あなたに花を

15

なんとか丸く収まったと花形だったが、の身辺にはまだ新展開が待っていた。

「透兄ちゃん花束事件」の際、店長はの父親の親族会議に呼ばれて遠出していた。資産家であるの祖父母が生前贈与で資産を片付け、郊外のグループホームに入ると決めたというのだ。ただし、の父親は兄弟姉妹が全部で5人いて、店長は若干ビビりながら会議に出席した。

もちろんの父親の兄弟姉妹はいい顔をしない。火葬の際にに誠意の感じられない謝罪をした姉は、なぜ他人がいるのだとしかめっ面をした。だが、の祖父は翔陽の学費を引き受けてくれたりして、不幸な孫をずっと案じていた。そしてにも資産を残したいと考えていて、要するに、とんでもなくモメた。

店長は争いに加わる気は当然ないので、黙って事の成り行きを眺めていたのだが、の祖父自身に意見を求められると、一言だけ喋ってきた。「を進学させたいので、少しでも頂ければと思います」店長がこの日この席で口にしたのはこれだけだった。後は祖父本人の判断に任せるしかない。

結果、には弐千万もの金額が分与されることになったが、学費以外に使われるのではないかと騒ぐ親族の反発が激しいため、一括での分与は実現せず、年間400万ずつ5年間支援という形に落ち着いた。つまり、は進学が不可能ではなくなった。もちろん学費に使うが、余剰分は生活費や医療費にも充てられる。

この結果を受けて、店長はおそらく初めて葉奈に褒められた。だが、一転、自分も進学したいからよろしく、と凶悪な笑顔を見せた。やっと良い展開にありついた店長だが、まだまだ苦労しそうだ。国立でお願いします、と葉奈に頭を下げた。

一方、ひとり丸く収まっていないのは若先生である。

順調に攻略していると思っていたのに、1日置いただけでフローリスト周辺には翔陽男子が戻ってきてしまった。しかもそのせいか店長がやけに強気だ。若先生という客をひとり逃がしたところで、藤真に頭を下げて2時間ほど接客してもらえれば何ということはないからだ。バイト代を弾んでもお釣りが来る。

さらに、おそらくは葉奈から翔陽バスケット部員を経由して流布したのだろうが、フローリストで女性店員、つまりに花束を作ってもらい、それを好きな人にプレゼントすると上手くいくという噂が流行した。結果、近隣の中高生が予算に合わせて小さな花束を買っていくというケースが増え、店長は有頂天だ。

噂はこの年の秋からクリスマスにかけて局地的に大流行し、翌年のホワイトデーまで続くことになる。女性からの場合は贈った花束を返してもらうことでカップル成立なのだとか。葉奈の悪知恵が遺憾なく発揮されたある種の流行り病のようだった。花束返しをした花形様々である。

なので、若先生はぶっちゃけ用済みなのである。しかも岩間先生は、「これからこの地域で町医者をやっていこうというのに、近所の女の子に執心しているようでは困る」と跡継ぎの件を取り消して医院は廃業すると言い出した。先日まで勤めていた病院を辞めたばかりの若先生は焦った。

若先生の受難は続く。岩間医院がモメている間に商店街南ゲートの駅前にクリニックが開院してしまった。医師スタッフが全て女性で診療科目が多いピカピカのクリニックだ。それまで岩間医院を利用していた女性のうち、50代くらいまでの患者が一気にそっちへ流れた。皮膚科と婦人科が入っているからだ。若先生、成す術なし。

だが、捨てる神在れば拾う神在り、若先生には思わぬところから誘いが来た。商店街北ゲートから車で20分程の所に介護つき老人ホームが出来るという。クリニック併設の施設らしく、医師が足りないのだとか。そんな話が不動産屋経由で届くと、にちょっかいを出したばっかりに不運続きの若先生は2つ返事で頷いた。

かくして岩間医院は老先生が気の済むまで続けることとして、若先生は一部の女性に惜しまれつつ、商店街を去っていった。若先生が去ったことで、この商店街でイケメンとしての地位を不動のものにしていたのは藤真だ。それに自惚れるような藤真ではないのだが、ある日、これが思わぬ伏兵によって覆されることになる。

誰であろう、花形父である。

妻と息子が入り浸っている商店街に、とうとうその夫であり父である花形氏がやって来たのは11月も半ばの頃だった。長男は冬の選抜の予選に向けて奮闘しており、不在であることが多い。その隙に、堅物長男の彼女と仲がいいという妻に伴われて、仕事帰りに顔を出した。

花形氏は背が高くすらりとした、いわゆる「苦みばしったいい男」だったのである。これに即・陥落したのはなんと旭さんと亀屋の女将さん。藤真にも若先生にも興味を示さなかったこのふたり、要するに渋好みだったわけだ。

仕事帰りということで時間が遅く、夕方の戦争は鎮火していたので、通りすがりの顔馴染みにまで目撃されることはなかったのだが、旭さんと亀屋の女将さんが尾ひれを付けて吹聴したおかげで、花形氏は幻のイケメンになってしまった。

これによるとばっちりを受けたのは、当然息子の花形、そして藤真である。

……花形家は今年、大変だね」
「オレは花形家関係ねえんだけどなあ……
「いやオレのせいじゃねえだろよ、睨むな」

フローリストのバックヤードでと花形と藤真はげんなりしている。冬の選抜予選は決勝で負け、翔陽バスケット部は新体制に移行した。藤真が部長で主将で監督になったと聞いて、商店街の藤真派はこぞって贈り物をした。だが、その際にも花形父の方がいいだの、何を言う藤真は英雄だのとおば様たちは騒がしい。

夏に続き冬も地区優勝出来なかった悔しさを胸に抱いて商店街で少し緩もうと思ってやって来てみれば、花形父フィーバー。とばっちりは息子とにまで及ぶ。花形さん来ないの、見てみたいんだけど写真とかないの。

「お前のせいじゃないけど、あさひ屋はどーすんだあれ」
「だからオレのせいじゃないから知らん」

旭さんが花形父に魅了されてしまったせいで、あさひ屋夫婦は大変険悪な状態になってしまった。もちろん旭さんは芸能人が素敵、という程度にくらいにしか考えていないのだけれど、ハンドボール小父さんは何しろ愛妻家、嫁大好きなのである。盛大にヤキモチを焼いてしまったわけだ。

「めんどくせえよなほんとに。花形とかよ」
「藤真、主将になってから偉そうになったよね」
「これが本質だからな」

しかしこの件は早々と解決する。12月を控えて、商店街が年末に向けて坂道を転げ落ちるが如く忙しく騒がしく慌しくなっていく最中、大変なことが発覚した。旭さんが妊娠したというのである。

……おめでたいことだろ。なんでみんなあんなに困ってんだ?」
「まあそうなんだけど」

旭さんの妊娠が発覚した翌日、あさひ屋は臨時休業した。あさひ屋夫婦は姿を見せない。おめでた、というくらいだからめでたいはずなのだが、あさひ屋を良く知る人々は困った顔をしている。期末前の部活停止期間のため、フローリストで勉強している花形に、は言い辛そうに説明した。

「旭さん、結婚して10年近く経つんだけど、ずっと子供出来なかったらしいの。どっちにも決定的な障りはなくて、治療もしたらしいんだけど、何年もそんなことしてたから、旭さんが疲れちゃったらしくて」

子供が授からないなら、ふたりで一生続けられることを始めたいと言い出したのは旭さんだったそうだ。旭さんは趣味程度に考えていたらしいのだが、ハンドボール小父さんは一念発起、脱サラしてうどん屋をふたりで始めることにしたというわけだ。

「ここいらのおばあちゃんたちは『環境が変わると出来るもんだ』なんて言うんだけど」

そうは言ってもとりあえずうどん屋を始めたから妊娠したというのは説得力がない。この点はたまたまなのだろうが、ただでさえ花形父の件でささくれ立っていたハンドボール小父さんは混乱のあまりとんでもないことを口走ってしまった。本当にオレの子か? というやつである。

「ちょ、兄貴……
「この程度で驚かないで」

花形たちはハンドボール小父さんを「兄貴」と呼ぶようになっていた。だが問題はここからである。

「よっぽど混乱してたみたいで、つい言っちゃったらしいの。相手は誰だ!」

花形父か!? 藤真くんか!? 長谷川くんか!? まさか透兄ちゃんじゃないだろうな!

「それが昨日の夜の話で、とりあえず旭さんうちに泊まったんだけど、今朝帰って、それからどうしたのか」
……オレが言えたことじゃないんだけど、兄貴、最低だろ」

誠実な高校生に言われるまでもなく、ハンドボール小父さんは昨夜一睡もせずに自己嫌悪し続けたそうなので、反省は早い。だが、子供が生まれないことを前提に商売を始めてしまったので、その点でもふたりは頭を抱えているはずだ。子供が出来るなら脱サラなどしなかった。

とはいえ、人生設計が狂おうが何だろうが、何より欲しかった子供が授かったのである。翌朝あさひ屋夫婦はいつも通りにやって来ると、お騒がせしましたと頭を下げて回った。花形父の件も妊娠騒ぎですっかりどこかへ行ってしまったし、何よりのように旭さんを可愛がる小父さん小母さんたちは喜んだ。

「そんなわけでアタシがあさひ屋でお手伝いします。来てね!」
……あさひ屋には今でもよく行ってるよ」
……葉奈ちゃんがいるんじゃ落ち着いて食えないな」
「なんだその顔! アタシが看板娘じゃなんかマズいってのか!」

ハンドボール小父さん改め兄貴、もしくはハンドボール父さんは旭さんに安定期に入るまで安静にしていろという。それには周囲の人々も同感なのでとりあえずや葉奈が手伝うことになった。来店を強要されている藤真と長谷川は葉奈のあしらいが上手くなったようだ。

クリスマス前あたりから商店街の忙しさはさらに加速する。利用客も増えるので、いつもならひっそりと静まり返っているフローリスト真向かいの雑貨屋ですら賑わう。おじいちゃんフル回転だ。

そして、12月25日、クリスマスの日にの母親が退院の運びとなった。

まだ全快とはいかないし、リハビリには通わなければならないが、傷の経過がとても良いので、正月は自宅で迎えてもいいだろうと判断された。と葉奈はやっと全ての肩の荷が下りたのか、ふたり揃って25日の夜に熱を出した。退院直後と発熱がふたり。花形家から世話焼きの虫が湧いて出た。

「クリスマスの夜なのにごめん……
「いや昨日は一緒だったんだし、うちにいても親父と踊ってるだけだろうから」

と葉奈が熱を出したと聞いてすっ飛んできたのはメルヘン母である。お花畑全開で、の母親には「お友達になって下さいね!」と言って抱きついた。そして発熱してぐったりしていると葉奈の世話を焼き始めた。一応着いて来た花形は初対面のの母親に開口一番謝る羽目になった。

だが、と花形は24日の夜を誰にも邪魔されずにふたりきりで過ごした。なので、メルヘン母が若干暴走気味でも花形は機嫌がいい。ふたりの母が大好きな葉奈もえらく上機嫌である。

「アタシ、ママふたりと寝るから! ちゃんは兄ちゃんにあげるよ!」

熱でふらふらしながらも葉奈はにこにこだ。本来ならと母親、母子ふたり水入らず、というところだが、それはもう一晩持ち越しになった。布団まで持ち込んで来たメルヘン母との母親に挟まれて葉奈は幸せそうだ。と花形も、期せずしてもう一晩一緒なので、こっそり手を繋いで眠った。

翌日、まだ大事を取った方がいいというメルヘン母の判断で、も葉奈も商店街には行かないことになった。だが、年末である。商店街は戦争通り越して地獄である。に葉奈だけでなく旭さんもいないフローリストとあさひ屋は大ピンチである。

この危機に立ち上がったのが、メルヘン母と航、そして部活帰りの花形たちである。メルヘン母があさひ屋を、フローリストを航が手伝い、ふたりがタイムアップになる頃に花形たちと交代した。特にフローリストは満を持しての藤真様登場である。店長はもう藤真を拝んでいる。

花形と長谷川はやったこともないうどん屋の手伝いに駆けずり回ってぐったり、藤真も笑顔を振りまきすぎて閉店した頃には喋るのも面倒になっていた。しかし年末はまだまだこれからである。花形たちは朝から練習に励み、夕方からは商店街でお手伝いという殺人的な数日を過ごした。

「ねえもういいよ、そんなに無理しないで……
「っても、もう無理しちゃったしな」
「こんなことやろうと思っても出来るもんじゃないし、いい経験したと思えば」

恐縮しきりのに、花形と長谷川はボサボサの頭でへらへらと笑って見せた。29日になって、あさひ屋は旭さんの実家という援軍が到着、フローリストと葉奈がもう完全に復活したので、花形たちはひとまずお役御免となった。藤真は樹林のコロッケを買いに行っている。

「それに、部活も今日で終わりだし」
「でも年明けたらまたすぐ練習なんでしょ」
「藤真監督は4日からと言ってるけど、帰省組がいるからなあ」

とは言え今から対策を立てて狙っているのは来年、3年生になる彼らにとって最後の夏である。毎年敗北してきたライバル校に勝ってインターハイに行きたい。それは花形たちの悲願だ。

「県予選かあ、気を付けないと商店街応援団とか出来ちゃいそうだね」
「そ、それは――
「もしくは藤真健司ファンクラブとか」
「それならいいや」
「おいコラ花形本人がいねえと思ってお前は」
「なんだよいたのか」

どかりとバックヤードに上がりこんだ藤真はコロッケを取り出してかじりつくと、花形の足を蹴った。

「たるんでるぞ。ダラダラしてると商店街で走りこみやらせるからな」
……別にいいよ、お前がウチワを振るおば様方に応援される様子はたぶん面白い」

と長谷川はその様子を想像して吹き出した。