美しきこの世界

09

荷物を取りに行った女子たちが戻るまでに3度キスしたけれど、はもう抵抗はしなかったし、送って帰るという花形の申し出にも文句ひとつ言わず、付き合いましょうそうしましょう、などという取り決めは交わさなかったけれど、自宅前で抱き寄せた時はぎゅっと抱きついてきた。

これって付き合ってるってことでいいよな?

そう仲間たちに聞いてしまったのは、花形も浮かれていたんだろう。長谷川は「いいと思うよ、よかったな」と言ってくれたし、高野と永野は少しからかってきたけれど、一緒になって笑ってくれた。その中でひとり真顔は藤真だ。遅々として進まなかったくせに何いきなりチューから入ってんだよ。

とはいえいくら藤真がへそ曲げようがゴネようが花形との気持ちが通じ合っていればそれでいいのである。花形は部活が終わると隣の駅の有料コートへ直行し、中には入らずに外のベンチでを待って一緒に帰るという数日を過ごしていた。

有料コートはの高校から駅までのルート上にあるので待つのに便利なのである。有料のバスケットコート自体はそれほど大きな施設ではないけれど、コートの利用者が空きを待ったり出来るように休憩コーナーは割と大きく作られている。なのでコート利用者以外も使うことがある。

長居しても怒られない座れる場所があれば溜まりたくなるのが高校生である。例のニヤリ顔の男子たちなんかもたまに喋ったりしている場所だから、と嫌がっていただったが、やがて慣れてしまったかどうでもよくなってしまったか、同じ制服がいても気にしなくなっていった。

その数日の間、藤真が日に数度「滅びろ」とか「爆ぜろ」とか言いだすことを除けば、何の問題もなかった。むしろ楽しかった。はあれ以来角が取れてしまい、ふたりきりの時は意地を張らずに喋れるようにもなってきたし、文化祭の準備も順調だし、文句ばかりの藤真もチーム編成がうまくいっているらしい。

そういうわけで、たちはひとつのトラブルも起こさずに文化祭当日を迎えることが出来たし、翔陽遠征チームも意気揚々、何故か前日に髪を切りに行ってきたという藤真監督と花形マネージャーとともに試合に臨むことになった。

「藤真くんはモテたいのモテたくないの」
「遠くからキャーキャー言われるのはいいんだけど、直接来られると引くタイプ」
「うわ、めんどくさ……
「そういう話は本人がいないところでやれ」

翔陽の選手たちのために用意された控室で、案内を終えたは、花形も含め全員ジャージで来ているというのにひとりだけ制服で、しかもジャケットの下にクリーム色のベストを着込んできている藤真にものすごく嫌そうな顔をした。そしてと花形の会話がお気に召さない模様。

「別にキャーキャーはどうでもいいんだよ。形から入るのも大事な要素なんだぞ」
「だけど直接来られると引くタイプなのは事実なのでその辺の管理はよろしく」
「それはもちろん。ただちょっとうちのクラスの子たちくらいは挨拶させて」
……集中したいから2日目終わったらな」

ふん、と嫌味な声色を装っていたけれど、どうやら藤真は緊張しているらしかった。クリップボードを手に黙ってしまった監督と遠征チームを置いてふたりは控室を出る。まだ試合までは時間があるので体育館はのクラスの女子くらいしかいない。案の定ほとんどの男子が離脱していった。

しかし無理なく無駄なくのプランで仕上げられた体育館の装飾はきちんと終わっていて、出来も悪くない。観客席も毎日女子が飛び乗って跳ね回ったけれどびくともしなかった。あとは試合開始を待つばかり。

……監督、辞任したんだ」
「まあ、そうだよね。心臓が悪かったの?」
「いや、あんまり詳しいことは。先輩が見舞いに行こうとしたんだけど、断られたらしくて」
「そっか……
「だから、ちょっと3年生と2年生の間がピリピリしてて」

は納得の様子で頷く。藤真のあの緊張はこの文化祭だけのことではなかったのか。

「今年のIH、藤真、怪我したんだ」
「えっ?」
「こめかみを切って大量出血したし、正直、チームの中心はあいつだったし、そこでうちは敗退」

つまり今年の3年生はIHを後輩の怪我で終え、最後の大会も監督不在という悲惨な状態で迎えねばならないということだ。まだ翌年がある2年生とギスギスしてしまうのもやむなしか。

「藤真は、自分が翔陽を引っ張っていかなきゃいけないと考えてると思うんだ」
「話を聞いてると、先輩より透たちのことを第一に考えてるよね」
「そうなんだよ。たぶん、今年の冬は覚悟してる部分もあると思う」

どんな試合であれ負けるつもりはないと藤真は言うが、花形には別の思惑も見えているのだろう。

「だから今日、たぶん1番気合入ってるのあいつなんじゃないかな」
「うん……そんな感じはする」
「こういう機会があってよかったよ。……まあその、オレも、別の意味で、だけど」

誰もいないので花形はの手のひらを指ですくい上げてふらふらと揺らした。

……透は、高校出たらどうするつもりなの」
「うーん、もしスカウトが来たらそれを受けるかも」
「スカウト!?」
「大学のチーム」
「あっ、ああ、そういうことか、そうか……

とことん運動部事情に疎いはスカウトと聞いて別のことを想像したらしい。

「それもまだわからないけど、でも大学行くのは間違いないと思うよ」
「そう、だよね、うん」
「大丈夫、高校でも大学でも変わらない。今と同じだよ」

背を屈めて花形が囁くので、は思わず身を引いた。まだちょっと恥ずかしい。

「今日はオレたちも試合終わったら解散なんだ。一度帰るから、いつものところで待ってる」
「わ、わかった……

照れくさいらしく、少し横を向いていただったが、素直に頷いた。

体育館に観客が入れるようになるのは試合開始30分前、ということになっていた。それまでは両校のチームが体を温めたりミーティングを行ったり、たちが不備がないかを点検していたりと、試合の準備を整えていた。だが、試合の1時間前には体育館の外に行列が発生、なんだか騒がしくなってきた。

まあ充分予想できたことではあるのだが、要するに藤真見たさの女子の群れである。近くで藤真を見ていて浮かれ気味だったのクラスの女子たちも勢い緊張が増し、両校のベンチサイドに仕切りを置いたり、控室からベンチまでの通路を確保したりと急に忙しくなった。

さらに、ここ2日ばかりサボり通しだったのクラスの男子たちがふらりと現れ、何もしないのに体育館の壁に寄りかかってニヤニヤと雑談をし始めた。行列は増える一方だし、と花形とこちらの高校のバスケット部の顧問の3人は時間ギリギリまで駆けずり回っていたが、どことなく不穏な空気が漂い始めていた。

試合開始30分前になり行列を体育館に入場させると、案の定猛ダッシュと転倒と最前列の奪い合いとで体育館は阿鼻叫喚に包まれた。この時両校の選手はどちらも体育館を出ていたのでその惨状に巻き込まれることはなかったけれど、のクラスの女子は対応に追われ、泣き出す子が出る始末。

「藤真くんがブサイクだったらこんなことには……
「てことはオレ、かっこいいってこと?」
「そんな緊張した顔で言われてもね……

控室に顔を出したが愚痴るので思わず軽口を叩いた藤真だったが、目が泳いでいる。

「一応テープで仕切りを取ってあるけど、試合中はベンチから出ないようにね」
「出ません出ません」
「あと、審判の人って――
「ああそうだ、一志、ちょっと」

この日、厳格さを買われて審判に抜擢された長谷川はこちらもだいぶ身長が高く、藤真いわく身長も同程度で揃えたという両校のチームと並ぶとポツンと頭が飛び出る。翔陽のジャージにホイッスルをぶら下げた長谷川は花形に呼ばれるとすぐにやってきて、軽く頭を下げた。

「うちの顧問が打ち合わせをしたいというので、先に来てもらえますか」
「了解」
「透、誘導係が来るまで誰も外に出ないようにお願い」
「了解」
「じゃあ、よろしくお願いします!」

もうそろそろ時間だ。試合が始まってしまえば、に出来ることはない。今日の試合が無事に終われば、明日も同じように繰り返し、そしてまた試合が終わればのこのはた迷惑な面倒くさい文化祭実行委員の役目も終わる。トラブルなく失敗なく問題なく、ミッションコンプリートである。

その中でなぜか花形との距離が縮まってしまったけれど、それについてはまだ言うほど実感もなく、文化祭が終わってからグダグダ考えても遅くはない。

両校の選手たちがベンチ入りし、スタメンがコートに入り、ホイッスルが鳴り響く……くらいまではまだよかった。ちょっと飾り付けがたくさんあるだけの、拍手と控えめな歓声がざわついている練習試合。だが、あれよあれよといううちに試合展開は白熱、勢いニットベストに腕まくりというスタイルの藤真監督にも火がついた。

2軍が来たとは言え翔陽はここ数年IH連続出場の強豪校である。毎日その練習に耐えている翔陽チームと、こんなチャンスを逃してなるものか、2軍でもいい強豪校に勝ちたいというホストチームはお互い一歩も譲らない。

そんなものを至近距離で見せられれば、行列していたせいで期待値が振り切れている女子たちの限界が突破するのに時間はかからなかった。やがてヒートアップした試合の横でヒートアップした女子たちが悲鳴混じりの歓声を上げ始める。大盛り上がりだ。

その歓声に誘われて体育館には続々と人が集まり始め、たちはまた対応に追われた。急遽担任に頼み込んで黄色と黒の標識ロープを用意してもらい、ベンチの方へ観客が近付けないように手配し、ゴールポストの裏にひしめく観客の前方を座らせるなどしてなんとか試合を観戦出るように奔走した。

想定外の人気っぷりにたちは大慌てだったが、大盛況のうちに試合は終了、観客を先に外へ出すまで選手たちはベンチを出られないような状況だったが、それでも予定していた時間内にきちんと終わらせることが出来た。からの、翔陽遠征チーム控室である。

「なんで負けてんだよ!!!」

切ったばかりでサラッサラにブローしてもらった状態の髪を藤真はぐしゃぐしゃにかき回して喚いた。

「まあ、普通に互角だったよな」
「言うほど弱くないよな。基礎もしっかりやってる感じ。いい監督っぽいな」
「おい花形、一志、それは暗にオレのせいだと言いたいのか」
「そうは言ってないけど対応が後手に回った感は否めない」
「初試合にしてはよくやったんじゃないか監督」

お互い基礎をしっかり積んでいる点では同じだったし、得点力に乏しいのも同じだったけれど、何しろ向こうは「翔陽に勝って新たなステージへ」という点で翔陽より鼻息が荒かった。結果、46対39で翔陽は敗北、藤真監督の初戦は黒星に終わってしまった。畳み掛けられた監督はまた唸る。

「まあ、にはああ言っても両日とも勝つつもりでいたんだろ」
「当たり前だろ!!! 明日勝つから今日は負けてもいいや、なんて思うわけないじゃないか!」
「藤真監督、見栄っ張りだな」
「なんとでも言えよ!」

そのがいないので監督は大荒れだ。交流試合なんですから正々堂々といい試合にしましょうなど、完全なる嘘だった。両日ともコテンパンにしてやって翔陽の底力を見せつけてやるつもりだったのに。だが負けてしまったものは仕方がない。この日体育館の周囲には女子がずっとウロウロしていたが、翔陽ご一行様は支度が済むと早足で帰っていった。明日のために一旦帰って問題点を改めなければならない。

なのでを待って一緒に帰ろうと思っていた花形は完全に時間をオーバー、しかし学校を出たところで連絡を入れると、明日に備えて観客席を強化していたからまだ学校を出ていないという。それを聞いた花形はまた隣の駅まで戻り、を迎えに行った。

「別に来なくてもいいのに。駅で待っててくれれば」
「コートの辺り、こんな時間に1人で歩かせたくなかったから」
「あー……最近なんか増えたよね、変なの。わかりやすいヤンキーてわけでもないし、気持ち悪いね」

すっかり暗くなってしまったし、ふたりは手を繋いで歩いていた。ちょうど通り道にあたる有料コートの付近は人通りもあるし、別段真っ暗と言うほどでもないし、周囲にいかがわしい店舗がひしめいているわけでもないが、最近どうにもうろついている人種がよろしくない。

特に事件トラブルなどは聞こえてこないが、の言うように、あからさまに危険と判断できるような風体の若者が闊歩しているわけではないので、ただなんとなく「変な感じの人がウロウロしてる」通りになってきている。

「文化祭が終わればそんなことないだろうけど、遅くなった時は気をつけろよ」
「うん、ひとりで遅くなったらバスで駅まで出るようにする。停留所4つだけど」

有料なだけに、コートの中はバスケットを楽しむために来ている人ばかりだ。だが、その周辺にはいかにも「無害そうな男性」がなぜか数人のグループでたむろしていることも多いし、の高校の制服も多いし、何やら顔を突き合わせて喋っていたり携帯を覗き込んでいるばかりで、気味が悪い。

無害そうな人物が友達と過ごしていて何が悪いというところだけれど、何が問題かと言えば、それがなぜか「今年に入ってから急に増加した」からだ。以前はただの駅から伸びる商業地域の通りで、コインパーキングや店舗や小さな会社が並ぶだけで、無害そうな男性のたまり場ではなかった。

有料コートの外にある休憩所ももちろんずっと前からあるものだし、そこにわかりやすいファッションの男性がたむろしている光景の方が普通だった。しかしなぜか今年に入ってからコートも利用しない上に、バスケットにも興味がなさそうな男性がウロウロするようになった。

それでも明るいうちはほとんど見かけず、薄暗くなって始めてどこからともなく現れてコート周辺をウロウロしては、コートが閉まる0時頃になるといつの間にかいなくなっている。

「だけど明日は確実に遅くなるな」
「後夜祭?」
「そう。まあ、地味な子なんかは帰っちゃうけど、私はちょっと立場上帰れなくて」

無駄にたくさんある体育館のひとつが開放され、クラブまがいの後夜祭をやるらしい。現在はクラブと称されているが歴史は以外に古く、かつてはディスコだったそうだ。単に音楽をかけて暗くして踊っているだけだそうだが、その管理を生徒会と実行委員が総出でやらねばならない。

「生徒会と委員の男子が警備、女子がドリンクとか音響とか」
「トラブルとか起こったことないのか」
「うーん、聞いてないけど、去年は何もなかったと思う。うちって小物っぽい人多いから」

いわゆるヤンキーのような人種がとても少ない。いるにはいるが、徒党を組んで校内を闊歩するほどではなく、そういう意味では「普通っぽい」生徒が圧倒的に多い。昨年のはもちろんさっさと帰宅したが、後夜祭でトラブルがあったなどという噂は出てこなかった。出てくるのはカップル成立の話ばかり。

「そしたら明日も迎えに来るよ」
「いいよそんな……試合してるんだし」
「オレは出てないじゃん。藤真も一志も疲れてるけどオレはほとんど動いてない」
「そうだけど」

いくら隣の駅だと言っても、最寄り駅からの高校までは歩いて15分くらいはかかる。それを日に2度も往復するのでは面倒だろうと思ったのだが、花形は背を屈めて出来るだけ顔を近付けると、誰も聞いていないというのに、わざとらしく低い声で囁いた。

「オレがと一緒に帰りたいの」

繋いだ手がギクリと強張り、そしてはぷいとそっぽを向いた。