星霜フラグメント
Plus&Minus

12

+ 219days (+1h).

関わり合いになりたくないけど、放置していても何も変わらない。どころか事態が悪化する恐れすらあるわけで、結局と清田は最寄り駅まで出かけていった。誰もいない家の中、アユルのわがままのせいでケージに入れられ、不安そうな顔をしたユキたちを見ていると、は泣きたくなった。

おじいちゃんと話したし、日曜で少し道が混んでいたりと、ふたりはアユルの到着から1時間ほどで最寄り駅についた。まあ、充分予想できることだが、アユルは1時間も待たせたことを開口一番怒りだした。

「なんか変なのに声かけられたりするし寒いし、なんなのもう」
「だったらその辺のカフェでも何でも入ってたらよかったでしょ」

清田家の最寄り駅前にはファストフード店とカフェチェーン店、コンビニ、これまた全国チェーンのスーパーなどがある。どれもアユルの地元にもあるものだし、単線の終着駅とか言うならともかく、日本全国どこにあってもおかしくないような光景そのものだ。20歳も過ぎて棒立ちになって待つような場所じゃない。

「あと、うちには泊まれないからそのつもりでね」
「はあ? じゃあどこに泊まればいいの。アユル、漫喫とか嫌なんだけど」
「ホテル取ればいいでしょ。もう大人なんだし、それで何だって調べられるでしょ」

は淡々とアユルの手に握られたままの携帯を指す。だが、アユルにとってこの携帯端末はコミュニケーションツールでありゲーム機でありオーディオプレイヤーでありデジタルカメラでしかない。情報端末という概念は持っていない。そういう目的に使えることは知っていても、自分でやるのは嫌なのだ。

「せっかく来たのに何それ」
「私が呼んだわけじゃないし、私はパパじゃない、自分のことは自分でやって」
「えー、なんなのそれー。ねえねえ信長もなんか言ってよ」

初対面の人間に対してこんな態度が取れるアユルのメンタルは一体どうなっているんだろう。の一歩後ろでじっと成り行きを見守っていた清田は、肩を竦めてみせただけで何も言わない。自分の兄はだいぶオカシイと思っていたし、大学にはもっとオカシイのもいっぱいいたけれど、これは中々にレベルが高い。

「てかアユル、尊さんに会いたいんだけど、呼んでよ!」
「連絡先知らない」
「信長は知ってるでしょ。日曜なんだし、いいじゃん」
「いや、オレも知らない」
「はあ? 弟なんでしょ、なんで知らないの?」

なんでと言われても知らないものは知らない。尊はとっくに家を出ていて、もちろん新九郎と由香里は知っているだろうが、清田と頼朝は知らない。三兄弟それぞれがちゃんと親と繋がっていれば、個々に連絡先を持っていなくても用は足りる。というか個々に連絡を取る理由があまり発生しない。

最近、とうとうガラケーがイカレた頼朝がスマホになり、なぜかとはメッセージツールで繋がっているが、末弟とはやりとりをしない。もし必要があればに連絡を取ればいいだけの話だからだ。

それの是非はともかく、本当にふたりとも尊の連絡先など知らない。というか住所も職場も知らない。

「じゃあ神でもいいよ」
「じん?」
……無理だよ、連絡取ってない」

がきょとんとしているので、アユルは嬉しそうだ。清田はまた肩を竦める。

「海南の先輩。確か去年、何かのモデルやったんだ」
「ブランドとコラボしたアスリートの広告シリーズね!」
「大学違うし、もうずっと連絡取ってないから」
「えー!」
「いい加減にして。さっきから初対面の人に対して失礼なことばっかり。友達じゃないでしょ」
「失礼ってなにー。フレンドリーにしてるだけじゃない。心配しなくても略奪したりしないって」

これはぶーちんがいたら殴られそうな状況だ。頼朝なら説教が始まるだろう。

さて、と清田にとってこの数年間というもの、自分たちにはどうしようもない理由で苦難を強いられ続けてきた。もちろん新九郎と由香里や、の祖父母など、心を砕いて手を差し伸べてくれた人も多い。けれど、どちらにしても、遠い場所にいる相手のことを思いながらひとりで戦ってきた。

そうしてやっと手の届く場所で一緒に前を向いていけるようになった。そんな矢先にこれである。アユルもある意味では「可哀想な子」なのかもしれない。しかしそれなら、も「可哀想な子」であった。アユルはずっと不貞腐れているだけ、は戦うことを選んだ。

だから、この時のことは、と清田ふたりに初めて吹いた、幸運の風だったのかもしれない。

「あれえ、どうしたのふたりともこんなところで〜」

春の匂いが交じる風に乗って、声が聞こえてきた。一斉に声のした方に顔を向ける3人、息を呑むと清田、甲高い歓声を上げるアユル、平凡な駅前の歩道の上、枯草色の金髪とデザイナブルなコートが風に揺れる。

尊だ。は思わず目が熱くなり、背中が震えた。

清田家最寄り駅のカフェのお姉さんは尊と中学の同級生だったらしい。フロアマネージャーというネームプレートを付けた彼女は尊を見て喜び、ハグをされてぴょんぴょん飛び跳ねていた。それを横目に、は全員分のドリンクを勝手にオーダーする。清田はカフェモカ、尊は紅茶、アユルはシーズン限定メニュー。

ここは兄弟同士姉妹同士で並んで着席するのが一番無難なのだろうが、何しろあまり平穏な関係ではない。清田はさっさとの隣に座り、それを見たアユルは大喜びで尊の隣に滑り込んだ。

「へえ、の妹かあ」
「あゆる、って言います。アーユルヴェーダって知ってますか?」
「そりゃあ知ってるけど……ああ、そこから取ったのか」
「はい、命、って意味なんですよ」

成人式あたりから、清田家はおばあちゃん以外全員「」と呼ぶ。お決まりの文句なのだろう、に言ったのと同じことを繰り返すアユルは目がきらきらと光っている。と清田はもはや生気のない目でぼんやりとそれを眺めている。

「何しに来たの」
「春休みだから遊びに来たんです! だけどなんか迷惑みたいに言われちゃって」
……事前連絡が一切ありませんでしたから」
「ふうん、なるほどね。……だけどウチは」
「ああ、今朝からだよ。ばーさんはヨシちゃん」

素早く察した清田の言葉に尊はうんうんと頷いた。新九郎と由香里が不在であることは知っていたようだ。むしろそれを知っていて地元に戻ってきた真意の方が気になると清田だったが、それはとりあえず考えないことにする。実家に帰る目的ではなかったかもしれない。

「アパートに泊めてもらおうと思って来たのに、ダメっていうんですよー」
「というか……泊まるって、荷物それだけなの?」
「荷物重いの嫌じゃないですかー」

また尊は「ふうん」と言って紅茶を啜っている。と清田は口を挟む気もないので黙っている。

「じゃあこれから帰るの?」
「えっ、なんで!?」
「だってのアパートには泊まれないんだし、は用があるんだし」

用というか清田の面倒を見るくらいなものだが、一応アユルの相手をする予定でなかったことは確かだ。

「えー、じゃあ尊さん遊んでくださいよー」
「遊ぶって、何するの」
「何でもいいですよ、尊さんが普段遊んでるところ連れてって欲しいな」
「オレ、あんまり遊んだりしないんだけどね」
「えー、そうなんですかー? 休みの日はおうちにいるタイプとかー?」

強いて言うなら尊は休みの日は家具屋か家電量販店にいるタイプだ。ただ彼が人と違うのはそこに色んな女がくっついてくるので、結果的にデートみたいになっている、という点であるが、も清田もそれを言ってやる気はない。しかし一体どうすればこの状況を終わらせられるんだろう。

「君はどういうところがいいの」
「アユルですか、うーん、アユルまだバーとかクラブとか行ったことなくて、そういうの地元にないから」

なんで住宅街最寄り駅にクラブがあるんだ、この駅にだってクラブなんかないわ、というかアユルの地元でもターミナル駅まで出ればどっちもあるわ! とは声にならない叫びを飲み込んだ。の祖父の見立てはほぼ正確だったことになる。

「バーとかクラブ、ねえ」
「尊さんはそういうところ行かないんですかー?」
「付き合いでどうしても行かなきゃいけないことはあるけど、自分からは行かないなあ。ねえ?」
……そうだな」
もクラブなんて行ったことないでしょ、行きたくない?」
「いや、あるけど……
「はあ!?」

アユルの知っているはファストファッションブランドすら「高い」と言って、スーパーの2階にあるような店の服を延々着倒しているダサ女である。そういう女は遍くバーやクラブには入ったことがないという感覚だったアユルは、きれいな目を真ん丸にして身を乗り出した。

「あれは、一昨年か。夏休みにこっち来た時だな」
「それも友達に誘われたからで、わざわざ出かけたわけじゃないけど……

その友達はエンジュだ。清田と一緒に連れられて行ったことがある。

「バーとかクラブねえ、海の方にあるにはあるけど」
「ほんとですかー!? 行きたーい!」
「おい、尊……

さすがにマズいんじゃないのかという顔をした清田に、尊はにっこりと微笑む。そしてちらりとにも目を向け、同じように微笑んだ。きゃいきゃいはしゃいでいるアユルはそれに気付かずに携帯をいじっている。

「まだ時間が早いから、夜になったらね。ノブとも来るだろ」
「え? いやオレたちは別に――
……わかりました、行きます」

そうは言っても尊に丸投げするわけにも行かない。はテーブルの下で清田の手をぎゅっと握りしめた。

「それじゃ君はホテル取って、荷物置いて、クラブは夜になったらね」
「はあーい! でも夜まで暇なんですけどー。尊さんそれまでどうするんですか」
「好きなカフェがあるからそこ行って、あとは家具屋」
「一緒に行っちゃだめですか?」
「いいけど、面白くないんじゃないのかな」
「大丈夫です! 私もインテリアとか興味あるんです」

あれよあれよという間に話が纏まっていく。

「じゃあノブ、19時に待ち合わせにしようか。やることあるんだろ」
……わかった。ここでいいか。駅前」
「いや、車出して。だぁがいつも停めてるところにしよう」

だぁがいつも停めてるのは、3つ先の大きな駅のメインストリートにあるパーキングだ。永源があり、尊お気に入りのカフェがあり、がぶーちんと出会い、清田と一緒に行った食べ放題の店があった街だ。確かに車ならそこから移動するのが一番アクセスがいい。

と清田に向かって、尊は再度にっこりと微笑んで見せた。

「尊のやつ、何を企んでるんだ」
「企んでるのかな」
「でなきゃなんであんなこと」
「なんか……尊さん変じゃなかった?」

尊とアユルが連れ立って出かけてしまったので、ふたりは清田家に帰ってきた。ついでに今日と明日の食材を買い込み、もうすでに午後ナカだが昼を食べていなかったので、駅前のスーパーで惣菜やらパンやらを買って帰ってきた。ダイニングでそれを食べながら、ふたりは難しい顔をしている。

「あいつが変なのは今に始まったことじゃないからなあ」
「うーん、私もうまく言葉で表現できないんだけど……

ふたりが帰宅したのでケージから出してもらった4匹は、テーブルの下からクレクレオーラを出しながらウロウロしている。しかしまたバーだかクラブだかに出かけていかねばならないので、その時は再度ケージ入りである。オス3匹は文句を言うだけで諦めもいいが、甘えん坊のナオは無人で長時間放置されると臍を曲げる。

……、ごめん」
「えっ、何が!?」
「オレあの子無理」

清田がしかめっ面をしてコロッケを齧るので、は音を立てて吹き出した。

「私に謝るようなこと?」
「だって一応家族だろ」
「戸籍上ではね。けど私は正式にのままだし、続柄は『妻の子』だし、家族とはちょっと違うよ」
「だからほんとは今日も行きたくない」
「そりゃ私だって行きたくないよ」
「放っといたらダメなのか」

それは清田の本音だったろう。は大きく頷いて手を止め、膝に揃える。

「正直に言うね、私、アユルは別にどうなったっていいんだけど、尊さんが心配なの」
「どういう……
「なんか今日の尊さん変だった。そりゃあ、あの頃から時間も経ってるけど、そういうんじゃなくて――

は首を傾げ、髪をかき回している。

「うまく言葉に出来ないけど、だけど、アユルのせいで尊さんが傷付くんじゃないかって」
「そうかあ?」
――ごめん信長、言い方悪かったらごめん、私、尊さんと普通に話せるようになりたい」

テーブルに肘をついて顔を覆い、はため息とともに吐き出した。

「小父さんとかゆかりんとか頼朝さんみたいに、信長の家族だから、そういう意味で普通になりたい」
「あんな……ことがあったのに?」
「信長は嫌?」
「嫌っていうか……平気なのかって……
「そりゃ平気じゃないよ。だけど私、その、信長の家族の中に入りたい」

もちろん一番の理由は清田本人だけれど、清田の後ろには彼の家族がいて、それも好きで、だから学生生活を全てバイトと勉強に捧げても、帰ってきたかった。

「信長の家族、その中には尊さんがいる。だから普通になりたいって考えてた。あ、でも、信長が尊さんとそうなって欲しくないって言うなら、今のままでもいいんだけどさ、頼朝さんみたいに、お兄ちゃんと妹みたいになれないかなって、最近思うようになってて――

言葉を切って顔を上げると、清田がいない。慌てて顔を巡らせると、すぐ隣に立っていて、を見下ろしていた。そして、驚くの手を掴むと力任せに引っ張り上げた。ユキがすぐに近寄ってきて、ふたりをじっと見ている。短い悲鳴を上げたは、しかし何も言わずに清田を見上げていた。

の手を掴んだ清田は、そのままリビングのソファに引きずって行って、肩に手をかけて押し倒した。

……お前のファーストキス、尊だよな」
「そう」
「お前を最初に押し倒して服脱がせて、体にキスしたのもあいつだよな」
……うん」
……オレがしたかった。それがどうしても取れない」

言いながら、清田はに覆い被さり、細く息を吐く。

「そんなこともうどうしようもないのに、誰か知らない男ならともかく、尊だっていうのが、どうしても許せない」

いつかエンジュに全てブチ撒けたのもこれだ。色んな女を取っ替え引っ替え、幸せそうな女の子を連れてきては部屋で何かやってる。一度見たきり来なくなった子もいたし、何度か見かけた子もいた。どこかで羨ましいような気もしていた。けれど、二度と見かけなくなった子は一体どうしたんだろうと思うと、胸がざわついた。

名前も知らない女の子はそれでも構わなかった。だけど、がそういう女の子の中のひとりだったのかと思うと、腹立たしさが収まらない。もう6年も前になるけれど、清田の心の奥底にその棘が刺さって抜けない。引き抜こうとすれば、心が痛む。

……信長、ごめんなさい」
「え、いやそういう意味じゃ――オレがずっと囚われたままなだけで」
「私も信長がよかった。あの頃のことはすごく後悔してる」
ごめん、そういう意味じゃないんだ」

頬に伸びてきたの手を掴み、清田は目を伏せた。どれだけ時間が経っても振り切れない過去、エンジュはそれを「愛しい傷跡」だと言った。ポエムみたいな言い方するなと反論した清田だったが、エンジュは「自分しか愛してやれない癒えることのない傷、それは快楽に似てる」と言って笑った。

だから手放せないんだと言ったエンジュに清田は食って掛かった。けれど、清田の方にそういう気持ちがある以上は、は清田に対する負い目と、同意なく尊に押し倒された過去、その両方を抱え続けなきゃならない。それが続く限りふたりの関係は対等にはならないと言われて、返す言葉がなかった。

のせいじゃない、はただ恋に恋する少女だっただけなんだと何度も自分に言い聞かせた。

「後悔してるのはオレの方だ。わかってたのに、止められなかった。だからいつまで経ってもこんな風に引きずって、だけど、お前の気持ちもわかるんだ。わかってるのに、こんな――

は両腕を伸ばして、清田の頭を抱え込み、優しく抱き締めた。