知ってるよ。でも小学校は一緒だったんだろ」
……なんでそんなこと知りたいんだよ」
「そりゃまあ、付き合ってれば、気になるし。身近な男のことは、把握しておきたいし」

だらりと問いかけてみた健司だったが、北里くんは少しだけ言葉が詰まった。なぜそこで詰まる。

「だから、付き合ってんならそんなこと本人に聞けばいいだろ。なんでオレだよ」
「それはほら、オレには言いづらいこともあるだろうし、お前に確認取っておきたかったんだよな」
「確認て……のこと信用してないのか?」
「え。いやそういうわけじゃ」
「確かに父親同士が翔陽の出身で親友だから、は小さい頃から知ってるけど、お前は付き合ってんだろ。どっちが告ったのか知らんけど、は付き合うことOKしてるんだろ。だったらもうオレ関係ないじゃないか。何を確認取る必要があるんだよ」

怒りや憤りがにじみ出ないように気を付けながら、健司は呆れたような声を出してみせる。やっぱりこの北里くん、怪しい。そういう変な男は許せない。の限られた時間の中に入り込んでくる資格はない。健司は一歩進み出て北里くんと距離を縮める。

……本当に付き合ってんの?」
「な、つ、付き合ってるって! なんだよそれ嫉妬かよ!」

北里くんは明らかに動揺しつつ、健司の胸を押し返した。が、毎日部活で鍛えている身だ。微動だにしない。

「あのさ、オレ別にとはなんでもないけど、さっき言ったように親父同士が仲良くて、の親父さんも小さい頃からよく知ってんだよな。またこのの親父さんてのが厄介で、をお人形かなんかのように扱ってて、もしになんかあったらオレが怒られんだよな。同じ学校にいるのにって。そういうの、すげえ迷惑なんだけど」

最後だけ語気を強めた健司の声に、北里くんはよろりと一歩下がる。

「北里だっけ? とデートとかしてる?」
「そりゃ、してるよ、付き合ってんだから」
「映画とか?」
「ああ、行ったけど、それが何だよ」
……おかしいな、あいつ暗いところが苦手で、映画は家で見る派なんだけど」

北里くんが音もなく固まる。こんなに簡単に引っかかるとは。健司はニヤついてしまいたいのを我慢して、落ち着いて呼吸を繰り返す。は映画館の暗さが苦手で、映画は自宅でのんびり見る方が好きなタイプだ。何しろ自宅のテレビは超大型、それなりに迫力のある状態で楽しめる。

「ほんとに困るんだけど、そういうの。マジであいつの親父さん面倒くさいから」
……お前こそ、本当に、なんでもないのかよ」
「あったらこの程度じゃ済まないだろうが。確かお前学年1位じゃなかったか? もう少しよく考えろ」

語るに落ちた北里くんの肩をポンと裏拳ではたくと、健司はくるりと踵を返してその場を立ち去った。

正門を出て黙々と歩く。健司の頭の中は、妙な達成感でいっぱいだった。「変なの」を無事に退けられた。その上ボロが出るような余計なことも喋らなかった。自分はあくまでも親父ふたりの都合でと「知り合い」なだけ、まあ小学校は一緒だったから多少は知ってる、でも今はもう無関係。それを通せた。

に近寄る変なのを排除できた、それが妙に嬉しかった。誇らしかった。彼女を守った気がした。

健司は上機嫌でタコを買って帰り、またひとりでたらふく食って、ジュースで祝杯を上げた。

北里くんの件以降、部員たちからの噂が入ってくることはなくなった。がどうしているかは相変わらず知らないままだったけれど、とりあえず変なのに付きまとわれるということもなくなったようだ。ふたりは2年生に進級、またクラスは遠く離れているが、どちらも自分の高校生活を地道に送っていた。

もちろん比較すれば健司の方が派手で目立つ。相変わらず翔陽のバスケット部は強かったし、学年が上がった健司はチームに欠かすことの出来ない戦力で、2年生ながら既にエースとしての立場を揺るぎないものにしていた。次期主将はもちろん確定、仲間からも慕われていた。

超絶かっこいいのに頑として彼女作らない翔陽のアイドル藤真くんは「ホモに違いない」と女子に噂されるようになり、2年生のIH予選の頃にはすっかり「花形と付き合っている」ことになっていた。それならそれで騒がれないので健司は放置していたのだが、花形が訂正して回ってしまったので、噂もやがて消えていった。

だが、一瞬それもいいもしれない、実は同性愛者なんだと言ってみたら修吾は諦めてくれないかと思ってみた健司だったが、どう考えても無駄だし、異性愛者なのに同性愛者の振りをするというのも卑怯な気がした。

むしろ進級をし、自分の限られたバスケット時間が減ったのだと思ったら、余計に恋愛に心が傾かなくなってしまった。一応健康体なので欲求はあるが、そこまでだった。一分一秒が惜しい。修吾に取り上げられてしまうまでに、自分はどこまでいけるのか。どこまで自分を連れて行けるのか。

そして、そのせいでバスケットをしている時が何より楽しかった。幸せだった。普段は淡々と練習に励む健司だが、試合ともなるとその喜びを爆発させるので、ベンチではクール、コートではホット、などと言われるようにもなった。今年もIH予選がやって来る。昨年惨敗を喫した海南に勝ちたい。IHでも優勝したい。

が、IH予選はやっぱり海南に負けて2位。これで健司は海南に3敗だ。それでもIHには出られるので、今年も試合に勝って勝負に負けた状態である。こうなればIHのトーナメントで勝ち進んだ末に海南と当たるしかない。

予選が終わった後も毎日練習に励み、テスト期間でも自宅の庭で練習をし、合宿でも食べて寝てる以外はずっと練習していた。同様に練習の鬼である長谷川とふたり、健司は黙々と鍛錬を積んでいた。

そして二度目の夏、健司には淡い期待が生まれていた。

今年でも来年でもいい、IHで優勝出来たら、バスケットやめるなんてとんでもない話ですよお父さん! と止めてくれる社会的地位の高い大人が現れるかもしれない。 修吾は成金だが叩き上げながらも優秀な会社経営者だ。そういう人の話なら、耳を傾けてくれるかもしれないじゃないか――

健司が二度目のIHに出掛けて3日目の昼頃、夏休みで自宅にいたは慌てた母親に呼ばれて部屋を出て行った。なんだか声が上ずっていて不安を掻き立てられる声だった。

「どうしたの、そんな声出して」
「大変、健司が試合中に怪我して搬送されたって」
「えっ、大丈夫なの!?」
「それが、修吾さんたち、今出張でイギリスにいるのよ!」

おろおろしている母親から根気強く聞き出したところによると、健司は試合中に頭部に怪我を負い、そのまま会場から最寄りの総合病院まで救急搬送された。が、母親の言うように両親は仕事で渡英しており不在、緊急連絡は修吾の部下に届いた。そこから英国の修吾を経由して家に届いたというわけだ。

「それでどうするの」
「ええと、もちろん命に別条はないんだけど、ちゃんと検査しないといけないから、迎えに行かないと」
「お母さんが行くの?」
「だって私しか空いてる人がいないのよ! お願い、一緒に来てえ」

情けない声を上げる母親にはぎくりと肩を強張らせた。健司のことはそりゃあ心配だが、ちょっと待ってお母さん、私たちもう1年以上口も聞いてないんだけど――