美しきこの世界

10

翌文化祭2日目、この日はよく晴れてやけに暖かく、生徒たちはジャケットを脱いでニットベストやシャツ姿で過ごしていた。それはまだ脳天から燻る煙が出ている藤真監督も例外ではなく、やっぱりジャージではなく制服で来たが、シャツを腕まくりな上に襟元を大きく開いていて、に嫌そうな顔をされた。

だが、前日まさかの敗北を喫した翔陽は新たな布陣と戦略で乗り込んできており、冷静な顔を装っている監督は内心ごうごうと燃えており、それにつられた選手たちも朝から戦闘態勢。逆に前日の勝利に沸いたホストチームは「何としてでも翔陽に勝ってやる」という目標に結果が出てしまったので一気に気力がダウンしていた。

そんなわけで、交流試合2戦目は翔陽が勝利を収めた。

「勝って当たり前なんだからな。いつもそういうテンションに心を置いておかなきゃダメなんだよ」
「そんなニヤニヤ顔で言われてもね」

超混雑も2日目で慣れたたちも今日は混乱することなく観客を捌ききり、今は少しずつ退出をさせているところだ。だが、控室の外はずっと騒がしいままで、その上なぜか「アンコール!」という声が聞こえてきた。

「アンコール?」
「なんかその、もっと見たい的なことらしいんだけど」
「そんなこと言ったってなあ。藤真は極度の音痴で」
「花形お前メガネ叩き割るぞ。オレは小学生の頃合唱団でもエースで」
「エキシビションみたいなことが出来ればいいんだけど」
「聞けよ」

は困りきった顔をして控室に戻ってきた。2日間の試合を経て、最初はほぼ藤真目当てだったお嬢さんたちは色々目移りした結果、なんでもいいから両方もっと見たい! という結論に達し、しかしそれをどう言えばいいかわからなくなり、ついアンコールと叫んだというわけだ。

ホストチームの方にものクラスの女子たちが行ってるはずだが、規模を考えるともうひと試合する余力は残っていない。この「アンコール」に応えるのであれば、翔陽の協力が必要となるが、彼らもただ試合をしに来ただけだし、何かをやれと言ってもバスケットしか出来ないし、それ以前にそんな義理はないのである。

ただ本日翔陽は勝利を収めていてだいぶ機嫌がよく、今回の遠征チームもいい経験が出来たので達成感があり、この妙な状況を広い気持ちで受け止めることが出来ていた。なので、すっかり困り顔のと一緒にうーんと首を傾げてくれた。

するとそこへのクラスの女子が慌ただしく飛び込んできて、恥ずかしいのか耳打ちをしてきた。

「どうした」
「ええと、先生からの提案で、体育教師対藤真くんのエキシビションマッチはどうだろうって」
「せっ、先生対藤真?」
「何笑ってんだ花形」
「それも、体育教師3の藤真くん1」

じろりと睨む藤真お構いなしで花形はブハッと吹き出した。

「いいじゃないか、やってやれよ藤真」
……オレ、ジャージ持ってきてないけど」
「そのままでいいだろ。てか体育教師が何だよ。勝つ自信ないのか?」
…………何だと?」

花形の挑発に抗えなかった藤真監督は大歓声の中を再登場、ちょっと申し訳なさそうな体育教師3人を相手に3on1をやることになった。だが、仮にも強豪校のエースである。各中学のエース級がひしめく部内で1年生からスタメンを勝ち取った実績は伊達じゃない。

無論、先生たちの方もこのアンコールをなんとかしないことには収集がつかないと一計を案じたに過ぎないので、適度に道化けたプレイをしつつも、まるで藤真に歯が立たないのでしばらくすると音を上げて降参した。

おかげでエキシビションマッチも大盛り上がり、翔陽のイケメン監督、実はプレイの方がすごかった! とアピールする形になってしまったけれど、アンコールは無事にクリアすることが出来た。

そんなことをしていたら昼過ぎになってしまい、本来なら既に解散している翔陽チームは腹ペコ、しかし校内の模擬店は時間的にほとんど売り切ってしまって品薄、それ以前に試合後の高校生男子の腹を満たすほどの質量は販売していない。食堂も通常メニューは休み。

だが、試合が終われば本日は解散だという翔陽チームは体育館の周りに残っていた女子たちから後夜祭で遊んでいかないかと声をかけられた。開始は16時、終了は19時、20時までには完全下校のルールなので、遅くなると言うほどでもないし、お兄さんたち遊んでかない? というわけだ。

とうとう女子生徒が先生に許可を求めに行ったところ、翔陽側が問題ないなら、と返ってきてしまった。試合の後始末で忙しいにフォローしてもらえなかった翔陽チームは、食事を取ってきたら戻ってくることを約束してしまった。というか気が進まないのは藤真と長谷川だけで、あとはなんだか楽しそうだ。

「別に藤真くんだけ帰ればいいじゃん」
「オレだけっていうのがやだ」
「さびしんぼうか」
忙しいのか」
「うーん、それはまだなんとも……

そもそも昨年の後夜祭には出ていないので、話には聞くがどんなものかはわからないのである。は一応実行委員としての役割があるはずだが、それがどのくらい拘束されるものなのかはわからない。終了時刻まで残らねばならないけれど、それまでずっと何かやっているのかどうか、それもわからない。

出来ればにそばにいてもらいたかった花形は困った顔をしたけれど、しばらくは自分たちだけで耐えてもらわねば。だって女子が群がる翔陽チームのお目付け役みたいなことはできればやりたくない。

戻るまでには確認をとっておくと言うに見送られて、一部を除き楽しそうな翔陽チームは一旦食事のために駅まで出ることになった。有料コートの辺りは牛丼チェーンが2店舗、ファストフード、ラーメン屋、ボリューム系メニュー豊富な喫茶店がある。

全員でひとつの店に入れる人数ではないので、それぞれ食べたい店に分散することにして、終わり次第コートの前の休憩所集合ということになった。予算の関係で牛丼チェーンが人気のようだが、少し試合の話もしたかった花形と藤真と長谷川は喫茶店を選び、大きな体を丸めて小さな席に落ち着いた。

「てかこれなら監督戻ってこれなくても大丈夫そうだな、監督」
「おだてても何も出ないぞ」
「ただ……藤真がベンチにいる以上はコートの戦力が落ちるけどな」
「おいおい一志、藤真がいなくても予選のブロック突破くらいなら余裕でないと」

ガッツリ系洋食を頬張りつつ、3人はぼそぼそと喋る。昨日はうっかり7点差で負けてしまったけれど、今日は20点差で勝ったのである。翔陽が本気出せばこんなものだ、であり、藤真は監督としての役割を勝利という形で果たしたことになる。相手にはちゃんと大人の監督がいたのだし、彼の采配は的確だったことになる。

……もしオレが監督やるとしたら、コートの中ではお前が司令塔になるんだぞ」
「そのくらいこなせないようじゃどうにもならないだろ。そのために毎日死ぬほど練習してるんだし」
「藤真、オレたちお前の判断なら疑わないぞ」
……ふうん、そう」

頼もしい花形と長谷川の声にそう返しただけで、藤真はパクパクとカレーを食べ始めた。照れているらしい。

しかしこれがきっかけとなって、藤真は監督不在の翔陽をひとりで牽引していくことになる。やがてそれは選手兼監督兼主将兼ビジュアル担当という新体制後の名物部員となり、近隣の高校ではよく知られることになる。

さて、食事を終えた翔陽チームは休憩所に集合ののち、またの高校へ戻っていく。日曜の午後の有料コートはいつものように子供が多く、その保護者も一緒に楽しんでいる。だが、その場を去り際に花形は休憩所の片隅に目を留めておやと足を止めた。の高校の制服がいたのだ。顔も見覚えがある気がする。

文化祭はそこそこ盛り上がっているし、元々ヤンキーは少ないから荒れ模様でもないし、そもそも全体的に穏やかな校風だし、不登校ならともかく、なぜ制服姿でこんなところをウロウロしているのだろう。その上ひとりだ。文化祭をフケてウロつくにしても、ゲーセンとか他に遊ぶところはあるだろうに、なぜこの休憩所なんだ?

しかも制服姿で休憩所の一角に佇む彼は、つまらなそうな顔をしている点を除けば、実に「普通」な感じ。まあ藤真や花形やのような、部分的に突出した能力があるのは言ってみれば「普通じゃない」わけだが、彼は「普通」としか言いようのない形貌をしていた。

良いプレイヤーは勘がいい。足を止めた花形に気付いた藤真は、彼が目に留めたものをすぐに察した。

「一見穏やかな高校に見えるけど、薄気味悪いのがいるんだな」
「薄……ああ、そんな感じだな」
「ああいうのは苦手だ。考えてることが読めない」

もっとギラギラとしていて自己主張が顔に出るようなのばかり普段相手にしているので、逆に穏やかそうでも感情が乏しいようなのは掴みにくい、そんなのが対戦相手だとやりづらい、と藤真は言い、花形の腕をポンと叩くと、そのまま先を行ってしまった。

花形もまた、もう一度ちらりと休憩所の一角に目をやり、そして振り返ってその場を立ち去った。

後夜祭は最初の1時間がクラブタイム、次の1時間がゲームとステージタイム、そして再び1時間クラブタイムをやって終わりである。今年もそういうチャラけたイベントは苦手という生徒が既に下校しているので、3学年誰でも参加してよい割には人数は少なめ。

はそのうち、最初の1時間のケータリング担当であった。本日生徒会でレンタルしているポップコーンマシンとドリンクサーバーを移動させてきてフリードリンクフリーポップコーン。ただし色気より食い気を優先するような向きは後夜祭には残らないため、それほど忙しくないという。

なので、最初の1時間を働いて過ごしたあと、は既に取り囲まれている翔陽チームのところへ戻った。完全な作り笑顔を顔に貼り付けていた藤真の緊張が緩むが、何もはフォローしてやるために戻ってきたわけではない。来てくれと言うから来ただけだ。

が戻ったということはゲームタイムであり、ゲームに勝てばささやかながらも商品があるし、藤真を取り囲んでいた女子たちは一緒に遊ぼうよと彼の腕を引いた。藤真の縋るような目に気付いていたけれど、特に助けるつもりはない。長谷川の袖を掴んで離さない藤真は引きずられていった。

「だからひとりで帰ればよかったのに」
「どうにもあいつは変なところでカッコつける癖があるんだよな」
「長谷川くん大変だ。こういうの苦手そうなのに」
「自分が引っ張られてるわけじゃないから平気なんだろ」

遠目に藤真と長谷川を眺めていた花形はの背を押して体育館を出る。生徒がひっきりなしに出入りしているので、花形が少々身長的な意味で目立つことを除けば、ふたりは注目されずに体育館と校舎の間の通路に入る。やはりふたりのように室内を抜け出してきたカップルでいっぱいになっている。

カップルだらけなことに気付くとは居心地悪そうにそわそわしているが、花形は無視。というかカップルだらけと知ってて連れてきた。誰も彼も相手しか目に入っていないので、ふたりを気にしない。

……中、戻ろっか」
「なんで」
「だ、だってなんかみんな、ほら」
「イチャついてるから? オレたちもすればいいじゃん」
「わ、ちょ、やめ!」

体育館の壁に背を預け膝を曲げて身長を調節している花形にぐいと引き寄せられたは、腕を突っ張って上半身を仰け反らせている。そして慌ててキョロキョロと辺りを見回すが、もちろん誰も注視していない。

……さっき、なんで彼氏だって言ってくれなかったんだよ」

1時間のケータリングを終えたが花形たちのところへ戻ると、彼らを取り囲んでいた女子たちから怪訝そうな視線を一斉に浴びた。誰? 何割り込んできてんの? というわけだ。

だが一応花形たちは招かれて交流試合をした他校の生徒に過ぎないので、実行委員が付き添っておかしなことはない。そのことを説明するのに、は花形と中学が同じで、その縁で交流試合が実現したと切り出し、あくまでも実行委員だから責任上翔陽チームと一緒にいるのだと言った。花形はそれがちょっと面白くない。

にそれを求めるのは少々無理があるのでは、というところだが、花形は真っ先に「これ私の彼氏だから」と言ってほしかったのだ。だからこいつだけは諦めろという顔で、そう言ってほしかった。

「か、彼氏とかそういうことじゃ」
「えっ?」
「てか付き合ってもないのにこんなことしてる方がおかしいんだって」

花形は頭をガクリと落としてため息を付いた。さんほんと強情で困る。

、オレたち付き合ってないの?」
「だ、だって……
「まあこの際、普段手繋いで歩いてるとかキスしたとかは措いとこう」

それらを措かねばならない前提がまずおかしいけれど、花形は続ける。

「まだダメなのかよ」
「な、何が」
「翔陽でバスケやってるオレじゃ、ダメなのか」

は目一杯首を捻って近付いてくる花形の顔から逃げようとしている。

「その『翔陽のバスケ部員』がダメな具体的な理由は何か述べよ。余裕を持って30文字以内」
「そ、そんなの……
「ほら、出てこないだろうが。他のことなら瞬時に出てくるくせに、これは思いつかないだろうが」

片腕でもホールド出来そうなので、花形は片手を外しての顔をぐいっと戻す。

「当ててやろうか。中3の時にオレが同じ高校受験しなかったことをまだ根に持ってて、だけど自分の受験も思うように行かなくて、オレは翔陽でテスト意図的に順位下げてまでバスケやってる、それがまず面白くない。だけど、そういう『理屈』関係なく、オレのこと嫌いになれないんだろ。その間にいるのが気持ち悪くて駄々こねてる」

花形の親指が下唇をスッと撫でると、はびくりと体を震わせた。

……わかってるなら、わざわざ言わないでよ」
「わざわざ付き合いましょうねなんて言い交さなくてもわかると思ってたからな」
「わざわざ彼氏です彼女ですって名乗って回る必要もないでしょ」
「あるだろ、それも言わなきゃわからないのかよ」

ずるずると絆されて、突っ張っていた腕が緩んだはまだ目をそらしている。

がオレのものだってわかってもらわないと」
「モノって何? 人のこと――
「論点のすり替えだな」
……何が、したいの、こんな、誰が見てるかもわからないのに」
「誰も見てない。みんな好きな人のことだけ見てるの。がこっち向いてくれないだけ」

花形の挑発には乗りやすいである。意を決したようにぐいと顔を上げた。目と目が合う。

「何がしたいのって、そんなの決まってるだろ。高校とか部活とかそういうの関係なく、がオレ自身を見てくれるようになってほしいって、思ってるだけだよ。そんなの2年前からずっとそうだ。オレはの高校がどこでも将来の夢がなんでも、好きだけどな」

じわりと赤く染まるの瞳、固く引き結ばれた唇は逆に色を失う。

「また黙ったままで逃げるのか?」
「わた、私は……
「ちゃんと言ってよ。やっぱりやだ、関わりたくないって言うなら二度と連絡しないから」

花形はいきなり腕を解いてを押し返し、距離を取った。それに驚いたはつい、腕にすがってしまった。もう二度と会えなくなる、それは嫌だ。だが、嬉しそうににんまりと微笑んだ花形に気付くと、顔を真っ赤にして狼狽えた。やってもうた。だが、いい加減潮時だし、後の祭りだ。

の好きな人って誰?」
………………透」
の彼氏って、誰?」
…………透」
「それ、誰?」
……これ」

はのろのろと花形の胸に人差し指を突きつけ、直後に抱き締められて息を呑んだ。体育館の鉄骨の影に押し付けられて、そのまま唇を塞がれる。ただでさえ頭が一杯になっていたので息が上がっていて、苦しそうな吐息が漏れる。花形の大きな背中に隠されて、は喘いだ。

……そういう可愛い声出すのやめてくれる」
「しょっ、しょうがないでしょ……苦しかったんだから」
「そういうのはふたりっきりの時にしてください」
「だったらこんなところでこんなことしないで」
「じゃやめようか」

またぷいとそっぽを向くので花形は再度両手を離したが、は意を決したようにぎゅっと抱きついてきた。

……それもやだ」
「だったらそういうこと言うんじゃないの」

そうしてまた花形は顔を落としてキスをした。今度はゆっくりと、が苦しくないように。何度も。

とぴったりとくっつきながら、花形はふと空を見上げた。体育館と校舎の間に細く輝く月が見えた。子供の頃から何度も見て慣れ親しんだはずの月が、なぜだか異様に美しく見えた。