星霜フラグメント
Plus&Minus

13

+ 219days (+12h).

もちろん尊は平均値という意味なら「普通」から大きくはみ出しているし、それでも平気で尊と付き合っているお姉さんたちも一般的ではないかもしれない。けれど、誰もアユルに「尊やその周辺人物は全て平均値で一般的」だなんて言った覚えはない。

いつかが尊を「オシャレで人格者の優しいオトナ」と思い込んだのと同じだ。

だが、それにしてはアユルは攻撃的になりすぎた。あんたたちキモイを連呼し、怒りに震えている。尊はそのアユルの手を掴み、テラス席の端っこまで連れて行く。一応と清田も着いて行く。さすがにお姉さんたちは動じることもなく、真面目ちゃんなのかねー、なんて言いながら酒を飲んでいる。

「マジキモイなんなの、みんな頭おかしい」
「君がそういう風に考えるのは自由だけど、人の彼女を悪く言うのはやめて欲しいな」
「彼女!? 彼女っていうのはそういうことじゃないんですけど!」
「だからそれは、君の価値観。オレは違う」
、あんたもやっぱりオカシイ、なんで平気な顔してんのよ!」

テラス席の端のテーブルに向かい合わせて座ったアユルと尊、その間にと清田は立っている。

「なんでって、私はああいう付き合いはできないけど、彼女たちはそれでいいと思ってるわけだし」
「それが何!? 彼氏の家族がそんなオカシイのによく平気で付き合ってられるよね」
……誰もおかしくないし、信長と付き合うのには関係ないことだし」
「意味分かんない、気持ち悪い、なんなのマジないんだけど、バカにしてんの!?」

しかしこのアユル、例えばエンジュのようなセクシャルマイノリティには「理解がある」んだそうだ。心と体の性が一致しないことには「理解がある」のだとしても、人の数だけ多様な「愛の形」には理解を示す気はないようだ。その上、アポなしで突撃してもてなしてもらおうと思っていたのが、台無しである。

「あたしバーとかクラブとか行ってみたいって言っただけじゃん、なにこれ、マジキモイ」
「だからここはバーだし、イベントもクラブみたいなものだったでしょ〜」
「違う違う、こんなんじゃないもん、もうやだまじむかつく、死ね! なんか死ね!」

アユルの「キモイ」と「死ね」はほとんど返事や挨拶のようなものである。嫌悪感を示す感情は全てこの二言で言い表される。苛ついても怒っても悲しくても、負の感情は全て「キモイ」と「死ね」なのだ。それをヤギさんは窘めたりはしない。というか彼も毎日そう言われている。

それをよく知るは、このアユルの感情の爆発を異常なことには感じなかった。一応清田にもそういう子だという話はしてあるし、咄嗟に彼の手を取ったので、繋いだ手のひらから「大丈夫」という感情は伝わってきていた。だが、の目の前で予想外のことが起こった。

……訂正して」

尊が身を乗り出し、アユルの顔を掴んだ。頬を挟み、口を尖らせるような格好だ。

に死ねなんて言ったこと、訂正して」
「な、なに、あたひ――
が困ってたからカフェでも買い物でも付き合ったけど、君こそ一体なんなの?」

普段通り感情のままに言いたいことを言っていたアユルは、恐怖に慄いた目で震えている。枯草色の金髪に美しい顔、柔らかい物腰静かな話し方、誰にでも優しい尊がまっすぐにアユルを睨んでいる。

「アポなしで突撃してきてを困らせて、バーでもクラブでも付き合ってやったのに、死ね?」
「そ、それは――
はオレの大事な女だ」

尊の手と声に力がこもり、アユルが呻く。慌てた清田が腕に手をかけると、尊は我に返って手を離した。

「もうやだキモイ、なんなの、結局も仲間なんじゃん!」
「仲間? あの子たちと一緒にしないでもらいたいな。はもうすぐオレの家族になるんだよ」
「尊――
「そのためには遠く離れた場所でひとり戦ってきた」

はもちろん、清田ですら見たことのない厳しい声、そして顔だった。

はオレの家族、大事な妹。それを侮辱するのは許さない」

の片目から、涙がぽたりとこぼれ落ちた。頭のなかに、ぶーちんの言葉が蘇る。

友情っていうか愛情っていうか、そーいうのは絶対にブレない人なの。みこっちゃんはね、愛してくれる人を愛してるだけなの。あたしたちとは、愛の大きさが違うだけなの――

そこへメガネのバーキン社長の声が聞こえてきた。

「尊、さっきタクシー呼んでおいたけどー」
「ありがと〜、助かる」

しかしアユルも強い。唇をへの字に曲げ、不機嫌そうな顔をしてそっぽを向いている。

「君に何を言われても動じないオトナのお姉さんがタクシー呼んでくれたから、あとは全部自分でどうにかしな。にはもう迷惑かけるな。信長とは何年も苦しんで苦しんで、だけどそれを乗り越えて歩き出したばっかりなんだ。二度とふたりの邪魔をするな」

それでもアユルが自分の方を向こうとしないので、尊はまた手を伸ばして顎に指をかけた。

「オレは、自分の大事な人を傷つける人間を絶対に許さない。君でも君のパパでも、のママでもね」

そこへ社長が呼んでくれたタクシーが到着した。アユルはまた「死ね」と言い捨てて、走って店を出て行った。3月の夜のひやりとした風が吹き抜け、アユルの乗ったタクシーはすぐに走り去っていった。

「尊、お前――
「まったく困ったもんだね。、早くノブと結婚して、あの子と縁切りな」

またいつもの緩んだ尊に戻った。呆れ顔でため息を付き、ふらりと立ち上がる。

「え、何泣いてるの。あんな子の死ねなんて本気にしちゃダメだよ」
「ち、違――
「尊、もうずいぶん前の話だけど、あの頃のこと、どう思ってるんだ」
「ほんとに古い話だね」

尊はテーブルに寄りかかって前髪を払い、ふんわりと微笑む。

「誰が悪いとかそういうのは言い出したらキリがないし、もちろんいい思い出ではないよね。ふたりもそうだろ。だけど、さっきも言ったけど、はいずれ家族になって、本物のオレの妹になるんだよ。……あの子たちだって、いつ離れていくかなんてわからない、今は好きとか愛してるとか言うよ、だけどそれが永遠に続くかなんてわからないだろ。だけど、ふたりが結婚したら、離婚でもしない限りはずっとオレの妹、家族。もし子供ができたらそれは血の繋がったオレの甥っ子、姪っ子、それも家族。死ぬまでずーっと家族でいられるんだよ。オレにとって、こんな大事なことはないからね」

何よりそれはが望んだことでもあった。は清田を見上げ、彼がしっかりと頷いたのを確かめると、一歩進み出て、尊の手を取った。涙を払い、きょとんとしている尊を見上げては言う。

「お兄ちゃん」
……

そして尊も清田の顔を見て確認を取ると、を抱き締めた。

、オレは、オレたちはみんな味方だからね。早くお嫁においで。家族になろう」

まるでプロポーズだが、尊はそう言って幸せそうに笑った。そしてを解放すると、清田に差し出し、そのまま元カノと今カノの集まりへ戻っていった。

、なんか、棘が取れた。ぶーが妊娠した時のこと思い出したよ、あれと同じだ」

は爪先立って清田を引き寄せ、そっとキスした。尊を囲む会から歓声が上がる。

「信長だけじゃなくて……信長の家族も、信長の次に大事に思ってもいい?」

破顔一笑、清田は頷き、を強く抱き締めた。いつかに言ったように、清田家は全員、が好きなのだ。だから微妙な関係があったのだとしても、頼朝も尊も、が妹になることを心から喜んでいる。新九郎と由香里もが娘になることを心から願っている。

「家族なんだから、当たり前だろ」

もうそれは、遠い日のことではないかもしれないから。

- 5 years 3 month.

喪服を着替えてきた新九郎と由香里は、リビングで頼朝と尊と一緒にお茶を飲んでいた。頭に血が上った清田は風呂に入らされていて、シャワーの音が聞こえてきている。今夜は新九郎が一晩かけて男同士の話をするとのこと。一応落ち着きはしたが、清田はまだ納得していない様子で、の元へ行きたがっている。

「キツいだろうな、ちゃん。ひとりっ子だし」
「顔色悪かったけど、頑張ってたわよ。困ったら何でも遠慮しないで連絡してって言ってきたけど」
「こんなこと人に頼んだら悪いよな、ってことを連絡しなさいって言っておいたけど」
「どうだろうね、それほど自分に厳しい子ではないみたいだけど、今回の場合はね」

尊が暖かいお茶とコーヒーとお菓子を持ってダイニングから戻ってくる。

「それにしても、うちの家族はちゃんが好きだよね〜」
…………そう言われるとそうだなあ」
「あら、だっていい子じゃないの。素直だし、明るいし」
「確かに妙に馴染むんだよな……実は妹でしたって言われても驚かないような」

頼朝はコーヒーを一口飲むと、腕と足を組んで首を傾げた。

「んー、馴染むっていうのはわかるわね。他人て気がしないというより、慣れてる感じ」
「慣れ、なあ。確かにそんな感じだよな、前から知ってるような感じなんだ」
「あんな子どこかにいたっけ?」
「そう言われると似た顔があるわけでもなくない?」

新九郎と由香里も一緒になって腕を組んで首を傾げる。

ひょんなきっかけで親しくするようになっただが、そもそもはユキが海に引きずり込んだから服貸してやってくれ、と三男が連れてきただけの女の子だ。たまたま犬好きという共通点があったから、入り口は広かったけれど、結局三男と付き合い始めるし、なんだかんだで家族全員と親しい。そういうことになっている。

「まあ、いわゆる『相性がいい』というやつなのかな」
「そうとしか思えないわよね、おうちの環境もウチとは全然違うし」

他に理由が見つからなくて、頼朝と由香里はそれで納得するしかないような気になっていた。だが、それをぼーっと眺めていた尊が、隙を突いて呟いた。

――――あの子、コマに似てるよね」

音を吸い取られたように静まり返るリビング、そして一瞬の後に絶叫に包まれた。

「それよ、それよおおお! コマぁぁぁ!」
「あああ、言われてみればそれだ、それだ尊! そりゃ馴染むわけだよ……!」
「道理で……ああ、そうか、だからか……

コマは新九郎と由香里夫婦の間では2代目の犬である。ボス犬の風格漂うミックス犬でほぼ大型のマサが見つけてきた捨て犬であった。コマはこれもクリーム色のミックス犬で、柴犬くらいの大きさの雌だった。子犬の頃に拾ってもらったコマは、マサや新九郎たちにはとても従順で、大人しくて、そして何より清田家に拾われた後に生まれた三男・信長をとても可愛がっていた。

清田が歩くか歩かないかという時は、常に隣にへばりついて、彼が転びそうになると支えたり引っ張ったりして、ずっと面倒を見ていた。そして歩き出したと思ったら暴れ出した清田にも寄り添い、しかし彼がマサに懐いて遊んでいる時は、少し離れた場所でじっとお座りをして待っている。

残念なことに清田本人の記憶にはないようだが、マサが死んだ時も、コマは彼の隣を離れなかった。悲しみのあまり、清田は暴れてコマを叩いたけれど、その時もじっと耐えていた。そうして清田が暴れ疲れて寝てしまうと、ぴったり寄り添って口元を舐めていた。そういう犬だった。

「どうにも食べ物を与えたくなる気がしてたのはそのせいだったのか……
「食べ物?」
「勉強教えてたろ。正解すると、なんか食べ物を口に突っ込まないといけないような気がして」
「よくできましたのオヤツか、ああでもそれもわかるな」

頼朝はがよく言うことを聞いて素直に従う様子を見せると、よく飴を食べさせていた。要するに犬の躾と一緒になっていたらしい。頼朝は仰け反って手を目に当て、呻いている。仮にも女の子に犬と同じ感覚で接してしまったことが許せないんだろう。

「そう、そうよ、こう、首を傾げてね、手を口元に添える角度が同じなのよ」

由香里はキッチンとリビングの間にあるチェストを埋め尽くすコマの写真を覗きこんでいる。

「そうだ、それだ。ちょっと下向いて口元を手でチョイチョイと……
「なんとなく目鼻の配置も近いような気がするわね、ああやっだ、また涙出てきた」

新九郎も俯いて鼻を鳴らす。清田家が妙にを可愛がる理由が判明したのはいいけれど、だとすると余計に心が痛む。父親を失ったことはもちろん悲劇だ。けれどの本当の戦いはこれから始まるのだ。今はまだその入り口でしかない。これからのを思うと、本当に居た堪れない気持ちになる。

「ダメなのはわかってるけど、力になりたいわ。少しでも助けてあげたいわ」
「ほんとだな。いやー、お母さんじゃないけど、ちゃん預かりたいくらいだよな」

清田がいないので、新九郎もうんうん頷きながら言う。頼朝はまだ呻いている。その間で、尊はひとりぼーっと紅茶を飲みながらふんわりと微笑んだ。そして、カップをテーブルに置くと、優しい笑顔のまま、新九郎と由香里に声をかけた。

ちゃんがノブと結婚してくれたらいいんじゃないの」

新九郎と由香里は、いやいやそんなまだ17歳であんたぶーじゃあるまいし、などと言いつつ頬が緩んだ。
その横で頼朝は、本当に妹か、と呟いてへらへらと笑った。

尊もにんまりと笑い、またカップを手にして紅茶を啜る。

「そしたら家族だ。ずーっと一緒にいられるね」

尊の言葉に3人はまた頬が緩み、抑えきれずに頷いた。
清田家の人間は、みんなのことが好きなのだ。大好きなのだ。

もしこの苦難の先にそんな未来が、可能性があるのだとしたら――

尊に頭を撫でられたユキも、まるで「そうだね」とでも言いたげに尻尾を振っていた。

END