美しきこの世界

02

「えっ、バカなの?」

教頭が自慢気に話していた「ものすごく上手い選手」だという藤真健司の第一声がこれである。次いで、

「東大とか目指すやつが行くところだろ?」
「そこに落ちたって話ならよく聞くけど……
「それが何でこんなところにいるんだ」

順番に永野満、長谷川一志、高野昭一。全員バスケット部員。春になり、念願叶って翔陽に入学した花形は早速バスケット部に入部し、毎年30人を切ったことがないという新入部員の中で自己紹介がてらお喋りをしていた。藤真以外の3人は花形同様やたらと背が高いのでつい固まってしまい、そこにひとり小さめな藤真が入ってきたというわけだ。

「何でって、バスケ目当て」
「よし、お前バカだな?」
「藤真、学力で勝てない相手にそんなこと言っても虚しいだけじゃね?」

自己紹介と言っても女の子同士がお友達になりましょ! なんていう状況ではないので、出身地や出身中学、中学時代のポジションくらいしか最初は言うことがない。しかし出身中学が少々珍しい花形は早速それをネタにイジられ始めた。

「親に反対とかされなかったのか? よく許してもらえたな」
「親は元々どっちでもいいタイプだからなあ。反対したのは学校の方だけ」

しかも特待生である。そんなことペラペラと喋りはしないけれど、学費全額免除に花形の両親は大歓喜、大学もそういう感じで頑張れと浮かれていた。さすがにそれは無理じゃないかという一言を飲み込んだ花形はしかし、自分でもバカだなとは思っている。

「てかそういうとこからいい高校行っていい大学行くと、普通はどうするんだ。弁護士とか?」
「法学部は多いだろうな。あとは公務員とか」
「公務員て!」

楽しそうに突っ込んでいる藤真は恐らく地方公務員を想像しているし、それもきっと役所の職員くらいしか思いついていないようだし、それが社会的にどういう職業なのかもわかっていないだろう。

「お前も公務員目指してたのか」
「そう。国家公務員になろうと思ってた」
「それってキャリアとかノンキャリアとかいう……?」
「それそれ。外務省とか法務省とか入りたかった」
「公務員てそういうことかよ!」

ピンと来た長谷川に花形が答えてやると、案の定藤真は目を剥いて声が裏返った。

……なんかみんなバカだな」
「花形くん、オレたちバカだから色々頼むな!」
「クラスも違うのに何言ってんだ」

長谷川の言葉を受けて嬉しそうに花形の肩を叩く藤真は反論されると口を尖らせてぶうたれた。

どれだけ身長があろうが期待の新人であろうが、まだ入部したばかりの1年生である彼らはその日基礎練習だけをこなすよう指示をされ、それが終わると特にミーティングもなく終わりだと言われてしまった。活発な内容の部活が初めての花形はそれでも少し興奮していたけれど、大人しく着替えて学校を出た。

楽しくお喋りしてしまったせいか、さきほどの5人はまた揃って駅までの道のりを歩く。

「練習キツいかと思ってたけど、そうでもなかったな」
「まだ入ったばかりだからじゃないのか。あれだけ部員がいるんだし、そんなにすぐコートには入れないだろ」

時間は18時半。想像していたよりも相当早く終わってしまった。花形と違って中学の頃からみっちり練習してきているらしい藤真たちはまだ元気が余っているようだ。その藤真と高野がぴょんぴょん跳ねながら歩いている。

「授業も始まったばっかりで予習復習て段階じゃないしな」
「藤真、そんなことしないんじゃないのか」
「よくわかったな。バスケット以外のことは最低限でいいんだよな、オレ」

本当に元気が有り余っているらしい。藤真と高野だけでなく、永野もウロチョロし出した。黙々とまっすぐ歩いているのは花形と長谷川だけ。すると先頭にいた高野がくるりと振り返って後ろ歩きになり、くいっと親指で駅の方を指した。

「まあ腹も減ってるんだけどさ、ちょっと遊んで帰るか? 隣の駅、遊ぶところ多そうだし」

私立だった花形は今更だが、彼らは全員公立出身なので電車通学自体が初めて。そのせいもあって寄り道をしたいらしい。それを聞いた藤真と永野の目がきらりと光る。ふと思い立って隣を見てみた花形だったが、案の定長谷川はちょっと困った顔をしている。なんとなく彼らの性格が見えてきた。

「オレ、そんなに遅くなれないよ」
「おお、一志んとこは親厳しいのか?」
「そういうわけでもないけど……

先輩に同じ名字がいたので、長谷川だけ名前で呼ばれることになった。慎重な性格らしい長谷川は遅くなることがどうというより、こんな部活初日から寄り道して遊んで帰るのはどうなんだ、という顔をしていた。それを読み取った花形が一歩進み出て提案する。

「隣の駅って言っても何があるのかよくわかってないし、今日はちょっと歩いてみて、そのあとファストフードかなんか寄るだけにしないか? それなら一志も大丈夫だろ。そんなに時間かからないぞ」

全員納得の妥協案である。入部初日、花形は早々に「取りまとめポジション」になりそうな感じだ。

まだまだお互いのことなど何も知らない5人だが、これから3年間共に戦ってゆく仲間である。四六時中ベッタリのお友達ではないけれど、こうして距離を縮めておくのも大事なことかもしれないな、と思いつつ、花形は何が食いたいだの何が飲みたいだのと騒ぐ藤真と高野を追いかけて歩いていた。

その高野がいきなり振り向き、全員を見回すとひょいと首を傾げた。

「てかさ、みんな彼女とかいる?」

翔陽の最寄り駅から1駅で下車した花形たち5人は初めて降り立つ街を携帯片手にうろつき、最終的に駅前のファストフード店に落ち着いた。長谷川が本当に30分程度しかいられないと言うので後は自由解散としたが、全員それほど遠くないというし、店内は既に中高生だらけだった。

体が大きいので目立つ上に、椅子もテーブルも狭くて座りづらいが、5人は騒がしい店内の片隅にやっと落ち着いた。腹が減っているのでまずはポテトLサイズを全員で買い、5個分を全てトレイにブチ撒ければ、即席山盛りポテトの完成。藤真と永野が歓声を上げている。

ヘナヘナの柔らかいポテトは藤真と長谷川と永野に。カリカリの硬いポテトは花形と高野に。

「で? さっき中途半端になっちゃったけど、誰も彼女いないの?」

改めて全員の顔を見た高野だが、みんなキョロキョロするばかりで彼女います宣言は出ない。

「藤真なんかいそうなのにな」
「よく言われるけど別に……
「彼女作って遊びたい奴なんか入ってこないだろ」

渋い顔をしている藤真の横で長谷川がもっともなツッコミを入れているが、高野は納得しない。

「まあそりゃそうなんだけど、つまんなくね? 誰か紹介できる子いないの」
「紹介って、わざわざ他のところから引っ張ってこなくても、翔陽の子でいいだろ」
「なんだよ花形、頭いいくせに察しが悪いな〜。校内の女と付き合うのはリスクが多いだろ」

花形と一緒に長谷川も首を傾げているが、それを見て藤真と永野が笑いを堪えている。

「どういう意味?」
「学校同じだと揉めたり別れたりしたら後が面倒じゃん」
……だから他の学校の子を?」
「そういう揉め事なんか見てこなかったんだろ。こじれると大変なんだぜ」

高野の言葉に藤真と永野がうんうんと頷いている。対する花形と長谷川は渋い顔をしている。なんというかとても不誠実で自分本位という気がするが、何しろ言う通り揉めた経験がないのでよくわからない。

揉めた内に入らないだろうけど――と花形はのことを思い出した。彼女という存在だと思うと逃した魚は大きいと思うが、仕方あるまい。バスケット楽しい。仲間もできて嬉しい。翔陽に入って本当によかった。

そんなことを考えていたせいだろうか、花形は店内を横切っていった制服を見てポテトを吐き出した。

「おい何だよ、汚いな」
「す、すまん」
「大丈夫か?」

が入学した高校の制服がいたからだ。最寄り駅はこの駅。偏差値高めの高校ではあるが、が目指していた高校よりはよっぽど低いし、翔陽よりもちょっと上、という程度でしかない。制服は可愛らしいけれど、さてはどうしたんだろうか。

「悪い、何でもない」
……あれってこの駅が最寄りだったよな? 最近制服変わって人気ある」
「ああ、そうだったか?」
「花形くん、駅が隣の高校なんて距離感最高じゃないですか。隠してることは正直に吐き給えよ」
「隠してることなんかないって。同じ中学のやつが高いところ落ちてあそこに行ったなと思って」
「それだけでポテトぶっ飛ばすか?」

藤真と高野と永野に畳み掛けられた花形はしかし、それだけだと言って何も語らず、長谷川が帰ると言い出したので便乗することにした。花形も帰宅は何時でも構わない――というわけではない。

だが、そうなるとどうしても残りたい理由もない藤真高野永野も一緒に帰ることになった。明日も学校はあるのだし、どうしても遅い時間までファストフードで語りたい話があるわけでもなし。ぞろぞろと揃って店を出た5人はまたダラダラと駅まで向かい、学生でごったがえすホームで固まって立っていた。

「あ、またあの制服。なー花形ほんとに何もねえの」
「ないって言ってんだろ、自分こそ何もな――あ、すみません」
「す、すみま……透!」

ニヤニヤとからかうような目を向けてきた藤真に返していると、花形は誰かにぶつかられてひょいと真横を見た。そこには真新しい制服に身を包んだがしかめっ面で花形を見上げていた。つい頬が引きつった花形、それを見ている藤真たちは口元がふるふると震えている。ニヤつきたいのを我慢しているらしい。

「大丈夫か」
「べ、別に」
「そ、そう……

混みあうホーム、は花形の顔を見ないようにしながら、すぐに立ち去ってしまった。その後ろ姿をしばらく見送っていた花形だったが、後頭部に嫌な視線を感じて振り返った。

「な、何だよ」
「だーれーよー」
「可愛い子じゃん、彼女じゃないなら紹介しろよ」
「無理だって」

じりじりとにじり寄る藤真と高野から顔を背けながら、花形はついちらちらとが去って行った方を見てしまう。眼鏡が邪魔ではっきりとは見えないけれど、はひとりで厳しい顔つきをしていた。どこもだいたい入学式から数日は経過している頃のはずだが、一緒に帰る友達は出来ないんだろうか。

しつこい藤真と高野のおでこをペチンペチンと叩き返しながら、花形はちくりと胸が痛んだ。

最終的には、第一志望はほぼ安全圏のはずだった。模試の結果も上々、学校でも塾でもこのまま何も落とさずに行けば絶対大丈夫と太鼓判を押されていたはずのはあっさり不合格になってしまった。テストもあくまで自己採点では問題なかった、じゃあ面接で落とされたのかと勝手な噂が横行していた。

見るも無残に憔悴していたに声を掛けたかったけれど、自分が何を言っても神経を逆なでするだけだろうと思った花形は卒業まで本当に一言も口を利かなかった。

意気揚々と夢にまで見たバスケット強豪校に進む花形、まさに「すべり止め」に入るしかなくなった、彼女からは中学時代の快活さがなくなってしまったように見えた。その上ぶつかった相手が花形だと気付いた瞬間、の無表情の下には淀んだ泥のような暗くて重い何かがよぎった。

可哀想に、まだ引きずってるんだろうか。第一志望のことなんかさっさと忘れろよ、なんて軽々しく言っていいことではないと思うが、それでも自分のことを好きだと言ってくれたが苦々しい顔しているのを見るのは忍びない。学校生活って、もう少し楽しいものだと思うのにな――

バカを言って笑い転げている仲間たちを見ていると、本当にそう思う。バスケットの時はきっとみんなスイッチを切り替えたみたいに真剣になるんだろう。だけどこうして学校の外に出れば、推薦も特待生も関係ない、ただの、いやちょっとばかりバカっぽい男子高校生だ。

「そっか、お前と同中てことは頭いいんだもんな。そりゃ無理か」
「おお、高野は頭いい子ダメか?」
「いや、オレは別にそういうのどうでもいいけど、頭いいやつってバカ嫌いだろ」

と同じ中学である花形はギクリと肩を震わせた。自分も同じだと思われるのではないかと思ったからだ。

「ちょっとアホなこと言うとさ、汚物を見るような目で見てくるじゃん」
「ほうほう、何かトラウマがあるようだな若いの」
「ていうほどでもねーけど……だからオレらはよくても向こうがダメかも、って」

ニヤつきながら突っ込む永野に、高野は真面目くさった顔で返した。それを黙って見ていた花形は内心気が気でなくてヒヤヒヤしていた。「お前もそうなんだろ?」と言われたらどうしようか。肯定しても否定しても無意味な気がした。するとそこに、藤真の楽しそうな声が飛び込んできた。

「花形、お前は勉強出来るだけでバカだもんな! よかったな!」

ドッと笑う高野と永野、ウケたのでドヤ顔の藤真、そしてそっと背中を叩いてくれた長谷川。花形は静かに息を吐ききり、冷たかった体に体温が戻ってくるのを感じていた。助かった。それに気付いているのかいないのか、坊主頭が伸びかけの長谷川が一言付け加える。

「そんなヤツだったら、翔陽になんて来ないもんな」

そうだそうだと盛り上がる藤真たち、花形は愛想笑いを浮かべながら強張っていた肩を緩ませた。今度こそ本当に助かった。高野も永野も悪気があって言ってるわけじゃない、藤真は花形のフォローをしようとしたわけではないだろう、けれど長谷川は全てわかって付け加えてくれたような気がする。

……すまん、助かった」
「環境がかけ離れてると、戸惑うよな」
……自分ではかけ離れてると思ってなかったから」
「気にするなよ。バスケットに成績は関係ないんだし」

長谷川のボソボソした声に頷きながら、花形はまたを思って胸を痛めた。

偏差値から考えても、恐らくはあの高校では成績トップを維持していけるだろう。学校のカリキュラム関係なく受験のために準備をしていけば、あるいは大学は目指していた通りのところへ行けるかもしれない。

だけど、そんなきつい顔して、一緒にお喋りしながら帰る友達もいなくて、それだけで3年間過ごすのか? 華々しいキャリア人生を放棄した自分が言えた義理ではないけれど、そんな風にして手に入れた未来は本当にそれだけの価値があるんだろうか。

灰色の高校3年間を過ごせば、光り輝く人生が約束されているんだろうか。

仲間たちと電車に乗り込みながら、花形はそれについては甚だ疑問だと思ってため息をついた。