あなたに花を

06

藤真と長谷川と3人で「遊びに行った」翌日。今度は花形ひとりでフローリストに向かっていた。

普段から授業は真面目に聞いているし、そもそも花形は偏差値度外視で翔陽に入学してきたので、期末考査と言えど焦る必要がない。帰宅してから勉強しても充分間に合う。部活が出来ない以上は商店街に顔を出しておこうと考えてひとりでやってきた。

だが、店の入り口の前までやってくると、花形は変な声を出した。

「あら透ちゃん、おかえりなさい!」

花形メルヘン母であった。

「なんでここに……
「航ちゃんに連れてきてもらったの!」

にこにこしている母の向こう、バックヤードの上がり框に腰掛けていた航は、花形に睨まれるとぷいとそっぽを向いた。メルヘン母の後ろからと葉奈が顔を出す。

「花形兄、こんな可愛い母上隠してたなんて、ずるいぞ」
「クッキーもらっちゃった! 超おいしかったよ〜」

も葉奈も似たようなデザインの髪飾りを付けている。おそらくメルヘン母の趣味のひとつである手芸作品だろう。毛糸のコサージュをくっ付けたヘアピンだ。花形家のキッチン周辺、メルヘン母の領域にはこういうものが溢れ返っている。高校2年生という面倒くさい時期の花形は大変恥ずかしい。

と葉奈に纏わりつかれてメルヘン母は嬉しそうだ。

「いやあ、きれいなお母さんじゃない」
「店長……こんな大勢ですみません」
「人数だけなら昨日の方が多いよ。平気平気。それにさ……

店長は花形の背中を少し押して、店先に連れ出し、声を潜めた。

も葉奈も、周りに大人の女性が少ないから嬉しいんだろ。詳しくは話してないらしいんだけど、航くんがふたりとも母親不在の状態なんだって話してくれたみたいで、やって来るなり『私ふたりのお母さんになる!』だもん、腰を抜かすかと思ったよ、ははははは」

花形は目の前が真っ暗になった。航も母もいったいどういうつもりだ。花形家はいったいどこまで首を突っ込めば気が済むんだ。どう考えても自分だけでいいのに、無関係な人間はもう父親しか残ってないじゃないか。

「す、すみません……母が軽率なことを」
「ていうかお母さんずいぶんお若いんじゃないのかい」
「はあ、オレを産んだのが19歳のときなので」
「やっぱりそうか。それにしてはこう……器の大きそうな方だね」

メルヘン母は確かに19で花形を産んでいるが、反面、花形父はそのとき30歳であった。厳格な花形祖父の元で育ったメルヘン母だが、万事が万事お花畑な思考だけは幼少期から変わることがなく、高校を卒業したばかりのメルヘン母を嫁にくれと博打に出た花形父は、逆に頭を下げられた。それから18年、未だにお花畑である。

「君には申し訳ないんだけど、僕は助かるよ。男にはわからないことも多いから」

そう言われてしまうと返しようがない。の体調不良にしても、堂々と気遣えないのがもどかしい。

17歳の多感な高校生としてはメルヘン母は大変に恥ずかしい。だが、このメルヘン母は愛情深く、慈しみの心が強いのも事実である。と葉奈のことを思うと、花形はそれでもいいかという気になってきた。が、次の一言でまた目の前が真っ暗になった。

「透ちゃん、お母さん今日はちゃんちに泊まるから!」

異次元に生きる母であるが、祖父譲りの頑固さは花形家でもトップクラス。言い出したら聞かない。ただし、それに振り回されていると思っているのは基本的に花形だけである。花形父も航もメルヘン母はそういう生き物だと思っているので、別段気にしない。

しかしさすがに今回の件は花形父の混乱を招いた。

「お母さんからのメールは見たんだけど、あれじゃよくわからん。どうなってんだ」
「ちょっと説明が面倒なんだけど……

仕事から帰宅した花形父はテスト勉強をしていた息子を呼んでダイニングテーブルに座らせた。身長185cmの父と、2年生春の時点で192cmの息子がドライフラワーにパッチワークキルトのダイニングでビールと豆腐を挟んで差し向かいになっている。凄まじく似合わない。

花形は、出来るだけ自分がをちょっといいなと思っていることを悟られないように気を付けて、ことのあらましを説明した。話の重点はの体調不良や事件に置き、進んで巻き込まれたというよりは善意の巻き込まれであると装った。

「ああ、そんな事件もあったな。確か現場が四中の近くだったか」
「やっぱり知ってたんだ。オレら全然知らなくて」
「まあ、無差別じゃないし、怨恨みたいなものだからな。お前は警戒しなくてもいい距離だ」

そういう理由だから今日は母さん泊まりだよ、と無難に結んだ花形だったが、そうは問屋が卸さない。

「お母さんはともかく、お前や航がそれだけ入れあげるってことは、相当可愛い子なのか?」
「はあ!?」

素朴な疑問を口にしただけのつもりの花形父は、息子の素っ頓狂な声に驚き、またその声のせいで全て理解した。苦労して誤魔化したというのに、全部台無しだ。リストバンドを付けている手首が熱い。外で着けるのは恥ずかしいから家の中で着けています。したまま寝ています。

迂闊なことをしたと不貞腐れて肘を突く息子に、父はほろ酔いの目尻に皺を寄せた。

「いいじゃないかそれくらい、隠さなきゃならないようなことじゃないだろ。他人を好きになれないような人間がまっとうな人間になれるわけないじゃないか。そういうことはどんどんやれ」

だとしても、まだまだ芽吹いたばかりの恋心を親に知られるのが恥ずかしいのとは話が別だ。テスト勉強という大義名分のある花形は、酔いが進み、まだ話したそうな父を残してさっさと部屋に戻った。

花形家にちょっとした騒ぎが起こったのは翌日のことである。

メルヘン母が学校帰りの航と一緒にフローリストにいることはわかっているので、花形は今日は休みと決めた。それを話すと、藤真がちょっと練習していきたいと言う。部活は禁止だが、外でバスケットをしてはいけないわけではない。長谷川や同学年の部員を誘って、有料コートで練習をしてから花形は帰宅した。

すると、今日は帰宅が早かったのか、花形父が玄関まで出て来た。

「帰って早々悪いけど、お前もちょっと来い」
「え、何かあったの?」

急いで靴を脱いでダイニングに駆け込むと、メルヘン母がダイニングテーブルで泣いていた。

「透、お母さんちょっと血迷ってるんだ」
「血迷ってません!」

ぽかんとしている花形に花形父が説明する。メルヘン母はと葉奈を預かりたいと主張しているらしい。完全に血迷っている。さすがの航も白い目で呆れている。

「母さん、しばらくあの店行くのやめろ」
「透ちゃんまでそんなこと言うの」
「当たり前だ。人が首を突っ込んでいいのにも限度ってものがあるだろ」

だって、だって、とメルヘン母は首を振る。

ちゃんの部屋、なあんにもなかったのよ。すっからかんなのよ。女の子なのに、おしゃれひとつ出来なくて、可愛いカーテンすらなくて、あんな寂しい部屋で毎日ひとりで過ごしてるのよ」

そうは言ってもは生まれたときからそういう生活を強いられてきたのではない。ただ今が不幸な事件からまだ半年という時期だから、ということはメルヘン母の頭の中にはない。

「そこでちゃんも葉奈ちゃんも、コンビニのお弁当とか商店街のお惣菜とかそんなものばっかり食べてるのよ。アパートの台所なんて料理が作れるようなキッチンじゃなくて、冷蔵庫の中なんて調味料くらいしかなくて」

これではを大事に守っている商店街の人たちに失礼だなと花形は思うが、とりあえずは満足するまで喋らせる。花形父や航が黙って聞いているのもそのせいだ。興奮したメルヘン母には言いたいことを全部言わせてからでないと、まともな会話が出来ない。

「葉奈ちゃんだってそうよ。お母さんずっといなくて、だからあんな風に突っ張っちゃうのよ」

それは違う、葉奈のあれは生まれつきだ。花形と航はそう思ったが黙っておく。他にもどれだけと葉奈が不遇であるかを喋り倒したメルヘン母だったが、言い終わった所で花形父に一刀両断された。

「預かるのはダメ。うちには透と航がいるんだよ。それを考えなさい」

兄弟は援護射撃のつもりで何度も頷いた。

「高校生と中学生だぞ。そこに同級生が入り込んできてみろ。それがどれだけ気まずいかくらい、お母さんだってわかるだろ。そんなにその子たちのことが気になるなら離婚して自分の子供も捨てて、その上でやりなさい」

普段メルヘン母に甘い花形父の厳しい言葉に、本人だけでなく息子ふたりも驚いた。可哀想だからとて、他人が干渉していい領分というものを逸脱してはならない。それに、も葉奈も、母親が他界しているわけではない。意識不明でも行方不明でも、存在が消えたわけではないのだから。

言いたいことは言い終わってしまったし、それら細かいことはともかくという点からバッサリと切り捨てられたメルヘン母は反論出来ずにうなだれた。花形父は細くため息をつくと、関わっちゃいけないとは言ってない、と言い添えた。やっぱり甘い。

「お母さんの出来る範囲で、だけど何より透と航のことをちゃんと考えてやって下さい。いいね」

メルヘン母は洟をすすりながら頷いた。これで花形家は全員巻き込まれることになった。

協議の結果、メルヘン母がフローリストに顔を出すのは夕方まで、花形や航が来たら帰ること、花形と航のどちらかひとりでもいたら決してや葉奈を家に呼んだりしないこと、などが取り決められた。

そんな騒ぎがあったことなどはおくびにも出さないようにして、花形はまた商店街へ行った。テスト前なのに店番をしているのことも気になっていた。本人は帰ればいくらでも時間があるというが、そういう問題ではない。どうしようもない成績だった記憶もないが、店長はそんなことを気にしていないようにも見える。

「あれ、今日は葉奈ちゃんと航いないのか」
「校外学習なんだって。今日は帰るの遅くなるんじゃないのかな」

花形個人としては都合がいい。今日はバックヤードで勉強しようと考えていたからだ。

は期末大丈夫なのか」
「うんまあ、ぼちぼち」
「テスト前なのに店番ばっかりじゃ困るだろ」

本当に困った顔をした。やはり店長に遠慮しているのだ。

「お前ね、そのくらい主張しろよ。店長! 今忙しいですか」

慌てるの頭を片手で押さえつけながら、花形は店長に声をかけた。亀屋の小父さんと店先で話している。

「いや、見ての通りそうでもないけど」
「来週から期末なんですよ。奥で一緒に勉強してもいいですか」

初めて聞いたという顔をしながら、店長はうんうんと頷く。それをダメという理由もないし、店長的にはチャンスでもある。相変わらず花形とをくっつけたいと考えているらしい店長は、どんどんやれという風に両手で追い立てた。花形も遠慮するの肩を押してバックヤードに上がらせる。

「今日は店が終わるまでここで勉強な」
「え、でも……
「テスト前だぞ。そんなに余裕あるのか?」

もちろん違う。は恥ずかしそうに俯き、こそこそとバッグから教科書を取り出した。花形は同じように教科書やら資料やらを取り出し、を突っついて勉強させた。その様子を店長と亀屋の小父さんがこっそり覗いている。だけでなく、フローリスト周辺の店舗の小父さんたちがこそこそと覗きに来る。

それに気付いている花形がこっそり目をやると、誰も彼も一様に優しい笑顔を残して頷きながら帰っていく。がこうして高校生らしく勉強している姿に安心するのだろう。健気に店番をしているのもいじらしいが、店長が言うように普通の高校生らしく過ごして欲しいと皆願っているのだ。

そんなの姿が嬉しかったのか、この日はお惣菜の方からやって来た。斜向かいの練物店えどやの小父さんがもうすぐ夏だというのにおでん、その隣の総菜屋栃木屋の小父さんはおからドーナツ、向かいの雑貨屋のおじいさんは食べ物を扱っていないので、少し離れた鳥専門店でジャンボ焼き鳥を買ってきてくれた。

その度にあわあわと感謝したり謝ったり忙しいを眺めながら、花形は心の底にじわりと広がる想いに浸っていた。はこんなにも愛されている。小父さんやおじいさんたちはに色々差し入れをしつつ、花形にも声をかけて、ありがとうね、と言っていく。何もしてないのに。

オレもこの小父さんたちのように、を大事に思ってもいいだろうか。オレがを好きだと言ったらこの小父さんたちは、なんて言うだろう。店長はともかく、こうしてを可愛がってる小父さんたちはオレを認めてくれるんだろうか。お前じゃダメだって、言われないだろうか。

の横でお惣菜責めにあいつつ、花形は頭をぶつけてひっくり返ったときのことを思い出す。なんであんなにこの小父さんたちが疎ましかったんだろう。なぜ商店街があんな恥ずかしかったんだろう。そんなことをすっかり忘れるほど今は平気でアーケードの下を歩いている。

「おやつっていうには多すぎるよね。持って帰ろうか」
「夕飯にする分を避けとけよ。オレは食べられるから」
「えっ、じゃあ全部食べていいよ」
「小父さんたちはお前に買ってきたんだよ。少しは食え」

もうの遠慮癖には怯まない。花形は串に刺さったちくわをの目の前に突き出した。真剣な顔をしてちくわを突き出している花形に、は堪らず吹き出す。

「花形くん、ちくわ似合わないね」