星霜フラグメント
Plus&Minus

02

- 5 years.

戦闘準備は整ったし、意欲もあるし、環境もいいし、だけど清田に会いたいのも本当だ。手始めに中間で学年1位をマークしただが、そんなものはまだ威嚇射撃に過ぎない。は頼朝仕込みの目的達成プランニングで、自分の高校生活計画を組み立て始めた。

勉強を頑張って何とか安く大学進学をするのはもちろんだが、の計画の最終地点は大学卒業後に神奈川で就職をして、清田家の近くに帰ることである。それより手前に中途半端な目標を置いてしまうと、1番の目的へ到達するための道筋がブレるし、逆算できない。目標はシンプルに、かつ明確に!

しかも、アルバイト代を神奈川へ帰るのにばかり使っていたら、とてもじゃないが貯金など出来ない。は清田に会いたいという目先の餌に惑わされてはならないのだと自分に言い聞かせた。無駄遣いも厳禁。本当に必要な物を見極めなければならない。このあたりが特に頼朝仕込みたるゆえんである。

何しろ母親は働き始めたばかり、祖父母は年金暮らし、父親の遺産はあるが、それは是非とも学費に使わせてもらいたい。は高校から大学の間に、いきなり神奈川で就職して帰っても困らないだけの資金を貯めたかったのだ。引越し費用、ひとり暮らし資金、母親に金銭面で頼らなくていいように。

その中から地道に交通費を絞り出して、清田に会いに行こう。あの海で会おう。

そんなわけで、は勉強とバイトの鬼と化した。転校してくるなり学年1位を取ってしまったには生徒会や文系の部の勧誘が来たけれど、もちろんそんなもの全てお断りである。学校が終わったら図書室やショッピングモールのイートインスペースで勉強をし、バイトに出かけ、帰ったらまた勉強する。

土日は朝からバイト。ただし17時には必ず終えて、少し勉強したら必ず休む。家でリラックス出来ない時はショッピングモールがある。ここが何しろの「戦い」の中ではとんでもなく役に立った。そこで清田と電話で話したりできればなおさら、元気が出た。

転校間もなく学年1位デビューを飾ったは、ニコニコ顔の担任との進路相談でも「神奈川に帰るのが目標です」と言い切り、担任を落胆させた。故郷や友達が恋しいのはわかるけど、それだけのために学生生活を費やすのはもったいないのではと遠回しに言われた。大きなお世話である。

そもそも進路相談は高校卒業後のことを相談するのであって、大学卒業後の話をしているのではない。は簡単に家庭事情を説明した上で、できれば公立、奨学金はダメ元で申請しまくる、おそらく予備校は最低限しか通えない、それもアルバイトしながら自分で負担しなきゃならないかもしれないと大袈裟に言った。

何度か相談を重ねたところで、担任の方もの決意が固いこと、そのためのプランニングは意外としっかりしていること、とにかく経済的な問題が本人にはどうにもならない――という事情が飲み込めてきた。

湘北のように、この高校も就職・短大・専門が9割程度を占めていて、大学進学は少数派であり、基本的には経済的に余裕のある生徒が楽に入れる私大を目指すくらいが常であった。そこへ降って湧いた国公立志望である。しかも父を亡くした母子家庭、バイトの鬼。先生たちはを助けてやりたいと思うようになっていった。

このように「夢」に向かって邁進するにとって、母の故郷での生活環境はまるで追い風が吹いているかのように、順調だった。誰もがの不遇な過去に同情し、の努力に感心し、そんな空気が全てをうまく運んでくれているようだった。

だがそこは清田の言うように「問題児」、そのまま順調に行くわけがなかった。

- 4 years.

母の故郷に引っ越して以来、は勉強とバイトの鬼と化し、母親の方も新生活で目が回るほど忙しく、急に娘と孫と同居することになった祖父母も落ち着かず、嫁がいい顔をしない伯父は役目を終えると顔を出さなくなったが、1年が過ぎても慌ただしいままであった。

「へえ、学校でそんなことしてくれんの」
「特別ー!」
「そーいうのっていいのか? ひとりだけ補講なんて」
「そりゃ、転校してきて以来、成績トップなままですんで」
「すげーなお前!!」
「またお兄ちゃんにコーヒー送っといたからね。それと一緒にリストバンドとターバン入ってるから」

高校3年生になり、そろそろ夏休みのだが、成績は落とさないしバリバリ働いているしで、この年の担任が夏休みの間に特別授業を組んでくれることになった。公立を目指しているというのに、経済的な問題でお盆休みの頃の特別夏期講習5日間だけしか予備校に行かれないからである。

というかだけのためではなく、受験生なら誰でも参加していいよと呼びかけたというのに、しか名乗りを上げなかったというのが正しい。は頼朝にも遠慮なくメール攻撃をし、なおかつ彼がまだ有名大学と距離が近い間に、神奈川の企業の情報を仕入れてもいた。

そんなわけで、は頼朝には定期的にコーヒー豆を送っている。シアトル系は嫌だ、イタリアンコーヒーがいいと言っていたので、輸入食材店でイタリアンローストと書かれた豆を買おうとしたら、これはアイスコーヒー向きですよと教えられたので、南米産のフレンチローストを送っている。ここでもショッピングモール大活躍。

とはいえ頼朝だけに物を送るのはなんとなく癪に障るので、いつも清田や新九郎由香里にも何かしらくっつけて送っている。今回は清田にとって最後の、そして海南の主将としてのインターハイなので、念を込めたリストバンドとターバンを一緒に持って行ってもらうことにした。

一方で、貯金は順調に進んでいるけれど、そこから神奈川への往復新幹線代と滞在費が捻出できる気がしなかったは、この夏を諦めた。何しろ計画では秋から予備校に通い始めるので、アルバイトを辞めるつもりだったからだ。両立には限界がある。

「ねえ、ユニフォームって使い回しなの?」
「県立はそうだって話聞いたことあるな。うちは定期的に作り直すし、買い取れないこともないけど」
……インターハイ終わったら、信長のユニフォーム、欲しいな」
……オレ、冬まで残るから、クリスマス頃にな」
「いいの?」
「そんなもん欲しがるのお前くらいだろ。海南ジャージもつけてやろうか?」

照れくさかったのか、からかうように言った清田だったが、は真剣な声で、予約させてくれと返してきた。清田は言葉に詰まる。実は3年生になってすぐ、後輩マネージャーがどうやら主将のことが好きらしいという噂が立った。モテないキャラで通してきたので、仲間たちは付き合えばいいのにとずいぶん囃し立ててきた。

に申し訳ないからそんなことは出来ない――そういう風に考えてはいけないのだと何度も思い直した。とは付き合ってないし、友達だし、勝手に好きなだけだから。距離や立場は全て関係ない。と後輩、自分はどっちが好きなのかと自問すれば、必ずを選んでいる。だから後輩とは付き合わないだけだ。

同学年の部員がうるさいので、1ヶ月ほど我慢した挙句に、清田は好きな女がいるからと言って話を終わらせた。間違いではない、近くにいられないのは寂しいけれど、どうしてもが好きなのだ。誰よりも。

「じゃあ、ユニフォームとジャージはやるよ。中身も一緒にどうぞ」
「それは別に。あとジャージは上だけでいい。下はいらない」
「お前なんかそれ色々ヒドくねえか!?」

のいない夏は寂しいかもしれない。しかし幸い海南のバスケット部は暇じゃない。例えインターハイで優勝しても、まだ終わらないのだ。今年も強い海南をしっかり牽引している清田には、2つの大学からスカウトが来ている。どちらも東京なので、場所は問題ない。

清田もなんとなくではあるが、地元のプロチームに入りたいという夢が出来てきた。そのために、より有利な方に進みたいと考えている。は必ず帰ってくると信じているから、自分もそれに応えたい。には黙っているけれど、そんな風に思い始めていた。

そうして数カ月後、は地元の公立に合格、それを支えてきた先生たちが諸手を上げて騒ぐほどの快挙だった。何しろこの高校から現役の国公立合格者が出るのは史上5人目で、その上、一番長くこの高校にいる先生に言わせると「5人の中でも1番条件が悪かった」んだそうで、本人以上に喜んでくれた。

合格の報せはすぐに清田家にも届き、新九郎と由香里、そして今回は頼朝まで感涙、三男と次男に白い目で見られていた。が、の元には尊厳選による有名パティシエのデコレーションケーキが贈られた。

清田ももちろんバスケットでの大学進学が決まっているし、そんなお祝いムードのさなかのことだった。

「初恋って……
「中3の時にちょっと付き合ってたらしいんだけど、奥さん出てっちゃって、今独身なんだって」
「えーと、まだ2年経ってないよな」
「あと2ヶ月位で2年かな。最近よく位牌に謝ってるよ」

の母親は地元に残っていた初恋の相手と再会、ちょっといい感じになってしまっているらしい。

「まあその、小母さんだってこれからも生きてくわけだし、一生小父さんに遠慮しろとは言わないけど」
「向こうが独身じゃなければよかったんだろうけどね。うちらよりひとつ下の女の子がいるみたいで」
「向こうにしてみれば、女手が欲しいのもあるのか」
「たぶんね。それはこの間ぶーちんにも言われた。母親と姉なんて最高じゃん、て」

それだけで話が済めばよかったのだが、相手が地元で飲食店を営んでいるせいもあり、仕事が終わると店に立ち寄っているらしいの母は帰宅が遅くなってきた。一応仕事も順調に続いているので、家庭内では彼女の発言権が増していたし、家事は元々祖母がやっているので、誰も文句が言えない。

やがて春休みに入り、翌月から始まるの学生生活の準備について話し合っていると、必要な物への出費が多いと漏らし始めた。しかしもう制服ではないので、毎日着る服もいるし、靴もいるし、バッグもいるし、それは贅沢品ではない。は久々に爆発した。父の遺産の半分は自分に権利があると怒った。

が、そんな風に怒ったところで何しろ未成年である。しかも、奨学金を受けられることになったので学費は相当安く済むけれど、生活費は出してもらわねばならない。母親が不貞腐れるので、は荷物をまとめて家を飛び出した。慌てる祖父母には「お父さんのお墓参り行って来ます!」と怒鳴った。

そしてショッピングモールで支度を整えると、シャトルバスを待ちながら清田に電話をかけた。

「おー、どした――
「今からそっち行くから!!!」
「ハァ!?」

春休みに入ったばかりの清田は自宅でだらだらしており、電話の向こうでが怒鳴るので飛び上がって驚いた。しかも時間は既に午後。辿りつけないということはないけれど、それにしても急過ぎる。これからターミナル駅まで移動して新幹線の席確保して乗って、また乗り換えて――海、真っ暗だぞ!!!

「それはとりあえずいいよもう!」
「いいよもう、ってお前が言ったんだろうが!」
「じゃあいいよ、別に会ってくれなくても。ぶーちんとこ行くから!!!」
「そんなこと言ってないだろ! 落ち着け! 、迎えに行くから」

電話の向こうでの鼻が鳴る。まったくもう、また泣いてるのかよ。清田はため息を付いて呆れながらも、に会えるかと思うと、息が詰まって、胸が苦しかった。

「新幹線の時間決まったら連絡しなよ、行くから」
「ごめん……
「なんで謝るんだよ。、会いたい、早く会いたい」

の涙声を残し、電話は切れた。清田はすぐに身支度をして最寄り駅まで出た。が辿り着くまでは相当時間がかかるけれど、すぐに動けるように待機しておくつもりだった。それに、逸る気持ちを抑えきれない。財布の中では、いつかだぁに貰った1万円が今も静かに眠っていた。

+ 1h 45min.

「やっだもー、大変ご無沙汰してまっすー。お変わりありませんか、皆様お元気でいらっしゃる?」

由香里の喋り方が可笑しいので、はナオの背中に顔を押し付けて笑いを堪えている。

「あらやだ、お忙しかった? 平気? そうそう、驚いちゃったわ、急に来るんだもの、主人も私もびっくりしたけど、もー犬が騒いでえ! そうそう、柴三匹なのよー! 見せてもらったことある? ほんと? それハルちゃんよー! かわいいでしょー! 男の子なんだけどね、美人さんなのよおー!」

はナオの背中に顔を押し付けたまま、「エフッ」と変な声を出した。

「母さんはああいうの得意だからな〜」
「あからさまにわざとらしいけどな……

夫と三男も少し引き気味だが、きっとの母親は由香里の弾丸トークに押されているに違いない。

「それでねえ、しばらくご無沙汰してましたでしょ、こんな機会だから久々にご挨拶しようかと思って番号聞いたのよー! あら、ちゃんいつまでこっちいるんだっけ? えっ、泊まらないの!? 何かあるの? 何かお忙しかったのかしら、お父様お母様の具合がよろしくないとか? まさかと思うけど奥様もお元気?」

由香里の攻撃は続く。が日帰りで帰らなければならない理由はない。

「だったらゆっくりして行ったらいいじゃないの〜。泊まるところはあるんだし。えっ、そうよお、だってうち今、頼朝も尊もいないし、ノブも夏休みで帰ってるだけだし、気兼ねはいらないわよ! 犬だらけだけどねー!」

由香里の高笑いがリビングに響き渡る。さながらどこかの悪役のようだ。

「そうよねえ、ちょっと前まで子供だと思ってたけど、もう大人だものね、私たちも子離れしなきゃいけないわよねえー! それにしてもちゃんは立派だわ、私もね、身近に母子家庭の方たくさん知ってるけどね、どこも難しいのよ。グレちゃった子もいっぱいいるわ。だけど奥様、よく育てられましたね、素晴らしいわ」

今度は褒め殺しだ。しかしこの時由香里の顔は少しだけ怒りに歪んでいて、は胸が詰まる。

「奥様も再婚されて新しいご家族が出来たし、ご実家も近いし、ちゃんは立派に独立だし、亡きご主人のご加護の賜物ね。本当によかったわ。何仰るの、本当よ! あら話が逸れちゃったわね、嫌だわー!!!」

とうとう全員下を向いて肩を震わせた。由香里・オン・ステージ、いよいよクライマックスである。

「じゃあ少しのんびりしていったらいいじゃないの。ダメかしら? あらほんと? やだそんなこといいのよ、普段から人が多い家なんだから、ご存知でしょ! うちの母も喜ぶわ、そうそう、あらやだお引き止めしてごめんなさい、いいのいいの、それじゃあ失礼します、はい、はい、はーい!」

一際大きな声を上げて、由香里は子機の通話ボタンを切った。一瞬の後、リビング大爆笑。

「これでもう大丈夫よ、好きなだけ泊まって行きなさいね」
「小母さんありがとう〜」
「いいのよ、その間に春からの相談もしましょ。ね、お父さん」
「そうだそうだ。こっちにいる間に出来ることはやっておいたらいい」

は大笑いしたのと嬉しいのとで、涙ぐみながら何度も頷いた。