あなたに花を

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修学旅行から帰ってきた花形は、帰宅するとダイニングに土産を並べ、さっさと部屋に戻る。藤真はもちろん、葉奈や商店街の人々はなぜか花形の肩を持ちたがるが、花形家では真逆である。航は当然ながら、両親も体調を崩した女の子と喧嘩した花形が悪いと言う。

特にメルヘン母は、同じ女として絶対に花形の味方は出来ないと断言した。孤立していると思っていただが、実はこんなところに味方がいたわけだ。ただし、に合わせる顔がないと言って商店街には足を向けないので、逆効果なのではあるが。

しかも、この件であからさまに花形を怒ったのは花形父である。晩酌の勢いも手伝って、メルヘン母が19歳で出産したときのことを延々喋りまくった。の年齢が当時の妻と大して変わらないので、色々思い出す上に他人事と思えないようだ。自分はお母さんがつわりでも陣痛でも超優しくしたのだとふんぞり返った。

花形は部屋で荷物を解くと、制服から着替える。そして、土産をまとめてある紙袋を片手にまた出かけた。の一件からこっち、商店街には顔を出してないのだが、それまではさんざん世話になったし、何も縁を切りたいわけではない。藤真や長谷川と相談して土産を用意してあった。

とはいえまだ何も状況が変わっていないので、とりあえず葉奈を外に呼び出した。荷物が多いので、葉奈は旭さんと来てくれると言う。亀屋やあさひ屋、それに店長や葉奈への土産を手に、花形はぶらぶらと歩いていった。

「お、兄ちゃんお帰り〜」
「おお、なんだみんな早いな」

商店街最寄り駅の、商店街とは反対側にあたる南口にある古い喫茶店である。花形が入っていくと、葉奈と旭さん、藤真に長谷川も揃っていた。葉奈の目の前にはレトロなデコレーションのパフェが置かれている。

「これ、オレからね」
「さんきゅ〜!」

葉奈は3人それぞれにああだこうだと土産を注文していた。その殆どが雑貨類であり、身も蓋もない言い方をすればネット通販で買える品であり、何より実店舗は女性向けも甚だしく、男子高校生がひとりで入るのは恥ずかしい店ばかりだった。それでも3人は何とか買ってきた。

店長には落雁。大好物なのだという。旭さんは読書家だったらしく、ブックカバーを頼んできた。値段が張るからと予め小遣いを渡してくれたので、それぞれ2枚ほど買ってきた。本人はホクホクである。

「他の高校と喧嘩とかして来た?」
「葉奈ちゃん、それ店長でも時代が合わないよ」

前時代的な発想をした葉奈に長谷川が苦笑いをしている。葉奈がそんな発想に至ったのは、商店街のサイクルショップの2代目が10代の頃不良少年であり、ヤンキー漫画や映画が大好きで、なぜか葉奈もそれをよく見ていたからである。かつて花形にお見舞いした飛び蹴りはこの2代目仕込みだ。

そんな話で笑っていると、葉奈の携帯がチャラチャラと鳴り出した。葉奈は表示されている名前を確認すると、人差し指を立て、シーッと言って通話ボタンを押す。

「もしもーし、おかえりー。うんそう、アタシはまだ外だけど、いいよ今日は」

だ。本人はいないというのに、花形はつと視線を逸らす。

「明日でいいってそんなの。先にママんところ行ってきなよ。アタシも今日はちょっと友達のとこに用があって」

土産を渡しに行きたいとでも言われているのだろう。葉奈はリハビリ入院中の母親のところへ行って今日は早く寝ろと言って譲らなかった。葉奈と言い合って葉奈が折れるわけはないので、は結局葉奈の言う通りに母親の病院に行くことにしたらしい。

のお袋さん、入院長引きそうなのか?」

葉奈が通話を終えると、藤真が難しそうな顔をして聞いた。この熱血体育会系は決してのことが嫌で冷たくあたっているわけではない。自分は花形の友人なので花形の味方をしなければならない、そのためにはにも容赦なく敵対する。だが、仲直りでもした日には一瞬で元に戻る。

「まあなんせ半年寝てたからね。リハビリ大変みたいだけど、傷の方は経過がいいんだ」
「そんならいいけど……頼れるのは店長だけってのがなあ」
「店長頼りないからねえ。イケメンがそう言ってたって伝えておくわ」
「好きにしろ。店長が頼りないのは今に始まったことじゃないからな」

花形はが倒れたときにも店長がいなかったことを思い出す。倒れたときは駅前の銀行だったが、大捕物のときは遠くまで出かけていたし、強烈に運が悪いとも言える。自身も2歳の娘を抱えて妻に逃げられているのだから、様々な巡り合わせの不運は店長が引き寄せているのかもしれない。

「頼りないけど自営だから助かることもあるし、が就職するまでの辛抱だね」
「え、って進学しないのか」
「世知辛いことを言うようだけど、そんなお金ないからね。アタシだって高校が精一杯だよ」
「そういや進学なんか出来ないって言ってたな」

長谷川にしては不用意な一言だった。京都で話したときのことを思い出して、つい言ってしまった。

「長谷川さん、と話したの」
「ああ、うん、クラス、班行動のときに、ちょっとね」

同じクラスなのだからおかしなことは何もないのに、咄嗟にうまく取り繕えなくて言葉が途切れ途切れだ。それにしても言ってしまった一言の選択もマズかった。クラスで寺社や伝統工芸品など見ているときに進学するだのしないだの、そんな話は少しばかり重い。

口が滑ったな、とメロンソーダを一口飲み、顔を上げると藤真と葉奈と旭さんが覗き込んでいた。

「うわ、なに」
「いやなにじゃねーよ、と何を話したんだよ」
なんか言ってたん?」

花形の肩を持つとか言ってたくせに、と長谷川はげんなりする。ちらりと花形の方を見ると、俯いてコーヒーをかき回している。こっちもそれなりに気になっているらしい。にはああ言ったものの、告げ口をしている気分になってくる。だが、口が滑ったのは自分だ。後悔先に立たず。

「別に大したことは話してないよ。あれ以来がどう思ってんのか、誰も聞こうとしなかったじゃないか」
「どう思うって、って若先生にすっかり懐柔されてんだもん」
「葉奈ちゃんにしては思い込みが先に立ってるな」

俯いている花形を他所に、長谷川を凝視している3人はきょとんとした顔をしている。えっ、違うの?

「ていうかこんなことここでする話じゃないだろ、本人いるんだし」
「おっけ。兄ちゃんまたな!」
「おおい、お前ほんとにゲスだな。親子揃って!」

藤真にツッコまれた葉奈だが、早く聞きたくてうずうずしている。隣の旭さんも少しばかり口元が緩んでいる。

……オレに聞かせたくない話なのか」

コーヒースプーンから雫を落としながら、花形はぼそりと呟いた。発想がネガティブになっている。

「いやまさか。そんな話は何ひとつないけど」
「だったら話せばいいだろ。オレも気にならないと言えば嘘になるし」
「おいおい、そんな深刻な話じゃないんだって。話したのだって、たぶん20分くらいだし」

大層な話を期待されても困る長谷川だったが、藤真に葉奈に旭さんは目がキラキラと輝きだした。野次馬か。

「ええとその、つまり、若先生はカモフラージュっていうか、利用してるだけで」
「ええっ、そうなの!? じゃああれは演技ってこと!?」
「何でそんなこと……必要ないだろ」
「めんどくせーなもう、つまりな、花形をもう解放しなきゃいかんと思ってたんだよ」
「兄ちゃんを……どーいうこと?」

3人は説明の間に質問攻めである。

「だから、さっきの話みたいに、は進学出来ないのかもしれないけど、花形は進学するだろ。そこで別の女の子と付き合うことになるかもしれない、だけどそんなことになったら商店街では花形は悪者にされる。と一生一緒じゃなきゃいけないみたいになっちまう、それはマズいって」
「えっ、兄ちゃんがを捨てて別の女に走るっての!?」
「ほらそれだ! そんなのふたりに限らず自由じゃないか」

葉奈は自分の言葉に自分で驚いている。長谷川の指摘に口元を押さえて固まった。

「だから、ちょうどよく現れた若先生を利用して、まず葉奈ちゃんたちを騙そうとしたんだ」
「それでまんまと葉奈ちゃんが騙されるって……
「ある程度若先生のことが浸透したら、別れようって連絡するつもりだったらしいんだけど」

その先が言いづらい。言いづらいし恥ずかしい。長谷川はテーブルに肘を突いてがくりとうな垂れる。

……だけど? だけどなんだって?」
「なんか邪魔でも入ったっての?」
「藤真くん葉奈ちゃん落ち着いて落ち着いて」

身を乗り出してわくわくしている3人の向こうで、花形は青い顔をしている。別れを切り出される寸前だったとは。

「どうしても出来なかったんだと。今でも好きだから、って」

葉奈と旭さんの悲鳴が上がった。

「いやー! いやー! いやー!」

この旭さんの「いやー!」は「いやー! なにそれ素敵!」の省略形3回まわしである。興奮する旭さんの横で葉奈は珍しく静かだ。悲鳴を上げたきり、黙った。対して長谷川の横で妙に歪んだ顔をしているのは藤真。

「えっと、なにそれ、好きだけど花形のためを思って別れようとしたとかいうこと?」
「それ以外に何があるんだよ」
「うーわ、オレそういうの無理! ダメ!」

藤真の「無理、ダメ」は、いわゆる「そんなことして花形が喜ぶとでも思ってんのかこのバカチンが!」の類である。一方的な自己犠牲が生理的に合わないタイプだ。が近くにいたら走って行って自分の幸せを考えろと怒鳴るかもしれない。

「でもなあ、そもそもオレだったら若先生が現れた時点で突撃してるだろうからなあ」
「藤真くん、それはそれで女子にはオイシイのよ」
「えっ、そーなの。旭さんちょっと詳しく」

長谷川はお前も女子かよとツッコミたかったが、それよりも葉奈が静かなのが気になる。

「葉奈ちゃん?」
「なんだよのやつ、話してくれたっていいじゃないか」

おそらくが葉奈に隠し事などしたのはこれが初めてだったのだろう。葉奈は傷ついているし悔しがっているが、少しだけなら納得してもいる。葉奈は長谷川の言葉にと商店街の関係を思い知らされた。大事に思うことと干渉しすぎることは、よくよく気をつけなければ紙一重だ。

「そうやってすぐ自分が我慢すれば丸く収まると思ってるんだ」
の悪い癖だな。あんなことがあっちゃ仕方ないんだろうけど」
「そんなことしたって結局どこかで綻びが出来て、みんなが大変な思いをするのにね」

葉奈は寂しそうに笑った。そんな葉奈の切ない笑顔にしんみりしていた長谷川と藤真と旭さんは、花形の存在をすっかり忘れていたことに気付く。本人がいるというのにまるっきり蚊帳の外になっていた。

「は、花形大丈夫か?」
「まあ、そんな話だっただけだよ、そんなに――
「悪い、オレ帰るわ。明日な」

修学旅行から帰ってきた翌日でも午後から練習である。花形はぽかんとしている4人を見もせず、テーブルの上に500円玉を置いて帰ってしまった。

「えっと、透くん怒っちゃったのかな」

おろおろする旭さんに、長谷川は手を振って見せた。

「いや、大丈夫っす。耳、真っ赤でした」

音を立てて吹き出す藤真と葉奈、そして旭さんはまた「いやー!」と声を上げた。

喫茶店を出た花形は、あっちによろよろこっちによろよろしながらも、真っ直ぐ帰宅した。そして自分の部屋に入ると、机の上に置きっぱなしにしていたリストバンドを取り上げ、両手で固く握り締めて額に押し当てた。顔が熱い。手も熱い。頭の中がでいっぱいになっている。

若先生の件はすぐに航から聞かされていたし、そのことでまた父親には嫌味を言われた。けれど藤真のように突撃など考えられなかった。顔なんか覚えていなかったけれど、その藤真並の美形だというし、自分のような子供よりは若先生のようにハイスペックな大人の方がが幸せになれると思った。

いくら軽率な行動をしたからといって、痛い思いをしていたに怒鳴るような、そんな子供っぽいこと、若先生ならしないはずだ。悲しいことや怖いことを分けて欲しいと言うくらいしか出来ない、部活の帰りに商店街に行くくらいしか出来ない自分よりは、若先生の方が。

もそう考えて若先生に懐いているのだと思っていた。もちろん嫉妬はした。本当ならあんなおっさんにを渡したくはない。ちょうどと若先生だと自分の両親と同じくらいの年の差になるが、それはそれ。むしろ両親と同じようにが再来年あたりに若先生の子供を産むと想像したら吐き気がした。

それでも、自分が何も出来ないことには変わりないから、耐えるしかなかった。

それなのに、あんなことを聞かされてしまったら我慢出来なくなってしまう。きっと吊橋効果だったんだ、何もない日常の中では続かない関係だったんだ、そう思おうとして閉じ込めていたへの想いが溢れ出てくる。

「今でも好きだから」

長谷川の言葉がの声に変換されて耳に響く。初めてフローリストに行ったとき、恥ずかしくてぶっきらぼうな花形に優しく接客してくれたの声だ。そのときから少し邪な店長から庇ってくれて、照れる花形を決してからかったりせず、優しい笑顔で花束を手渡してくれた。

「心のこもった花束は、人の心に花を咲かせるのよ」――メルヘン母がよく言っている。私がお父さんに初めて花束を貰ったとき、私の心の中は一面に花咲き乱れる天国のような世界だったのよ。風に揺れる花、どこまでも続くその景色の中にお父さんがいるのよ。

花形はその言葉を思い出していた。まったくなんでこう自分の母親は夢の世界の住人なんだろうと呆れたものだったが、今ならわかる。母親のために買った花束を笑顔で手渡されたとき、花形の心には確かに花が咲いたのだ。ほんの小さな花だったかもしれない。だけどその花は美しいままに今でも風に揺れている。

リストバンドを着けてみたとき、初めて手を繋いだとき、商店街の小父さんたちに愛されているを見たとき、初めて名前を呼ばれたとき、抱き締めたとき、キスをしたとき、自分にだけ差し入れをしてくれたとき――

そういう些細なことが何度も何度も重なって、花形の心の中は色とりどりの花が風に揺れる天国のような景色になっていった。その中にいるのは、だけだ。最近になってやたらと同学年の女子に絡まれるようになったけれど、あまり興味が沸かなかった。中にはえらく可愛い子もいたけれど、それでもの方がいい。

今でも好きだよ、、オレも、今でも好きだから。

それをどんな風に伝えたらいいかわからない。だけど、の心にも花を咲かせたい。若先生なんかに負けないくらい、を想う気持ちは持っているから、それを全部あげるから、の心にただ一輪の名もない花でいいから――