あなたに花を

05

葉奈から話を聞いたはいいが、インターハイ県予選の決勝リーグ初日が迫っていた。花形と長谷川はともかく、藤真はスタメンである。他のことにかかずらっている暇はない。このことは航から葉奈へも伝わっており、しばらくは以前と変わらない生活に戻っていた。

だが、県予選を終えて無事にインターハイの出場が決まると、期末前の部活停止期間に入る。もちろん勉強もせねばなるまいが、多少時間が出来る。

少し時間が出来たことで途端に興味が沸いたらしい藤真と、誘われるまま着いてきた長谷川を連れて花形は商店街に向かった。部活がないのだからと一緒にでいいはずだが、さすがにそれはまだ恥ずかしい。

途中花形が目をつけていたたこ焼きと、葉奈イチオシの唐揚げを買って「フローリスト」に向かう。時間はちょうどお年寄りストリートから夕方の戦場に切り替わる間の、いい頃合だった。翔陽の制服もちらほらとだが歩いている。

「あっ、本当に来た!」
「おせーよ」
「いやあよく来たねえ!」

葉奈に航に店長である。誰にどう反応すればいいかわからない。店の奥からも出てきた。

「どうしたの――あっ、き、来てくれたの」
「期末終わるまで部活出来ないからな〜。はいこれおみやげ」
「ごめんね藤真わざわざ……あっ葉奈ちゃんもみじ屋の唐揚げだよ」
「うっわ、なによイケメン気が利くじゃん」
「葉奈ちゃん、オレ藤真っていう――
「店長ちょっと店番代わって! ちゃんも食べようよ、ねっ」

翔陽女子垂涎の笑顔のまま固まった藤真の肩を長谷川がそっと支えてやる。

「ご、ごめん藤真!」
、気にすんな。これも次期キャプテンの大事な精神鍛錬だから」

そう言う花形も笑いを堪えている。藤真と長谷川は葉奈に招かれてバックヤードにのろのろと上がった。それを眺めながら、花形はの背にそっと触れてみた。もう夏目前だというのに、のシャツはとても冷たかった。これでは生理痛も悪化するだろうに、と花形は思う。

「葉奈ちゃんには逆らわない方がいいんじゃないか。行こうぜ」
「う、うん、なんかほんとごめん……
「あのな、いい加減謝るのやめろよ。遊びに来ただけだって」
「ごめん……

花形は音を立てて吹き出した。は謝るのが癖になっているらしい。

「あわわ、ごめ、いや、その」
「航だってそうだろ。遊びに来てるだけだ」
「うん、でも航くん送って行ってくれるんだよ。中学生なのになんか悪くて」
「あれで一応男だからさ、送りたいって言うならやらせてやってくれよ」

花形は大袈裟に肩をすくめ、両手を挙げて見せる。は少しだけ微笑む。

「あ、でも今日はオレが送るから。今度はちゃんと家まで」
「え、いいよ、航くんと一緒に帰らないと」
「また遠慮したな。じゃあこの間のリストバンドのお礼」
「お礼にお礼っておかしいよ」

今度こそ本当に笑った。花形はの背中をそっと押した。バックヤードでは既にたこ焼きと唐揚げが尽きかけている。は恐縮するが、たこ焼き8個入りが一船、から揚げは5個入り1パックだけなので、腹を空かせた中学生高校生合わせて6人では足りない。

「あのさあイケメン、こういうときは女の子に譲りなよ」
「オレの名前はイケメンじゃないって言ってんだろ。葉奈ちゃんこそそんなに唐揚げ食ったら太るぞ」
ねーちゃんたちまだ1つも食べてないんだからもう手ぇ出すなよ」

藤真と葉奈と航がたこ焼き1つと唐揚げ1つで戦っている。

「あれじゃ足りないよね、男の子4人もいるんだし」

それを眺めていた店長がと花形の肩の間からニュッと顔を突き出した。そして、ポケットに手を突っ込むと折り畳んだ千円札数枚を指で挟んで差し出した。反射的に身を引いたと花形を交互に見て、店長はニタリと笑った。

「ちょっと追加で何か買って来てよ、ふたりで」

店長はふたり、というところを強調した。花形の脳裏には葉奈の言葉が蘇る。

「店長はあんたに目をつけて、とくっつけようと目論んでる」

それだな、と思うが、今のところ花形はそれでもいいと思っているので何も言わない。葉奈は最初この考えに反対していたようだが、の事情をすっかり話してしまった以上は、やはりそれでもいいと思っているのかもしれない。信用を勝ち取るのは難しいといいながら、ずいぶん早かった。

花形がいいと思っていてもが頷かなければ成立しないのだし、店長の目論みのままにさせておいても問題はない。例えばが藤真や長谷川がいいと言い出したなら、そのときは身を引けばいいだけの話だ。それすら身悶えして我慢ならないほどには、まだ好きではない。

バックヤードで唐揚げを奪い合っていても、葉奈は店長のニタリ顔に気付いたらしい。

「店長気が利くじゃん! ちゃん、アタシ唐揚げ追加で!」
「花形、オレさっきのコロッケ!」

葉奈と藤真は身を乗り出して手を挙げた。やはり葉奈は店長の目論みを黙認する意向らしい。

「じゃ、ちょっと行って来るか。、案内頼むわ」

はきょろきょろしていたが、店長に肩を押されて店を出る。店長がなぜニタニタしているのかわからないは、何度も振り返りつつ、花形に並んで人の波に消えていった。一方、の消えたフローリストは、一瞬で荒む。身を乗り出していた葉奈の顔から笑顔が消えて、店長を上目遣いで睨んだ。

「我が父親ながら、店長、やることがゲスい」
「あー、やっぱそういうことだったのか」
「藤真のにーちゃん、長谷川のにーちゃんがわからんて顔してる」

藤真がなんとなく説明してやっていると、店長が上がり框にどかりと腰を下ろした。

「どうも、葉奈の父です。藤真くんと長谷川くんでいいのかな」
「はい、オレが藤真です。葉奈ちゃんから話は聞いてます。あまり暇ではないんですが、出来ることがあれば」
「いやいや、それで充分です。助かります。ありがとう」

店長は片手で空を切りつつ、藤真と長谷川に頭を下げた。

「あんなことがあったとは言え、どうもは普通に高校生活を送っちゃいけないように思っているらしくてね」
「それが不思議ですね」
「ちょっと頭が壊れてしまった人間と血が繋がっているのが怖いんでしょう」

店長は腕組みをしてため息をついた。

「いつか自分もあんな風に壊れるんじゃないか、またはあんな風に刺されるんじゃないか」

藤真も長谷川も、無理に笑って見せようとするの目を思い出していた。

「私は普通の高校生らしい生活を楽しんでもらいたいと思ってるんですけどね」
「だから、花形兄でもイケメンでも長谷川さんでもいいわけですよ」
「葉奈ちゃんもゲスいな」
「長谷川さんに言われるとさすがにグサッと来るね」

へらへらと笑う葉奈の横で、藤真はちらりと表に目をやる。出て行ったばかりだ、ふたりともしばらくは帰って来ないだろう。徐々に商店街は人出が戻り始めている。

「それはまあ、花形でいいんじゃないの。次第だよ」
なあ、恋愛もする資格ない的に考えてるからなあ」

葉奈は頭を抱える。

「葉奈ちゃんはなんでもかんでも早すぎるって。もう少しのんびり待ってみなよ。夏休み入ると合宿とインターハイがあるけど、例えばお盆の頃なんか体育館使えないから、さすがのオレたちも部活休みになるし」

現状、その辺りを積極的に推し進めているのは店長ひとりであり、花形が少しだけ好意を持っている程度。に至っては誰もその心を聞いてみてもいないという状況だ。本人不在の場でああだこうだと話しているのを、航はまた上目遣いで眺めていた。

「なんか葉奈ちゃんと藤真って仲いいね」
「根本的なところが少し似てる気がする」
「わ、やっぱり!? 私もちょっと思ってたんだ……

商店街の客層を年齢で見ると、時間が早いほど高くなり、中間が一番低く、遅くなるとまた少し上昇する。今は中間の時間帯なので小学生や中学生も多い。また夕飯の買出しにでも来ている風な女性も多い。男女比で言えば男性がとことん少ない時間帯でもある。

そんなわけでこの時間帯は商店の従業員でなければ男性が特に少ないので、花形はその身長も相まってとても目立つ。しかも子供の頃からこの商店街に育っていると一緒だから、余計に目立つ。その上行く先々で挨拶をすることになるので、まだまだ慣れない花形はとても恥ずかしい。

挨拶といっても、だいたい言われるのは決まって「ちゃん、彼氏出来たの?」である。その後は「おっきいねえ」だったり「よかったねえ」だったりと様々だが、がその度に花形に申し訳なさそうな目を向けつつ否定したり謝ったりする。そう何度も何度も否定されてしまうと空しい花形は、先回りすることにした。

「隊長・葉奈ちゃんの下、先日からボディーガードに加わりました」

これで万事片付いた。葉奈は商店街の人々の前でもあのノリなのだろう。ボディーガードという単語にまた恐縮するだが、例え友達と言っても同じことだ。

「ボディーガードなんて、そんな……
「まあそう言っとけば誰も気にしないだろ。は気にしすぎだけど」
「だって私そんなことしてもらうような」
「商店街の人にも可愛がられてるな。葉奈ちゃんも店長もが大事だ。に何かあったらみんなつらいんだぞ」

他人を引き合いに出すとは反論出来ない。花形はそれをよくわかっている。言葉に詰まるは俯いているせいでふらふらと人の波に押し流される。花形は手を伸ばしてと手を繋ぎ、引き寄せた。あくまでも人混みから掬い上げるようにして。

「でも花形くんとかは……
「関係ないって? は案外冷たいんだな」
「えっ」

遠慮の気持ちが高じて花形たちを遠ざけようとしているのはよくわかる。だが、それも度が過ぎれば「関わり合いにならないでくれ」と拒否拒絶されているのにも等しい。信頼もない信用もない、顔も知らぬ他人と同じ関係を望むに等しい。それは少し悲しい。ちょっといいなと思っていれば尚のこと。

「この間心配したんだぞ。一志が青い顔してすっ飛んできてさ」
「そ、それは感謝してるよ」
「友達が困ってて、それを心配したら関係ないって言われちゃうんだもんなあ」

は返す言葉がなくてまた俯いた。繋ぐ手から力が抜ける。

「航もさ、中学入ってからなんかいつも機嫌悪かったんだけど、ここにいると楽しそうだし。オレも最初、葉奈ちゃん怖かったんだけど、この頃はちょっと面白くなってきたしな。何もつまんないことを嫌々やってるわけじゃないから。ああでも、こういうのウザかったか?」

この聞き方は卑怯ではある。ウザかったかと聞かれて、はいウザいですとは言いづらい。もちろん花形はそれをわかって言っている。当然はぶんぶんと首を振る。これは社交辞令ではなくて、もウザいなどとは微塵も思っていない。

「なんか、花形くん、イメージと違って戸惑うな」
「どんなイメージ持ってたんだよ」
「うーん、怖いと思ってた。藤真が八方美人に見えるだけなのかもしれないけど」
「まあそうだな。あいつが喋ってればオレは黙るし。余計なことには関わりたくないし」

がすっと顔を上げたのが目の端に入るが、花形は気にせず続ける。

「でものことは余計なことじゃないから」

繋ぐ手に力が戻った。

フローリストはふたりが戻ると、また一瞬で和やかになる。

当然手を繋いだまま帰ってくるなどという軽率なことはしなかったふたりだが、葉奈や藤真は何かを勘付いている。言いはしなくても航も変化を感じ取っているようだ。接客中の店長を避けてバックヤードに上がったふたりは、買ってきた惣菜を広げた。また葉奈と藤真の争奪戦になった。

おやつタイムが終わり、がまた店先に立つと、藤真と長谷川は帰った。一応は期末前である。

「花形兄は勉強どうなの」
「葉奈ちゃん、花形くんは頭いいんだよ。教えてもらったら」
「え、そうなんだ。文武両道じゃん」

葉奈にばちんと背中を叩かれた花形の横で、航はぷいとそっぽを向く。文武両道の兄に対して、今のところ航はどちらも平均的、悪いわけでもいいわけでもないというタイプだった。不機嫌の理由はそこにもある。

その日は、花形が来たことで機嫌のいい店長に早上がりさせられた。の家に泊まるのだと言う葉奈も一緒、ついでに航も一緒という帰り道になってしまったが、花形は黙っている。こんなときはあくまでもボディーガードとして帰るのである。

葉奈と航に挟まれて歩くの後ろをただ着いて行くだけの道のりだったが、毎日こんな風にして送って行ってやれない以上は仕方のないことだ。そして前回と分かれたクリーニング屋の角に差し掛かる。日が延びてまだまだ空の裾が明るいというのに、その路地だけは真っ暗だった。

またここでいいと言い張るは、葉奈と航に手を引かれて引きずられていった。

暗い路地を歩いていく。家はあるのに、並ぶ家々には明かりが灯るのに、それでもなお誰もいなくて暗い路地は確かにひとり歩きをさせたくない通りだった。そんな道がうねうねと10分以上も続いただろうか。やっと道が切れ、交通量の多い通りにぶつかる。

商店街から2本ほど離れた県道だった。暗い路地を出て少し歩くと、コンビニとバス停がセットで現れる。葉奈の言っていたの自宅のすぐ近くということだ。確かにコンビニは人がひっきりなしに出入りしている。近くに人の切れない会社や店舗でもあるのだろうか。

コンビニの脇道を入ると、前を行く3人は足を止めた。2階建ての古そうなアパートだった。は花形を振り返って少し恥ずかしそうにしている。17歳の女の子だということを考えると確かに少しボロい。

「ふたりともお疲れー! ありがとね」
「花形くんテスト前なのにごめんね。ありがとう。航くんもありがとう」

ぺこぺこと頭を下げるに手を振り、花形兄弟はアパートを離れた。コンビニの前まで戻り、バス停の時刻表を見ていたら、ちょうどバスが来た。これに乗れば自宅に近い国道近くまで出られる。無言でバスに乗り込み、ふたりは家に帰るまで言葉も交わさなかった。