美しきこの世界

07

が翔陽で監督の応急処置に一役買ってから数日後、翔陽から校長が直々にの元を訪れ、監督が無事に一命をとりとめたこと、的確なAEDの使用と蘇生法がそれを手助けしたことを感謝し、地域の消防局から感謝状の話が出ていることを伝えてきた。

慌てて辞退しようとしただったが、どうにもこれは拒否できない様子。話はさらに大きくなる。

監督は入院を余儀なくされ、早々に運動部の監督などというハードワークは当面のところ不可能という診断が下りた。大きな大会を控えているのでその意味でも翔陽バスケット部はパニックだが、とりあえず文化祭の交流試合である。そのために挨拶がしたい、となぜか藤真がやってくることになってしまった。

「挨拶とか、いる?」
「こっち監督いないし、意識戻ったけど面会できる状態じゃないし、その件も含めてご挨拶」
「私に言ってくれれば伝えたのに」
さんは何かな、オレが嫌ですか」

真顔でそんなことを言う藤真にはわざとらしくため息を付いた。藤真の後ろには花形もくっついているし、現在位置は正門を入ったところだが、桁外れの美形が現れたので下校途中の女子がみんな引っかかっていく。特に2年生はそれと相対しているのが常に学年1位のだとわかるので、興味津々。

「まあそうね、嫌だね」
「まじか」
「こういう騒ぎになるからね。てか藤真くん自覚あるくせになんでこんなことするかな」
「楽しそうだから」
……透」
……すんません」

じろりと花形を睨み上げると、彼は青い顔をしてげんなりしている。止められなかったんだろう。

「だけど下見もしたかったんだよ。近いしさ。顧問の先生にはアポ取ってあるよ」
……だから私がこうして出迎えに来てるんでしょうが」
「すまん、急に」

颯爽と歩き出す藤真に並んでも校内を行く。花形はその後ろをついてくる。正門から職員室まではどれだけショートカットしても校舎内を通らなければならないし、そこそこ距離があるし、超美形と超長身のふたりを引き連れたは大変目立つ。

「それにしても校舎きれいだな」
「うちも私立のはずだけど、全然違うな」
「なあちゃん運動部の設備ってどんな感じ――
ちゃんて」
「えっ、ダメ?」
……ダメじゃないけど」

はどうにもこの藤真が苦手だ。嫌悪感ではなく、あまりにも未知の存在なので、どう対応したらいいかわからない。人懐っこいのは大変結構だが、こんな風に校内で目立ってしまうのは御免被りたい。

あれこれと見て回りたがる藤真を花形とふたりで宥めすかして職員室まで連れて行ったのだが、顧問の先生との話などほんの10分程度で終わってしまい、今度は先生と一緒に体育館に行くという。バスケット部が練習中だからだ。はまたうつむき気味で着いていく。

その一行の後ろから少し離れて女子の集団が追いかけてくる。は背中が痛い。

体育館に到着すると、藤真は愛想のいい笑顔で主将に挨拶をし、実は監督が倒れてしまったので自分が監督で来ますがよろしく、と付け加えた。それってわざわざ言いに来る必要あるかな……? とは思うが、余計な口を挟みたくない。

話が終わっても藤真は帰ろうとせず、体育館のドアにもたれかかって練習を見ていた。

……ねえ、挨拶する必要なんてあるの?」
「んー? そっちが言ったんだろ、五分五分で終われたらって」
「え?」
「うちはスタメンと試合経験ない部員の差が大きいから、どの程度かわからないと選べないんだよ」

わざとらしいまでのキラキラした笑顔から一転、藤真は真剣な表情で練習を見ている。勘がいいくせにそれを引っ掻き回すようなことをして楽しんでいる……と思っていたがその藤真の様子にたじろいでいると、花形が腕を引いてきた。は黙ってその場を離れる。

「例えば、極端な話、下手な部類に入る部員5人対藤真で試合をしても、藤真が勝つかもしれない」
……まさか」
「そのくらい実力に差があるってことだ。だから、こっちのレベルを確かめないと選べない」
……適当でいいのに」
たちはそう考えてるかもしれないけど、オレたちも彼らもそんなこと思ってないぞ」

真上から厳しい声が降ってきたので、は首をすくめた。ニヤリ顔の男子に毒されてしまったか、も交流試合のことは見世物だと思うようになっていた。

「まあでも、うちにしてもそっちにしても、練習試合じゃなくて交流試合なんだし、レベルは互角の方がいいだろ。八百長試合するわけでなし、結果がどっちに終わっても後悔はないと思うよ。オレたちはオレたちで試合経験のない仲間に真剣勝負に挑んでほしいと思ってるしな」

言いながら藤真の背中をちらりと見た花形は、柔らかく微笑んだ。の胸が軋む。

先天性の高性能タイプだから、というわけではあるまいが、花形は中学生の頃からこんな風にゆったり構えていて、言動が人格者めいていた。ただ特殊な環境の学校だったために、それは特にプラス要素とはされなかった。頭いいくせにバスケットばかりやってるバカなやつ、とさえ思われていた。

しかしそれをすぐ真横で見ていたは、心が惹かれていくのを止められなかった。

あのまま上を目指していたら東大だって夢じゃなかったかもしれなかったのに、それを全部放棄してバスケットを選んだ、そういう愚かなことをしたはずなのに、そういうことを本気でしてしまえる人なのに、どうしてまだ好きなんだろう。なんで私、この人に飽きないんだろう。

だが、この藤真の「視察」のおかげでのクラスの一部で不穏な動きがあった。例の交流試合を提案したニヤリ顔くんとその周辺の男子数名だ。何も彼らは本気で翔陽選抜メンバーとの交流試合を望んで提案したわけではなかった。困っているを見たかっただけだからだ。

それなのにはさくさくと企画を取りまとめ、単独で翔陽に乗り込んで話をつけ、しかもその場で急病に倒れた監督の人命救助に尽力し、なおかつあんな美形がいるなんて聞いてないぞレベルのエースを連れてきた。それら全てがなんだか面白くない。、全然困ってない。

超高偏差値の中学からすべり止めでやって来て周囲を見下し、そのせいで担任から文化祭実行委員を押し付けられてるガリ勉女。勉強しか脳がないくせにあれもダメこれもダメと上からダメ出しばかりで偉そうなうぜえ女。だから無理難題を押し付けてやったのに、なんでトントン拍子に話が進んでるんだよ。

彼らはヤンキーというほどではなく、しかし真面目におベンキョーというわけでもなく、とにかく自分の世界が面白くなくて気に入らなくて、はっきりした原因なんかないのにフラストレーションばかりが溜まっていって、SNSに張り付いて煽りと文句を垂れ流しているようなタイプだ。

そういう彼らにとって、藤真も花形も同様に「うぜえ」種類の人間だった。

特に藤真は鼻につく。花形と並ぶと小さく見えてしまうが、十分に背が高く、顔もよく、IH出場クラスの強豪校で2年生なのに既にエース、そしてそれが監督倒れたから監督代行します、ときたもんだ。どんだけチートなんだよ。女子たちがキャーキャー言ってるのもムカつく。ただでさえ面白くない文化祭がもっと面白くなくなる。

しかし手間のかからないアイデアを提供してしまったのは自分たちだ。鼻持ちならないガリ勉女の鼻っ柱をへし折ってやりたくても、折るところがない。クラスで準備するのは試合の時の観客席と、翔陽チームの控室やシャワー室の準備くらい。全て女子に丸投げしてしまってもまったく負担にならない。

というかE組の女子たちは藤真を見て色めき立った。もしかしてホストする側として喋ったり出来る?

クソ面白くねえ!

しかし女子にネチネチと嫌がらせを試みるくらいが関の山の手合である。ルックスのいい男が現れたからと言って急にへそを曲げたと思われたくないプライドだけはしっかりある。面白くない面白くない、ストレスはなくならない、どころか自分で増幅させて蠱毒のように煮詰めていく。

それを表に出したくない彼らは、教室の片隅で携帯を覗き込みながら着実に燻り始めていた。

一方、案内役だけだったはずのは、視察を終えた藤真に強引に連れ出されてなぜかファストフード店に連行されていた。隣に花形向かいに藤真、何が起こっているのかよくわからない。

「今年は2回戦で敗退、ええと、これは相手が悪かったな。今年ベスト8じゃないか」
「だけど毎回1回戦敗退というわけでもない……Bクラスでいいんじゃないのか」
「だけど全員Bで固めたらAは面白くないんじゃないのかな」

肩をすくめてスープを啜るを他所に、花形と藤真はそんなことを話し合っている。

から見てバスケ部ってどんな感じだ?」
「どんな感じってどういう意味」
「意欲があるとかないとか、試合に勝つより楽しくやりたいタイプ、とか」

とうとう呼び捨ての藤真の質問に花形がフォローを入れてくれるが、はバスケット部のことなどこれっぽっちもわからない。それを正直に言うと、ふたりとも頷きながらサンドイッチにかじりつく。花形はフラットブレッドのローストチキンピクルス多め、藤真はハニーオーツのチキンベーコンエッグにチーズトッピング。

これからまた翔陽に戻って練習だというのにサンドイッチをオーダーしているふたりを横目で見つつ、はスープだけしか買わなかった。すると花形がクッキーとハーブティーを奢ってくれて、それが何ともむず痒い。

「うちってものすごく部員が多くて、実力差も激しくて、だもんでクラス分けがあるんだ」
「学年関係なく基本スタメンや試合によく出るS、次点のA、初心者も込みのB」
「階級制度」
「嫌な言い方するなよ。部員数多い割にうちはみんな仲いいし、退部も少ない方なんだぞ」

口いっぱいにサンドイッチを頬張りながら言っても締まらないが、藤真にビシっと返されたはまた首をすくめた。別に悪い意味で言ったんじゃないのに。それがどんなところであれ人は能力で計られてランク付けをされて並ばされるものなのに。

「ふたりは何なの」
「藤真はもちろんS、オレはまだAだけど3年生が引退したらS」
「うちと対戦するのにはBがちょうどいいの?」
「もちろん高校入ってから始めた1年生なんか出さないけど、Aだとキツいと思うんだよな……
「AB混合でもいいんじゃないのか? そこは監督いないんだし、お前の独断でも文句言わないって」

Aではキツい、つまり花形だ。そうか、透はうちの高校なんか相手にならない選手になったのか。は温かいハーブティーを口に含みながら、ちらりと花形の横顔を見上げた。中学時代、バスケットばかりやっているくせに、成績は「S」だった。は性能的には「A」だ。それを頑張ってSに押し上げていた。

勉強でもSだったのに、この人はバスケットでもSになってしまうのか。私はBに落ちそうなのに。

赤いハーブティーの酸味がの胸をチクリとざわめかせる。中学時代から既に大きかったけれど、サンドイッチを掴む花形の手があまりにも大きくて、少しだけくらりと目眩を起こしたような感覚に陥る。こんなに大きな手、繋げるんだろうか、繋がることなんかあるんだろうか、繋ぎたいと思ってくれるだろうか。

「基本はこの辺と思ってるけど、えーと、この件は一度持ち帰らせていただきます」
「なんだよ煮え切らないな」
「安心しろ、お前は入らないし当日も連れて行かない」
「えっ!?」

派遣メンバーを決めきれないらしい藤真は花形に突っ込まれたのが面白くないようで、冷たい目でそう言い、それにはの方が驚いて声を上げてしまった。マズい。今の反応するところじゃなかった。透が来なくたって何も問題ないのに!

……花形に来てほしい?」
「いやそういうわけじゃ」

ニヤニヤと楽しそうな藤真に熱いスープを引っ掛けてやりたいが我慢だ。というか気まずい話であるはずだが隣の花形は鼻で笑っている。お前は照れるとか庇うとか藤真をたしなめるとかしろよ!

「今のは冗談だよ。オレは元から監督の指示でマネージャーやることになってる」
「マネージャー?」
「藤真が監督、これは試合の面倒を見る人。オレはその他のこと面倒を見る人って感じ」
「ついでに得点係だしっかり働け」
…………ちょっと待て審判どうするんだ」
「体育の先生かなんかに……
、手配したか?」
「えっ、してない」

というかそんなのうちの体育の先生に務まるんだろうかとは思うが、黙っておく。

……審判、一志でいいんじゃねえか?」
……いいかもなそれ」
「翔陽の人がやるの?」
「あ、大丈夫、翔陽に異様に厳しいジャッジになるだけだから」
「それもどうなの……

翔陽に戻って練習しなければならないはずのふたりはあれこれと喋ってばかりで帰ろうとしない。オーダーしたものはあらかた食い尽くしてしまったし、は改めて今の状況に首を傾げる思いだ。だが、しばらくしてようやくふたりが腰を上げると、は今度は本当に首を傾げた。花形が一緒に帰ろうと言う。

「戻るんじゃないの?」
「今から戻ってもウォームアップしたらタイムアップだからな」
「一度帰ってからさっき通った有料のコート行った方が早い」

なので翔陽お留守番組も来いよ、と藤真が連絡を入れている。の首は傾いたままだったが、ふたりに押し出されてそのままファストフード店を出た。明るい店内にいる間に日が暮れ、駅前の通りはすっかり薄暗くなっていた。そんな町並みの中で花形と並んで歩いているのは何だか変な感じだ。

本人は隠そうとしていたのかもれないが、隠しきれないニヤニヤ顔の藤真が用があると言って離れていったので、と花形はふたりで駅に向かった。オレは少し後から帰るからおふたりさん一緒に帰んなさい、とでも考えているんだろう。実際有料コート近辺は女の子の独り歩きには向かない雰囲気だ。

「文化祭、問題なくまとまりそうでよかったな」
「なんとかね……無事に終わってくれれば私も解放される」
「ああそうか、文化祭終わったらそれまでだもんな」

ホームに滑り込んでくる電車が巻き起こす風に髪を煽られたは、ついしかめっ面で花形を見上げた。

……何その顔」
「この間から何なの」
「何なのって、何が」
「だからその、そういう風に、私のこと好きみたいな、言い方」
「そりゃまあ、好きだからな」
「何それ……

げんなりしたの手を引いて花形は電車に乗り込む。ぎゅうぎゅう詰めというほどではないけれど、充分に人は多いし、やむなくぺたりとくっついたの背に花形の手が触れる。

「そういうの、やめてよ」
「ダメ?」
「この間一緒に帰ってたところ見られて、それで交流試合取り付けて来いって話になっちゃったんだよ」
「オレは運がよかったな」

身長差のせいで花形は顔が遠いし、そうするとひそひそ声では話ができない。混んだ車内で花形に聞こえるように喋ったら周囲に丸聞こえだ。諦めたは黙り、花形の手で少し引き寄せられたけれど、顔を背けて窓の外を見ていた。窓に映る花形の横顔すらも、正視できなかった。

の最寄り駅に着くと、一旦自宅へ帰るはずの花形も降りてきて家まで送るという。

「いいってそんなの」
「遠慮しない」
「遠慮じゃなくて辞退してんの」
さんは何かな、オレが嫌ですか」

先程の藤真と同じ言い方をした花形はにんまりと笑う。はウッと言葉に詰まり、耳の後ろの髪を掻きむしった。嫌なわけないじゃん、それわかっててそういうこと言うの卑怯だ。

「そういう、ことじゃ」
「じゃ送ってっていいですか」
……待ち合わせに遅れても知らないよ」
「大丈夫大丈夫、時間決まってないから」

満足そうな表情の花形は断りもなくの手を取りしっかり繋ぐと、ゆっくりと歩き出した。

はその繋がれた手を見下ろして、軋む胸にそっと手を当てた。手の大きさが違いすぎて、お父さんと子供みたい。これって、透が手を繋ぎたいって思ったんだよね? 繋ぐ必要なんかないけど、手を繋いで歩きたいって思ったから、繋いでるんだよね?

私、今、透と手を繋いで歩いてるんだ。

好きな人と、手を繋いで歩いてるんだ。