エバー・アフター

15

挙式からしばらくののち、あまりに長男がジジババに溺愛されていることに危機感を覚えていた公延夫妻の間に、また新たな生命が宿った。早々のふたり目にジジババは再度興奮の坩堝。長男が可愛い晴子や清田もまたこんなのが出てくるのかとにわかに浮き立った。

生まれてきたのは、また男の子。性別がわかるまでジジババと清田は女の子がいいと盛り上がっていたが、木暮家の2番目は男の子になった。だが、女の子がいいと言っていた清田は兄弟と聞いて目の色を変えた。ちょうど長男が清田に懐き始めていたし、彼は得意になってバスケットを教えるようになった。

ついでに最近では彼女まで木暮家に連れてきては、長男と遊んだり彼女がに料理を教わったりと、子供が生まれるたびに木暮家と清田の関係は奇妙に近しくなっていった。

その次男が1歳になる少し前のことである。

「え? ひいおじいさんの方じゃなくて?」
「なぜかそっちはピンピンしてるよ。オレが言ってるのは耄碌ジジイの方」
「そうか……まあ、倒れてからも何年か経ってるしな」

本人の希望通りプロ入りをした周防だったが、相変わらず赤木家その2に足繁く通っている。現在の住まいは少し遠いが、時間を見つけては清田のようにアポなしでやって来る。その周防が久しぶりに宗像の家の話を始めた。耄碌ジジイこと先代当主の体調が思わしくなく、あまり長いことはないだろう、という話だそうだ。

「オレ、今度顔出して来るから」
「えっ? 宗像の家に?」
「まさか、ジジイが入ってる病院だよ。オレは一言言ってやらなきゃ気が済まねーから」

いつも食事時に突然やって来るので、美須々はいつも慌てて周防の分を作り足すことになる。今もキッチンに立ちながら話を聞いていた。赤木が酒と共に相手をしてくれているので、美須々は冷蔵庫をひっくり返している。

「体も弱って死にゆく年寄りでもオレには関係ない。今でも寝たまま偉そうなこと言ってるらしいしね」
「まあ、それもお祖父さんがそういう生き方をしてきた結果だな」

威勢のいいことを言っているが、周防は無表情だった。怒っているとか苛ついているのではなくて、宗像の家で過ごしてきた結果として彼はその道を選んだのだ。以前なら美須々に何も言わずに病院に突撃して、文句を言ってきたんだと事後報告でふんぞり返っていただろう。

そして、暗に美須々に「お前はどうする?」と問いかけてもいるんだろう。

「どうした。お祖父さんのことか?」
「ええ、なんだか自分がどうしたいのかもあまり浮かんでこなくて」

一応気を使っているのか、周防は泊まって帰ったりはしない。終電ギリギリでもちゃんと自宅へ帰っていく。周防が帰って静かになった赤木家の寝室で、美須々はぼんやりしていた。周防ほど祖父に対して明確な意識はないけれど、心の隅に引っかかる。

「無理して答えを出さなくてもいいんじゃないか。間に合わなくても、そういう巡り合わせだったんだよ」
「私もそう思うんですけど……何かあるような気がしてならないんです。それが見つからなくて」
「見つけたところで、それをぶつけに行ったらまたつらい思いをしないか?」

横になった美須々を腕枕して、赤木は頭を撫でてやる。結婚以来、特に赤木の両親からは孫はまだかと突付かれているが、何より美須々の精神状態が優先なので、その予定はない。今のところ、ハニーが赤木家その2の子供のようなものだ。それでもずいぶん美須々は安定してきている。

「それもそうなんですが、私の中のどこかに答えが隠れている感じがするんです」
「焦るなよ。もし見つかっても、気分のいいものじゃないかもしれないからな」
「大丈夫です。剛さんとハニーがいれば、平気です」

美須々は幸せそうにふにゃりと笑った。周防はいいのかと突っ込む赤木に、美須々ははいと即答した。

「以前に比べたら私と周防の関係はとてもよくなっていますけど、だからといって、あの子と私も普通の姉と弟とは少し違うと思います。今はお互い執着がないと言えばいいかしら……宗像家とはもう関わりたくないけれど、そこから逃げ出した同志という感じです。家族愛とかそういうものの対象じゃありません」

だが、それから数日後、美須々は祖父に会いに行きたいと言い出した。

「本当に大丈夫なのか。自分の精神状態を試すような気持ちはないだろうな?」
「はい、大丈夫です。もちろん絶対に負けないとは言えないので、一緒に行ってくれませんか」
「そりゃ構わんが……

周防はこの日の前日に突撃し、言いたかったことを全部ブチ撒けてきてやったと興奮気味に電話を寄越した。ジジイ、何も言い返せないでやんの、と言っていたが、それはおそらく相手にされなかっただけだろうと思われる。まあ、その代わりに母親と大喧嘩してきたらしいし、本人は満足していた。

「周防は何を言いたかったんだ」
「私も初耳だったんですが、どうも中学生の時に彼女と別れさせられたらしいんです」
「祖父さんの差し金だったってのか?」
「周防も中学は私立なんですが、相手は地元の子だったそうなので」

宗像家周辺は元々宗像家の土地だった地所が多く、今でも宗像家は名主のように振る舞うことが多々ある。きっと祖父には気に入らない理由のある、古くからその辺りに住む家の子だったのだろう。人を差し向けて別れろと言えば、逆らえない環境に生きる子であったに違いない。

「そこから何一つ宗像の家の言う通りにはしたくなくなったらしくて。秋月に入ったのもそういう理由からだと」
「それを言ってきたのか」
「それが、今の彼女がその子なんだそうで……あんたには屈しないと言い捨ててきたそうです」

赤木はつい吹き出した。見た目に関わらずチャラチャラした性質の周防だが、とんだ純愛じゃないか。途中の引力に引っかかっていたようだったが、もうその呪縛はない。

「じゃあ、お前も答えが見つかったんだな」
「はい、ちょっと意外なところにあって。道理で見つからないはずです」

美須々が楽しそうに笑うので、赤木は黙って着いて行くことにした。

「おお、さすがだな、特別個室とは……
「大人しく病院にいるだけましです。以前なら勝手に退院してました」

宗像家の誰がいるかもわからないが、答えの見つかった美須々はあまり緊張していないようだった。その上、いわゆる宗像家仕様とでも言うべき暗い色の固い服にハーフアップではなく、明るい色のワンピースに髪は毛先がくるんと巻かれている。美須々は挙式以来ますます明るい色の服を好むようになっていた。

病室の前には誰もおらず、重厚な両開きのドアも少し開いていた。ナースステーションで確認を取ったが、面会謝絶ではないようだし、応対してくれた看護師の感じでは割と頻繁に人の出入りがあるようだ。

心配する赤木を他所に、失礼しますと声をかけた美須々はつかつかと病室に入っていった。バスルームや応接スペースを過ぎると機器類や点滴に囲まれたベッドが現れ、その上には灰色がかった肌の先代宗像家当主がリクライニングベッドに寄りかかって体を起こしていた。

「誰かと思えば……昨日の周防といい、何の用だ」
「大変ご無沙汰しております」

宗像老は顔を歪めて、吐き捨てるように言った。なぜか美須々は平然としていて、赤木の方が緊張してきた。

「それは何だ」
「主人です」
「初めまして、赤木と申します」
「ふん、外に飛び出して勝手をしているかと思えば、男を捕まえて主人ですと来たか。女はこれだから」

毒と棘しかない言葉よりも、赤木は美須々の方が気になって仕方なかった。こんなことを言われて大丈夫なのか、こんなことを言われてまで、こんな老人に何の用があると言うんだ。

「家風にも添えない、親の決めた結婚も出来ない、司法試験も投げ出して、恥さらしもいいところだ。おまけにそれが姉弟揃ってと来てる。やはり婿なんぞ適当にもらうもんじゃなかったな。女は外に出して、男に継がせないとこういうことになる。オレと親父が身を粉にして築きあげてきたものを台無しにしおって!」

だいぶ都合のいい解釈でぐだぐだと文句を言い出した宗像老だったが、美須々は黙って聞いている。一応見舞いなので、小さな花束と洋菓子の箱を応接スペースに並べておく。名前は入れていない。

ある程度宗像老が言い終えると、美須々はベッドサイドに戻り、口を開いた。

「それは私も周防もよくわかっています。おかげさまで、今、私たちはとても幸せです」

美須々はにっこり笑ってそう言った。宗像老も赤木もぽかんとしている。

「私たちにはもう宗像の家に関係のあるものは何も残っていません。周防がやむなく宗像姓というだけで、私にはもうそれもありません。ですが宗像の家から離れれば離れるほど、私はたくさんの良い人間に恵まれて、日に日に健やかで幸せになっていきました」

心に傷が残りはしたが、美須々はそれでもなお赤木や木暮夫婦がいてくれることが幸せだった。晴子もいて、周防との関係もよくなり、ハニーもやって来た。それら全て宗像の家にいては得られなかった幸せの数々だった。

「宗像の家でどんな風に思われていようと、それはもはやどうでもいいことです。私は愛する伴侶を得ました。主人は家族です。素晴らしい友人もおります。一番新しい友人はまだ1歳なんですよ。何もかも、宗像の家にはなかったもので、宗像の家がどれだけ頑張っても手に入れられない尊いものです」

笑顔の美須々は足を進めて祖父に近付き、胸の前で手を組んで話す。

「どうぞ私を出来損ないと思ったままでいて下さい。宗像の家の人間とは認めないで下さい。それが私の幸福になります。私はその幸福と共に一生を生きていきます。素晴らしい人生です」

わずかだが、宗像老の眉が釣り上がる。ここで美須々を罵倒するのは簡単だ。だが、それでは美須々に幸福を与えることになってしまう。彼女はそういう主張をしているからだ。布団を掴む手が少し震えている。怒りでいっぱいになっているだろうが、思うさま言い返したら負けだ。

美須々が軽く頭を下げたので、赤木は一歩足を進めて同じように頭を下げる。

「それでも私には過ぎた女性です。美須々さんをこの世に授けて下さってありがとうございます」

振り返った美須々は挙式の時のような輝く笑顔で手を差し出し、赤木はその手を取るとしっかりと握りしめた。

「お祖父さんお別れです、さようなら。どうぞ、良い余生を」

歯を食いしばり睨むばかりの宗像老を残し、ふたりは病室を出た。そのまま止まることなく外へ出て、入院患者の憩いの場になっている院内公園まで来たところで、赤木は美須々を抱き締め、頭を撫でた。人の目もあったし、ふたりは目立つが、どうでもよかった。

「美須々、お前すごいこと言ったな、偉かったな」
「たくさん失礼をしてごめんなさい、もうこれっきりですから」
「そんなこと気にするな。よくやったな、本当に大丈夫か」

赤木はずっとハラハラしながら着いてきたので、今になって気が抜けている。

「大丈夫です。剛さんの方が大丈夫ですか?」
「いやオレはなんというか、ちょっとよくわからん」

宗像家の影に怯えて眠りも妨げられ、赤木がいなければいつどこで心が崩れてしまうかもわからなかった美須々だったのに、本当にどうしたというのだ。周防のように文句を言うでなく、自分の言葉で幸せを伝えただけなのに、耄碌ジジイは完敗の体であった。赤木はこの美須々の勝利が嬉しくてたまらない。

赤木が落ち着かないので、ふたりは駅まで歩くことにして帰路につく。赤木は美須々を褒めてやりたいのと同時に、周防にも早く報告したい、公延やにも自慢してやりたくて、うずうずしていた。

「私も最初は恨み言を言わなきゃ気が済まないんじゃないかと思っていたんです。あなたのせいで苦しかったと言わないまま祖父が死んでしまったら、その気持ちを抱えていかなきゃいけないんじゃないかって。だけど、どうもそれじゃない気がして、ずっと考えていました。私は祖父とどうなりたいんだろうって」

周防はあの通り攻撃的な性格だから、怒りのままにブチ撒けてしまえればそれでいい。溜飲も下がるし、達成感もあるだろう。けれど、美須々は本来的には争いを好まない人間である。キィキィ怒って済むような気がしなかった美須々は、言う言わないではなくて、自分と祖父との関係を考えなおした。

「私が周防のように文句を言ったところで、あの人は何も思わない。むしろ私が苦しかったことを当然の結果として得意になると思ったんです。だったら、その逆はどうだろうと考えたら、なぜかすらすらと自分の気持ちが出てきて。怒ることばかり考えていたので見つからなかったんですね」

それに気付くと、美須々の心は急に晴れ晴れとしてきた。

「それを言わないまま腹に収めるべきかとも思ったんですが、そこは私も周防と同じですね。これを伝えて、あの人のどれだけ残っているかわからない余生の中に、自分が認めなかった孫が幸せという記憶を植え付けたかったんです。あの人の価値観ではゴミのような生き方、それが幸せだと自分の言葉で言いたかった」

これまでは身にまとわりつく宗像家の残りカスをそぎ落とし振り払う日々で、それももう殆ど残っていないから、美須々は最後に全てを祖父のところに置いてくることを選んだ。

「よく考えたら、周防も同じじゃないか」
「何がですか?」
「要は、引き離された彼女とまた一緒にいられて幸せなんだと言ってきたわけだろ」
「そう言われればそうですね。そっか、私も周防も同じだったんですね」

美須々は赤木の腕に絡みつきながら、嬉しそうに笑った。今までだって普通に笑っていたけれど、長い呪縛から解かれて目が覚めたような笑顔だった。もう怖くない。家族がいるから、大切な人がいるから怖くない。

普段ならこんな風に外出すると気力を消耗してぐったりとしてしまう美須々だったが、それもなかった。外食したいと言い出したり、一緒に買物をしたいと言い出したりして、ふたりは久しぶりに遊んで帰った。というより、これまでないに等しかったデートだった。

帰ってからはハニーと遊び、周防に電話してそれぞれ興奮気味に自慢したりと、普段なら真面目で堅くて慎ましい赤木夫婦はこの日、大いに楽しんだ。美須々の心にそういうことを楽しめる余裕ができたからだ。その夜、寝室でゴロゴロしていると、美須々がぼそりと呟いた。

「ねえ、剛さん」
「どうした!?」

赤木が驚いたのにはわけがある。おそらく美須々の口から「ねえ」などという言葉を聞いたのは初めてなんじゃないだろうか。どこでついた習慣か、美須々は敬語でしゃべる方が自然で、砕けた言葉遣いというものが苦手だった。女性同士ならなんとか話せても、男性相手は基本的に敬語。清田除く。

「やっぱりおかしいですか」
「いやそういうことじゃない。急だったから驚いただけだ。なんだかすっかり毒が抜けたな」
「はい。王子様がキスをしてくれたのでリンゴが出てきました」

そうは言ってもすぐにぺらぺらと喋り方が変わるわけではない。美須々は目を細めて微笑みながら、その王子様にぺたりとくっついた。挙式以来赤木家親類の間では、赤木は王子様と呼ばれているという話だ。美須々はその王子様と額を合わせると、息を吸い込み、一気に言った。

「剛さんの子供がほしいです」
「な――――
「剛さんがいてハニーがいて、それももちろん家族です。だけど、もう怖くないです。だから――

美須々が最後まで言い終わらない内に、赤木が口を塞ぐ。彼は美須々の言うように、待っていたのだ。本当ならすぐにでも家族になりたかった。だけど、美須々が不安で苦しみながら無理をして家族になっても意味がない。こうして美須々の心が開放されるのを、ずっと待っていた。

――ありがとう、美須々、愛してる」
「私も、私も愛してます、剛さん」

もう宗像美須々はこの世界のどこにも存在しない。ここにいるのは赤木美須々で、過去の影は全て取り払われ、彼女の晴れた心にあるのは、夫や弟や友人、そしていつか生まれてくる新しい命、そういう愛しいものだけ。それがただ繰り返される日々の中でいつまでも続くことを、彼女は選んだ。

「遅くなるかもしれないから、待ってないで先に寝てろよ」
「それは平気だけど……剛さんこそ無理しないでね」
「今日はどうかな。何が何でも帰るつもりでいるけど、面子が面子だからな」

宗像家との決別からほどなくして美須々は妊娠、赤木の両親や晴子、周防、たちは歓喜に沸いた。戸田の家も喜び、最近になって病みついてしまった祖母が喜びのあまりに回復に向かうというおまけまでついて、にまた色々教わりながら、美須々は新たな生命を育んでいる。

そうして美須々の腹が大きく張り出してきた頃のこと。赤木の湘北時代のチームメイトが、その湘北のバスケット部監督に就任することが決まったと言って、一席設けられることになった。場所は例によって魚住の店である。言い出しっぺは晴子だったそうだが、赤木在籍時にはマネージャーでなかったので行かないという話だ。

が子供つれて実家だって言ってたから、そっちに行くんだろ。あの兄弟はほんとに母親似だよ」
……まだ受け入れてあげられないの?」
「そういう問題じゃないんだって言ったろ」
ちゃんも可愛がってたんだし、やんちゃだったのは10年以上前のことなんでしょう?」

美須々は、晴子がの子を可愛がるのは、自分も子供がほしいからなのではと考えている。どうも2年ほど前から桜木と付き合っているらしいのだが、チームメイトで先輩だった兄はそれをどうしても受け入れられないでいる。選手としての信頼はあっても、妹を託せる人間だとはどうしても思えないという。

「晴子ちゃんに苦労させるようなことをしたら、ちゃんだって黙ってないわよ」

身支度をしている赤木にくっついて回りながら、すっかり敬語の取れた美須々は優しく語りかけている。美須々と赤木はほとんど喧嘩もしないし、まあ言ってみればラブラブな夫婦だが、この件だけは一向に赤木が折れない。

「あんまり拒絶すると、駆け落ちしちゃうかもしれないでしょ、私みたいに」
「お前のは駆け落ちだったのか、そりゃ初耳だ」
「周防だってちゃんとやれてるんだし、平気よ」
「周防とは頭の出来が違うんだけどな……

ホイホイとプロ選手にまでなってしまった周防だったが、2年目に怪我で引退を余儀なくされてしまった。もうプロスポーツの選手としては復帰が望めないとの診断を下された周防は、周囲の心配を他所に2日ほどで立ち直ると、急いで母校の秋月学園に向かった。

今も当時の監督がいる秋月学園は、高校から始めたくせにプロ入りまでした有名な先輩が突然やって来たので大いに沸いた。そこで周防は怪我で選手生命を絶たれたことを監督に打ち明け、ちょっと切ない顔をしてみせた。効果は抜群だった。監督は、彼のバスケット人生が終わらないようにと力を貸してくれた。

そんなわけで、現在周防はミニバスの監督をやっている。あまり大きなチームではなかったらしいが、元プロのイケメン監督ということでお母さんお姉さんが殺到、それに釣られて参加希望者が右肩上がりだという。例の中学時代の彼女とは半年ほど前に同居を始めていて、美須々の言うように問題もなくやっていかれているとのこと。

「私も一度会ってみたいな、桜木くん」
――あいつが自分からここまで来るならな。晴子に引っ張られて来るようじゃダメだ」
「お父さんは本当に厳しいですね〜」

美須々は腹を撫でながらふわふわと笑う。その美須々の肩を支えて、赤木も腹を撫でる。の初産の時のことを思い出すと今から構えてしまうが、子供が生まれるのは素直に嬉しかった。しかも、外野がうるさいので秘密にしているが、美須々の腹の中にいる子供は女の子である。お父さんは今から色々心配している。

「でも今日は木暮くんも一緒だから、心配ないわね。場所も魚住さんのところだし」
「酒のことなら木暮が一番信用ならんだろうが」
「あら、だからでしょ。木暮くんに飲んでもらえばいいんだもの」
「そううまく行けばいいけどな」

見た目に反して公延は酒好き、赤木は割と下戸。さらに晴子は酒に強く、周防はアルコールアレルギーで一滴も飲めない。懐かしい顔ぶれと再会するのはいいが、赤木としてはあまり酒は飲みたくない。美須々に見送られながら、赤木は玄関に向かう。靴を履くと、腕を引く美須々を抱き寄せてキスをする。

「高校の頃なんて、こんなことが出来る人間じゃなかったんだけどな」
「私だってそうよ。気を付けてね。皆さんによろしく。木暮くんしばらく会ってないし」
「ああ、そういやそうだな。言っておくよ」

もう一度キスすると、赤木は玄関ドアを開けて出かけていった。それを見送ると、美須々は重い腹を抱えてリビングに戻り、ソファに身を沈めた。すっかり大きくなったハニーが後ろ足で立ち上がって口元をせわしなく拭っている。美須々は静かに息を吐くと、腹を撫で、リモコンを手に取る。

昨日から入れっぱなしになっている「美女と野獣」のDVDを再生する。美須々は腹の子が女の子だとわかってから、胎教代わりにプリンセスシリーズをよく流している。映画が再生されると、美須々はソファの背もたれに深く寄りかかって、深呼吸をする。

続けて孫の逆襲にあった宗像家先代当主は、周防が呆れたことにふたりの襲撃を機に生きる意欲を取り戻し、なんと退院できるまでに回復してしまった。自分がさっさと死ぬとあのクソガキどもが喜ぶ、そんなのはご免だと言って退院したというから彼も強かった。だが、ついふた月ほど前に自宅で転倒、そのまま帰らぬ人となった。

その半年ほど前には曽祖父がとうとう息を引き取り、宗像家は創成期の中心であったふたりの元当主を一気に失った。それを機に宗像家はガタガタと崩れ始め、跡目争いで関係が悪化したままの現当主と美須々の母はこれも溝を修復する気はなく、広大な宗像の本家は解体されることになった。

こうして宗像家は霧散、美須々たちの父も消息が知れない。だが、美須々は相変わらず心穏やかに過ごしているし、悪夢にうなされることはなくなった。今は何より生まれてくる子供のことで頭がいっぱいだ。

ワルモノは周防が退治してくれたし、自分も戦ったし、王子様もいてくれる。その上、ちょっと口やかましいけれど助けてくれる妖精もいる。この平穏と幸せはみんなで戦って手に入れたものだと美須々は思っていた。腹をゆっくり撫でながら、美須々は目を細める。

これはまるでみんなのプリンセスストーリー。幸福に生きるための戦いの物語。

そしてそれはいつの時も、素敵な結びの言葉で終わるのだ。

「そうして、みんないつまでも楽しく暮らしました。めでたし、めでたし――

END