星霜フラグメント
Plus&Minus

08

- 1 years.

再婚同士だから地味に、なんて言ってたのはどの口だ。は母親のウェディングドレス姿を眺めながら、ぼんやりと座っていた。確かに小じんまりとした席だが、普通に結婚披露宴である。その上、アユルがベビーピンクのドレス姿ではもう笑うしかない。いくら身内でも新婦以外がそんな色着たらいかん。

それでも最初は本当に地味に済ませる予定だったことはも知っている。母とヤギさんを焚きつけたのは、地元の同級生たちだ。あの頃のカップルが苦労時代を経て再び手を取り合うと聞いて湧いて出た。ドレスも披露宴も二次会も全部同級生たちの入れ知恵である。

まあそれも本人たちがやりたいのであれば、は文句を言うつもりはなかった。だが、その費用に父の遺産が充てられると聞いてまた頭から湯気が出た。娘の学費にすら渋った遺産を再婚披露宴に使うだと!?

だが、このことに関しては、は祖父から頭を下げられ、彼に免じて一切の遺恨としないと誓った。

それに、ヤギさんが取りなしてくれたようで、姓のままでいられることになったし、いずれ父の遺産も放棄して神奈川に帰るのだ。それを考えたら、カリカリするのがバカらしくなってきた。金が欲しいわけじゃないし、自由の代償だと思えば安いものだ。

むしろ、そんなことがあったせいで、慌ただしい中で生活を共にするのが精一杯だった祖父母と距離が縮まってきた。借り物の着物とぶーちんによるヘアメイクで撮った成人式の写真を見た祖母は涙ぐみ、祖父はまた頭を下げた。そして、清田を見てとても喜んでくれた。

祖母など「背が高くてかっこいいわねぇ」を連呼し、約3日ほどそれを繰り返して祖父をげんなりさせていた。いつかちゃんと神奈川に帰ることが出来て、清田とも元通りの関係になれたら、ふたりに会ってもらおうとは思った。いやむしろ、ふたりを神奈川に呼んだらどうだろう。鎌倉とか江ノ島とか横浜中華街とか!

そう考えることで精神の平穏を保っていただが、ここからが地獄だった。アユルたちとの同居である。

自分は祖父母の家に残ると言ったのだが、何を思ったかヤギさんはほぼ新築の中古一戸建てを購入、母はそんなわけだからの部屋があると言い出した。しかもベッドも家具も入っているという。

「おじいちゃん、私行きたくない……
「だけどバイトも学校も変わらないんだろ。寝に帰るだけじゃないか」
「変わらないけど全部遠くなるんだよ。時間がもったいない」
「あたしはが残ってもいいよって言ったんだけどねえ」

その上新居は広大な地区にこれでもかというほど建てられた分譲の物件。見渡す限り家だらけ。家ばかりが並ぶ通りを抜けるのに5分位かかる。抜けたら道路、畑、国道。そこにバスは通っていない。母とヤギさんは今でも毎朝車通勤なので、特に変化はない。

「アユルちゃんはどうするんだって?」
「パパの店と、大学に行く路線の駅が近いので、毎朝一緒におでかけー」

の通う大学は、祖父母の家から通うのに最適だったこともあって選んだものだ。時間帯によっては無料のシャトルバスが使えるし、最寄りからは数駅で着くし、言うことがなかった。だが、今度はバス停まで歩いて15分、乗って20分、電車で5駅、乗り換えて3駅である。

「いやだあああ」
「免許取ったらどうだ?」
「免許も車も、どうせ全部私が出すんでしょ」
「おじいちゃん出してあげるよ」
「バカ言わないでよ。だからここに残るのが一番いいって言ってるのに」

その上、免許にしても車にしても原付きにしても、どちらにしろ神奈川に帰る頃には不要になる。さらに、その家に越すことでショッピングモールからも離れることがには耐え難かった。このモールはこの土地で戦うを支える基盤なのである。今度は歩いて10分のところにコンビニが1軒あるだけ。

そんなことでまたがグズっていたら伯父と伯母に捕まり、ほぼ新築の家に住めるというのに文句を言うとは、なんという贅沢者なんだと叱られた。いや、だからボロくていいからおじいちゃんの家にいさせてくれと言ってみたが、祖母に家事をやってもらえるからだろうと返された。話が通じない。

確かに母もまだ働いているし、ヤギさんも1日中店だし、アユルはあの通りだから何もしないだろうし、きっと家事はにお鉢が回ってくるんじゃないかという気しかしない。それを思えば、祖父母と3人協力し合いながら生活する方がいい。

しかし、この時点で言うと、学生ではあってもは既に成人、文句があるなら自分で生活費を稼げと言われてしまう。は頭を抱えた。大学は3年生になったばかり、まだ2年近くが残っている。貯金も目標額には届いていない。

が、何も解決策が見出だせないまま引っ越しを迎えてしまった。の荷物は本当にささやかで、大事なものは相変わらずレンタルロッカーに預けてある。もはや禁欲生活なので、本当に余計なものがない。渋々荷物を運び込んだに、ヤギさんは憐憫の目を向けていた。

「えー、ちゃん荷物これだけえ?」
「この子ケチだからねー。おしゃれもしないし」

アユルとの母は仲良くやれているらしい。先日も一緒にバス旅行に行ったとかで、母はうきうきしていた。

ちゃん、本当にこれしか荷物がないの?」
「はい。あとはまあ、自分のものというと、箸と茶碗くらいですか」
「だってこれじゃ……
「学校とバイトで精一杯ですからねー。こんなもんで充分なんですよ」
……物を増やさないようにしてるの?」
「ええ、もちろん。私物を増やせば増やすだけ予算も増えますからね」

くすくす笑って答えるに、ヤギさんは眉を下げた。

が達観することで、一見穏やかに始まった新生活だったが、破綻は早かった。

理由はふたつ。ひとつには、誰も家事をやらないので、1ヶ月もすると家の中がひどく散らかって汚れてきた。バイトをすぐに変えられないとヤギさんは朝家を出ると夜遅くまで帰らないし、せめて早く帰ってくるアユルは一切やらないし、の母も仕事に慣れてきたせいで、残業が増えていた。

もうひとつには、どうやら我儘な上に構ってちゃんであるらしいアユルとがどうにも合わない。

ひとりの部屋が与えられたし、ショッピングモールは遠いしで、当然は勉強にも体を休めるのにも部屋を使った。そこにしょっちゅうアユルが乱入してくる。彼女は暇な時だととても夜更かしで、が勉強していようが、ゆっくり休んでいようがお構いなし。たまに清田と電話していても平気で部屋に入って来る。

がひとりにして欲しいと言おうものなら、アユルは仲良くなりたくて歩み寄りを見せているのに、なぜ邪険にするのだと小言を言われた。結果、同居が1ヶ月を過ぎた頃から、は頻繁に祖父母の家に逃げるようになった。母はまた小言を言ったが、祖父母の方が庇ってくれるようになった。

「尊さんと会いたいとか、しつこくて」
「尊さんは、お兄ちゃんだっけ?」
「そう、2番めのお兄さん。モデルみたいにきれいな人なんだよね」

新居に越してから2ヶ月、は土曜の夜を祖母とふたりで過ごしていた。場所は祖父母の家の居間。は畳の上にぺたりと横になって、座布団に頬を埋めていた。そして、ロッカーから出してきた海南のジャージを羽織っていた。こうしていると、清田に抱き締められているような気がする。

「そんなきれいな人なら、たくさん女の子が周りにいるだろうに」
「あはは、ほんとほんと。実際、女の子には困ってない人だからなあ」
「あたしは信長くんの方がかっこいいと思うわよ」
「ありがとー。私も信長の方が好きー」

祖母は手を伸ばしての頭を撫でた。今、祖父の方がをうちに引き取りたいと直談判をしに行っているのだ。あんまりが新しい家族との生活で疲れているので、なぜそんなに頑ななのかと問うた祖父は、本当のことを聞かされるや、うちで卒業まで過ごしなさいと言って、すぐに自分の娘とヤギさんにアポを取った。

「ねえ、おばあちゃん、おばあちゃんとおじいちゃんて、お見合い?」
「そりゃそうよ、私たちの頃はお見合いの方が多かったくらいだし」
「他に好きな人とかいなかったの?」
「お見合いした頃はね。その前にはいたけど、あれは好きというより、憧れの君というくらいだったわね」

祖母はまたの頭を撫で、声も立てずににやりと笑った。

「あたしだけかもしんないけどねえ、その代わり、あんたみたいに、やりたいこととか夢とか、なーんもなかったわよ。大人になったら結婚して子供を産むのが当たり前と思っていたからね。よく今の若い子は言うでしょう、そんなの可哀想とかなんとか。だけどそれを不幸に思ったことなんかなかったわよ」

もにやりと唇を歪める。そうか、おばあちゃんもやりたいこと、なかったんだねえ。同じだ。

「それを可哀想とか言われると、ちょっとカチンと来るよねえ。あたしは一生懸命生きてきたし、子供も産まれて幸せだったし、そりゃあ、おじいちゃんは王子様じゃあなかったけど、あたしだってお姫様じゃないもの」
「後悔とか、ある?」
「そうねえ、言うほどじゃないんだけど、高〜い山に登ってみたかったね。雲の上に出るような」

彼女は膝が悪いので、今となってはそれも難しい夢だ。

……おばあちゃん、我儘言ってごめんね」
「何言ってるの。おじいちゃんも言ってたでしょ、あんたは勉強頑張って、信長くんのところに帰りなさい」
「うん。そしたら、遊びに来てね。一緒に鎌倉行こう、大仏様、見に行こうよ」
「いいわねえ〜、あたし長谷寺行ってみたかったのよね」

そろそろ22時になるが、祖父はまだ帰らない。けれど、ももうあの家を「自宅」として帰るつもりはなかった。は海南ジャージを口元に引き寄せながら、目を閉じた。

+ 10h.

「あのさ、来年、こっち越してきたら、お願いがあるんだけど」
「何だよ、珍しいな」
「おじいちゃんとおばあちゃんをね、一度こっちに招待しようと思ってて」

現在18時、ご休憩4時間を前払いしてしまったので1時間ほど時間を残したふたりは、ベッドでぺたりとくっついて喋っていた。さっきから清田の腹がギュルギュル鳴り始めているけれど、もう少しくっついていたかった。帰ればどうせ同じ部屋でこうして眠るのだが、それでも。

「おお、いいじゃん。あんまりこっち来たことないって言ってたもんな」
「それでね、その時、ふたりに会ってもらえないかな。ちょっとだけでいいから」
「え、いいの? 怒られないかなオレ」
「何で怒るの。ふたりとも喜んでるよ。おばあちゃんは尊さんよりかっこいいって言うし」
「マジか。オレおばあちゃん超おもてなしするわ」

これまで、尊より信長がいいなんて言い出した人間はただひとりである。だもんで、尊と比べて自分の方がいいと言われることに慣れていない清田は真剣な顔で喜んだ。それに、要領がよく愛想がいい三男は年配の方のお相手は得意中の得意。向こうが問題ないなら任せておけというところだ。

「ちょっと顔合わせるだけでいいから、お願いできる?」
「そんな遠慮すんな、観光だろ。車出すし、都合が合えばいくらでもお伴するって」
「ほんと? あ、ありがと……ありがと信長」

嬉しそうにニカッと笑う清田の体に、はギュッとしがみつく。

お前の好きなパンツ買ったんだから、甘い言葉のひとつやふたつ吐いてみろと言ってみただったが、いざ本当に甘い言葉が出てくると、簡単に落ちた。てっきり吹き出して笑ってくれると思っていた清田も違う意味で落ちた。そんなわけでだいぶ盛り上がったけれど、そんなことも忘れて、は心から清田に感謝した。

――私が、お母さんたちとの生活が上手く行かなかった時にね、それでげっそりしてて、実はあんまり詳しくこっちに戻りたいこと話してなくて、なんでそんなに学校とバイトでがんじがらめになってるんだ、っていうから、話したの、全部。そしたらね、おじいちゃんがね、オレが話つけてくるから、はここにいなさい、勉強とバイト頑張って、信長くんのところに帰りなさいって言ってくれたんだよ」

それもほぼ1年前の話だ。ヤギさんは舅の襲来なので黙っていたし、の母親も自身が東京に進学した時のことを引っ張りだされて何も言い返せなかった。遺産やら家やらは全て兄に譲るから東京の大学に行きたいと言って彼女は家を出た。学生時代の生活費も学費も、全て親の負担だった。

家族なのだから一緒に住むのが当たり前なんだし、娘の生活費を出すのはこっちだとゴネもしたそうだが、とうとう祖父に怒鳴られ、最後はヤギさんの方がの意思を尊重しようと取りなしてくれたそうだ。

母の方も娘と一緒にいたいのだろうが、とにかくずっと方法を間違えている。自分の願望を通したいから自分に合わせろというには、はもう子供ではない。

本当に神奈川に就活に出かけてしまった時もグズグズ文句を言っていたし、今回のこの「帰郷」にしてもそういう経緯があるから日帰りとは考えていた。だが、こうして清田の腕の中にいると、自分の心はずっとここに置いたままだったのだと改めて思う。この場所以外に自分の生きる場所はない。

……じいちゃんて年いくつ?」
「えーっと、73とかそんなんだったかな」
「そんじゃ、まだまだ元気だよな」
「だろうねえ。ちょっと血圧高いらしいけど、大きな病気もしなかったしね。なんで?」

の額に頬ずりをしながら清田はゆっくりと目を閉じた。

「じいちゃんが生きてる間に『お孫さんを下さい』って言わなきゃならねえからな」
「の、信長――
「あ、親父さんとこにもちゃんと行くからな。連れてってくれよ」
「うん、うん、ありがとう、信長、ありがとう」

が鼻をグズグズ言わせ始めたのて、清田は頭を撫でてやりつつ、箱根がいいんじゃないかだの、じいちゃん城は好きか、小田原城はどうだだの言っては、笑っていた。それを聞きながら、も笑っていた。泣きながら、笑っていた。

残る数ヶ月、なんとか無事に過ごして、ちゃんとここに帰って来よう、そして清田と一緒に祖父母と観光ができるようにしよう。出来るなら、新九郎と由香里にも会ってもらおう、ユキにも、三柴にも――