あなたに花を

01

祝日生まれは面倒だ。いや、祝日周辺生まれと言えばいいか。日付が決まっていればいいが、いわゆる第2日曜だの第3月曜だのと流動的な「ナントカの日」周辺生まれは、なかなかに面倒くさい。

普段足を踏み入れない商店街で肩をすくめている花形透は、左右から飛んでくる「デカい」だの「なんだありゃ」という声を頭から必死に締め出している。こんなところ好きで来ているわけじゃない。どうしてもやむを得ず仕方なく不本意ながら否応なく、である。

昨日は母の日、そして今日は母親の誕生日なのである。

当年とって17歳になる花形は、何も「お母さんいつもありがとう!」とか「お誕生日おめでとう!」などと本気で思っているわけではない。できればそんなイベントはもっと粛々と静かに通り過ぎて欲しいのだが、当人がそれを許さない。花形の母親は、いわゆる「不思議ちゃん」の成れの果てなのである。

それに惚れて結婚した父であるから、母が息子に蔑ろにされていると怒る。誕生日や記念日を大事にする母に付き合ってあげないと、父が怒るという図式だ。ガミガミ言うようなことはないけれど、付き合ってあげなきゃお母さん可哀想だろうというのだ。付き合わされてる息子は可哀想じゃないのか。

しかも今年は母の日の翌日に誕生日が来た。逃げようのない展開だ。

母の日を部活で逃げ、1日考えた挙句、花形は花を贈ることにした。花のチョイスは花屋に頼めば考えなくてもいい。花ならいつか枯れて後には残らない。母の日も兼用出来るいいアイディアだと思った。花形(息子)さんが花形(母)さんに花を贈る、ということは考えないようにしている。

その思いつきは悪くなかった。悪くなかったが、いくら学校から近いとは言え商店街はなんだか恥ずかしい。制服に翔陽謹製緑茶ジャンパーなど着てくるんじゃなかった。身元がバレバレである。しかも道行くおじいちゃんおばあちゃんはたまに腰を抜かすほど驚いている。悪かったな、190cm以上も身長があって。

確かもう少し行けば小さな花屋があった気がする。それまでの辛抱だ。

「いらっしゃいませ〜……あれ、どうしたの?」

花屋に入ったところで、思わず緑茶ジャンパーの前をかき合わせて花形は身を引いた。3月まで同じクラスだったが顔を出したからである。制服ではない。カフェエプロンにパーカーで花形を見上げている。その後から目がくりくりと丸い男性が出てきた。店長だろうか。

「いらっしゃいませえ……およ、その制服はと同じ」
「あっ、同級生なんだー」
「ばすけっと、ぼーる、おお、バスケ部なのか、でっかいね!」

ネームタグに店長と書いてある。店長は花形の着ている緑茶ジャンパーにプリントされてる英字を読んで納得の声を上げた。ただでさえ恥ずかしい商店街でさらに上を行く恥ずかしさを感じる花屋に入ってみたら同級生とは。

「ええと、花?」
……笑いたきゃ笑えよ」
「いやまあそうだけど、そんなこと言わないよ。どんなものを探してるの?」

恥ずかしさのあまり花形はとても失礼な言い方をした。がにこやかに接客してくれるというのもそれに拍車をかけてしまって、どうにも落ち着かない。

「お、親の誕生日で」
「お母さん? お父さん?」
「は、母親、母の日と一緒でいいかと」

まともにの顔が見られない。どんな風に思われてしまったのか、笑われるんじゃないだろうか。

「でももう母の日過ぎちゃったよね。昨日だから」
「それっぽくしてくれればいいよ」
「お母さんの好みとかある? あと予算とか」
「すごい少女趣味なんだけど……あと2000円以内で頼む」
「えっ、高い! 花形くん偉いね……
「高いのか!? じゃあもう少し安く……

と花形のやり取りを聞いて、店長が先に笑い出した。花形は顔が赤くなっているような気がして動悸が激しい。ああもうなんでオレがこんなこと、なんで花屋なんか、商店街なんか!

「店長、笑うことないでしょ。うちのバスケ部ってすごい強いんだよ。バイトする暇なんてないよ絶対。なのにお母さんの誕生日に花を贈ろうっていうその考えが偉くない?」

ぷりぷりしているにそう言われた店長は、ごめんごめんと言って奥に引っ込んでいった。

「ねえ? 藤真なんか500円も出さないよね」
「いやそもそも誕生日に何かしようと思わないだろうな」
「長谷川くんならやるかな〜今委員会が一緒なんだけど、超!真面目だよね」

店内には誰もいないというのに肩身が狭くて身を縮めている花形に話しかけながら、はひょいひょいと花をピックアップしていく。笑うこともなくからかうこともなく、むしろ花形を庇って、なおかつ緊張しているのを解そうとしてくれているようでもある。花形はなんとか落ち着きを取り戻してきた。

「あとバスケ部って誰がいたっけ?」
「高野とか永野とか」
「あー、どっちもわかんないや。ごめん、私部活やってないし」

1年生のとき、と花形は同じクラスで、藤真も一緒だった。クラスにはもう3人ほどバスケット部員がいたはずだが、おそらく2週間くらいで退部してしまったはずだ。花形が「花形くん」で藤真が呼び捨てなのは、藤真が人懐っこいせいである。他意はない。

「ここは、バイト? 家?」
「バイト。まあ、あの店長、母親のいとこなんだけどね。こんな感じでどう?」

手に掴んだ花の塊を突き出されて、花形はまたたじろいだ。どうと言われても、と目を落としたのだが、

……すげえな、こういうの、なんかすごい好きそう」

花形の語彙では表現しきれないパステルカラーの世界がそこにはあった。母親の趣味で埋め尽くされているキッチン周辺はこんな色合いで溢れている。大きさはメロンを半分に切ったくらいだが、ちっとも貧相に見えない。本当に2000円以内で上がるのか不安に感じるくらいだった。

「これで1500円くらい。どう?」
「助かる。それで頼む」

は満足そうににこにこ笑いながら頷いて、作業台の上で花を整えている。花を差し替え入れ替え、ラッピングを施していく。花形の目には異様に手馴れているように見える。

「ここでずっとバイトしてんの?」
「そう。中学の頃もお手伝いしてお小遣いもらったりね」

喋りながらも手が止まらない。花の固まりは次第に花束になっていく。ラッピングもなんだか母親の持ち物によく見るような色になっている。思わず後から覗き込む。はリボンやテープを色々引っ張り出しては合わせ、鋏で切っている。

「面白い?」
「えっ、いやその、すごいな、と」
「ああ見えてさっきの店長、このラッピングがめちゃくちゃ上手いんだよ」

花形の方を振り返りもせずには鼻で笑った。確かに店長は華やかなラッピングと一緒にならない。

「はい、これでどう?」
「いやほんとすごいな、ありがとう」
「1500円になりまーす」

作業台の上に横たわっている花束にまだ目を奪われつつ、花形は財布を取り出して1500円支払った。

「ありがとうございました! お母さん、喜んでくれるといいね」

そう言っては花束を差し出した。柔らかく優しい笑顔だった。その笑顔に一瞬心を奪われていた花形だったが、母親の趣味に合わせたこの花束をとりあえず受け取るのが自分だということに気付いて青くなった。しかもこれを手に自宅まで帰らなければいけない。また商店街を抜けて。これはなんという拷問だろう。

「あ、ありがとう、またな」
「バスケ頑張ってねー」

仕方なく花束を手に取り、に片手を挙げて振り返り、恨みがましく花束を見下ろしていた花形は、直後に激しい衝撃を受けて目の前が真っ暗になった。花束に気を取られるあまり、店の入り口に頭をぶつけたのだ。花屋の店先に大きな音がこだまし、そして花形の大きな体が後ろにひっくり返った。

「やだ、花形くん! しっかりして! 店長ー!」
「おーいちゃん! 店先で男の子倒れたぞ!」
「あらやだよ大丈夫かね、死んだかね」
「ばあちゃん縁起でもねえこというんじゃないよ」

花形はの声に被ってわいわい言う人々の声を聞いた。聞きながら、ころりと意識を失った。

「あっ、気付いた! ちゃん、起きたよ! 、気付いたぞお!」

意識の戻った花形は近くでガンガン響く胴間声に顔をしかめた。うるさい。誰だあんた。ていうかオレ、どうなってんだ今。うるさい声から逃れるために首を捻ろうとして、花形は額に刺すような痛みを感じた。

「急に動いたらダメだよ、目、開けられるかい」

今度は明らかに高齢の男性の声が降ってきた。花形は眩しさに目をしばたたかせながら、ゆっくりと頷く。

「先生、どう? 大丈夫?」
「大丈夫大丈夫、たんこぶ出来てるけど、平気だよ」

の声が聞こえて、少しホッとする。ホッとしたら気持ちが少し尖った。勝手に平気だなんて言ってんじゃねえよ。オレはこんな痛いのに。痛む額に手を伸ばすと、眼鏡がないことに気付く。どこだ。

「あっ、先生、眼鏡どこ? ありがと。花形くん、ほら眼鏡」

手に眼鏡が押し付けられて、あまりはっきりしない視界にレンズの世界が戻ってくる。手をかざして目をきちんと開くと、の顔が見えた。不安そうな顔をしている。

……
「そう、私。どう? 痛む?」
「デコがすごい痛い」
「そりゃそうだよ、明日はもっと痛いかもしれんよ」

の隣からきれいな白髪の老人が顔を出し、花形の首の後ろに手を入れる。だが、体が大きいので支えきれない。が両手を掴んで引っ張ってくれた。花形は痛む額にまた顔をしかめながら起き上がり、そこで初めて周囲の状況を目にした。花形の周りは小父さん小母さんおじいちゃんおばあちゃんで埋め尽くされていた。

「ど、どうなってんのこれ」
「あそこにぶつけちゃったの。ごめんね店の入り口低くて」
「おでこはたんこぶになってるけど、おそらく異常はないと思うよ。気になるならちゃんと検査して下さいね」

きれいな白髪の男性は医者のようだ。その言葉に被せてまた胴間声としわがれ声の大合唱だ。やれ先生は名医だの、先生が大丈夫だっていうんだから平気だの、誰も疑うようなことなど言っていないというのにしつこい。

「ほらほら、もう大丈夫なんだから行きましょ。じゃあお大事にね」
「あ、ありがとうございました」

今度は目を回しそうな花形を気遣ってか、先生は野次馬たちを追い立てて店を出て行った。よく見ると花形が寝かされていたのは店の奥にある畳敷きの6畳間であった。少しずれている表現かもしれないが、要はバックヤードだ。や医者はともかく、なぜ野次馬で一杯になっていたのか。

「びっくりしたよね、ごめんね、なんかみんな心配になっちゃったみたいで」
「みんなここの商店街の人なのか?」
「えっと、たぶん。ここにいたのは『亀屋』の小父さんだけど」
「亀屋?」
「隣の漬物屋さん。小母さんが強いから小父さん暇なんだよね」

胴間声の主は女将に押され気味の漬物店の店主であったらしい。しかしその他の人々が「たぶん」とは。花形にはわからない世界だった。そこへの母親のいとこだという店長が汗をかきつつ戻ってきた。

「大丈夫だったか? すまなかったね、ウチ、店が小さいもんで……
「いえ悪いのは僕の方です。自分の身長はわかっているつもりなんですが、お騒がせしてすみません」
「いやいや、何もなかったらそれでいいんだけど、先生は確かにいい腕してるけど、一応病院行ってね」

店長と花形はぺこぺこと頭を下げ合った。

「花形くんて家どこ? 送るよ」
「いや送るって、普通逆だろ」
「私は店のチャリ使うし、また戻るから。途中で具合悪くなったら大変だから、一緒に帰ろ」

そう言っては先ほどの花束をまた差し出した。そうだ、このせいで頭をぶつけたんだった。

……ってあれ? なんかさっきと違うような」
「ああごめん、倒れたときに飛んじゃって。作り直したの。お詫びにちょっと豪華にしておいた」
「あーっ、いいからいいから! 本当はお金も返したいんだけど、受け取ってくれなそうだし」

店長に先回りされてしまった。仕方なく花形はスミマセン、と呟いた。花形の横ではがさっさと身支度を始めている。花形の鞄を上がり框に置き、花束を手にポケットの中で鍵らしき音をチャリチャリと立てている。

「私チャリ取って来るね。歩ける?」
「大丈夫、痛いのはデコだけだから」

足早に店を出て行ったの後姿をぼんやりと眺めていた花形の傍らで、丸い目を少し伏せた店長が遠慮がちに話しかけてきた。男性としては甘すぎるが、女性ならとても可愛い顔立ち、店長はそんな顔をしている。

「花形くんだっけか、、学校でどんな感じ?」
「ええと、今クラス違うんです。1年のときは同じだったんですけど」
「その頃もどうだったかな、ちゃんと高校生、出来てるのかな」
「はあ、そう思いますけど。成績も悪くないはずだと思います」
「そう、そうか。君から見て、は問題、ない?」

意味がわからない。花形は少し首を傾げて考える。別にグレているわけでもないし、問題なんてないはずだ。

「どういう、意味ですか?」
「いや、いいんだ。君から見てが変だとか問題があるって見えなかったらそれでいいんだ。ごめん」

が自転車を引っ張ってきたので、店長は強引に話を切り上げてしまった。だらしなく胡坐をかいていた花形は手をついて立ち上がると、よろよろと店を出た。商店街を通り抜けて帰るのは気が重かったが、花束は自転車のかごに入っているし、が一緒に歩いてくれるので心強い。

「お世話になりました」
「いやこちらこそ色々申し訳なかった。気をつけてね。また遊びにおいで」

ぺこりと頭を下げた花形は、少し先を行くに並んで歩き出した。がいるからとて好奇の目が刺さることには変わりなく、花形はまた肩を竦め、商店街のアーケードを出るまではろくに口もきかずに通り過ぎた。

アーケードの横道から抜け出ると、県道沿いに入る。花形はやっと楽になった。

「頭をぶつけたのは覚えてるんだけど、その後何があったんだ?」
「いやあ大変だったよ、あそこまで運ぶの。店長と私と亀屋の小父さんだけじゃ足が一本余って」
「す、すまん」
「たぶんあの取り囲んでた中の誰かが手伝ってくれたんだと思うけど」

そうやってあの「バックヤード」に運び込まれたというわけだ。

「で、まあ、この辺りで怪我人病人と言ったらよろずあの先生なの。もう80過ぎてるんだよ」
「え!? 見えねえな」
「でしょー。本当は外科の先生らしいんだけど、商店街の近くで開業してもう50年だから、信頼度がハンパない」

でもちゃんと検査してね、とは言い添える。名医でも手ぶらで往診しに来てくれただけである。

ふたりきりになったせいで、花形の頭の中では店長の思わせぶりな言葉がぐるぐると渦を巻いていた。このが問題? 問題点を見つける方が難しいんじゃないのか。普通に高校生出来ているかだって? 翔陽で普通の高校生じゃないやつなんていそうにないけどな。

けれど、店長の視線を逸らした横顔がひっかかって、に直接聞く勇気はなかった。