あなたに花を

04

が救急搬送されてから数時間後。気落ちしつつもそれを振り切って練習に精を出した花形は、更衣室で着替え終わるとまたしょげた。妙なオン・オフのスイッチがついてしまっているらしい。それを見ていた藤真と長谷川はまた一緒に帰ることにして、揃って校門を出た。

正面に葉奈と、花形家次男の航が立ちはだかっていた。

「またかよ」
「またですよ」

だが、葉奈はともかく航は用がないはずだ。体よりも気持ちが疲れてしまっている花形はため息をつくだけで何も言わない。状況にげんなりしているのは藤真と長谷川だ。またかよと言ったのも藤真。

「おにーさんたち、ちょっと付き合って」
「オレたち疲れてるんだけど。もうすぐ大事な試合だし」
「喧嘩売ろうってんじゃないから安心してよ。アタシだって遅くなりたくないから」

疲れているのは事実なのだが、葉奈は先日の勢いはどこへやら、今日は怒ってはいないらしい。正直言うと腹も減っている。3人は大人しく葉奈と航に着いて行くことにした。前回と同じファストフード店に入ろうとしたのだが、混んでいて座れない。仕方なく一行は駅前のカフェに入った。

、何にする?」
「アタシ、チャイ。無脂肪乳のトール、スパイス多めの甘めで」
「あとコールドの宇治抹茶ラテをソイミルクで、こっちもトールでお願いします」

ちっちゃい中学生を前に、兄を含む3人はぽかんとしている。

「おいおい、中2で率先して女の子におごってるぞ。すげえな」
「あと何言ってるかわからん」
……すまん、ここはオレがおごる」

何のためらいもなく葉奈におごってやる航を前に、藤真と長谷川は心の中身をぐらぐらと揺さぶられたらしい。おごるという花形に遠慮することなく、先に席を確保しに行った。花形はトールサイズのチョコラテを3つとホットミールを2つオーダーした。先を行く航は葉奈のチャイを持ってあげている。なぜか敗北感が襲ってくる。

「ソファ席空いててよかった」
、ここ座りな」

航がシングルソファに乗る荷物を両手で掴んで藤真の方に投げた。藤真が花形のために荷物を置いておいてやった席だったのだが、葉奈は表情も変えずにすとんと腰を下ろす。まあ考えようによっては、女の子は葉奈ひとり、ひとり掛けのソファに座らせてやるのは当たり前なのかもしれない。藤真にも敗北感が来る。

「葉奈ちゃん、その――
「イケメンちょいまち。まだ花形兄が来てない」

トレイにホイップ山盛りのチョコラテを乗せて花形がとぼとぼ歩いて来た。コーナーに位置する4席プラス、シングルソファの席で、ぐるりを長谷川藤真、葉奈、航に花形という配置で座る。葉奈はいわゆるお誕生日席だ。花形が席につくと、葉奈は身を乗り出してチャイのカップをトレイに戻す。

「んふん! ええと、本日はが大変お世話になりました。おかげさまで今は落ち着いてます」

可愛い咳払いをして葉奈はぺこりと頭を下げた。高校生3人はホッと肩を落とした。

「長谷川さんが保健室まで運んでくれたって聞きました。ありがとうございました」
「いや、そんなことは。美化委員みんなで運んだんだよ」
「ついでに妙な縁でアタシに連絡がついたので、花形兄弟もありがとう。助かった」
「あはは、オレだけ何もしてないね」

誰も笑ってくれない。藤真はストローを咥えて下を向いてしまった。そんな藤真をちらりと見た葉奈は、チャイを一口飲むと、カップをテーブルに戻して、膝の上で手を組んだ。

「お礼というか、お詫びというか。事情を話そうかと思ったんだけど、聞きたくなかったら、言わない」

口調は相変わらずドライだが、彼女も疲れているのか、前回よりはずっと穏やかだ。

「すごく部活忙しいんだってことは花形弟に聞いた。それを邪魔したいわけじゃないから、無理に聞いて欲しいわけじゃない。ただ……病院で、また迷惑かけた、悲鳴を聞かれて怖がらせたってが泣くんだ。今回のことは半分事故みたいなものだと思うんだけど、本人はもう落ち込んで落ち込んで結局睡眠導入剤よ。そんなんだから、もういっそ全部知ってもらっちゃった方がいいんじゃないかと思ったんだ」

膝に置いていた手を上げ、葉奈は腕を組む。

「でも、この前も言ったけど、関わらないに越したことはないと思うんだ。話を聞いてを白い目で見られても困る。だから、もし友人としての事情を頭の中に入れておいてやってもいいって、そう思ってくれたんなら、聞いて欲しいんだけど」

そこで藤真がまた顔を上げる。

「ちょっと待った。航くんはいいのか」
……オレはもう知ってるから」
「え!? なんで!」

身を乗り出した藤真の顔をちらりと睨むと、航はそっぽを向いてしまった。それを横で見下ろしていた花形は、組んでいた足を戻して、葉奈を見つめた。

「葉奈ちゃん、オレは聞くよ。この間のこと、悪かったと思ってる」
「もういいよ、それは。実は店長が寂しがってる。また店来てくれる?」

花形はやっと頬が緩んで、微笑んだ。それを見た藤真と長谷川は顔を見合わせてから手を上げた。

「葉奈ちゃん、オレらも聞くわ。今日、本当に心配だったから」
「少なくともオレは今クラスが同じだし、協力出来ることあると思うよ」

葉奈は、破顔一笑。これ以上ないほどにっこりと笑った。怒ると怖いが笑うと可愛い。にも少し似ていた。

「ありがとう、おにーさんたち。ちょっと怖い話だけど、気楽に聞いてね」

「ええと、まずね、名前でわかったかな、んちは母子家庭です。うちと同じていうのは、の母親の旧姓ってわけ。のところが離婚したのは5年前、原因は酒と暴力」

話し始めるなりなかなかハードな内容だった。高校生3人は喉が鳴る。

「まあでもそれはよかったんだ。そんなのとはさっさと別れた方がいいからね。んふん! ところで、実はうちも父子家庭です。私の母親は私が2歳の頃に蒸発、以来行方不明」

高校生3人は今度はサーッと青くなった。女の子がさらりと話すような内容ではない。

「そんなわけで私たち親子と、親子は家族みたいにして生きてきたのね。だから、の母親は私の母親も同然で、すごい大事にしてくれたのね。で、も店に近い翔陽に入って、のママが仕事してても放課後は店にいられて、何もかも順調にいってたわけ」

花形の隣で、航がかくりと頭を落として俯いた。事情を知っているという彼がこの反応ということは、まだまだ話はこんなものでは終わらないのだろう。兄の花形は手のひらに薄っすらと汗をかいていた。

「ところが、よ。の父親っていうのがまあ、離婚前からちょっとおかしくなっちゃってて。もったいぶってもしょうがないからはっきり言うけど、要するに、の母親を刺して、現在逃亡中です」

藤真が息を呑み、バチンと口に手を当てた。叫んでしまいそうだったのだろう。

「これは去年末の話なんだけど、の母親はそれ以来意識不明のまま。父親は指名手配中。警察はどこかで自殺したんじゃないかって疑ってるみたいだけど、万が一生きててに近寄ってきたら困るので、私は無責任と思って花形兄に制裁を加えに行ってしまったわけ」

葉奈はチャイをごくりと飲んで、ふうと息を吐く。

「で、何でこんなこと花形弟が知ってるかと言うと、事件現場が四中のすぐそばで、警察だー立ち入り禁止テープだーブルーシートだーで大騒ぎになったもんで、やむなく学校から説明があったから。まあ私がほぼ被害者家族だから、同じクラスだった子は特によく知ってる。花形弟は去年も一緒だったしね」

抹茶ラテに刺したストローを噛んでいた航は、上目遣いで兄たちを見上げた。

「地元の大事件だからな。保護者宛の説明も来たさ。けどかーちゃんは『透ちゃんには言っちゃだめよ』と来たもんだ。にーちゃんたち、バスケもいいけどたまには新聞とか読めよ」

ぐうの音も出ない。3人は揃って目元に手を当ててうな垂れた。実際、事件前後は冬の選抜の予選真っ最中である。頑張っている息子に余計な心配をかけまいとしたメルヘン母の判断は間違っていない。

「中学のときは部活なんかもやってたけど、以来、は学校が終わるとどこにも寄らずにまっすぐ商店街に来る。学校から商店街までは人目が切れないからね」

翔陽は駅から近い上に、駅までの道のりは交通量も人通りも多い。店舗も途切れない。逃げ込む場所には困らないルートだ。商店街も南ゲートが駅前という立地なので、これまた賑わう場所だ。

「商店街に入ってしまえば、とりあえず全員の味方だから安心出来る。花形兄が最初に来たときも、ひとりで店番してたでしょ。だけど周りのお店の小父さんたち、必ずひとりはを見てることにしてるんだ。あののイカレ親父の顔も知ってるし、あそこが一番安全なの」

そういえば、と花形は回想する。店の入り口に頭をぶつけたとき、なんだかやたらと大勢の人間に取り囲まれた。

「ちなみに今日うちの店が休みで、店長に連絡がつかなかったのは、警察に行っていたからでした。あのクソ野郎が今でも逃亡中なので、店長はたまに話をしに行くことになっててさ」

未だ衝撃の中にいるらしい藤真と長谷川をちらりと見てから、花形は手を挙げた。

の具合が悪くなったのって、ストレスとかそういう……?」
「あー、それは全然関係ない。ごめんごめん、だから半分事故みたいなもんでさ」
「なんか重大な病気とかじゃ」
「ないない、ごめん、そういうんじゃないから。アタシちょっとトイレ行ってくるね」

手をパタパタと振って否定していた葉奈は、すっと立ち上がるとさっさと歩いて行ってしまった。ぽかんとしている花形に、ようやくすくめていた肩が元の位置に戻った藤真と長谷川は首を傾げた。それをまた掠れた声の航が上目遣いで睨んだ。

……生理痛だってよ」
「は?」
「重症らしいよ、常に」
「え? 生理痛であんなんなるのか?」
「らしいよ。今日病院で漏れ聞いただけだけど」

訝しげな顔をしている3人に航は止めをさす。

「あのな、オレら男なんだからわからないの当たり前だろ。にーちゃんら誰も彼女いないのかよ」

いません。

いや、正確に言うと、それぞれ過去にひとり彼女がいましたが、バスケを優先したのでだいたい1ヶ月持たずに振られました。3人はどんどん頭の位置が下に下がっていく。

のねーちゃん、泣いてた。兄貴に悪いことした、長谷川さんに迷惑かけたって」

また名前の出てこない藤真は居たたまれないが、じっと耐えている。

「オレも手伝うから、にーちゃんらも暇なときはねーちゃん守ってやれよ」
「もちろんそのつもりだけど……というか航はなんで今日来たんだよ」
「葉奈ちゃんの彼氏?」

素朴な藤真の疑問だったのだが、航は汚いものを見るような目で3人を見回した。

「男女ペアならイコールカップルって年寄りかよ。最初、翔陽に行くって話になっちゃってて、兄貴がいるって担任が知ってたから、一緒に行ってやってくれ、って。も慌ててたしな。ああ、おごったから? べつにそんなの彼女じゃなくたって男なら当然だろ」

航の真剣な顔に、3人はこの日最大級の敗北感を味わわされた。なんだこのイケメン。

葉奈がトイレから戻ると、しょげかえっている高校生とふんぞりかえっている中学生という状況になっていた。シングルソファに戻った葉奈は、それを見てにんまりと口元を吊り上げる。

「それじゃ、みなさんをよろしくお願いします」

葉奈はにんまりと笑ったまま、両手を広げた。まるで女王様だ。この日は高校生3人が葉奈とそれぞれ連絡先を交換して解散になった。航は葉奈を自宅まで送るといってさっさと帰ってしまった。

「なんか、オレたちとんでもないことに巻き込まれた?」

藤真がそうぼそりと呟いたが、花形も長谷川も、ああとかうんとか、そんなことしか言えなかった。

翌日1日休んだだったが、さらにその翌日にはちゃんと登校してきた。そして長谷川に伴われて花形と藤真の元にやってきた。教室で堂々とはいかないので、昼休みに体育館脇の通路まで長谷川が呼び出しておいてくれた。先に来ていた花形と藤真に引き合わされるなり、は深々と頭を下げた。

「迷惑かけて、ごめんなさい!」

ほんの数秒の間、花形も藤真も言葉が出なかった。藤真などクラスが分かれて以来、久々の対面であるし、それでなくとも葉奈の話を聞いてしまっているので、なんと声をかけたものかと迷う。しかも、夏服から伸びる白い腕には点滴の跡。謝られる方が気まずい。

、迷惑じゃないって。体の方はもういいのか」
「オレなんか本当に何もしてないしな、ははは」

無理矢理笑ってみせる花形と藤真の顔を見上げるは、少し震えているようだ。

「あの、葉奈ちゃんから何か、その……
……聞いた。大変だったな、知らなくてごめん」

具体的に何を聞いたのか言わない花形だったが、はその言葉にぶんぶんと首を振る。

「ごめんね、葉奈ちゃん、大袈裟で。みんなバスケ忙しいんだから迷惑だよって言ったのに――
、勘違いしてる。オレたち自主的に巻き込まれたんだよ」
「で、でも――

花形は手を少し上げての言葉を遮った。

「何か面倒なことするわけじゃないだろ、うちの航も――
「ごごご、ごめん、弟さんまで、ほんと、いいから! 忘れて!」
……、そんなに気にするなよ」

藤真に肩を叩かれたはまだ首を振っている。体の脇にくっつけた両手は固く握り締められている。

……聞いたんでしょ、うちのこと」
の了解もないのに、悪かった」
「危ないから関わらない方がいいよ。葉奈ちゃんや店長は見境がないから」

一生懸命微笑んで見せようとしているようだが、目だけが真剣なままで、そのちぐはぐな表情は少し怖いほどだった。だが、少なくとも花形はにこのことを譲るつもりはなかった。もう兄弟揃って巻き込まれ済みである。

、店って何時までやってるんだ」
「へ? あ、20時までだけど」
「部活終わってだらだら歩いて行けばちょうどそんなもんだ。遊びに行っていいか?」

花形の言うことがよくわからなくて、は藤真と長谷川を交互に見ている。

「花形に聞いたんだけど、なんか美味そうなたこ焼きがあるらしいな」
「葉奈ちゃんは『もみじ屋』の唐揚げは死ぬまでに一度は食べろって言ってたし」
「店長はオレをご指名だっていうしさ」

3人にそう言われて言葉に詰まる。は真っ赤な目をして俯いた。

「ごめん、本当にごめん、ありがとう」

そして、3人にひとつずつ薄っぺらい包みを差し出して押し付けると、脱兎の如く逃げ帰った。残された3人が包みを開いてみると、色違いのリストバンドが出てきた。花形が黒、藤真が赤、長谷川が青。さらに、花形の包みには「フローリスト半額券」が入っていた。の手書きだった。

3人は口元を押さえ、体を折り曲げて笑った。