あなたに花を

02

勘のいいのおかげで、花形の母親は大層喜んだ。可愛い可愛い透ちゃんありがとねを連呼し、くるくると回った。3つ年下の弟には怪訝そうな目で見られ、「本当に自分で選んだのかよ」と突っ込まれたが、花屋に任せたと返しておいた。嘘ではない。

これで母親の誕生日は無事にクリアー出来たと胸を撫で下ろしていた花形だったが、翌朝になると厄介な展開になっていた。こんな可愛い花束を作ってくれる花屋さんはどこ? と母親が詰め寄ってきた。花屋を教えるのは構わないとしても、にこのメルヘンな母を知られてしまうのは嫌だった。

「花なんかどこでも同じだろ」
「そういう問題じゃないのよ、花のセレクトも可愛いけど、なんといってもラッピングがいいの!」

それを作ったのはたぶん店長だ。

「学校の方だからちょっと遠い。……行ってきてやるよ」

朝から黄色い声できゃんきゃん言っている母親を知られるくらいなら、自分で行こう。そうすれば店長にも申し訳が立つ。は頑として言わなかったが、作り直した方の花束は1500円や2000円では到底足りない代物だったという気がしてならない。

それに、あの店長の言葉も気になっている。

クラスが分かれて以来、とは学校で顔を合わせる機会がほとんどない。なにせB組とH組、距離がある。長谷川が同じクラスだというから様子を聞くことは出来るだろうが、そんなことを尋ねる理由が思いつかない。商店街はまだ恥ずかしいが、部活終わりにでも顔を出すくらいなら構わないだろう。

「ほんと〜? じゃあお願いしちゃおうかな! ええとね、基本はピンクでね」

要望をメモに書く母親の横で、弟がじっとりとした目つきで花形を見上げていた。

県大会予選の時期だが、シード校である翔陽は大会5日目まで試合がない。この間先輩たちは対戦校の試合を観戦したりしているが、まだ2年でベンチ部員の花形は地道に体育館で練習した後、片付けをして下校である。

今日はまっすぐに帰らず、のいる花屋へ向かう。夕方ならあのご老人たちも減っているだろうという浅はかな考えもあって、花形は気楽にアーケードに突入した。が、直後にいいトレーニングになりそうなほど右往左往する羽目になった。18時台の商店街、それは、戦争である。

「あれっ、どうしたの!?」

花屋の前に着く。昨日は見もしなかったのだが、店の正面には「Florist 」と書かれていた。その文字の下で、今日もはパーカーにカフェエプロンである。一方の花形はぼさぼさの髪にがっくり肩を落としている。緑茶ジャージも心なしかよれよれしている。

「夕方の商店街ってすげえな……
「自転車も多いからね。ここは飲食店も多いし、脇道にも店があるからまだまだ増えるよ」
「昨日の花、なんか母親がえらく気に入ってさ」

困ったもんだという風に花形は頭を掻いたのだが、は照れた顔をして頬を引きつらせている。

「ほ、ほんと? よかった、実はちょっと心配してたんだ」
「それで、また欲しいっていうんで来てみたんだ。こういうの、出来るか?」

は笑ったりしないという安心感もあって、母親の書いたメモをそのまま手渡した。

「へえ、本当に可愛らしいのがお好きなんだね、お母さん」
「ちょっと御伽噺の中で生きてるような人だもんで……
「そこから花形くんみたいなのが生まれてくるんだから不思議だね」
「これは父親の血。弟も父親似」
「えー、弟いるんだ! 似てる?」

メモを見ながら店内の花を確認していると話していると、例のバックヤードから店長が出てきた。その後には小さな女の子がくっついている。店長は花形を見るとパッと笑顔になった。

「あっれえ、花形くんじゃないの」
「昨日はお世話になりました」
「店長、お母さんが気に入ってくれて、また欲しいって。ラッピング可愛いって」

やはりラッピングは店長の手によるものだったらしい。店長は丸い目を細くして恐縮しつつ喜んでいる。その後ろに半分隠れている女の子はその店長によく似た面差しをしていた。同じように目が丸くて可愛い。店長の娘か? と花形がぼんやり考えていると、いきなり指を差された。

「花形って、花形ワタルのお兄さん?」
……ええと、航のこと知ってるの?」
「アタシ、ワタルくんと同じクラスだもん」

何の話だ、と黙って聞いていたと店長も驚きの声を上げた。

花形も驚いている。弟の航は現在中学2年生だが、それと同じクラスならのはとこにあたるこの少女も同い年ということになる。それにしてはものすごく小さくて幼くて、とても中学2年生には見えない。せいぜい小学5年生というところだ。だがなぜか訝しげな目つきで花形を見上げている。

「世間は狭いもんだねえ、花形くんの弟さんと葉奈が同じクラスで」
「私は去年お兄ちゃんの花形くんと同じクラスで」
「いや〜何かの運命だねえ、こりゃ、ははははは」

店長は楽しそうだ。娘は葉奈と言うらしい。花屋だからハナか。花屋に花形と葉奈がいて、なんかもう花だらけだ。葉奈のいっそ睨んでいる様な目は気になるが、とりあえずそれは措いておく。

「もう少し時間かかっちゃいそうなんだけど、少し待てる?」
「うん、どうせ後は帰るだけだし。あ、でもここにいたら邪魔か?」
「じゃあ花形くん奥にいたら。おやつあるよ」

店長はまたにこにこしている。もしかしたら花形は店長に気に入られたのかもしれない。遠慮したい気もしたのだが、何せ外は戦場である。確か途中にファストフード店もあったが、そこまで戻るのも面倒だった。花形は店長のご厚意に甘えてバックヤードに上がらせてもらうことにした。

と店長があれこれとメモを見ながら花を集めたりしていると、葉奈が静かに寄ってきて上がり框に浅く腰掛けた。そしてまたあの訝しげな目で花形を睨む。

「ええと、何かな」
「花形のおにーさん、ちゃんに何の用?」
「はい?」

小学生みたいな中学生が腕組みをして低い声でそんなことを言う。意味がわからない。

「オレは花を買いに来ただけだけど」
「本当に花が目的? お母さんが気に入ったんならお母さんが来ればいいのに」
「オレが来たらまずかった?」
「お客様だから歓迎したいけどちゃんに何かしたら、刺すからね」

中学生独特の芝居がかった印象はあるのだが、それにしても一体この少女はなんのつもりでこんなことを言うのか。花形は腹立たしいよりも怖くなった。店長といいその娘といい、には一体どんな秘密が隠されているというのだ。

ちゃんて優しいから、気をつけないと変な虫がつくでしょ」

初対面の少女に変な虫予備軍に認定されてしまった花形は、きっと情けない顔をしていたに違いない。

だが、そこで花形はひらめいた。

「葉奈ちゃん、もしかして航に何か吹き込まれたんじゃないのか」
「吹き込まれたってなに」
「オレの兄貴はどうだとかこうだとか、まあおそらくは良くない人間だっていう」

航は中学生になってから兄に対して風当たりが強くなっている。本人が言ったわけではないが、身長190cmを突破している兄に対して航は168cmだからなのではないかと花形は推測する。だが、花形も中学2年生のときは175cmくらいだった。その上父親が185cmあるので、心配はないはずだ。

「そんなことを言ってたのかもしれないけど私は覚えてない。私はちゃんが大事なだけだから」
「店長もそんな感じだな。すごくのこと心配してた」
「お父さんだけじゃない、この商店街の人たちはみんなちゃんの味方だからね」

店長に似ているが、店長より遥かに迫力のある目で睨まれてしまった。そもそも花形は一介の客であって、目当てに通っているわけでもなく、母親がもっと花が欲しいと言い出さなければ進んで来店したりはしない。この誤解はどうやって解いたものかとぼんやり考える。

「大丈夫だよ、ちょっとオレの母親が変な人で……恥ずかしかったから自分で来ただけ」
「そんならいいけど。私の信用を勝ち取るのは難しいからね」

凄まじい上から目線だと思うが、小学生にしか見えない少女である。リアル中2である弟の冷徹な罵詈雑言よりは可愛らしい。花形は苦笑いで頷いて見せる。そこに店長が戻ってきた。ラッピングの際に出たゴミを片手に握り締めて、片膝を上がり框に乗せる。

「花形くんご飯食べた?」
「いえ、まだですけど」
「じゃあ食べて行きなよ、葉奈、栃木屋で何か買っておいでよ」
「ええー、私もみじ屋の方がいいんだけど」

勝手に話を進める店長親子に花形は慌てた。夕食をご馳走になる理由がない。

「あっ、また始まった。店長、花形くん困ってるよ」
「ええー、いいじゃん食べて行きなよ」
「花持って帰らなきゃいけないのにご飯食べてどうするの、お母さん待ってるよ」

がそう言った瞬間、店長と葉奈がピシッと音を立てて凍りついた――ように花形は感じた。この店長親子のせいで昨日から花形は混乱しっぱなしだ。と店長親子に何があるのか知らないが自分を巻き込まないで欲しい。メルヘンな花形母の要望で客として来ているだけなのだから。

しかし素早く自己解凍した店長は引き下がらない。

「そんじゃ、今日はもう上がりでいいから梅月で花形くんと何か食べて帰りなよ」
「いいよそんなの、ほら花形くんおろおろしてるじゃん!」

そのおろおろを葉奈に笑われている気がしたが、なんでもいいから早く帰りたくなってきた。

「じゃ、じゃあオレさん送りますよ、それならいいでしょう」
「大丈夫だって、気にしないでそんなこと」
「ほんと、悪いね花形くん頼むよもう暗いからさ!」

と店長がそう言うのと同時に葉奈に睨まれた。だが、花形だって暇じゃない。わけのわからない子供の脅しとその親の気まぐれに付き合う義理はないのだ。さっさとお暇して帰りたい。花形は店長を追い立てて会計を済ませ、受け取った籠付きのアレンジメントをに持たせた。

「さすがにそれ持って商店街歩くの恥ずかしいから、持っててくれ」

仕方なくは頷いてバックヤードへ戻る。制服が入っているのか、大きなバッグを抱えて出てきたので、それを取り上げて自分の荷物と一緒に肩にかけた。これでもうフローリストに用はない。

「じゃ行こうぜ」
ちゃん、気をつけてね」

間に割って入った葉奈の言い方がまたひっかかるが、花形は気にしない。店長にぺこりと頭を下げるとさっさと出て行った。慌ててもその後を追う。残された店長親子は笑顔を顔に貼り付けながら手を振り、低い声で言い合う。

「なにくっつけようとしてんだクソ親父」
「子供が口出しすることじゃない」
「アタシは花形兄なんて信用出来ない」
「お前の人を見る目なんてオレも信用してねえ」

人のよさそうな可愛い顔の店長と小柄で幼く見える葉奈は、にこやかに不穏な言葉を掛け合った。

「お前もオレもを案じてる点では同志だ。でも方法論は違う。お前は中学生なんだから身の丈にあった方法でやれ。オレはオレの考えであの子を守るだけだからな」

店長の言葉に、葉奈は「ケッ」とそっぽを向いた。

商店街から家までは歩くと1時間弱くらいかな、とは言う。普段はバスで帰っているそうだ。花形の方は商店街の端っこからなら歩いて40分くらい。弟が通う中学校の校区としては外れに位置するため、もしかしたら葉奈もギリギリの場所に住んでいるのかもしれないと予想する。

「これだと家より学校の方が近いな」
「そうなの。だから翔陽受験したんだ〜」

店長に金を握らされていたは、花形に商店街の中ほどでジャンボ焼き鳥を買ってくれた。ふたりで焼き鳥を食べながら歩いている。

「それにしても、店長さんと葉奈ちゃん、ほんとにのことが好きなんだな」
「あはは、葉奈ちゃんになんか言われた? 気にしないでね、葉奈ちゃんて大人っぽいから」

さりげなく探りを入れてみようとしたのだが、かわされたようだ。というか葉奈は大人っぽいのではない、単に攻撃的なだけだと花形は思うが黙っておく。あの手の陶酔少女は「触らぬ神に祟りなし」でいい。

「花形くんも年の割に大人っぽいと思うけど」
「よく言われるけど、あんまり喋らないからじゃないか」
「そうなのかなあ。私お喋りだけどよく老けて見られるよ」
「えっ、どこが?」

思わず何も考えないで返した。花形には他の同学年の女子と何ら変わらないように見える。

「お客さんとかにたまに言われるんだよ。落ち着いてるとか大人っぽいとか」
「学校でも言われるか?」
「ううん」
「だよなあ。そんな風には見えない……あ、いや悪い意味じゃないぞ」

はアレンジメントの花籠を抱えながら鼻で笑った。

そんなことをだらだら話しながら40分ほど経っただろうか。は県道から逸れる路地の前で足を止めてここでいいと言った。暗い住宅街は人通りもなく、出来れば玄関前まで送って行くべき状況だとは思うのだが、彼氏でもないのに深追いをしてはいけないと思った。

「じゃ、これ。ぜひまたご利用下さい!」
「おお、たぶんまた世話になると思うけど、頼むよ」
「お得意様にはちゃんとサービスいたします」

花形も鼻で笑うと、荷物を手渡し、さっと手を挙げただけで別れた。途端に花籠が恥ずかしいが、もう暗いので小走りでまっすぐ自宅へ戻った。この日もメルヘン母は大喜び、何やら自作の歌を口ずさみながらくるくると舞い、父親までそれに付き合っていた。

やっぱりこの母親を見られるのは恥ずかしい。でも、自宅に帰って落ち着いて考えてみると、花を手渡してくれるときのの笑顔はちょっといいなと思う。葉奈の言うように優しいし、わがままも言いそうにない。店長親子には関わり合いになりたくないのだが、に花籠を作ってもらうのは嫌じゃない。

今のところメルヘン母は満足しているけれど、いつまた欲しがるかもわからない。そのときはまた代行してもいいかなと考えていた。お年寄りストリートと夕方の戦争の間なら、もう少し落ち着いていられるんじゃないか。焼き鳥をおごってもらったから、おいしそうだなと思っていたたこ焼きでも買って行くか。

メルヘン母と父のダンスを眺めながら、花形はそんなことを考えた。