星霜フラグメント
Plus&Minus

13

+ 219days (+10h).

指定の時間に車で到着したと清田を待っていたのは、尊の腕にべったりと絡みついているアユルだった。しかもなんだかさっきと服が違う。バーだかクラブだか知らないが、着飾るつもりのないはロックカジュアルにまとめているし、清田もそんなところだ。が、アユルはアイドルのステージ衣装みたいだ。

「尊さんのお気に入りのカフェ、すっごくオシャレで、ケーキも超おいしいんだよー」
「へえー」
「ああいうカフェがお家の近くにあればいいのになあ」

アユルは甲高い声で自慢気に話しているが、の記憶が正しければ、そのカフェには尊と一緒に6回ほど行っている。午後のティータイム、毎回ケーキはふたつ、紅茶と一緒に。尊は何も言わないし、は胸が痛む。

その他にもインテリアショップで何を見ただの、服を見立ててもらったから買っちゃっただの、アユルは上機嫌だ。これもの記憶違いでなければ、尊は本来はファッションに興味がない人物だったはずだ。6年の歳月が彼を変えたのだろうか。

と信長はどーいうとこでデートすんの?」
……適当にその辺で」

ほんの1ヶ月前まで新幹線の距離の遠恋だったことを知らないわけではあるまい。はささくれ立つ心を宥め、車窓に目を移す。清田の運転する車は静かで、ただアユルのはしゃいだ声だけが響いている。尊も名指しで話を振られない限り黙っているし、楽しんでいるのはアユル一人だ。

尊に言われるまま車を走らせて1時間ほどで、目的の店に着いた。飲食店が何軒か集まった一角に、地下に降りる階段と、そのすぐ横にオープンテラス付きのバーがある。バーも開店しているようだが、時間が早いせいか人影がない。少し離れたコインパーキングに車を停めると、4人は車を出た。

まだキャッキャとはしゃいでいるアユルに纏わりつかれながら尊は歩いて行く。少し離れた後ろを歩きながら、は清田の手を取って繋いだ。桜の時期が近いが、日没が過ぎると風がひやりと冷たくなる。

「よさそうなバーじゃん。早い時間なら空いてるっぽいし」
「今度はふたりで来ようね」
「ははは、そうだよな。時間があるうちに、デート、しておこうな。今まで出来なかったから」

言いたかったことがちゃんと伝わったので、は嬉しそうに鼻を鳴らした。

「あれー? クラブって書いてないですよ?」
「今はちょっと色々面倒くさいんだよ。一応ここもライヴハウスってことになってる」
「通りで……時間が早いなと思ったんだよな」
「こんな場末だからね。まあでも、今日は普通のEDMっぽいね。ラッキーだ」
「ラッキーなのかそれ」
「都内のナンパ箱とは違うよ」

地下に降りる階段の上で話す尊と清田の会話にアユルは目をキラキラさせている。階段を降り、ドアを開けると、壁がフライヤーで埋め尽くされたカウンターが現れた。その奥の防音ドアからは微かに重低音が漏れ出ている。

「本日おひとり様2500――尊!?」
「え? あー、なんだっけ、中学、だよね?」
「いやおいマジか、昔の女覚えてないのかよ!」
「他にもいたからね」
「腹立つなお前ー! 相変わらずきれいな顔しやがって」

口を開けてポカンとしているアユルの後ろで、と清田は揃ってため息をついた。カウンターの中の緑髪に鼻ピアスのお姉さんは尊が中学生の頃に関係があったらしい。

「てかどうしたん、今日のイベントに誰か知り合いでもいるん?」
「いや、この子がクラブ行ってみたいっていうんだけど、何しろこの辺じゃね」
「まあ一応DJイベントだし、クラブみたいなものといえばそうだけどね。そういう意味ならウチ、音楽箱だよ」
「わかってるよ。その方がいいんだ」

カウンターの中の女性スタッフは鼻で笑い、ひとり2500円ずつだと言って、チケットの半券を差し出した。は、清田の分は出したが、アユルは知らん振りをした。アユルは尊に向かってちらちらと視線を投げていたが、元カノと盛り上がっていて、見ていない。

「えっ、マジ!? あの海南行った子だべ!?」
「そうそう、今度プロになるよ」
「マジか!!! ちょちょちょ、サインサイン、今のうちにサイン!」
「ちょ、勘弁して下さい、サインなんかねーっすよ!!!」

地元の名門で主将を務めた地元っ子が地元のチームに入ると聞いて元カノさんは爆発、慌てた清田がサインなんかない、普通に名前書くくらいしか出来ないと言うと、そんなら写真撮らせろと言ってまた大声で笑った。

そんな騒ぎを経て、やっとフロアに入ると、アユルは入るなり立ち止まって固まった。こんな大音量は初めてだった。クラブどころか、彼女はホールで行われるようなコンサートの経験もなかった。というかだいたい、それほど音楽が好きというわけでもない。クラブに行ってみたいのはクラブミュージックが好きだからではないのだ。

だが、尊はスタスタとフロアに降りていくし、と清田はバーカウンターに行ってメニューを覗きこんでいる。ちょっと待ってと声を出してみたが、自分でも聞こえない。アユルは慌てて尊の後を追いかけた。

尊に追いつき彼の袖を引くと、尊は柔らかく微笑んでアユルの背に手を回した。ちらりと振り返ったアユルの目の端に、と清田の姿が見える。ふたりは手に白っぽい瓶を持って壁際で緩く抱き合い、耳元に囁き合っている。アユルはすぐに目を逸らし、尊を見上げた。きれいな枯草色の髪が揺れていた。

イベントが終わったのは21時半頃のことだった。往年のスタイルであれば、まだイベントすら始まらない時間であるが、ライヴハウスである手前、このくらいが限界である。慣れない大音量で少しフラフラしているアユルは、尊に手を貸してもらって外へ出た。

「尊、あのドラム叩いてたのって――
「やっぱりそうだよな。シノさんとこのカッちゃんだ」
「それって確かお兄ちゃんの……
「そう。ってそうだ、カッちゃん確か湘北だぜ」
「えええ」

シノさんとこのカッちゃんは頼朝の幼馴染。幼稚園と小学校が一緒。頼朝は中学から私立に進学してしまったので疎遠になったそうだが、カッちゃんの父親のシノさんは新九郎と仕事上で付き合いがあるし、地元中学でグレて湘北というコースを辿ったカッちゃんのことは今でも気にかけているらしい。

さすがに地元だとこんな偶然もあるんだなと3人が笑っている横で、アユルが尊の袖を引いた。会話に入れないのでつまらなくなったんだろう。4人はそのまま隣のバーへ移動する。同じようにイベント終わりで出てきたようなのがたくさんいる。

「あれー。ノブ車だろー」
「ひとりだけノンアルとかイジメかっつーんだよ。代行で帰るからいい」
「中で既に2本開けてるしね」
「てかはジン・バックとかなんでそんな可愛くないの」
「可愛くないってどーいう意味ですか。バック好きなんですよ」
「女の子はカシオレとかベイリーズとかさあ、せめてモヒートでしょ」

そういう尊は最近上司のせいでウィスキー飲みになっているとかで、山崎。その横で清田は焼酎。こちらはこちらで酒は基本的にエンジュ仕込みなので、手広くいけるが飲み方が少々エレガントである。は助かっているけれど、新九郎には「女々しい」と度々罵られている。

そんな中、尊の言うところの「女の子っぽいカクテル」であるファジー・ネーブルをオーダーしたアユルは口元がむずむずしている。のジン・バックは可愛くないけれど、あたしのはカワイイ。

そんな風に好きな酒を飲みつつ雑談していた4人だが、1時間ほどしたところで状況が一変した。

「あっ、ほんとだ! いたァ!!」
「やばい、あんた弟じゃないの、マジウケる!!」
「もうひとりいないの、ほらメガネの!」

ワッと声がしたかと思ったら、そんな言葉とともに尊が3人の女性に抱きつかれた。巻き髪のスーツと夜会巻きのスーツ、そしてコーンロウのジャンプスーツの3人は、尊に抱きついたり飛び跳ねたり忙しない。

「あれー、久し振りー」
「さっきめぐめぐから連絡来て、尊来てるっていうんだもん、超久し振りじゃん!」
「いやもうなんなの、髪の色以外全然変わってないじゃん」
「みんなはきれいになったねー」
「あんたに言われても有り難みないわー!」

なんとなく察しが付いていると清田はともかく、アユルが目を丸くしている前で夜会巻きが尊の顔を掴み、ちゅーっとキスをした。恐らく「めぐめぐ」はさっきの元カノだというライヴハウスのスタッフ、それに呼ばれてやって来た彼女たちも何かしらの関係があったんだろう。

大量に女が乱入してきて面白くないアユルは驚いてグラスを取り落としそうになっているが、一方的に顔を掴まれてキスされた尊は、ちゃんと抱き返してやって、キスに応えている。その上私も私もと手を伸ばす巻き髪とコーンロウともキスした尊は、普段通りの優しい顔で微笑んでいる。

「ねえねえ、確か弟だよね、バスケやってた!」
「来月から地元のチームでプロになるからよろしくね〜」
「マジか!!!」

清田はまたサインだの写真だのともみくちゃにされた。すると、巻き髪がふらっとの隣に来て顔を寄せる。

「尊? それとも……
「あ、弟の方です」
「なんだあー尊なら仲間かと思ったのにぃ。この辺の子?」
「ちょっと離れてましたけど、湘北です」
「え!? マジで!? チュカ! 湘北だって!!!」
「うっそ、あたしも湘北だよ、きゃー!」

チュカと呼ばれたコーンロウがに抱きついてぐらぐらと揺れる。

「てかうっさいな、外出ようぜ尊」
「はいはい、お嬢さんたち外出ましょうね〜はいはいアユルちゃんもグラス持って〜」

コーンロウは湘北な上に富中で、は肩を組みながらスキップで外へ出て行った。アユルは尊に背を押されてのろのろと歩いているが、明らかに不機嫌な顔をしている。無理もない、ひとりだけ仲間はずれだ。

「尊さんのお友達ですか」
「まあ、今はそういうことになるかな。みんな元カノだよ」
「みん……全員ですか!?」
「そう。この子たちは中学の時の彼女たち」

彼女「たち」? アユルはその言葉に引っかかって足を止めた。だが、それを尊は気にかけるでもなく、テラス席の輪の中に入っていく。尊の言葉に違和感を感じたけれど、その正体が掴めないアユルの横に、清田が並ぶ。

「中学の時だってあれだけじゃねえからな。高校大学、今もあいつは女に困ってない」
「そ、それが何? てか何の話? 関係ないでしょ」
「関係ないからどうでもいいけど、後でがあんたの親父さんから責められても困るからな」
「だから――
「尊はやめときな。あんたの手に負える男じゃないぞ」
「な、なにそれ、ドラマの見過ぎじゃないの。別にあたし――
「一応忠告したからな。あとは好きにしなよ」

反論しようとしたアユルだったが、清田は聞くつもりはないらしい。手にしたグラスをちょっと掲げて見せると、スタスタと歩いて行っての隣に体をねじ込んだ。の肩を抱くコーンロウにしっしっと手で追い払われ、にやにやと笑っている。

手に追える男じゃないってどういう意味? 女に困ってない、って、尊さん、彼女いないって言ってたけど?

「特定の彼女はいないかなあ」って言ってたもん!

深呼吸をしたアユルは清田のように尊の隣に体をねじ込み、腕に絡みついた。お姉さんたちは地元話や過去の話で盛り上がっている。地元民であると清田も話がわかるらしく、楽しそうに笑っている。尊の奢りだと言ってお姉さんたちはビールをグイグイ飲んでいるし、コーンロウのお姉さんはにもキスを迫っている。

それから更に30分ほど経っただろうか、今度は店の前にタクシーが滑り込んできたかと思うと、中から人形のようなゴスロリが出てきた。巻き髪がワォなんて声を上げていると、ゴスロリは小走りでテラスに入り、そのまま尊に抱きついた。アユルが思わず手を離すと、尊はゴスロリをよしよしと撫でてやっている。

それだけでは終わらない。ゴスロリから遅れること数分で、今度はメガネのスーツと姫カットの森が乗り合わせてやってきた。これも尊に抱きつき、そのままテラス席に居ついてしまった。まだ増える。次は尊のような金髪ボブがハーレーに乗ってやってきた。

結局、1時間かそこらの間に、尊に関係があると思われる女が7人集まった。ライヴハウスの「めぐめぐ」を入れれば8人である。しかしそれぞれなんだか適当に喋っていて、アユルはわけがわからなくなってきた。尊の隣の席は死守しているが、話にはあんまり入っていかれない。

「尊さぁん、あのーこれ、なんなんですか?」
「何って……どういう意味〜?」
「なんでこんな増えてるんですかー」

アユルは尊を囲む会に来たわけじゃない、尊にクラブに連れて行ってもらいたかっただけだ。

「んー、最初の3人はほら、ライヴハウスの子が。後はまあ、どこにいるのって言うから教えたら来ちゃった」
「え……なんで教えちゃったんですか。とかもいるのに」
「何か問題あるかな。は楽しそうだけど」

とコーンロウはすっかり仲良くなってしまったらしく、清田も交えて何やら声高に喋っている。アユルは尊の手を取り、首を傾げて唇を少し尖らせる。

「あたし人見知りなんで、こういうのちょっと怖いです。テーブル移りたいな」
「人見知り? そうな――
「尊、この子一番新しい子?」

拗ねた顔をして尊の手を引いたアユルに向かって、尊の向こうからメガネのスーツが口を挟んできた。この中で言えば、一番年が上のような、そんな迫力のある女性だ。スーツも安物に見えない。膝においてあるバッグはバーキンだし、手には明らかに本物の宝石がついたジュエリーが嵌っている。

「いや違うよ、の義理の妹」
「へえ、きれいな子ね」
「えっ、そ、そんなことないですよ〜」
「だけどお嬢さん、尊を独り占めするのはルール違反よ。覚えておいてね」
「は!?」

きれいと褒められてデレたアユルだが、メガネのバーキンに釘を差されて素っ頓狂な声を上げた。尊の前と思って我慢してきたアユルだったが、これには耐えられなかったらしい。尊の腕をぎゅっと抱え込むと、メガネのバーキンに向かって首を伸ばした。

「新入りとか意味わかんないんですけど。てかおばさん誰?」

確かにも含めてこの場にいる女性8人の中でアユルは一番若い。が、その言葉に場が静まり返る。

「あら失礼を。わたくしこういう者です」
「はあ? 名刺とかいらないんですけど」
「アユルちゃん、彼女はオレの上司なので、そういう言い方はやめてもらえるかな」

今度はその尊の言葉にアユルが固まる。差し出された名刺はコーンロウが手を伸ばして取り上げる。

「あっ、ほんとだー……って代表取締役社長!!! お姉さんシャチョーさんなの!?」
「自分で起業したわけじゃないし、大したことじゃないわ。小さい会社よ」
「まーほら尊、誰が誰やら、オレらだって知らないよ」

だいぶ酒の進んだ清田がそう言うと、尊はかくりと首を傾げた。そう言われればそうか、という仕草だ。

「えっ、そこの子はともかく、全員仲間かと思ってたんだけど」
「な、仲間って――
「あー、こっちは地元の元カノっす」
「あら、じゃあ今いる中では私たち4人だけ?」

尊が黙っているので、お姉さんたちは口々にああだこうだと言葉を交わしている。

「尊さん、なんなの、なんなんですかこれ」
「なんなのって、こっちは元カノ、こっちは今カノだけど」
「えっ、誰が?」
「ここの4人」
「だから……誰が?」
「4人全員だよ」

パッとアユルの手が離れる。

「何、この子尊の女じゃないの」
「あんたこそ誰なの」
ちゃんの義理の妹さんだそうよ」
?」
「弟の彼女だって。あれあれ」

今カノの方の4人はきょろきょろしながらそんなことを話している。アユルの目がちらちらと揺れ始める。

「シャチョーさんとーええとー」
「この子もうちの子。尊の1年後輩ね」
「あたしは大学の頃から」
「今日この中じゃ私が一番新しいな、オーダーメイド家具作ってる」

メガネのバーキンと一緒に来た姫カットの森が同僚、ゴスロリが大学の同期、金髪ボブが家具職人、ということらしい。その上今カノ4人はお互いに面識があるようだ。

「よ、四股とか……
「正確には八股だけどね」

金髪ボブがそう言うなり、アユルは勢いよく立ち上がって後ずさりし始めた。

「な、なんなのこれ、、あんた知ってたの」
「そりゃまあ、そういう人だってことは知ってる」
「なんで言わなかったのよ、こんな、こんな」
「私がいちいち説明するようなことじゃないから……
「なにそれ、なにそれ」

まさかアポなしで突撃してくるとは思わないし、尊が戻ってくるとも思っていなかったし、そもそも尊がポリだなんてこと、なんで言いふらす必要があったというのか。淡々と言うの言葉に足を止めたアユルは、いつものように、いつもの言葉を叫んだ。

「キモイキモイキモイキモイキモイ!!!」