美しきこの世界

11

文化祭は無事に終了、藤真監督にとっては想定外だったけれど交流試合はお互いに一勝一敗で、イベントを企画した側であるたちにとっては完璧な「クラス展示」として完遂することが出来た。何かを制作したわけではないので、先生たちの投票によって選ばれる賞には入らなかったが、生徒投票による「記憶に残る展示」では1位に輝いた。

そしてそれが主導による結果だったことは、翔陽と対戦して1勝をもぎ取った男子バスケット部員から広まり、主に同学年の間では「あの学年1位の女子が企画して成功させたらしい」と数週間の間噂になっていた。

もちろんそれに慢心するではないし、噂になるなどむしろ勘弁してほしいというタイプなのだが、本人たちにも請われたせいで翔陽チームに随伴していて顔が売れてしまったのは事実、諦めて大人しくしていた。

その一方で、やっと腹を括ったは花形と「付き合っている」ことを受け入れ、修学旅行と文化祭で距離の縮まった同じクラスの女子たちには、あの巨大なメガネが彼氏だと白状した。「やっぱりそうだったんだ」と言われてしまい、若干凹んだ。

だがこれで晴れて文化祭実行委員はお役御免である。2年生の時に大役を果たしたとして3年時は拒否することも出来る。はホッと胸を撫で下ろし、12月の模試に向けてまた勉強せねば、と考えていた頃のことだ。

授業が終わったは、財政的に厳しいのはわかっているが、3年に進級したと同時に予備校に通いたいと親に掛け合ってみようかと思いながら荷物をまとめ、教室を出ようとした。すると蒼白な顔をした担任が慌てて走ってきたところに遭遇、そのまま職員室へ連れて行かれてしまった。

ちょうど同じ頃、冬の選抜の予選が目の前である花形たちも授業が終わったその足で部室にぞろぞろとやって来ていた。すると、監督が辞任して以来唯一バスケット部の面倒を見ている顧問の先生が転がるようにして部室に飛び込み、花形の背を押して職員室まで連れて行った。

一体何の騒ぎだ……とポカンとしていると花形、ふたりは緊張が走る職員室でそれぞれ先生たちに囲まれながら、とんでもないことを耳にした。

例の有料コートをウロついていたニヤリ顔の男子、彼が違法薬物使用の疑いで逮捕されたという。

……それが私に何の関係があるんですか?」

驚きつつもひょいと首を傾げた、少し離れた翔陽でも花形は同じように首を傾げた。するとスーツ姿の警察関係者だという男性が事情を説明した。連行された男子生徒は、「薬物は有料コートの休憩所が受け渡し場所になってた」と言い、そして、「同じクラスのとその彼氏に教えてもらって使用した」と供述しているという。

「ハァ!?」と素っ頓狂な声を上げた花形は慌てた先生たちに腕を掴まれてしまった。

「ちょっと待ってください、それだけのことで疑われているんですか!?」
「君とさんがあの休憩所にいる所を目撃している人が多いんですよ」
「元々僕はバスケットの練習でコートを利用しています。さんは通学路です」
「だけどバスケットをせずに長い時間お喋りをしていたでしょう」
「だからふたりでお喋りをしていただけです。他のコート利用者と親しくしていたことはないはずです」

確かに花形はと休憩所でよく喋っていた。けれど有料コートの休憩所は大人から子供まで幅広い世代の利用があり、コートを使わない人でも使えるし、その場にいただけで違法薬物に関する嫌疑をかけられるなんて。あまりに理不尽な言いがかりに花形は憤慨したが、先生たちは数人がかりで彼の腕を押さえている。

「無関係であることを実証するためにも検査にご協力ください」
……もちろん僕もさんも無関係です。協力するのは市民の義務だとも思います」

言いながら花形は警察関係者を上から睨み下ろした。

「そして間違いなく結果は陰性です。ですが僕たちが『違法薬物の使用を疑われて検査を受けた』という事実が、それがどういう意味を持つかおわかりですか。僕はクラブ活動を頑張っています、さんは国立大学への進学を考えて中学生の頃から努力を続けています、それに一体どれだけの悪影響を及ぼすか、わかりませんか。そんな不貞腐れて薬物に手を染めるような輩が思いつきで言ってみただけの証言で、僕たちの年単位の努力に泥を塗ることになるんです!」

人の口に戸は立てられぬ。まだ職員室の中だけの話だが、花形が何の説明もなく部室から連れ出されて戻ってこないことはバスケット部員全員が不安に思い、何か問題があったのだろうかと考えている。そしていずれの高校で薬物使用による逮捕者が出たという噂とともに花形が関係者であることも知られるだろう。

そこで無関係でした、陰性でした、逮捕された男子生徒の単なる戯言でした、と言うのは簡単だ。だが、事実は面白くないのだ。疑われたカップルが潔白だったなんていう「ネタ」は面白くないのだ。

真実が噂に姿を変え、人の口を次々とスキップしていく間にそれぞれが望む「面白いネタ」に育っていく。

行き着く所は、「疑われるだけのことをしていた」ふたりだ。

……検査を拒否したいのかな?」
「いいえ。真実を明らかにする必要がありますから、そのつもりはありません」

これ以上余計なことを言うなと必死で止める先生たちに構わず、花形は付け加えた。

「だけど、そんな不確かな証言ひとつで真面目に生きている高校生の未来に汚い傷をつけているんだということを申し上げたいだけです。逮捕された人も、あなたたちも、迷惑です」

検査のために同じ警察署に連れてこられたと花形は、署内で顔を合わせた途端、駆け寄ってひしと抱き合った。何もしていないのに、本当に何も関係がないのに、とんでもないことのど真ん中に放り込まれてしまった。に付き添っていた女性の警察官も傍らで困った顔をしている。

「お付き合いは長いの?」
「ええと、元々中学が一緒で、付き合い始めたのは割と最近です」
「どうして彼はあなたたちが関係していると言ったか、心当たりはありますか」

検査の結果がシロであればいいだけの検査なので、事情聴取ではない。警察署の廊下にあるベンチで、警察官の女性はふたりに世間話のようにして話しかけてきた。愛想がいいわけではないが、いかめしい表情をしているわけでもない。変化に乏しい顔で淡々と問いかけてくる。

「僕は面識がないので……
「私もクラスは同じですが、親しくありません」
「話したこともない?」
「ええと確か……文化祭の出し物を決める会議で意見を交わしたことがあるだけです」

それを聞いた警察官の目がきらりと光ったように見えたのは気のせいだっただろうか。彼女は少しだけ首を伸ばして、その時どんなやりとりをしたのかと尋ねてきた。花形が手を握っていてくれるので、は話し出した。

……私が文化祭実行委員になった時から、このクラスではまともな展示など出来ないと考えていて、最小限最低限できちんと完成させられるものを考えていました。だけど彼は、メイド喫茶をやりたかったらしくて、でもそれは他のクラスに取られてしまったので、面白くなさそうでした。私はいくつか少人数でも実行可能な案を用意していたので、それを提案するつもりだったんですが、彼が突然、翔陽との交流試合はどうだと言い出して」

は記憶を辿りながら少しずつ説明していく。

「それも私が彼と……ええとこっちの花形くんと一緒に電車に乗っているところを見て、翔陽に伝手があるだろうと思ったらしくて。その頃はまだ付き合ってなかったんですが、お前翔陽に男いるだろ、そいつに頼んで試合取り付けてこいよ、って。……今思うと、私を困らせたかったのかもしれません」

低予算で実現可能なアイデアを出してやったとでも言いたげだった彼はしかし、事が順調に進む間に準備をサボるようになり、当日もほとんど顔を見せなかった。すると、黙っていた花形が顔を上げて警察官に話しかけ、今回逮捕された男子生徒の容貌や背格好などを確認し始めた。

「心当たりがあるの?」
「文化祭の2日目、試合が終わったら帰るはずだったんですが、後夜祭に誘われたんです」

花形は顎に手を添えて怪訝そうな顔をしている。

「僕たちは試合後でお腹が減っていて、だけど校内の模擬店は品切れで、外に食べに出ました。その時慣れているので例のコートの辺りで済ませたのですが、コートの休憩所でたぶん彼を見ました。文化祭をサボって家にいるならともかく、こんなところで制服のままひとりでウロウロしてるなんて変だな、と思ったのを覚えています」

花形も記憶を辿って時間や休憩所の様子などを付け加えた。

「そうだ、それは藤真も見てる。ああいうタイプは苦手だと、そういう話をしました」
「ああいうタイプ?」
「考えてることが読めない、薄気味悪い、そう言ってました。僕たちは普段バスケットで腹の探り合いをしています。どういう手でくるつもりなのか、次に何をしようとしてるのか、そういうのを読まないとならない。藤真……キャプテンはそれが得意です。その彼が薄気味悪く感じるような、何をしているのかわからない様子でした」

警察官は頷くばかりで何も言ってくれなかった。それ以上何も知ることのないふたりはしかし、自分たちの話したことが一体この表情のない警察官の頭のなかでどういう情報として捉えられているのか、それすらわからなくて怖くなってきた。そんなこと聞いて何か参考になるの?

花形の手をギュッと握りしめたは、乾いた声を上げた。

「あの、彼はどうなるんですか?」
……まだ詳しいことは何もわかってませんので」
「彼女が言いたいのはそういうことではないと思いますけど」
……じゃあどういうこと?」
「この年で薬物を摂取した彼は、彼の体は一体どうなるんだと聞きたいのでは」

ちらりと振り返ったが忙しなく頷くので、警察官は少しのため息とともに視線をそらした。

「詳しい使用状況がわからないので何とも言えませんが、依存性の高い薬物は使用を止めるとかなり苦しい禁断症状が出ますし、そのために自分ひとりではコントロールできない欲求と戦う依存症患者が大勢います。……違法薬物の使用は、とても再犯率の高い犯罪なんです」

「彼の今後」の話に聞こえないように、あくまで違法薬物についての解説のようにして警察官は語り、言葉を切った。何しろまだ逮捕から24時間経過していないのである。何も断言できる段階ではない。

だが、と花形はそもそも大変お勉強が得意な学生で、特には今後のために新聞各紙を読む習慣もあり、この程度のことなら既に承知している。花形の方は春に学校で特別授業を受けたので、こちらも最低限の知識は持っているし、他の生徒と違って詳細に記憶が残っている。

そういうことでもない、と考えているのが顔に出たふたりを見て警察官は静かに口を開いた。

……ふたりは確か有名な進学校の出身でしたね。とても偏差値の高い」
「ええ、まあ……
「でしたら覚えておいてください。彼が逮捕されたのは、法を犯したからです」

何を当たり前のことを、というのも顔に出たか。初めて警察官は口元をほころばせた。

「これから先、きっとあなたたちの目に耳に、科学的医学的社会的、様々な視点から薬物に関する情報、そして個人の主張が入ってくるでしょう。だけど結局のところ、『なぜダメなのか』ということを突き詰めると、法律で禁じられているから、それだけなのです。この国は法治国家です。法律が変わらない限り、禁じられている薬物を所持、そして使用すれば犯罪です。個人にどんな事情があろうが主義主張があろうが、関係ありません。このことの前に、その他のことは、無力です」

廊下の向こうから慌ただしい声が聞こえてきて、3人は顔を上げた。もしかしたらと花形の保護者が到着したのかもしれない。学校経由で呼び出しがかかり、双方泡を食っていたそうだ。警察官は丸めていた背を伸ばすと、ふたりに立ち上がるよう促しながら付け加えた。

「薬物に限りません、運転免許の更新以外で警察署に用がない一生を送ってください」

当然のことながら、も花形も検査の結果は陰性、しかし花形が職員室で喚いたことが功を奏して、ふたりをフォローする意味も込めて両校では2年生だけに特別授業が開かれ、花形が危惧したほどには悪い噂にはならなかった。だが、違うところから問題が発生した。

ふたりの親である。

勉強に部活に真面目に邁進してきた子供が突然薬物使用を疑われて検査、なんていう青天の霹靂に見舞われた二組の親はショックのあまり、また陰性とわかってもそのストレスをうまく抜くことが出来なくて、なんとかして我が子をそんな嫌疑から遠ざけたい一心でとんでもないことを言い出した。

いわく、「別れろ」である。

特にの親は学校までの通学ルートを変えて、もうあの街には近付くな、有料コートには今後一切近付いてはならないと少々ヒステリックになっていた。有名進学校を出て一度は受験に躓いたけれど国立を目指して頑張っている娘がなんで薬物使用なんか疑われなきゃならないのだ。あんな不良のたまり場なんか、近付くな。

しかし悲しいかな自宅の位置が変わらない限り、は通学路の変更ができない状態。一時は父親が毎日車で学校まで送ると言い出したのだが、もちろん無理だ。

「ここ、見に来てみたらいいのな」
「直後なんてこんなものだよね」

ヒステリックになっている親をよそに、ふたりはコートの休憩所のベンチで寄り添っていた。この休憩所が薬物の受け渡し場所になっていたということで、捜査の末にもうふたり逮捕者が出た。そんなわけで、最近ではコート周辺にひしめいていた「一見無害そうな男性」は姿を見せなくなってしまった。

その上しょっちゅう近所の交番の警察官が巡回に来るので、以前のような有料コートを利用する人だけがのんびりしている休憩所に戻った。人通りの方も以前の量に戻っているし、朝夕にたち高校生がぞろぞろと通り過ぎていくだけだ。

最初の頃は巡回の警察官がふたりに気付いて近寄り、疑われたんだからこんなところで油売ってないで帰りなさいと言ってたきたが、花形に淡々と「あらぬ嫌疑をかけられた上に検査にも協力した方がなぜコソコソする必要があるのか」と問われて引き下がっていった。

しかしそういうところも含めて周囲がやかましいので、は下校時に都合がつく時だけしか休憩所で花形と一緒に過ごせないでいる。基本的には毎日遅くまで学校で練習の花形なので、そういうわけでふたりが会える機会は激減してしまった。例え休みであってもふたりで出かけるのは許して貰えそうにない。

「藤真くんまだ言ってるの」
「たまに言おうとするけど、監督、って呼ぶと黙る」
「そっかそっか、責任感が強いことだけは認めよう」

ふたりがあまり会えなくなってしまってからというもの、藤真は楽しそうに「関係にヒビ」とか「別れの予感」とかそういうワードをあからさまに強調して使うようになり、花形よりそれを聞いたをげんなりさせていた。だがその藤真は3年生の引退後に部長、主将、監督と3つの肩書を兼任することになり、現在はまだ慣れないせいで疲弊しているとのこと。

は藤真が花形に言い負かされているのが面白いようで、ふふんと鼻を鳴らす。

「そういえば模試、どうだった」
「自己採点ではまあまあいいところだと思うんだけど、何しろあの騒ぎがあったし」
「ほんと、いい迷惑だよな。オレも先輩たちに嫌味言われたし」
「先輩たち今年は災難だったけど……透のせいじゃないのに」

翔陽のバスケット部に実害なんかもちろんない。けれど部員がそういう嫌疑をかけられると部全体のイメージダウンになりかねないし、ただでさえバスケットはチャラチャラしたファッションスポーツだと思われているのだから気を引き締めろと苦言を呈された。

「それ、どうしたの」
「オレが何も考えずに謝ろうとしたら藤真が割って入ってな」

藤真はいつぞやが大変失礼なことを言った時のように何も考えていないような声色で「オレたちが気を引き締めても僻みはなくならないですよ」と言い出した。

花形自身も、もちろんも逮捕された例のニヤリ顔の男子が一体どういう理由で違法薬物に手を染めてしまったかということまではまだ知らないし、別段知りたいとも思わない。だが、花形は仲間たちとの話の中で、逮捕されたのは今年に入ってから有料コートの周辺に増えた「普通っぽい」感じのやつだったと説明していた。

それを目撃したことがあるのにオレには事情を聞きに来ないのか、と少し面白くなさそうだった藤真だが、彼の目に逮捕された男子は「薄気味悪い」と映った。そして、彼が花形とを巻き込んだのは「僻み」だと考えているようだ。

「そういうどうでもいいこと考えずに練習しましょうって。先輩たちあと数日で引退なのにさ」
「藤真くん偉い! 今度会ったらなんか奢ってやろう」
「でもオレには『リア充が所構わずイチャコラするからだ吹き飛べ』って言うけど」
「前言撤回、襟足刈り上げてコボちゃんにしてやる」

たまにしか会えなくても、それもこんな休憩所の片隅のベンチだったとしても、と花形はふたりで過ごしているのが幸せだった。遠く中学生の頃を思い出す。一緒にいる時間が長かったので、当時からとても気安い関係だった。放課後に遊んだりはしなかったけれど、ずっと距離は近かった。

……、なんか明るくなったな」
「まあ、そうだね。ちょっと自分でもどうにもならないこと、多いから」

花形と決裂し、受験を失敗してから2年、そろそろ怒り続けるのも疲れてきた。

……中学生の頃はまだ、未来は自分の手で作れると思ってたんだけど、それって何もかも思い通りに事が運ぶって意味じゃないでしょ。何もしてなくたってこんな気持ち悪い事件に巻き込まれるし、それってただの『運』でしかなくて、災害だってそう、将来のために何をすれば絶対セーフなんて、ないって」

何より欲したことは、手に入ると疑わなかったものは簡単にの手から逃げていった。しかし、その過程で避けるようになった花形はなぜか戻ってきた。それをありがたがる境地には至っていないだったが、2年生の2学期も終わろうというのに、未だ予備校に入れていない現実を前に、少し諦めの気持ちが出てきた。

今でも国立大学に進学して国家公務員になりたいという願望はある。しかし、思いつきで嫌がらせをしてやろうと思われるような自分が、果たしてそんな上澄みの中で働いていけるのだろうかという疑問も生じてきた。

努力を厭わない心と高い学力さえあれば、その他には何もいらないと思っていたのに。

目を細めて遠くを見つめるの肩を抱き寄せ、花形は声を潜める。傾き始めた夕暮れの空、背に突き刺さる有料コートの強い照明、少しだけ影の差す休憩所には、もう一組カップルがいるだけ。

のそういう物事を見極める目、オレはすごいと思うよ」
……そんな大袈裟なことじゃ、ないけど」
「褒めてるんだよ」

照れてそっぽを向こうとした顔を戻すと、花形は遠慮なくキスする。ももう焦って騒いだりはしなかった。自分からも首を伸ばして軽くキスして、そして花形の胸にもたれかかって目を閉じた。

「人生って、もっと光り輝くものだと、思ってたんだけどな」