エバー・アフター

14

、しつこいようだけど大丈夫か?」
「たぶんダメ」
「しっかりしてくれよ、今日はほとんど客じゃないんだから」

タキシード風の可愛らしい服を着せられている長男を抱いた公延は不安そうに眉を下げている。もうすぐ1歳になる長男を連れてふたりが向かっているのは、テーマパーク内にあるホテルである。本日ここで赤木と美須々の挙式が行われる。その予定を聞いただけでは泣いていた。母さんは最近涙もろい。

「だってさ、ベルちゃんがさ、プリンセス好きでさ、お姫様にしてあげたいってさ、あの赤木くんがだよ」
「いやあ女の子っていうのは恐ろしいもんだよ、なー」
「女のせいにしないでよ。あとこんな子供に女が怖いなんて刷り込まないでよ」

ひとり暮らしになって初めて自分専用のテレビを手に入れた美須々は、子供の頃にテレビをあまり見させてもらえなかったせいで、古いアニメに夢中になった。そんな頃、引越し祝いと称してと公延はふたりでDVDプレイヤーと「美女と野獣」のDVDを贈った。少しずつ赤木との時間が増えていた時期だったし、本人も喜んだ。

初めて見るプリンセスストーリー、夢の様なドレス、王子様――美須々はこれにも魅せられて、他のプリンセスシリーズも含めて大のお気に入りになった。本人は恥ずかしいことだけどとやたら恐縮するが、彼女の持ち物にはプリンセスグッズが多くて、それは赤木もよくわかっていた。

おそらく情報元は晴子だろうと思われるのだが、このテーマパークでの挙式を提案したのは赤木の方だったという。あの赤木が夢と魔法のテーマパークで挙式だなんて、と親でもつい笑ってしまいそうな事案だったが、彼は気にしていないようだった。

学生時代の仲間や職場の人間などは呼ばず、身内だけの少人数プランだということだが、それでも昔の赤木ならとんでもなく恥ずかしいことだったに違いない。けれど、宗像美須々、今は赤木美須々である彼女をお姫様にさせてやりたい、その一心でこの挙式披露宴を計画した。の涙腺はもうボロボロである。

しかも、その中でも、自分たちがネタにされている「美女と野獣」のドレスがあるホテルを選ぶ念の入れよう。

「それにしても、よく赤木のサイズがあったもんだな」
「もちろんなかったらしいよ」
「えっ、じゃあ赤木だけ別のとかそういう……
「ジャケットだけ借りて、後は似たようなの用意したって。ジャケットも袖が足りなかったらしいけど」

美須々も少々背が高いが、ドレスの方は問題なかったという。実際に打合せに行くまでは自分なんかがとまた自虐癖が出ていた美須々だが、実際にドレスを見たらそんなことは全部吹き飛んでしまったらしい。

しかしそこで宗像家はどうするんだという話が出て、この点に関しては主に赤木の親が不安がった。戸田の家からも来てくれるというけれど、本人の家族が周防しかいないという状況な上に、現在美須々が親しい人間は全て元々赤木関係の友人なのである。

となるとが黙ってない。その話を美須々から聞きつけると、自分たちは宗像の方に入りたいと言い出した。美須々は難色を示したが、赤木はそれで頼むと言ってきた。全部で20人近い赤木家側に対し、宗像側は周防、戸田の5人、そして公延長男の9人であったが、新郎新婦は喜んだ。これでいい。

さらに美須々の希望で、スピーチと歌をが請け負うことになった。小さい部屋でのプランなのでショーアップなどはせず、席を立った状態だそうだが、さんはそんなことより美須々を見て泣いてしまうのを我慢しなければならないのがつらい。どこまで我慢できるか、それもわからない。

「はにー」
「ハニーは、ばーばたちのとこにいるよ。帰ったらまた会えるからな」
「ほんとにあの人たちは何でもいいのかな」

ハニーは現在赤木夫妻が飼っているウサギである。これもの涙腺をズタズタに傷めつけたことに、入籍を控えて新居に引っ越したふたりだったが、引っ越しの片づけが終わるかという頃になって唐突に赤木が子ウサギを連れ帰ってきた。オレンジのネザーランドドワーフで、ピーターラビットそっくり。

本人のせいではないものの、子供の頃に夢中になったウサギをきちんと飼ってやれなかったことに後悔がある美須々へのプレゼントだった。これには美須々のみならず周防まで夢中になり、今のところ赤木家その2はウサギを中心に回っているらしい。

そのハニーだが、今日は飼い主たちが遅くまで家を開けるので家が預かることになった。今朝早くにハニーがやってくると母と公延母がこれに飛びつき、構いきりになった。式の後に横浜で二次会の予定なので、グランマふたりはこの日、かわいいウサギとかわいい孫でウハウハの予定である。

しかしこのハニーちゃんメス6ヶ月であるが、彼女には隠された秘密がある。

厳格堅物夫婦に飼われることになったウサギの命名は、美須々に託された。美須々は翌日から子供の名付けかというほど悩み、画数だの意味だのとどんどん深入りしていった。そこへ晴子が遊びに来たので、呆れた兄がお前が考えろと言い出した。美須々も燃え尽きかけていて、それでいいと音を上げた。

美須々の言うところによると、晴子はぴょんぴょん跳ねまわるウサギを見てにこにこしつつ、「桜木くんみたーい」と言っていたそうだ。美須々は話には聞くものの、桜木のことはよく知らない。数分後、晴子はぼそりと「花ちゃん」と言い、兄に聞かれたかと思って慌てて口元を押さえた。だが、兄は腕組みでコーヒーを入れていた。

花道、花ちゃん、はな、ハニー、である。ウサギのカラーがオレンジだったので、晴子は「ハチミツみたいな色だから!」と説明したそうだが、つまり赤木家で溺愛されているウサギの名前は桜木花道由来なのである。兄はそのことを知らない。それを聞いたさんは今度は笑いすぎて涙腺が崩壊した。

「ていうか、、本当にお前もこういう挙式、しなくてよかったのか」
「何言ってんの、ドレスなら着たし、あれで充分だって」
「したくなったら言えよ。子供出来てからする人だっているんだからな」
「気にしない気にしない! そんなお金あったら家族旅行行こ!」

美須々は美須々、。公延は小さく笑って、そしての手を取った。

宗像家側として列席の公延とであるが、今日の式は本当に小規模で、ふたりが到着した時には既に親族同士での挨拶などは済んでいた。美須々と赤木はチャペルでの挙式の準備に入っている。

ちゃーん!」
「あっ、チビちゃん、やだどうしよ可愛いー!」

真っ先にふたりを見つけて飛んできたのは晴子と周防である。本日機動力のある身内代表のふたりはカメラだの身内のフォローだのと忙しい予定になっている。そのため晴子は可愛いが少々地味だ。晴子は公延からおチビを受け取るとぎゅうぎゅう抱き締めた。

「本日はおめでとうございます」
「いいよそんなに改まらなくたって。こんな内輪の席なんだし、さっきも大変だったんだから」
「周防くん、うちの親戚に囲まれちゃってさ」

赤木家は祖父母がまだ4人共元気だし、両親は兄妹が多いので、宗像家側より人数が多い。しかも母方のいとこが全員女。周防は戸田の従姉妹の挙式の時同様、お姉さま方に囲まれて揉みくちゃにされたというわけだ。しかも本人の希望通り彼はプロ入りが叶いそうな状態にある。まだ学生だと言い張ったが、サインを求められていた。

「いいよなちゃんは。こーいうの、もうないんだろ」
「その代わりこのおチビちゃんが誰でも引き寄せるからねえ」

人を惹きつける能力を失ったに、周防もだいぶ執着が消えていた。最近では姉夫婦にすっかり懐いてしまい、ハニーに会いたいのも込みでしょっちゅう赤木家その2に出入りしているという話だ。

「ていうかちゃんスピーチとか大丈夫なん?」
「正直、自信はないよ。今だって泣きそうなのに」
「でもさー、身内だけなんだし、いいんじゃないかなあ。ちゃんはふたりのキューピッドなんだし」
「もー、その辺の話あのふたり全ッ然してくれないんだよ! いい加減誰か教えてよ」

周防の言うことももっともだが、本人たちが話すわけはない。だいたい赤木は誰にも何も喋っていない。ふたりの顛末は美須々がや晴子に話すから公延も知っているようなもので、ふたりの物語は実に密やかに静かに紡がれてきた。そして今日、それはハイライトを迎える。

チャペルでの挙式は粛々と執り行われた。さすがに美須々のウェディングドレス姿は美しく、色んな意味ですごい取り合わせになっている赤木が隣にいても気にならないほどの華やかさだった。この後の披露宴で一仕事待っているというのに、と晴子はさっそく号泣、そのせいで周防は少し笑ってしまうほどだった。

ヴァージンロードの美須々のエスコートは、学生時代の彼女を支えてくれた戸田の祖父である。彼もまた美須々を赤木に差し出したところで感極まっていた。戸田の家は挨拶に来た赤木に驚きはしたものの、ある程度は周防から話を聞いていたこともあって、赤木家のように揉めたりはしなかった。

特に祖父母は赤木の昔気質にすら感じられるほど実直なところを大変気に入っており、全幅の信頼を寄せている。今では周防も懐いているし、その周防さえ学校を出てしまえば、戸田の家の長きに渡った支援も終わる。戸田の家族にしても、この結婚は感慨深いものだった。

挙式が終わり、と晴子が泣いて崩れてしまった化粧をなんとか立て直したところで、披露宴である。

ここでとうとうプリンセスになった美須々の登場である。と晴子はせっかく直した化粧を再度流す羽目になった。目の覚めるような黄色のドレスに身を包んだ美須々は緊張しつつも輝くばかりの笑顔で、ここで周防までが泣き出し、それを見た戸田の家も全員限界突破、逆に赤木家は王子様風の新郎に開いた口が塞がらない。

ちゃん、あれほんとに美須々かよ。なんなんだこれ」
「あんたが体張ってワルモノを追い払ってくれたからね。周防、あんたのおかげだよ」

隣の席で鼻をグズグズ言わせている周防の頭をは撫でてやった。に抱かれている長男も手を伸ばして周防の鼻っ面をピタピタと叩いた。周防も泣き笑いだ。

食事を挟み、やっと宗像側の涙が落ち着いたところでのスピーチ、そして歌である。せっかく収めた涙がぶり返す危険をはらんでいるが、この結婚においてこの役目を担うのはしかいなかった。母さんの出番なので、おチビは晴子の膝にいる。

は、ある程度ありきたりな文句をずらずらと並べた上で、美須々が苦難の日々であったこと、そしてそれを支えたのが赤木であったことを特に強調して喋った。さらに、戸田の家の尽力にも触れ、周防と晴子もその一翼を担ったのだと付け加え、赤木の家に対しては美須々をどうぞよろしくと結んだ。

歌は当然と言おうか、「美女と野獣」である。本来楽曲としては男女デュエットの歌である「美女と野獣」だが、がひとりで歌うので、劇中の音楽の方を借りることになった。ホテル側の計らいで、真っ赤な薔薇が一輪、マイクに添えられている。

今日は緊張と幸福感とで涙にまで至らなかった美須々だが、ここに来てとうとう涙腺が決壊、の歌声に耐え切れなくなって泣き出した。晴子もおチビを膝に抱きながら泣いている。途中もこみ上げかけたけれど、なんとか耐えて歌いきった。高校生以来の小さなステージだったが万雷の拍手で終わった。

披露宴というより、本当に小さな部屋でのお食事会といった雰囲気だったが、最後には花束贈呈もあり、赤木の両親と戸田の祖父母に花束が贈られた。今回の場合新郎新婦はスピーチなどできる柄ではないので、礼を述べるにとどめたが、最後の最後でとんでもない演出が待っていた。

狭い上に人数も少ないので、ひとりひとり礼を述べて回った赤木と美須々は、一番最後に木暮夫婦と周防のところにやってくると、薔薇を一輪、それぞれに差し出した。赤木がに、美須々が周防に差し出すと、は火がついたように泣き出し、とうとう公延まで目頭を押さえた。

何しろふたりがこうしていられるのは、と公延、そして周防がいたからなのである。周防と抱き合って泣いている美須々の横で、赤木はと公延、ふたりまとめて引き寄せて抱き締めた。おそらく、今後二度とこんなことはあるまい。だが、今日だけは、これでいいのだ。

こうして涙涙の挙式披露宴は無事に終了した。

母さんと公延父さんが二次会なので、おチビは4人のジジババのところである。二次会が横浜なので、じーじふたりが車で迎えに来てくれた。今日はハニーもいるし孫は来るし、その親ふたりは遅くまで帰らないし、ジジババ大歓喜である。

挙式披露宴の方には身内しか呼ばなかったので、この二次会は今度は赤木の学生時代の同期先輩後輩、ふたりの現在の職場の近しい人などが呼ばれることになった。これも大人数ではないが、一応店を借り切ってパーティという体にしてある。挙式披露宴からの続投組は木暮夫婦と晴子に周防である。

「おー、来たか!」
「よお、久しぶりだな。あれっ、おチビどうしたよ」
「親のとこー。今日は赤木くん家のウサギもうちの親んとこ」

そして高校関係で唯一呼ばれてやって来たのが魚住である。最近では彼の店は木暮夫婦御用達となっており、長男が生まれて席を設けた時も利用した。なのでもだいぶお馴染みになりつつある。彼を初めて見るという周防は半笑いで目を丸くしていた。わかっちゃいたけど大き過ぎて。

「なんだ、地元関係、これだけか?」
「まあ、今はあんまり連絡取ってないからな。陵南は付き合いあるのか?」
「まあそう言われればねえな。たっまーに仙道が来るけど、釣った魚捌いて欲しいだけだからなアイツ……
「ファッ!? せせせせせ仙道って!」

周防が飛び上がる。なかなか間を取り持ってもらえないが、姉夫婦の周囲にはスタープレイヤーがたくさんいる。は清田なら会わせてやってもいいかと思い始めているが、美須々の方がいい顔をしない。

「しかしなんだ、今日はこれほぼ男しかいないだろうに、ちゃん大丈夫か」
「私ね、子供産んでからああいうの、なくなっちゃったんだよ。だから大丈夫。晴子ちゃんの方が心配」
「そっちはもっと大丈夫だろ。赤木の妹と知って追っかけ回す度胸があるのは桜木くらいなもんだ」

周防を含めた4人でそんな話をしていることころに、ある程度平服になっている新郎新婦がようやくやってきた。職場と大学関係に挨拶して回ってきたようで、美須々の頬が引きつっている。そこへ晴子もやってきて、やっと美須々は緊張から抜けてきた。

ちゃん、さっきは本当にありがとう。もう私頭真っ白になっちゃって」
「それはこっちだよ。何よあれ、薔薇、ほらもうまた泣けてきたじゃん!」
「実はあれ、最初に言い出したの私なんだよ〜」

身内だけの席とはいえ、親戚関係はお客様である。そのフォローなどは晴子と周防が任されることになったのだが、その打ち合わせの際に、晴子がぼそりと言ったのだ。今回の場合、本当に花束を贈りたいのってちゃんたちと周防くんだよね。周防がその場にいなかったので、それを何とか組み込めないかと話が始まったらしい。

「ほんとは晴子ちゃんにも贈りたかったのよ」
「いいんだってー私はベルちゃんを姉にもらったんだからそれでいいの!」
「おーい、すまんがこの後も頼むぞ」

横から赤木が顔を出す。パーティとは言ってもあまり口の立たない新郎新婦である。繋ぎにまたにマイクを預けるという策に出た。ももう乗りかかった船なので、ここに移動してくる間にフォーマルドレスから着替えてある。ちなみに喋りの方のマイクは周防が預かることになった。

「任しといてー。今日はもう覚悟してるから」
「オレはなんか気が乗らないよ。試合で当たったことがあるのもいるってのにさ」

赤木の後輩に知った顔がある周防はグズグズ言っていたが、は覚悟のカラオケで歌詞に問題がなさそうな曲を歌いまくった。無闇やたらと人を惹きつける能力こそ失ったけれど、ハイスペック器用貧乏なところは変わらない。喋りが苦手な新郎新婦のために、は喉が枯れるほど歌った。

というか赤木の同期先輩後輩ということは、公延の同期先輩後輩でもある。ただでさえ新婦側の客がいない状態なので、最初はあのひとりで歌いまくってる可愛い子は誰だと注目を浴びた。が、蓋を開けてみれば木暮の嫁で既に一児の母。色んな意味で招待客は度肝を抜かれた。

「ベルちゃん、嬉しいね、幸せだね」
「本当に、なんだかこれでいいのかなって思っちゃう」
「また始まった」
「いいんだよベルちゃん、みんなしあわせに暮らしました、めでたしめでたし!」

何だかむず痒そうな周防を他所に、の歌うMadonnaの「Holliday」に湧くパーティの真ん中で、赤木と美須々と晴子、家族になった3人は嬉しそうに微笑んだ。