星霜フラグメント
Plus&Minus

05

+ 5h 30min.

「なっつかしいなそれー!」
「そう? てかほら、これもあるんだから指輪なんかなくてもいいんだよ」
「お前もしつこいな。こういうのは思い立った時にやらねーとダメなんだよ」

の手首には、長くレンタルロッカーにしまい込まれたままだったブレスレットがある。細いシルバーのチェーンに小さな石やクロス、貝のモチーフなどがたくさんついている。清田に貰った誕生日プレゼントだ。その他にもピアスとペンダントも貰っているが、そちらは今日は出番なし。

というかレンタルロッカーは未だに借り受けていて、写真だのユニフォームだのは入ったままになっている。現在は祖父母と3人暮らしだが、鍵もかからない場所においておくのは不安だし、この点に関しては身内より他人の方が信頼に値する。

永源がある大きな駅までやって来たは、清田と手を繋いで駅前のファッションビルに足を踏み入れた。全館レディースファッション、雑貨、化粧品という女の園だが、清田は違和感がない。頼朝は恐ろしく似合わないし、尊では色んな意味で面倒だが、清田はなぜか馴染む。はこっそり吹き出した。

ついでにアクセサリー売り場でも平気で入って行き、躊躇なく手に取ってあれがいいだのこれがいいだのとぶつぶつ言っている。恐らくが下着売り場に行くと言っても平気で着いてくるに違いない。

「てかこのブレスとか、ピアスとか、自分で買ったの?」
「そりゃそうだろ。人にプレゼントするもの誰かに買わせに行くか?」
「いやそうなんだけど、こういうところ、恥ずかしくないの?」
「別にー」

吹き出すお構いなしに、清田は目についた指輪を取り上げてはの指に嵌め、悩んでいる。

「なんか信長ってモテそうなのに、なんでモテなかったの?」
……オレはたまになんで君のことが好きなんだろうと悩む時があります」
「だってさ、普通こんなところ嫌がるでしょ」
「そうか? だって、そしたらアクセサリーなんてどうやってプレゼントするんだよ」

それはそうなのだが……は左手の薬指に代わる代わる嵌められる指輪のきらめきをぼんやり眺めていた。こうしてまた一緒にいられることになったのは嬉しいけれど、自分はともかく、清田はよく5年も待てたものだと思う。絶望的にモテない引きこもりではないのだし、それが不思議だった。

もバイト先の社員やらに言い寄られたりしたけれど、それと清田は比べ物にならない。清田よりもかっこいいようなのに言い寄られたことはなかったから、その点では自分は誘惑に耐えたというほどでもないと思っているが、清田は違うだろう。私より可愛い子なんて、ざらにいるんだし――

「お前はどーいうのがいいんだ」
「あんまり大きいのは困るかな。どうせなら付けてたいし」
「そうだよなあ。だけどあんまり飾り気がないと可愛くないし」

は地味だ。おしゃれは独立してから解禁と決めているし、変に着飾ってろくでもないのに言い寄られたりする原因を作るのも嫌だ。それを清田に謝ったことがあるが、何しろ場所がベッドの上で、裸だった。おしゃれも何も関係ない状態だったので、あんまり伝わらなかった。

そんなだから、高校も大学も、付き合いは浅いけれど、友人は全員地味だった。反面、義理の妹であるアユルは美人だったし、おしゃれが大好き、ファッションやメイクにも詳しかった。父親のヤギさんは全く似ていない。恐らく離婚したという母親に似ているんだろう。

清田は「おっ」と声を上げてひとつ指輪を取り上げた。シルバーのリングの表半分に、捻れたような刻みと、細かいブルーのストーンが散りばめられている。まるで波だ。

「これどうよ。波みたいでよくね?」
「わ、ほんとだ。信長が気に入ったんなら、これでいいよ。キレイ」
「じゃあこれにしよう。いくらだ……あれっ、思ったより安いな」

仕方あるまい、シルバーはそれほど高くないし、散りばめられているストーンも本物ではない。それはそれで面白くなさそうな清田だったが、何しろデザインが気に入ってしまった。同じデザインのピアスやペンダントはないかと清田はうろうろしていたが、見つからない。結局3980円の指輪だけを買った。

買ったそばからの指に嵌めた清田は、自分の手を持ち上げて首を傾げた。

「これはいくらだったん」
「6800円」
「うおお、やっぱりなんかないのか! 他に!」
「いやほら、重量ってことでいいじゃん。大きさが違うんだから」
「畜生、見てろ、今度はちゃんとしたの買うからな! そういう時ってダイヤか?」

悔しがる清田を見て笑いながら、は改めて思う。こんな風に能動的に積極的に彼女を喜ばせようとしてくれる清田は、本当にモテなかったんだろうか。何も離れている間のことをつぶさに知りたいわけじゃない。だけど、もしそれらを振り切って自分を選んでくれたのだとしたらと思うと、泣きそうになるだけだ。

- 2 years.

がヤギさんとアユルで傷ついている頃、清田には妙な「モテ期」が到来していた。何しろ生まれて初めて男に告白された。驚くあまり、OKもNOもぶん投げた清田は、ちょっと詳しく話を聞かせろと言って当人を居酒屋に連れ込み、初めて触れる世界のことを散々話させた。

その上で断るのはなんだか申し訳ないような気もしたが、そこは礼儀と考えて、大学に入って以来誰にも教えたことのないの件を全て話した。そしてすまんと頭を下げた。相手は大人しいが賢い人で、当人同士には問題がないのに上手くいかない恋愛は身に覚えがあるからよくわかる、頑張って欲しいと言ってくれた。

彼は名前を略して「エンジュ」と呼ばれていて、ひとつ年上だったが、1年浪人していたので同期。清田の先輩の神を思い起こさせるすらりとした体に切れ長の目の、結構な美男子であった。恋愛にはアグレッシヴなタイプなんだそうで、清田に振られてもショックを受けた様子はなく、結果としてふたりは友達になってしまった。

エンジュは女性化願望はないようだったが、よろず感性が繊細で、後に清田がへのプレゼントを悩んだ時などはずいぶんと助けてもらった。

さらに、それとは別に女バスの1年と、バスケット部OBの妹だという女の子と急に距離が近くなった。

特に女バスの1年の子とは街でばったり出会ったり、彼女がトラブっているところに出くわしたり、なんとなくのようで、清田は混乱してきた。見た目は全く似ていないし、そもそも大学でもバスケットをしているくらいなので、身長はかなり高かったし、体育会系育ちのせいか、どことなくぶっきらぼうではあった。しかし、

ちゃんの代わりにはならないんだよ。そういうつもりならちゃんと決別してからにしなよ」

エンジュは何でも遠慮なく言う。清田は居酒屋のテーブルに額を打ち付けて呻いた。そんなつもりはないと胸を張って言える自信がなかったからだ。いつかの海南の後輩マネージャーを思い出して、余計に凹む。

「そりゃ付き合ってないのかもしれないけど、それはちゃんと関係を残したまま別の女の子とくっついていいってことじゃないだろ。いつでもちゃんを忘れて別の道を歩んでいい、そうと決めた時に迷わず行かれるようにって、そういう思いで言ってくれたんだろ」

ぐうの音も出ない。

「そんなお堅いこと言うな、遠恋で溜まってんだし、言い寄ってくる女に手ェ出したって、バレなきゃいーじゃん、ってんならそれでもいいけど、その上ちゃんは本妻だからキープしとく、みたいなのだったら、少なくともオレはその時からお前じゃなくてちゃんの味方になるよ」

エンジュはいわゆる「受け」である。女性的に振る舞ったりはしないが、恋愛においては女性的役割でいたいのだと言う。なので、清田のように元気でリーダーシップがあり、引っ張っていってくれるような人が好みなわけだが、そのせいでだいぶ苦労してきたそうだ。

「別にちゃんのために我慢しろなんて言ってないけど、せめてどっちかにしなよ」
「既にどっちかで迷ってるみたいな言い方すんな」
「実際迷ってるじゃないか」
「迷ってない!」
「じゃあどっち」
……
「何その、間」

清田はサワーグラスを掴んだまま、再度テーブルにゴチンと額を打ち付けた。

「なんかわかるなちゃんの気持ち。悩んで縛られるくらいなら自分なんか捨てて新しい世界へ飛び出して行って欲しいっていう、そういう思いやり、愛情、伝わらないんだよな〜」

清田はまた呻く。というか、そんなことエンジュに言われなくたってわかっている。

「まあ、男だからね、気持ちより欲求が先立つのは仕方ないけど」
「バカ言え、これでももう2年以上耐えてるんだぞ」
「その間1回も会ってないんだっけ?」
「いや……2回ほど」
「ゼロじゃないんだろ。自慢になるか。そんなこと言ったらそもそも相手すらいないのはどうしろって言うんだよ」

それと比べられても、である。

「もしかしてアレか? もしこのチャンスを逃したら、一生ちゃんじゃないといけない、そしたらオレの人生、女の経験人数ひとりになっちゃうとか、そういうアレ?」

勢いよく顔を上げた清田の目は怒りで吊り上がっていた。しかしエンジュはにっこりと微笑む。

「正解なんてないし、どっちがいいかなんて人それぞれだし、バカが吹聴して煽る感情に乗るなよ、信長。どっちがいいかを決めるのは自分なんだし、信長が本気でどっちかが正しいと思えば、それが正解なんだから」

そんなことをにこにこしながら言うエンジュは、貞淑そうな顔をしているが、経験人数は既に両手でも足りない猛者である。しかも全てちゃんと付き合った上での関係だというから、アグレッシヴどころの話ではない。

エンジュの言うこともわからないではない清田だが、それは一番の理由ではない。確かにしか知らないのはカッコ悪いような気もするが、尊という極端な例を知っている清田は、それほど数にはこだわっていない。というか情報が間違いでなければ、頼朝など未だにゼロの疑いがある。

「間はあっても、どっちがいいかって考えたら、結局なんだよ」
「まあ、嫌いになる理由がないからね」
「あの子らのこと好きなのかって言えば、それもなんか違う気がするんだよ」
「だけど実体がそこにあるからね」
「お前ほんと可愛くねえな」
「大丈夫、スイートハートの前では可愛くなるから」

ちなみに彼は完全なる同性愛者ではなく、本気で惚れたのであれば、異性でもダメということはない、という、本人曰く「95パーセントゲイ」なんだそうだ。もしそれを受け入れてくれる女性がいたら、子供が欲しいと考えているらしいが、今のところ好みの男がいたらそれらを捨てる自信があるので、現実的ではないという。

「バレなきゃいいやもセフレも、オレにお前を止める権利なんかないけど、自分の軸がはっきり定まらないままそんなことになったら一生苦しいぞ。どっちを取っても、揺らいでしまったことは結局自分でわかってるんだから」

だから怖い。が好きなのに、手の届くところにある誘惑に流されそうになる自分が怖い。そして流されたとしても、を忘れるという選択肢がないであろう自分が怖い。それが誰であっても、例えエンジュだったとしても、と両方傷つけることになるのだ。

頼朝ほど頭が固いわけではないが、尊のように同時展開恋愛は出来ない。バカキャラでテンション高め、色々ライトでも、本質的には一途なタイプなので、それが余計につらいわけだ。

……近くにいれば、こんなこと」
「経験上、距離の近さイコール安定でないことは断言しておくよ」

清田は三度、テーブルに額を打ち付けた。わかってることをちょっと言ってみただけなのに!

清田のこの苦悩に関して言えば、毎日暇なだけの学生でなかったことと、エンジュがいたこと、そして時期が良かった。清田が悶々としながら忙しくしている間に時が過ぎ、夏休みになり、がやって来たからだ。

触れられる距離にがいれば、他の女に気が向くことなどなかった。限られた時間であることがそうさせていたせいもあるが、という存在がいかに自分の中で大きなものかということを再確認出来た。

その余韻に浸かっていた8月末のことだった。が成人式には帰ると言っていたので、それを糧に頑張ろうという気持ちになっていた清田は、とにかく油断していたし、緩んでいたし、への思いは絶対に揺るがないのだと自分を過信していた。

ひょんなことから女バスの後輩とふたりきりになってしまった。場所は友達の部屋。

それでも清田は間違いを起こす気はなかったし、起こるとも思っていなかったし、以前ほどこの後輩に対してを重ねたりもしなくなっていた。だが、清田の方はそれでよくても、後輩の方はそんなつもりなど微塵もない。好きな先輩とふたりきり、こんなチャンスを逃したらと思い詰めた。

だらだらと雑談をしていたのに、清田が気付いた時には、すぐ隣に後輩が座っていて、今にも腕が触れそうになっていた。それでも清田が知らんふりしていると、彼女は痺れを切らして腕に手をかけてきた。

「どうしたよ」
「あたしじゃダメですか」
「えっ、何が」
「先輩て、どういう女の子が好きなんですか」

真夏のことで、ノースリーブの腕が伸びてきて、清田は全身の肌がぞわりと粟立つ。

「何言ってんだ、落ち着けよ。いくらオレがハイパー・イケメンだからって――
「落ち着いてます。あたし、先輩、好きなんです、だから」
「わかったわかった、だからちょっと落ち着けよ、そんなのは――

なんとか後輩の腕を外そうとした清田は、隙を突かれてキスされてしまった。

その時のことを、清田は「一切覚えてない」とのちに述懐している。記憶が飛んでいる。だが、ともかく頭が真っ白になってしまった清田は、後輩のキスに理性を奪われて彼女を押し倒した。記憶はないが、おそらく自分からもキスしたのではないかと考えている。

だが、押し倒した後輩の髪が床に広がり、キスを繰り返していた清田の目に、赤いピアスが飛び込んできた。

一瞬で蘇る理性、の泣き顔、約束の海、尊に押し倒されて泣いていた、ユキ、、水戸、泣いている、海南、湘北、――

清田は体を跳ね上げ、驚いている後輩に「ごめん」と一言言うと、そのまま友達の家を出た。そして、走った。走って走って、そのままエンジュの家に逃げた。

エンジュは3つ年上の兄とその彼女と3人で同居しており、兄たちは仕事でいないので、平日に休みであれば、マンションにひとり住まい状態である。清田はそのエンジュが住むマンションまで延々走り続け、汗だくでフラフラしながらエンジュの腕の中に飛び込んだ。

「なん、どうしたんだ、何があったんだよ」
「エンジュ、なんでオレ、どうして、どうしてこんな風になるんだ」
「だから何があったんだって」
「普通、あんな風にならない、平気だろ、どうしてオレは、なんで――

あんまり清田が支離滅裂で汗だくでぐったりしているので、エンジュは彼を風呂場に投げ込み、服を着たままの状態で冷水を浴びせかけた。咳き込もうがえずこうがお構いなしで口元にもシャワーをかけ、強制的に水分補給もさせた。そうして清田が動かなくなったところで、温度を上げて暖め、タオルと服を貸してやった。

真っ直ぐ立てないほど憔悴している清田をベッドに寝かせ、話を聞き出したエンジュは呆れた。

「体が反応したんだろ。しょうがないんじゃないの、それ」
「記憶、ない。ピアスが目に入って、のこと思い出すまで、自分がなにしたのか、思い出せない」
「結局さ、何が嫌なの? その子と出来なかったこと? ちゃん以外の女に襲いかかったこと?」

清田は、エンジュのベッドにぐったりと横になりながら、目を閉じる。

「覚悟が、ないこと――

胸を張ってだけが好きなんだと言えない、理性は簡単に飛んでいった。以外の女など興味がないと腹を括れない、後輩の肌は心地よかった。エンジュの言うように、軸が定まらない。だぁが殴られても怒られても、ぶーちんとその子供を守ろうとした、あれは17の時だ。自分はもう20になるというのに――

エンジュの白い手が清田の頭をゆっくり撫でる。

「お前さ、浮気とか、二股とか、なんかそういうのにトラウマでもあるの?」

ありすぎる。尊の顔が浮かんできた。

親がいない隙を狙って、もしくは親がいても、尊はいつも違う女の子を部屋に連れ込んでいた。それは彼が中学生の頃からの話だ。当時清田は小学生。何をしているのかはだいたい察しがついたし、それに多少の興味はあったけれど、毎回毎回嬉しそうな笑顔で尊に連れられてくる女の子を見ている内に、嫌悪感が増してきた。

「エンジュ、全部話して、楽になりたい」
「いいよ。早めに出しな。なんなら一発ヤッてもいいよ。抜いたげようか?」
「それはいい」

エンジュは鼻で笑って、そしてまた清田の頭を撫でた。