あなたに花を

03

翌日、部活を終えて下校しようとした花形が校門を出ると、暗がりから小さな塊が飛び出してきて花形の膝の辺りに直撃した。思わず声を上げてしゃがみこんだ花形に、横を歩いていた藤真と長谷川も声を上げた。

「痛ェ!」
「おい花形大丈夫か」
「なんだ今の!」

うろたえる3人は暗がりからゆらりと現れる影に目を凝らす。そして花形がひっくり返った声を上げた。

「葉奈ちゃん!?」

葉奈だった。中学校の制服を着て、憤怒の形相で立ちはだかっている。

「なんだこの子、花形の知り合いか?」
「え、ええとその、ちょっと面倒な事情があって」

状況がよくわからない藤真と長谷川は、花形と葉奈を交互に見てはきょとんとしている。

「お前よくもを放り出して帰ったな……!」
?」
「ちょ、ちょっと葉奈ちゃん、その話は今ここでは」

怒りに燃える葉奈、顔を見合わせている藤真と長谷川、焦る花形。だが、長谷川が一歩進み出てひょいと屈むと、葉奈に話しかけてしまった。花形は止めようとして手を伸ばしたが、間に合わなかった。

って、ここに通ってるさん?」
「そうだよ、知ってんの」
「今、同じクラスなんだ。一緒に美化委員もやってるよ」

花形に一切の非はないのだが、葉奈の剣幕に飲まれている藤真が少し冷たい目で花形を見下ろしている。

「こいつ、さんに何かしたの」
「一志、誓ってオレは何もしてないぞ、これには事情が!」
「うるっさい! に何かあったらお前どう責任取るつもりなんだバカヤロー!」

葉奈の甲高い声が翔陽の校舎にこだました。

葉奈が校門前で絶叫してから10分後。花形と藤真と長谷川は葉奈と一緒に翔陽の最寄り駅にあるファストフード店にいた。すっかりしょげている花形の隣に藤真、怒りの収まらない葉奈は長谷川の隣にちょこんと座っている。葉奈と長谷川は大きさの対比だけで言うとまるで親子のようだ。

「つまり、花形は昨日を送って帰ったんだけど、途中で別れた、と」
「さっきに聞いた。おいそこのイケメン!」

葉奈は藤真を指差す。指された藤真はどう返事をしたものかとおろおろしている。

「相手が誰であれ、女の子を送って帰るということを引き受けたら、どこまで送りますか」
「い、家まで?」
「その通り。家までということは、安全に自宅に入れるように家まで着いて行く、それが送るということ」
「そ、そうだねえ」
「それをこの花形兄は無責任にも途中で放り出して帰ったということで、私は然るべき制裁を加えたまで!」

葉奈はそう言い切ると、アイスティーをずるずるとすすり上げた。男3人は完全にビビっている。

「放り出して帰ったのか、花形」
「あのな藤真、がここでいいって言ったんだ。もう住宅街になってて、家がすぐそこだって」
「本当に家がすぐそこだって、お前知ってたのかよ。が言ったから確かめもせずに従っただけだろ」

再燃する葉奈の怒りの炎に3人は身を引いた。

と別れた場所、どうせクリーニング屋の角だろ!」
「えっ、ああ、うん、そうだったかな?」
「そこからの家までまだ15分以上あるんだぞ!」
「ええ!?」

花形だけでなく藤真も長谷川も声を上げた。

「普段、商店街からはバスで帰ってる。バスなら降りて1分で自宅だからまだいい。降りる人も多いし。だけど、歩きだと人通りの少ない住宅街を抜けないとすごく遠回りになっちゃう。その人気のない通りに入る入り口があのクリーニング屋! 一番危ない所で帰りやがって!」

ビビってはいるが、花形をはじめ、藤真も長谷川も葉奈の怒りがよくわからなくなってきた。確かに途中で放り出した花形は軽率だったかもしれないが、そこまで怒るようなことでもない気がする。そもそも、藤真と長谷川は葉奈が花形と一体どういう関係にあるのかすらよくわからない。

「でもさ、葉奈ちゃん、別に花形とは付き合ってるわけでもないんだし、仕方ないんじゃないかな」
「イケメンは言うことが違うねー。じゃあなんで送っていくなんて言ったんだよ」

葉奈はまた身を乗り出して畳み掛ける。

「送っていってくれなんて誰も言ってないんだよ。うちのクソ親父が飯食ってけとか言い出したけど、送っていくって言い出したのはお前だろうが。あのバカ親父がウザかったのには同情するけど、彼女でもないをダシに逃げようとしただけじゃないか。だったら最後まで責任持って送れって話じゃないか」

完全に図星だ。花形はかくりと俯いた。一応それを庇って藤真が首を伸ばす。

「ね、ねえ、葉奈ちゃん、そもそもなんで花形はそんなことになったのかな」
……母親の誕生日に花を買おうと思って、一昨日」
「そしたら花屋にがいたのか?」
「申し遅れまして。アタシ、葉奈、のはとこ。花屋の店長がの母親といとこです」
……ついでに航のクラスメイト」

やっと状況が飲み込めた藤真と長谷川は同時にああ、と声を上げた。

「葉奈ちゃんはが大好きなんだねぇ」
「整った顔で微笑んだら女がみんなウットリすると思うなよ。大好きで片付く問題じゃないんだからな」

藤真もがっくりと俯いた。なにこの中学生怖い。

「葉奈ちゃん、君が怒るのはもっともなんだけど、さんと同い年の僕らには少し大袈裟に感じるよ」

返り討ちにあった藤真に代わり、長谷川が出てきた。冷静に言葉を選んで話す長谷川の言葉は葉奈もちゃんと聞くようだ。小さく頷いて、またアイスティーをすする。

「藤真の言うようにさんと花形は付き合ってるわけでもないし、確かに花形は軽率だったかもしれないけど、葉奈ちゃんに叱られてもう充分反省してると思う。許してやってくれないかな」

葉奈はアイスティーのカップをトレイに置くと、ため息をついた。

「だったら頼むよ花形兄、もう店に来ないで。ウチのあのバカ店長はあんたに目をつけて、とくっつけようと目論んでる。そうすればきっと自分の目が届かない学校や移動の間を任せられると思ってる。だから、もう顔を出さないでよ。母親が恥ずかしいのくらい我慢してよ。こっちは客の名前なんかいちいち聞かないっての」

ここまで言われたら花形はそれに大人しく従うだろう。だが、藤真と長谷川は難しい顔をしている。葉奈の言っていることはどうにもおかしい。なぜ客として現れただけの花形をとくっつけようなどと考えるのか。自分の目が届かないところを任せるとはどういう意味だ。過保護とかいうレベルではない。

「葉奈ちゃん、、何か危険な状態なのか?」
「おっ、するどいね。さすがイケメン」
「茶化すなよ」
「茶化したくらいにしておきなよ。彼氏でもないんだから、関わらない方がいいよ」

苦笑いとは言え、初めて葉奈は笑顔を見せた。だが、藤真は引き下がらない。

「彼氏じゃなくても協力することは出来るよ。の同級生はオレたち3人だけじゃないんだし、もしひとりで帰るのに何か問題があるなら、空いてる人間で交代しながら送って行ったっていいだろ」
「例えばのことが本当に好きで、に万が一のことがあれば体を張って守ってくれるっていうんならともかく、それこそそういうのは軽率っていうんじゃないの」

難しいところだが、この場合は葉奈の方が正しいというべきだろう。怪我をしたクラスメイトの荷物を持ってやって一緒に帰る、というのとは意味合いが違うようだから。190cmを越えた堂々たる体躯だったとしても、所詮は未成年の高校生である。と共に危険に巻き込まれては本末転倒だ。

「だいたい、翔陽バスケ部って名門強豪でしょ。そんなことしてる暇、ないじゃん」

しかもこれに関しては何も言い返せない。藤真に至っては不動のスタメンでありエースである。

は商店街が必死に守ってる。だから、もうほっといて」

葉奈はそれ以上詳しいことは何も話してくれなかった。花形も憔悴しているし、葉奈を駅まで送った3人は無言で駅に佇んでいた。なにやらは不穏な環境に身を晒しているらしいが、自分たちに出来ることは何もない。

非日常を感じさせる展開に義侠心が沸いてくるのは、10代の青年として正しい心の働きではあるだろう。けれど、葉奈の言うように万が一のときに体を張って守ってやれるかと言われたら、もちろんそんな自信はない。彼氏でもなければ、特別に仲がいい女の子でもないからだ。

は何か重大な秘密を有しているのだろうが、興味本位で首を突っ込んではならない。

3人は葉奈の言うように、にはもう関わらないと心に決めた。

葉奈の訴え通り、花形はもちろん藤真も、同じクラスで美化委員を一緒にやっている長谷川も、には一切余計なことを話さず関わらず、そのことを忘れるように努めた。そうして部活に邁進していたのだが、インターハイ県予選決勝リーグを控えた頃にトラブルが起こった。

昼休みに藤真と一緒に弁当を広げていた花形のところに、血相を変えた長谷川が飛んできた。

「花形、弟の中学ってどこ? 葉奈ちゃんに連絡取りたいんだけど」
……その話はもうやめろよ」

花形ではなく藤真がしかめっ面をする。だが、長谷川はせわしなく首を振った。

が倒れたんだ。花屋が緊急連絡先になってたらしいんだけど、誰も出ないんだよ」

その言葉に藤真と花形は勢いよく立ち上がった。いろいろ疑問が頭の中で渦巻くが、今はそれどころではない。保健室に担任が待機しているというので、3人は走り出した。

「航は四中だけど、なんで倒れたんだよ一志」
「美化委員で花壇の掃除してたら急に真っ青になって、そのまま震えだして」
「てかなんで緊急連絡先が親戚の店なんだよ。あいつ家族いねえのかよ」

藤真の言葉に3人はぐっと喉が鳴った。を取り巻く状況は葉奈が匂わせたよりも闇が深い。

「先生、市内の四中に親戚の子がいるそうです」

保健室に飛び込んだ長谷川が開口一番そう言った。花形もそれを追う。

「2年4組にいる葉奈さんという子です。緊急連絡先の方の娘さんです」

保健室だということも忘れてやや大きな声でH組の担任に花形がそう言うと、担任はメモを取って足早に出て行った。そのとき、カーテンで囲われたベッドから悲鳴が上がった。の声だ。落ち着いた声でそれを宥める養護教諭の声も聞こえてくるが、3人は揃ってすくみ上がった。

「一志、本当にどうしたんだよあいつ」
「いやオレもわかんねえんだ、体を丸めてガクガク震えてて……

そんなことを藤真と長谷川が喋っていると、カーテンが乱暴に開けられて厳しい顔の養護教諭が出てきた。

「先生、、大丈夫なんですか」
「あれ、藤真じゃないの。なに、バスケ部が顔を揃えて。誰かさんの彼氏?」
「いえ違いますけど彼女のはとこがこいつの弟と同じクラスで」
「ああそうなの。でももう大丈夫よ、先生たちがいるから戻っていいわよ」

先生はの容態については何も教えてくれなかった。それでも3人が保健室を出るに出られなくなっていると、またが悲鳴を上げた。体を傷付けられる痛みに悶えているような、苦しそうな声だった。

「あんたたち、帰りなさい! 余計なこと言わないようにね!」

急いでベッドに戻ろうとする養護教諭に3人は締め出された。保健室の中からはまだの悲鳴が聞こえている。廊下にまろび出た3人が呆然としていると、今度は後ろから慌しく駆け込んできたH組の副担任にどつかれた。勢いよく保健室のドアを開けて中に声をかける。

「ちょっとあんたたちそんなデカい体して入り口塞がないで! 先生、救急車来ますって」

保健室の向かいの壁にへばりついた3人は声も出せずに固まっていた。たまたま真ん中にいた花形に藤真と長谷川がしがみついている。そこに葉奈に連絡を取りに行った担任も戻って来た。

「長谷川、花形、連絡ついたよ。ありがとう。もう戻れ。は大丈夫だから」
「でも先生、あんな……
「いいから戻れ! こんなこと言いふらすんじゃないぞ」

に一体どんな事態が起こっているというのだ。養護教諭も担任も、の症状をよくわかっているのに教えたくないみたいだ。それが余計に怖い。しかも救急車。しかたなくとぼとぼと保健室を後にした3人は、そのまま校舎を出て体育館の壁に寄りかかってしゃがみこみ、揃ってがっくりとうなだれた。

「なんだよ、あの悲鳴」
「やめろよ藤真」
の体、すごい冷たかったんだ。抱き上げたとき、カチカチに固まってて」
「一志もやめろって!」

藤真と長谷川は、言葉にしないと混乱がひどくなりそうで、つい零した。花形はそれを苛立たしく遮って、両手でくしゃくしゃと髪をかき回してため息をつく。

「オレたちは関係ないんだろ。葉奈ちゃんに言われただろうが」
「お前、そんなこと本気で思ってんの」
「思ってるよ。関わらない方がいいんだって。そんなことしてる暇ないだろう、藤真、決勝リーグ!」
「そりゃ忙しいけど心配するくらいいいだろうが! 何でお前そんなに頑ななんだよ!」

売り言葉に買い言葉でつい言い合ってしまっているふたりを、手を挙げて長谷川が止める。

「まあまあ藤真、花形が心配してないわけないだろ。花形、お前、まだ気にしてたのか、この間のこと」
「し、してねえよ! なんでそんなこと!」

噛み付きそうな勢いの花形を、まあまあと両手で押しとどめて長谷川は続ける。

……言われたんだよに。花形に挨拶したら無視されちゃって、この間迷惑かけたから、悪いことしたって、同じバスケ部だよね、ごめんって伝えてくれって。オレがそんなこと気にしなくていいんじゃないのかって言ったら、自分は家族にも迷惑ばっかりかけてて年下のはとこにまで迷惑かけてって。葉奈ちゃんのことだよな」

長谷川が言葉を切ったところで藤真が花形の胸倉を掴んだ。

「お前無視ってどういうことだ。挨拶くらい構わないだろ、何考えてんだ」
「やめろ藤真、花形はを見ると思い出して辛かったんだろ、葉奈ちゃんの言うことがもっともだったから」

長谷川は藤真の手を無理やり引き剥がす。藤真は息が荒い。

「花形、怒るなよ、のことちょっといいなと思ってたんじゃないのか」
「だったら!」
「藤真、だから後悔してたんだよ。何もなかったからいいけど、あったかもしれない」

花形は前髪に顔を隠していて表情が見えない。長谷川が続ける。

「だけどああ言われたらもう関われないだろ。もう何もしてやれない。始まってすらなかったんだから」

ふらりと花形の手が浮いて、何かを言おうとした。だがそのとき、けたたましいサイレンが鳴り響いてきた。花形が飛び上がる。藤真と長谷川は止めようとしたのだが、手が届かなかった。慌てて追いかけると、救急車が職員玄関に横付けされていて、救急隊員が校舎に駆け込んでいく。昼休みの翔陽は不穏なざわめきに包まれた。

「最初に店に行ったとき、店長に聞かれたんだ。はどんな感じ? ちゃんと高校生出来てるか、問題ないか」

花形の背後に追いついたふたりは、店長が思わず花形に聞いた言葉に首を傾げる。

「それじゃまるでがいじめにでも遭ってるみたいな言い方だな」
「同じクラスになって2ヶ月だけど、そんな様子ないぞ」
「去年だってなかったよ、そんなの」

そもそも翔陽という高校自体が生徒間のトラブルが少ない校風で、学校生活よりも部活が中心になっている花形たちのような生徒も多く、友人関係で揉めている暇がない。強いて言えばそのせいで部活を離れたところで卒業後まで続く友人関係を築けないまま、というパターンも多いのが難点か。

「二度目の……置いて帰ったときも葉奈ちゃんに怖いこと言われてたんだ」
「怖いこと?」
に何かあったら、刺すからって」

藤真と長谷川は一瞬で顔色が真っ青になった。いくら陶酔気味でも度が過ぎる。

「リアル中2だし、そのときはだいぶ夢見がちな女の子なんだろうなとしか思わなかったんだけど」
「葉奈ちゃん突撃して来ちゃったしなあ」

藤真がボリボリと頭を掻く。その隣の花形は弱々しい声で呟いた。

「出来るんなら力になってやりたいと思うけど……何も出来ないじゃないか」

花形たちだけでなく、音を聞きつけて野次馬しに来た生徒たちの中では救急車に詰め込まれた。顔は隠してあったので、だとは気付かれていないだろうが、2年H組は午後の授業が始まったときにそのことを知るだろう。放課後になれば、2年生を中心にが救急搬送されたことはかなり広まるだろう。

「体はこんなでも、オレたち半分子供みたいなもんだからな」

花形の背中に手を添えながら、藤真が言う。その目の前を救急車が飛び出していった。