「飯どうする。さすがにもう永源に水戸はいないだろうからなあ」
「てか水戸って高校出たあとどうしたんだろう。聞いた?」
「いや、オレもあの時以来行ってないから。寮入っちゃったし」
が母と喧嘩した勢いで「帰郷」した時に立ち寄った、あれは高校卒業後の春休みだった。途中でドロップアウトしていなければ水戸も湘北を卒業した直後だったはずだ。はファストファッションの店で当座の服と下着を選びながら、空を見つめた。再会出来た嬉しさで、水戸の進路の話なんか思いつきもしなかった。
「成人式の時、いなかったのか? 例の友達とは会えたって言ってたじゃないか」
「ああ、親衛隊の子ね。でもうん、桜木軍団は誰もいなかった」
「あん時はオレも中学のバスケ部のヤツと話しただけで帰ってきちゃったからな」
ふたりとも午前中に少し顔を出しただけで、さっさと帰ってきた。由香里渾身の宴席が待っていたし、ふたりが成人だというので、頼朝と尊も帰ってきていたからだ。兄ふたりは弟を差し置いてにそれぞれ贈り物を用意していて、それはそれで面白くない清田は不貞腐れていた。
しかも夜になってからはぶーちんがだぁと共に子連れで乱入、おばあちゃんと子供が20時頃に脱落したけれど、その後深夜まで全員延々飲み続けた。
「成人式か、あの時は着物が嬉しかったのと、エンジュがね」
「そっちの方がインパクト強かったか」
「そりゃ……ある意味ではファンタジーの世界だったというか」
成人式が終わり、由香里たちの計らいで着物を着て写真まで撮ったは、神奈川を離れる前日にエンジュに引き合わされた。お互い学校は一度も同じになったことがないし、せめて共通の知り合いというと水戸と桜木くらいなもので、それを除けばも初めて清田の友人を紹介してもらったことになる。
「エンジュは就活どうしてるの。なんか彼氏の店がどうとか……」
「あー、あれは別れた。けどまた別のと付き合ってる。就活はよく知らん」
「相変わらずアグレッシヴだなあ。こっち戻ってきたら久し振りに会いたいな」
「言っとくよ、がとうとう決意したらしいって」
「ちょっと待ってそんなことは言ってない、あんたがよくても私は絶対無理だからね」
「本気にするなよ。てかそのパンツほんとやだ」
「春まで我慢しなよ」
エンジュの冗談には翻弄され、どこからどこまでが本気なのかわからなくなっている。そして清田はファストファッションブランドのシンプルな下着に文句たらたらである。確かに色気よりは実用重視で非常にポップだ。
「パンツくらいなんとかしてくれたっていいだろよ」
「んなもん見てないくせに……」
「じゃわかった、今度は超凝視するからな。延々パンツ見てるからな」
「うわーうざーいお兄ちゃんみたいでうざーい」
「いやあれと一緒にしないでくださいお願いします」
頼朝である。本人の希望通りに「お兄ちゃん」と呼ばれている頼朝だが、そのせいでの前でもまるで遠慮がなくなり、本来の姿である「頭いいけど痛々しいバカ」というキャラが強くなってきている。最近ではの方もあまり遠慮しない。
「てか、オレほんとに行くつもりでいるけど」
「それはいいけど……小父さんと小母さんに悪くないかな」
海で清田が勢いで言ったラブホである。は清田がしつこいので下着を戻し、服だけ会計を済ませる。
「別に気にしねーと思うけどなあ。今さらだろ」
「まあそうなんだけど」
「何の連絡もなく来て、いきなりプロポーズとか、ほんとに責任取ってもらわんと」
「いやもう、責任とかほんとに意味分かんないけどね」
が「帰郷」の際は必ず清田の部屋に泊まっていたし、頼朝と尊が家を出てからは、清田しか2階を使っていなかったので、騒がなければ部屋で事は足りていた。清田家は広いので、この点では大変便利だったと言える。春からがひとり暮らしを始めれば、また場所には困らなくなるだろう。
「てかもうさっさとパンツ買って行こうぜ。なんかスイッチ入った」
「責任取れとかさっさとパンツとか、ほんとに色気のない」
「オレがゲロ甘なこと言う方が気持ち悪いだろーが」
「そりゃ聞いてみないとわかんないわー判断つかないわー聞いてみたいわー」
「いや無理だから、絶対途中で笑うから!」
ふたりは清田の納得できるパンツを求めてまた歩き出した。
高熱、成人式、清田家宴会、写真撮影と、怒涛の数日を過ごしたは、1日ゆっくり休むと、予定通り清田に連れられて東京まで出た。清田の言う「友達」に紹介してもらうことになっている。
「わー、なんかドキドキする」
「優しいから大丈夫大丈夫」
「だからさー、なんかこう、女の子に対する表現という感じが……」
「まあそれも会えばわかるよ」
普段地味で通しているだが、清田と一緒の時は別だ。ぶーちんに化粧品を貸してもらい、今日は華やかに装っている。湘北にいた頃はしょっちゅう着けていたピアスも久々に通しているし、大学の同期やバイト先の人間が見たら悲鳴を上げるくらい可愛くなっている。一応こちらが本来のなのではあるが。
渋谷まで出たふたりは、待ち合わせのカフェまで歩く。遠恋のせいもあるが、デートらしいデートなどほとんどしたことがないので、なんだか変な感じがする。は清田の腕に寄り添いながら、きっと神奈川に帰ってこようと決意を新たにしていた。帰ってきたら、いっぱいデートしてもらおう。
指定のカフェに入ると、店内の仕切りがある席の向こうに手を振る人物が見えた。はそれに目を留めると、思わず足を止め、息を呑み、いつかのようにぐらりと視界が傾いた。
「悪ィ、ちょっと遅くなった」
「15分だよ、言う程でもない」
すらりとした体、切れ長の目、つるりとした髪と肌、薄く形の良い唇――なんて美少年! はぐらりと視界が傾きつつも、なぜこうも清田の周りには見栄えのする人物が集まっているのだろうと頭を軋ませた。座っているが、身長も決して低くなさそうだし、というか足がとても綺麗で軽くショックを受ける。
「、1コ上だけど大学の同期で、エンジュ」
「初めまして、いつも話、聞いてるよ」
「で、これがその」
「は、はは、初めま、して」
はしどろもどろで頭をペコリと下げた。これは尊以来の衝撃である。清田に促されて席についたが、なんだかエンジュからは独特なオーラが発せられていて、はまともに顔も見られない。
「……ま、なんだ、エンジュ、顔はいいからな」
「は!? ちょ、私そんな、あの、すみません」
「ありがとう。ちゃんも思ってたよりずっと可愛いね」
「ハァ――!?」
どうして清田の周りにはこういうことを平気で口に出来るのが集まるのだ。は真っ赤になっている。
「こういう調子だったわけだよ」
「なるほどね。そりゃこじれるわけだ」
「え、あの、一体……」
「すまん、こいつ全部知ってるんだ」
はもう声にならない。とにかくオーダーをとエンジュが勧めるが、メニューを取り落としたり携帯を落としたり、完全にテンパっている。そんなだから、に代わって清田が適当にオーダーをし、ドリンクが届くまでは、成人式の話をしていた。
というところでオーダーしたものが届き、なぜエンジュを紹介したのかという話である。
「実はさ、最初にエンジュと仲良くなったきっかけっていうのがさ」
「オレが信長に『好きなんだけど付き合ってくれない?』って言ったんだよね」
それでもだいぶ落ち着いたは、エンジュの冗談と思ったらしく、アハハと笑ってミルクティーのカップを傾けた。が、清田とエンジュは笑わない。は思わずガチャンと音を立てて、カップをソーサーに落とした。
「驚いた?」
「あの、あの、ごめんなさい、初めてそういう話を聞いたので、つい」
「ちゃんは平気かな、こういう話、というか人間は」
「あ、当たり前じゃないですか。平気とかそういう問題じゃないです」
「信長にはもったいない、いい子だね。ああ、ちゃん、オレ、女の子も大丈夫だからね」
スッと差し出されたエンジュの手は清田に叩き落とされた。5パーセントのくせに誘惑するようなこと言うな。
「えっ? 告白されて仲良くなったの? じゃあやっぱり――」
「やっぱりって何だ! この間の話と一緒にするなよ」
彼女じゃなくて彼氏ができたのか――がそんな顔をしていたので、清田は今度はの頭にチョップを振り下ろす。エンジュは目を細くしてしっとりと微笑む。和服が似合いそうだ。
「あの時はオレもびっくりしちゃって、とりあえず話聞かせろっつって居酒屋に連行したんだよな」
「こっちは時間かけて話すれば落とせるかもなんて思ってたんだよね」
「そんなこと思ってたのかよ!」
「ノンケって意外と簡単に落ちるんだよ」
清田は今度はストローの包み紙を丸めてエンジュに投げつけた。
「ひと通り話が終わってさ、さてどうやって口説いていこうかなと思ってたら、こいつ急にゴチンてテーブルに頭打ちつけて『すまん』て言い出してさ。それで君のこと話してくれたんだ。ふたりほどじゃないけど、オレも前に他人の都合で離れなきゃならないことがあったから、わかるわー頑張れーってね」
エンジュの場合はそのまま別れたらしいので、と清田とは少々事情は異なるが、それ以前に未だ誤解や偏見も多いセクシャルマイノリティである。ふたりとは違った苦労が多かっただろう。本人はけろっとしているが、それもどこまで本気なのか、怪しいものだ。
「それでなんだか仲良くなっちゃったんだよね。あ、今はちゃんと別に彼氏いるからね」
「あれ!? 付き合うことになったの!? 早いなホントに毎回毎回……」
もやっと緩んできて笑った。エンジュはその麗しい佇まいと淡々とした喋りが、どこか現代人離れしていて、それが清田と仲がいいというのも不思議に感じる。
「それで、その、オレもちょっとつらいこととかあって――」
「好きだから余計につらいんだよね」
「え。ま、まあ、そう、そんなこんなで、ほんとに色々助けてもらってさ」
にんまりと笑うエンジュの言葉に清田はもごもごと口ごもる。
「距離は、怖いよね。それは性別とか年齢とか関係ないし、遠恋なんて成立し得ないっていうのが大方の反応だし、遠距離なのに上手く行ってるとか言うと邪魔しようとしてくるようなのもいるし、そういう意味でもね」
足を組み直したエンジュは首を傾げて微笑み、眉を下げた。何の話だろう。も首を傾げる。
「付き合いの短いオレがこんなこと君に言うのもおかしな話なんだけど、ちゃんとのことはオレしか知らないって言うし、あのね、信長はね、ずっとちゃんだけを好きでいたいんだよ」
恥ずかしすぎて清田はそっぽを向いている。も頬が熱くなる。
「だけど邪魔が入ったり、疲れて気持ちが弱ったり、そういう時にグラついたりすれば、後で後悔するって信長は自分でわかってる。だから、オレによく言うんだ。自分の――信長の頭のネジが外れそうに見えたら、止めてくれって。まあ、監視役だね」
エンジュはよく言葉を選んで話してくれたが、その意味するところはも分かった。
「もちろんこれは『ちゃんのため』じゃないし、信長が自分の意志で勝手にやってることで、オレも元カレとして出来ることはやってあげようという――」
「ちょ、誰が元カレだ!」
と清田がふたり揃ってそっぽを向いて真っ赤になっているので、エンジュはネタをぶっ込み、慌てた清田ににやにやと笑って見せる。も頬をピンク色に染めて吹き出す。
「あの、ありがとうございます、私がこんな風に言うのも変なんですけど」
「てかちゃんの方は大丈夫なの、男寄ってこないの」
「それがどうも、同世代には興味を持たれない人間らしくて、グラつくような相手からは何も」
「え。まだオッサンに言い寄られてんのお前」
「オッサンというか、まあそうだね、バイト先とかではあるよ。学校ではないけど」
「うーん、この色気は同世代には伝わらないよな」
「色気!?」
清田が素っ頓狂な声を上げたので、は思わず引っ叩いた。なんで驚くんだ!
「お前もわかんないか。たぶん遠恋しながら孤軍奮闘してるせいだろうね」
「い、色っぽいんですか私って」
「また調子に乗る……」
「あはは、こっちに戻ってきたら消えるかもよ。てか本当に信長にはもったいないなあ」
エンジュは組んだ腕をテーブルに置き、身を乗り出す。
「オレ、基本的には男の方が好きだけど、女だったらちゃんがいいなあ。やっぱりさ、男と男じゃどう頑張っても子供出来ないし。ちゃん、信長と上手く行かなくなったらいつでもおいで!」
「エンジュ、マジいい加減にしろよ」
「そんな怖い顔するなよ。あ、そうか、オレ元々はお前のこと好きなんだし、3人で結婚しようか!」
「エンジュ!!!」
「3Pは経験ないんだけど、きっと楽しいよ」
「いやあのが泡吹きそうだからやめてやってくれ」
地味に質素に学生をやっていたは、久々の衝撃に目の焦点が合っていない。耳まで真っ赤だ。
「てかお前男いるだろうがよ」
「んー、だけど信長とちゃんだったら好きな人がふたりなわけだろ。そっちの方がよくない?」
「よくない? じゃねえよ……お前は尊か」
「あはは、でもたぶんオレ尊さんとは仲良くなれない気がする。同族嫌悪的な」
一生懸命気持ちを落ち着かせようとしていたはしかし、尊とエンジュではぶーちんの言う「愛の大きさ」も形もまったく違うのでは思っていた。エンジュの愛は優しいが、尊の愛は少し悲しい。
「ま、心が決まったらいつでもどうぞ」
そう言って微笑むエンジュ、は清田のそばに彼がいてくれることを頼もしく思った。
はエンジュのことを思い出し、それと同時に清田にもやはり色々あって、けれど彼は振り切ってくれたのだと確信して胸がじわりと痛んだ。もちろんエンジュの助けがあったからこそなのだろうが、それでもを選ぶことが清田の意志だったのだ。
なのでは、また別のファストファッション店にて清田の好みで下着を買うことにした。正直自分の好みとは少し違う気がしたが、下着もある意味では消耗品、対清田用にでもしておけばいいだろう。
「そういえばさ、なんで『エンジュ』なの? エンジュ、って木だよね」
「木? いや本名。遠藤寿一。次男なのにおかしいよな」
「……それで!?」
和服が似合いそうな美少年のあだ名なのだから、何か素敵なエピソードがあるのだろうと思っていたはぴょんと飛び上がった。なんだそれ、芸能人のあだ名みたいじゃないか。
「あだ名なあ、オレも変なの色々あったな。ゼッヒーとかキョータとか」
「キョータ……ああ、清田、ね」
「ぶーみてえだよな」
は止まる。ぶーみたい? 何が?
「…………お前まさかと思うけど『ぶーちん』て見た目のことだと思ってたか?」
「ちちちち、違うの……?」
「うわマジか。あいつ、旧姓、藪内ってんだよ」
やぶうち、やぶーち、ぶーちん。
「イヤァァァ!」
「まあ、白いしぽってりしてるし鼻が上向いてるのは事実だけどさ」
「えっ、ちょ、ちょっと待って、だぁは? あれは『ダーリン』だよね?」
「いやいや、なんだよダーリンて、あれも苗字だろうが」
「苗字、って、小山田? お、おやま、だぁ!?」
知り合って5年ほどが経つというのにそんなことも知らなかった。清田は呆れて、しかし高笑いだ。
「お前はほんとに失礼なやつだよなあ」
「いやそのあの、私別にそんなつもりじゃヒィィ」
「しょうがねえなあ、あいつらに代わってお仕置きといきましょうかねさん」
「お仕置きって何するつもりよ!」
「そりゃあ色々と!」
「イヤァァァ!」
は今明かされる新事実に驚愕しつつ、清田に引きずられていった。